奥日光旅行記(2024)2日目
2024年7月22日(月曜日)
旅先としては物凄く珍しいことに5時過ぎまで一度も目を覚まさずに爆睡した。
お陰で、昨夜の温泉でお勧めいただいた「夜空の星を眺める」ことはすっかり忘れていた。まぁ、仕方がない。
外を見てみると青空が広がり、いいお天気である。
6時過ぎに本格的に起き出し、温泉に行った。
流石に朝のこの時間帯は独泉という訳には行かないものの、自分達を含めて5人前後、という感じである。
露天風呂にいると風が気持ち良くて、注ぎ口に近い湯が熱いあたりでのんびりしていたら、上がった後で大汗をかくことになった。
湯上がりに、昨日スペーシアX車内で購入したりんごジュースをいただく。美味しい。
7時前に朝食の案内の電話が入った。
昨夜の夕食と同じお部屋でいただく。
お膳に用意されていたのは「ザ・旅館の朝食」といったメニューである。
おかゆの他にごはんもおひつで用意されている。おかゆとごはんを軽く一膳いただき、ほぼほぼ完食した。
朝の時間帯はラウンジでコーヒーのサービスがある。
そのままラウンジやロビーでいただいてもいいし、お部屋に持ち帰ってもいいというご案内で、有り難くお部屋に持ち帰った。
8時頃に部屋に戻ってみると、おふとんがすでに上げてあって、「チェックアウトまでこのままだろう」と油断して適当に荷物を広げ、適当に浴衣等を丸めておいたことを若干後悔する。
何だか申し訳ない。
昨夜に使いそびれたシートマスクで朝から保湿したり、テレビを見たり、荷造りをしたりして、9時過ぎにチェックアウトした。
そのままバスターミナルに向かうと、ちょうど観光バスが到着したところで、小学生の団体を引率する先生(インストラクター)の方が賑やかに指示を出していた。
サマーキャンプ、という感じだろうか。
9時20分発のバスに乗り、菖蒲ヶ浜遊覧船発着所を目指す。
道中、車窓から、一面に咲いているホザキシモツケのピンク色や、青空をバックにした男体山を見ることができた。
いい景色である。
景色を満喫し、菖蒲ヶ浜遊覧船発着所のバス停を下りて道路の反対側を見たら、「悪天候のため欠航」の貼り紙が目に入った。
悪天候? こんなにいいお天気なのに悪天候?
即座に運転手さんに「遊覧船が欠航しているみたいなのでバスに戻っていいですか?」と尋ねてバスに戻った。
船の駅中禅寺でも「悪天候のため欠航」の貼り紙が出ていることをバスの窓から確認し、中禅寺温泉のバスターミナルで下車した。
元々は、遊覧船でイタリア大使館別荘記念公園に行こうと思っていた。以前はあった中禅寺温泉から立木観音や別荘記念公園方面行きのバスが紅葉の時期のみの運行となっていて、公共交通機関によるアクセス方法がない。
徒歩30分くらいだし、母も「歩くのは構わない」と言うし、大きな荷物をコインロッカーに預けて歩いてもいいかと思いつつ、日光中禅寺温泉観光案内所でタクシーを呼べるか聞いてみた。
すると、いろは坂の上にタクシーは待機しておらず、呼ぶと日光市街から来てもらうことになるので配車に30分以上かかるという。
「運が良ければ、下からリッツ・カールトンに乗せてきたタクシーがそのままホテルで待機していることがある」言われ、3社ほど電話番号を教えてもらって次々かけたけれど、いずれも「日光市街からの配車になるので・・・。」という回答だった。
コインロッカーに荷物を預け、帰りは遊覧船に乗れることを期待して、イタリア大使館別荘記念公園に向けて歩き始めた。
基本的のアスファルトの車道の横を歩いて行くことになり、「遊歩道」という感じではない。
それでも標高が高い分だけ、日差しは強くとも風は涼しい。だから歩けるというものである。
途中、中禅寺湖のビューポイントがあり、くっきりとした男体山を湖越しに見ることができる。
それにしても、この日は水の色がひときわ鮮やかであるように感じた。
10時15分くらいに中禅寺温泉バスターミナルを出発し、ビューポイントに寄り道しつつ、歩くこと40分くらいで英国大使館別荘記念公園の入口に到着した。
公園の中に入れば緑が濃く、いっそう涼しく感じられる。
この緑を抜けた先、中禅寺湖畔にイギリス大使館別荘の建物があった。
入口でイタリア大使館別荘との共通拝観券を購入し、お邪魔する。
英国大使館別荘は、元々、奥日光が好きで英文の「日光案内」も著した英国の外交官アーネスト・サトウが建てた別荘で、旅行家のイザベラ・バードも滞在し「山荘からの眺めの素晴らしさ」を手紙に綴ったそうだ。
