« 旅行代金を支払う(オマーン) | トップページ | 有馬温泉旅行記1日目その2 »

2023.11.25

有馬温泉旅行記1日目その1

2023年10月31日(火曜日)

押し寿司 何だか今年は母との二人旅が多い。2023年で3回目の母娘旅である。
 姫路城の見学時間を確保することと早朝出発を避けることの二つを両立するため、のぞみ車内でお昼ごはんを食べる予定である。 9時20分頃、東京駅に到着し、駅弁屋 祭でお弁当を購入する。
 母は定番となっている柿の葉寿司、私は湘南鎌倉 大船軒の「押し寿し 食べくらべ 六貫入」にした。

 飲み物も購入し、9時48分東京発のぞみ65号(広島行き)で出発である。
 昨日、みどりの窓口のお姉さんが言っていたとおり、ほぼ満席のようだ。並びの席が取れなかったので母と話をすることもできないし、寝不足もあって、名古屋手前くらいまで爆睡した。
 母によると、全体的にうっすらと雲がかかっていて、富士山の姿を見ることはできなかったそうだ。

 ちょうど目が覚めたし、名古屋駅を出発した11時半過ぎくらいからお昼ごはんを食べた。
 平日の午前中だし、てっきりのぞみの指定席はビジネス客で埋まったのだと思っていたし、実際、隣席の方はスーツを着ていたけれど、どうやらこの「のぞみ」が混んでいたのは「ちょうどいい時間帯」だったかららしい。
 京都で車両の2/3くらいの乗客が降りてしまって驚いた。

 「のぞみ」での車内販売はこの日を以て終了すると、東京駅出発直後からアナウンスが何度か入っていた。
 そういえば、新幹線に乗るときは事前に駅で購入し、車内で何かを購入したことはなかったかも知れない。
 これが最後の機会だと思い、食後にホットコーヒーをいただいた。今から思えば、記念にカチカチで有名なアイスクリームを食べておけば良かったかも知れない。

 12時45分に姫路駅に到着した。
 コインロッカーに大きな荷物を預け、駅前に出たら大きな道の真正面に姫路城が見えた。
 相変わらずフォトジェニックである。
 姫路城は2015年まで大天守の改修工事が行われ、白鷺城がさらに白くなったと当時は話題になっていたと思う。私は姫路城に行ったことがなく、新幹線から見たこともほとんどなく、「おぉ! あれが!」という感じだ。

姫路城 いいお天気だし、歩いても20分くらいだけれど、最近「膝が痛い」と言うことの多い母が天守閣に登るための気力体力温存で、バスで大手門前まで行った。
 姫路城の大手門前は堀が残り、木製の橋がかけられ、大勢の人が天守閣に向かっている。
 外国人観光客もかなり多い。
 ニュースでは見聞きしていたものの、こんなにもインバウンドが回復していたのかと驚いた。

 大手門をくぐると芝生の広場があり、その向こうに姫路城がそびえ立っていた。
 秋空をバックにして、フォトジェニックなことこの上ない。
 もちろん、写真を撮っている人も鈴なりだ。母と私ももちろん仲間に入る。
 大改修から8年経ち、実は流石に真っ白ではなくなっている壁も、このくらいの距離があれば十分白い。
 そして、その白さだけではなく、佇まいというか、全体の構成が姫路城の美しさを作っているのだなと納得した。

姫路城姫路城

 人の流れに乗って、天守閣に向かう。
 紅葉もまだ進んでおらず、平日だし、「比較的空いている」のだろうけれど、それでも結構な混雑である。
 修学旅行生もそこそこいる。

二重扉釘隠し 1階から順番に見学して行く。
 靴の袋が邪魔そうだったので母の分も預かり、恐らくは見学者の靴下で相当に磨き込まれただろう木の床を踏みしめて見学である。
 冬だったら相当に底冷えしたに違いない。

 写真左の釘隠しは、その名のとおり、釘を打ったところを隠すものらしい。
 それがどうして「見どころ」として紹介までされるのか? と思ったら、回りのハート型に抜いているように見えるところがポイントらしい。
 写真右側は、天守への出入り口である。二重扉になっていて、4カ所ある出入り口のすべてにかんぬきをかけてしまえば、中に入ることはできないらしい。

 城外から攻め込まれたときに最後の手段で籠城することを想定しているということだろうか?
 姫路城の天守は基本的にガランとした空間だけれど、戦時ともなれば、そのがらんとした空間に武器と食料を大量に詰め込んだらしい。
 石落としなども備えられていたし、城は居住空間というより砦なんだなと思う。

東大柱西大柱 急な階段を上り3階まで来ると、太い柱を見ることができる。
 天守を1階からてっぺんまで貫いている、という話だったと思う。
 丸い方の東大柱は一本柱で1階から天守まで貫き、四角い方の西大柱は釘を使わずに継がれており、その継いだところを3階で見ることができる。
 この西大柱を階段が巡っており、この写真からでも見学者の多さが分かるというものだ。

