京都旅行記(2024)1日目 その1
2024年11月29日(金曜日)
今回の旅の行き先候補として、四国に初上陸して四国バースデー切符を使い倒そうとか、金色堂建立900年を迎える中尊寺に行こうとか、色々と考えてはいた。
ところが、考えているうちに面倒臭くなってしまい、先月末に母と湯河原に行ったことだし、年内はもう旅行はしなくてもいいかなと思い始めていたところ、「そうだ、京都行こう」と思い立った。
思い立ったきっかけはクッションカバーだ。
クッションカバーを作るなら自分で織った布を使いたい、赤系統がいい、アトリエ・シムラ(成城)で開催されるワークショップでは織りに使える時間は半日なので少し短い、この機会にアルスシムラのShop&Gallery 京都本店に行ってみようではないか、折良く11月のテーマは「紅葉を織る」で、自分が欲しい赤系統の布が織れそうである。
ワークショップの開始時刻は10時で、自宅からだと10時までにたどり着くのは不可能ではないけれどかなり厳しい。
前泊する計画を立てた。
あまり早い時間の新幹線にして通勤時間帯の満員電車に乗ることは避けたい。
流石に久々の京都に行くので、きっと色々と買い物をしたくなるに違いない。母からも「美味しいお菓子を買ってきて」とリクエストが来ているし、荷物はミラコロを転がして行く予定である。
しかし、2日目はほぼ機織りワークショップのみとなるだろうから、観光できるのは1日目だけである。
諸々を考え合わせ、10時21分東京発ののぞみの指定席を押さえている。
今回、初めてスマートEXを利用した。
SUICAで新幹線に乗車できるのは便利だ。「切符を忘れたかも」と心配しなくて良い。
しかし、スマートEXの場合、新幹線乗車駅までの乗車賃を別途支払う必要がある。紙切符であれば、東京都区内までの乗車賃のみ負担すれば良い。紙切符とスマートEXでの購入金額の差額は200円なので、トータルすると紙切符の方が安いのが若干悔しい。
大事を取って10時前に東京駅に到着し、車内で食べるお弁当を探す。
17時にアフタヌーンティの予定を入れているから軽い物でいいなと思っていた筈が、つい、刷毛じょうゆ 海苔弁山登りを購入した。
飲み物は新幹線乗車前に自動販売機でお茶を購入した。
満席にアナウンスはなかったものの、自由席には立って乗っている方もいらっしゃるらしい。新大阪駅を選んでもこの混雑なのかとびっくりする。
車窓の富士山を満喫し、11時半過ぎに早めのお昼をいただいた。
車内にいた外国人のグループが名古屋で下車し、車内はかなりガラガラになっていて、お弁当も食べやすい。
名前を忘れてしまったお弁当には、俵型のおにぎり、鶏の唐揚げ、煮卵、大学芋などが入っている。「意外と揚げ物が多かった!」「意外と野菜が少ない!」などと勝手なことを思いつつ、完食した。
満足である。
12時半過ぎに京都駅に到着した。
久しぶり過ぎて、新幹線を降りてからどの改札を出れば伊勢丹に最短距離で行けるのか忘れている。
適当に出てしまったらもの凄く回り道をする羽目になった。それくらい事前に確認しておけば良かったと反省する。
何とか辿り着いて、伊勢丹の地下をぐるぐる回り、夕食用にひさご寿しで鯖寿司(三貫)を購入した。外食することも考えたけれど、小心者なので夕ごはんを食べに知らないお店に入るというのはなかなかハードルが高い。結構な人出だろうし、迷った挙げ句に夕食難民になるよりは、宿に帰れば夕ごはん乃至夜食があると思えた方が安心だ。
買い出し後、JR奈良線で東福寺駅に行き、京阪線で清水五条駅に出た。
宿の公式サイトに「清水五条駅から徒歩5分」と書いてあってバスの案内がなかったことと、「オーバーツーリズムで京都の道は渋滞しているしバスに乗れないこともある」と何かで見たか読んだかした記憶があるためだ。
本日の宿である倭乃里京都ミュゼまで、駅から徒歩5分ほどである。とりあえず荷物だけ預けて身軽になりたい。
宿に行く前に、コーヒー豆を購入しようと、すぐ近くのfuku coffee roasteryに立ち寄った。
引き戸を開けて声をかけてしばし、店主の方が奥から出ていらした。ちょうどお客さんの切れ目だったのか休憩中だったらしい。タイミングが悪くて申し訳ない。
ついでに、ミラコロを引きずりながらお伺いして、申し訳ないところだ。
「酸味がなくてマイルドなコーヒーが飲みたい」と相談すると、もの凄く真剣に考え、いくつかお勧めの豆の香りを確認するよう促してくださる。
「フルーティなのに酸味がない! 飲んでみたら驚きます。コーヒーの概念が変わります」と壮大に絶賛かつお勧めいただいたペルーの「ミラ・フローレス」という豆(いや、ブレンド名だったのかも)を購入した。こちらではコーヒー豆は全て150g単位での販売のようだ。
私の買い物が終わる頃、外国人の方が3人「ここでコーヒーは飲める?」と入店された。一体どこをどうやってお店を探しやってくるのか、インターネットの恩恵だと思うけれど、それにしても凄い。
オーバーツーリズムという言葉に深く納得した。
13時半過ぎに宿に到着すると、無人のフロントに連絡先電話番号が置いてあった。
事前に荷物の預かりをお願いしておけば良かったと反省しつつ電話をかけると、どこにいらしたのか宿の方が来てくださった。荷物の預かりも快く引き受けていただいて有り難い。
近くにお勧めの場所があるかとお尋ねしたところ、建仁寺と六波羅蜜寺の名前が挙がり、早速散歩に出ることにした。