湖に向けて開かれた1階のテラスからの眺めは本当に絵画のようである。
アーネスト・サトウがこの地を選んだ理由の一つが中禅寺湖越しに奥白根山を望むことができるだという。
この写真の一番高い山が奥白根山で、この山頂の割れ目がここまでくっきり見える日は少ないとスタッフの方がおっしゃっていた。
ラッキーである。
「こんなに開放的で夏の滞在しか考えていなかったんでしょうねー。」と何となく言ってみたら、冬の間は雨戸を立てて完全に閉じてしまうそうだ。そうしないと、寒すぎて建具に使っているガラスが割れてしまうと言う。
この建物に使われているガラスは当時のもので、現代の技術では再現できないらしい。
2階のテラスも気持ち良い場所で、こちらもソファが並んでいる。
栃木県「奥日光のリゾート篇」の宣伝で吉永小百合がこのソファに座った写真があり、母を座らせてまねっこ写真を撮ったりした。
このテラスの奥にはティールームがあり、イギリス式のサンドイッチとスコーン、紅茶を楽しむことができる。結構な繁盛振りだ。
お腹に余裕があったらこちらもいただいてみたかった。
湖畔に下り、これまで遊覧船から見たことがあるだけだった外観を近い距離から干渉する。
中にいたとき思ったとおり、やはり開放的な別荘だ。
次に行った(写真左の)イタリア大使館別荘よりもさらにさらに開放的という感じがある。
英国大使館別荘は、インテリアもいかにも英国風で素敵だったけれど、あまりにも外観と眺めが素晴らしかったので、ついついそちらに注目してしまった。
続いて見学したイタリア大使館別荘記念公園は、別に資料館のような別館を持ち、本体の別荘は今も別荘として使えそうな感じで設えられている。
スタッフの方曰く「ダイニングテーブルと2階の寝室のベッドには座らないでください。その他の椅子は座って寛いでいただいて大丈夫です」ということだった。
こちらも素敵な内装だった。
どちらの別荘にも遊覧船の運航状況の案内があって、お昼近くから遊覧船の運航が再開されるけれども、イタリア大使館別荘の桟橋は立ち寄らない、と書かれていた。
聞いてみたら、知床の遊覧船の事故以来、風速10mを超えると遊覧船を運航しないことが徹底されており、かつ、イタリア大使館別荘付近は水深が浅く、水位が下がっていることから座礁の危険があって立ち寄らない日もあると言う。
知らなかったよ! と思う。
やっぱりこの日の中禅寺湖の水の色は際立っていたと思う。
立木観音まで歩き、僅か5分、船の駅中禅寺まで中禅寺湖遊覧船の船旅を楽しんだ。
船の駅中禅寺から中禅寺温泉バスターミナルまで歩いて戻り、コインロッカーから預けた荷物を取り出して、12時55分発のバスで日光市街に下りた。
相変わらずいいお天気である。
そして、いろは坂を下って行くにつれ、バス車内は冷房が効いているにもかかわらず、外の温度が上がって行くことに気がついた。
日光市街はほぼ、自宅辺りと変わらない暑さのようだ。
神橋でバスを降りる。
時間帯の差なのか、昨日に比べると格段に外国人観光客の姿が多い。
13時半を過ぎていたこともあり、すんなり日光湯波巻き 全 ZENに入ることができた。
日光湯波巻き御膳をお願いする。鯛と三つ葉の湯波巻きは売り切れていて、とちぎ和牛と山葵を選んだ。他に、本日の小鉢(キノコの煮物、ピクルス、あと1皿が思い出せない)、たまり漬け、バイ貝の旨煮、葉唐辛子と昆布の佃煮、生のりの赤だし、生湯葉ぜんざいが付いてくる。
食べられるかなと言いつつ、二人ともあっという間に完食した。
母よりも私の体力的な問題で、早めに帰ろうと決める。
暑いし、日光天然氷のかき氷を食べたいなぁと思っていたものの、昼食にデザートが付いていたし、お腹もいっぱいである。次の機会に譲ることにする。
日光に来るたびに母が「買って帰る」と言う、三ッ山羊羹本舗で水羊羹を一口羊羹を購入する。
お盆も近いことだしと、日野屋酒店で日光誉の小さな瓶を購入する。
おやつに食べようとザ・金谷テラスでアイスコーヒーと「金谷 時のプリン」と名付けられた、明治・昭和・平成それぞれの時代をイメージして作られたプリンの3つセットを購入する。
母には「最後が忙しすぎた!」と怒られたけれど、14時57分発のけごん38号で家路についた。
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