石打 3階だけでなく、4階にも大千鳥破風がある、らしい。
 この写真奥の破風は小さいので、恐らく南北に二つずつある破風の一つだと思う。
 破風の中は窓のところに座りたくなる高さの棚があって、どの階でも寛ぐ人がいたように思う。

 また、東西にある大千鳥(外から見たとき、三角屋根のように見える部分の名称らしい)のため窓の位置を挙げざるを得ないため、写真の左側の窓の下にある石打棚を設けてあるそうだ。
 階段があって上がれるようになっており、「窓に手が届かない」とか「窓から外が見えない」といった事態を解消できるようになっている。
 芸が細かい。

 5階まで上がったところで、天守閣最上階への入場制限が行われた。
 時刻でいうと、13時45分頃のことである。逆に、ここまで順調に上がって来られたのはラッキーだった。
 いったん、5階から6階に上がる階段を使えないようにロープを張り、階段を下り専用にして、6階にいる人が一定数に減ってから階段を上れるようにしてくれた。
 手慣れている。素晴らしい機動力だ。

 多分10分も待たないうちに6階に上がることができたと思う。
 お天気もいいし、天守閣からの眺めは格別である。
 こうして四方を見渡すと、山と海に囲まれて、「山城」ではなくとも堀があれば結構便利かつ守りやすい場所だったんじゃないかなという気がした。

天守閣最上層より天守閣最上層より

天守閣最上層より天守閣最上層より

 眺めを堪能した後は、登ってくるときに見落としてしまった「見どころ」などを拾いつつ下って行く。
 急な階段は上るときも怖かったけれど、降りるときはさらに怖い。足を置く場所の奥行きもないし、手すりにすがりつつ、ほぼほぼ横向きに降りる感じになる。

 フロアの四隅には、伏兵を置くための隠し部屋のような場所が用意され「武者隠し」と呼ばれているらしい。
 いや、これはバレバレだったのでは? と思う。
 それに、床よりもかなり高いところに扉があるので出入りにモタモタしちゃいそうだし、中を覗くと狭いし、半分以上は床が結構な角度で斜めになっている。
 本当に「武者隠し」として機能してた? と疑ってしまう。

武者隠し武者隠し

武具掛け  また、武具を掛けるための棚も用意されている。
 壁一面に槍や鉄砲、刀を置くための突起が取り付けられている感じだ。
 ただしまうだけならもっと詰め込む方法があると思うので、これらは多分、籠城して戦うときに手に取りやすいように、という工夫だと思う。
 一体、何人でこの城に立てこもるつもりだったのだろう? 

 「武具を持ってみよう」という体験展示もあって、銃と刀を持ち上げてみることができるようになっていた。
 重心や刀の刃の部分は透明プラスチックの箱に入れられていて、持ち手の部分が外に出され、切り込みの入った範囲でだけ動かしてみることができる。
 重い。
 こんな重いものを持って歩いたり走ったり振り回したりするなんて、尋常な体力じゃないよと思う。

 ただ、姫路城には甲冑などは残っていないそうだ。
 そもそも所蔵していなかったのか、誰かが持って行ったり捨てたりしてしまったのか、その辺りのことはよく分からなかったけれども、武具庫として使われていた場所はあって、他所からお借りしたらしい鎧兜が展示されていた。

 2階と1階には、「石落とし」がある。
 下の左側の写真は、2階にある「石落とし」で、出格子の出っ張っている下のところが開けられるようになっている。
 下の右側の写真は、1階にある「石落とし」で、建物の内部が棚っぽくなっており、その棚板を開けるとそこは外、という仕組みらしい。

 どちらも、真下に石を落として石垣や壁面を登ってきた敵めがけて石を落とせるようになっている。実際は、石を落とすのではなく、鉄砲で撃っていたという。
 石ならどこにでもいくらでもありそうだけれど、実際、落としてぶつけて威力があるような大きさと重さの石を大量に保管するのは大変そうだ。

 そして、1階と2階を通して建物の角には筋交いが入っている。
 地震などで横揺れがあったときにぺしゃんこに潰れるのを防ぐための補強材だという。
 何というか、流石である。知恵と工夫に溢れている。

石落とし筋交いと石落とし

 1階まで降りて来たところで、順路に従い、東の小天守に入った。

 -> 有馬温泉旅行記1日目その2

|

« 旅行代金を支払う(オマーン) | トップページ | 有馬温泉旅行記1日目その2 »

旅行・地域」カテゴリの記事

*202310有馬温泉の始末」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 旅行代金を支払う(オマーン) | トップページ | 有馬温泉旅行記1日目その2 »