また、先ほど行って来たコーヒーショップの隣に路地があり、コーヒーショップの店主さんのご家族が若手のものづくり作家の方々に町家を貸し出してあじき路地として整備されたと教えていただいた。
入口まで行って見たけれど、人っ子一人いない感じが若干怖くて、中に入る勇気がなかった。次の機会があったら今度こそお邪魔してみたい。サイトを見ると、本当に様々な作家さん達が拠点とされているようだ。
そのまま、「京都最古のお寺」であるらしい建仁寺 に向かった。
お天気サイト等で紅葉情報を見ると、建仁寺の紅葉は近隣の清水寺や高台寺より1歩も2歩も遅い。
標高の違いかなと思いつつ、円山公園などと比べても遅めになっていて、何か他に理由があるのだろうかと思う。
普段、JR中心の生活をしているので、京都に来ても、河原町や東山、今回宿泊した宮川町辺りを歩いたことはほぼなくて、何だか目新しくて新鮮である。
お宿の方がおっしゃっていたとおり、歩くのに楽しい場所だ。
近くにある建仁寺に向かう。
京都に来てもついJRを中心に移動を考えてしまうため、この辺りはほとんど来たことがない。建仁寺も初めてだ。
京都の紅葉情報を見ると、清水寺や高台寺と比べて建仁寺の紅葉は遅めである。標高の分の差だろうか。
建仁寺に向かっていると、歩いている人が少しずつ増えてくる。ツアー客は別として、観光客っぽい人は概ね手元のスマホを見ながら歩いている。もちろん自分もそうで、お陰で結構歩き回ったのに全く道を覚えられなかった。
14時前に到着した建仁寺の紅葉はまだ走りという感じだ。
広い境内のほんの一部も歩けなかったと思うし、実は雨が降り出すのではないかと戦々恐々としつつも、結構楽しめた。
境内散策の後は、方丈等のを見学した。
流石に京都最古の禅寺で、枯山水のお庭が素敵である。「○△□の庭」という庭もあり、○は木の周りの箒目、□は庭自体を指すとして、△って何だろうとしばらく睨めっこしたけれど思いつかなかった。
方丈を見学しているときに、心配していた雨が降ってきた。
青空も見えているものの、かなりの降り方である。「ダッシュして宿まで帰ろう」という感じではない。
しかし、お天気雨だしそのうちあがるだろうと思い、そのまま建物内の見学を続けることにした。
俵屋宗達の風神雷神図屏風や、海北友松の雲龍図の襖絵などは、ほぼほぼレプリカだったようだ。複製である旨の表示はもちろん、その複製の精度の高さを説明する案内も表示されていた。
レプリカではない作品としては、総理大臣を務めた細川護煕氏の襖絵が印象に残っている。
襖絵が印象に残っているというよりは、「元総理大臣が描いた」「元総理大臣が描いた襖絵が建仁寺にある」とうことの印象が強かったようにも思う。
何というか、建仁寺というお寺の政治力の高さをまざまざと見せつけられた、という感じだ。
流石に「京都で一番古い禅寺」として生き延びてきたお寺である。
この後、渡り廊下を渡って法堂に行ったとき、団体の見学者を引率したお坊さんの説明が聞こえてきた。関係者っぽい方々の集まりだったようで、曰く、「この双龍図が完成して以降、拝観者が*倍になった」ということである。赤裸々だ。
私も「増えた拝観者の一人だよ!」と思う。
この双龍図は、2002年に完成したそうだ。完成してから22年を「意外と年月が経っている」と思うか「やっぱり新しい」と思うか、微妙なところだ。
大抵の天井にいる龍は「どこから見上げても龍と目線が合う」と言われている気がするけれど、この双龍図の龍は不思議な感じで、「どこから見上げても絶対に龍と目線が合わない」感じがする。
トリックアートでもあるまいし、何故だろうと思う。
最後に御朱印をいただく。荷物を極力少なくしたかったので、京都に来てお寺にも行こうと思っていたにも関わらず、御朱印帳を持ってきていない。この日だけなのかいつもなのか分からないけれど、今回、御朱印は書き置きのもののみの授与で、逆に早めにいただけて有り難い。
方丈を出てもう1回建仁寺境内の紅葉を眺める。
雨も上がって、空も明るくなってきた。このまま傘を差さずに夜まで保つだろう。
来た道を戻り、建仁寺の塔頭の一つである禅居庵禅居庵にお参りして、次の目的地である六波羅蜜寺に向かう。
地図を見てもよく分からない。この辺りの道は、錯綜している。
迷ったのか何度か「六道の辻」を見たような気もする。
六道の辻の意味も分からないけれどどこかで聞いたことがあって、かつ、大きく「六道の辻」という看板が出ていて通りがかるたびに気になった。
後で調べたら、六道の辻は「あの世とこの世の境」で、六道珍皇寺の境内にあると言われてきたそうだ。
この六道珍皇寺は開かれていたけれど何だか入りにくい感じのお寺で、お参りしそびれてしまった。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 960000アクセス達成!(2025.05.12)
- 箱根旅行記(2025)の入口を作る(2025.05.17)
- 箱根旅行記(2025)2日目(2025.05.05)
- 箱根旅行記(2025)1日目(2025.05.04)
- 京都旅行記(2024)の入口を作る(2025.04.27)
「*202411京都の始末」カテゴリの記事
- 京都旅行記(2024)の入口を作る(2025.04.27)
- 京都旅行記(2024)2日目(2025.01.13)
- 京都旅行記(2024)1日目 その3(2025.01.01)
- 京都旅行記(2024)1日目 その2(2024.12.30)
- 京都旅行記(2024)1日目 その1(2024.12.19)
コメント