長崎旅行記1日目その2
2026年3月15日(日曜日)
大浦天主堂から降りて来て左に進み、階段やエスカレーターを駆使して徒歩数分でグラバー園の入口に到着した。
グラバー園は要するに、鎖国解除後に外国人たちが集まって住んでいた長崎の居留地だという。
長崎港を見下ろすロケーションで、当然のことながら坂が多い。というか、坂だらけだ。
入園料一人620円也を支払って入園した。
ところで、今確認したら、2026年4月からグラバー園の入園料が大人一人1300円になっていた。
一気に倍以上の金額になったようだ。びっくりである。入園後、恐らくは補修工事を行っているのだろう建物がいくつかあったし、維持経費を確保するための値上げなのだろうと思う。
それはそれとして、値上げ前に訪問できてラッキーである。

入園後、これもまたガイドさんにお勧めいただいたとおり、動く歩道(坂道版)を利用して、一気に「旧三菱第2ドックハウス」まで上がった。ここまで来てしまえば、あとは坂を下りつつ見学というよりも見物すれば良い。
「居留地だったらしい」と書いておいて何だけれど、この第2ドックハウスは、元々が外国船の乗組員の宿舎として「第2ドック」に隣接して建てられていたものを、移設してきたそうだ。
中にも入れて、2階のベランダから長崎港を望むいい景色を見ることができる。
それなのに、悲しいことに、今現在、この第2ドックハウスの内部がどうなっていたか全く記憶にない。写真もない。
だから多分、この景色がご馳走の建物だったと思う。
海の向こうに見えている山が、夜景を見るために行くことになっている稲佐山だ。

お庭の先を下って行くと、旧長崎高商表門衛所がある。
はっきり言って地味な建物である。最初は、この建物もグラバー園を構成している明治期の建物なのか、言葉は悪いけど「見世物」なのか、首を傾げたくらいだ。
長崎高商の「高商」はいわば商科大学のことで、長崎高商は日本で3番目に建てられた高商だという。そこのガードマンの詰め所(正門脇)という感じだろう。地味で当然である。


そのまま進んだところの左手が「旧ウォーカー住宅」だ。こちらも移築された建物で、外観は絶賛工事中だった。
室内に置かれた調度品の数々は、ウォーカー商会を設立したウォーカー氏の息子であるロバート・ウォーカー二世一家が実際に使っていたものだという。
流石に質が良いのか、100年経っても現役で使えそうだし、居心地が良さそうである。
旧ウォーカー住宅の向かいにある「旧長崎地方裁判所長官舎」も移築された建造物である。
裁判所長官が随分と可愛らしい建物に住んでいたのだなと思う。
この移築された建物たちが、移築の際「洋風の部分」だけ選んで持ってきているというのが何とも言えない感じだ。折角だから、和洋折衷という文化も同時に見せてくれれば良かったのにと思う。
この旧長崎地方裁判所長官舎は、現在は、レトロ衣装館として使われていた。
どうりで若い女性ばかりが入って行く筈である。納得だ。
「祈りの泉」の前を通り、階段を降りた左手が「旧リンガー住宅」だ。
家主のフレデリック・リンガーは、グラバー商会で働いた後にリンガー商会を設立している。その縁なのか、元々この場所はトーマス・グラバーの弟が永久借地権を持っていて買い受けたそうだ。
ちょっとグラバー邸っぽい建物である。そして、国の指定重要文化財でもある。初の「移築してきたのではない」建物だ。


そして、リンガーさんはその昔「ナガサキ・ホテル」という当時この辺りで一番の豪華さを誇っていたというホテルを経営していたそうで、そのナガサキ・ホテルで使っていたカトラリーと、建物の模型が展示されていた。
ナガサキ・ホテルはとっくの昔に閉業して備品等々も売り払われてしまったそうだし、その建築はジョサイア・コンドルの手になるものだそうで、どちらも貴重品だ。


そして、ガイドさんに「ぜひ見てください」と繰り返し推された三浦環像を完全に見逃しているのに、見ていたときは知らなかった「フリーメイソンの意匠の門柱」をしっかりカメラに収めている自分が割と謎である。
ちなみに、門柱を撮りたかった訳ではなく、このピンク色のお花は桜かしら、桜じゃないな、何の花か分からないけど春らしくていいんじゃない、と思って撮った写真だ。
研究者の方々によると、トーマス・グラバーや、この住宅の主であるリンガー氏がフリーメイソンの会員だったという証拠はないらしい。
それなのに、解体されてしまったフリーメイソンのロッジの門柱をわざわざここに移築した理由は何なのか。
そういう興味は湧くなぁ、と思う。
旧リンガー住宅の奥左手の「旧オルト住宅」は現在、絶賛修復工事中だった。完全に足場で覆われている。
こちらも国指定重要文化財だそうで、大浦天主堂と同じ人が建築したらしい。建築をしたので、設計者は別人だ。
これは見てみたかった。
その奥にあった「旧スチイル記念学校」も、中に入った筈なのに、そして入口を入って真っ直ぐの廊下にあったベンチで休憩した記憶はうっすらとあるのに、中に何が展示されていたか全く覚えていない。
何があったのだろう。
そして、見学しているときは、名前から「鉄工所が作ったか、鉄について学ぶ学校だったのか」と思っていたけれど、今頃になって、「スチイル」が建設に当たって寄付をした方の名前から取られていると知った。
なるほどである。
元来た道を戻り、旧リンガー住宅まで来た16時過ぎくらいに、空に日差しが戻って来た。
長崎港もよく見えるようになって嬉しい。
庭先にあったベンチで港を眺めてしばし休憩だ。
庭のベンチに座ってひなたぼっこができるくらいの暖かさもありがたい。
旧リンガー住宅から旧グラバー住宅に向かう道筋に、プッチーニ像が建っていた。
本当はその手前に三浦環の像もあった筈だけれど、全く気がつかなかった。この後、バスに戻ったときにガイドさんが「ご覧になりましたか」と尋ね、半分くらいの方が「見ました」とおっしゃっていたので、姿を消していたということはなかった筈だ。
どうして気がつかなかったのか、我ながら謎である。
そしてプッチーニと三浦環とくれば「蝶々夫人」に決まっている。
そもそも、三浦環自身と長崎市は、それほど深い縁がある、という訳ではなさそうだ。グラバー園に三浦環の像があるというよりも、三浦環が演じた蝶々夫人をイメージした像がある、というのが正解ではないかと思う。
グラバー邸の「マダム・バタフライ・ハウス」という別称も、ずっと時代を下ってから住んだ米国人夫婦のいわば「思いつき」がきっかけらしい。なんちゃってマダム・バタフライ・ハウスである。
・・・というのは、ちゃんと探せなかった負け惜しみだ。
そして、白眉を飾るのが言わずと知れた旧グラバー住宅である。
私の中では「グラバー邸」という名前なのだけれど、その印象がどこから来たものか全く覚えていない。
グラバー邸は、現存する日本最古の木造洋風建築であり、グラバー親子が二代にわたって暮らした家であり、国指定重要文化財であるとともに、世界遺産にも指定されている。
何となく武器商人トーマス・グラバー、というイメージが強いけれど、当然のことながら旧グラバー住宅の内外にそういった片鱗は全く見られない。一段下がったところに日本庭園も造られ、日本人女性と結婚し、港の見える景色のいい家に住んだ外国人の典雅なおうち、という感じがするだけだ。












グラバー邸のすぐ近くにある「旧自由亭」も、現在、修復工事中だった。
こちらは現在もカフェとして利用されており、お邪魔できなかったのは残念である。もっとも、この後、17時半から夕食が予定されているので、開いていたとしても立ち寄ったかどうかは微妙だ。
旧自由亭も移築された建築物で、かつ、移築の際は洋風のところだけ選んで移築されたそうだ。
最後に、バスガイドさんにお勧めいただいた長崎伝統芸術館で長崎くんちで使用される傘鉾や龍踊の龍などを見学し、同じ建物にあったお土産物屋さんで絵はがきと便せんを購入した。
便せんは、この辺りにあるはずのてがみ屋のもので、時間があったら寄ってみたいと思っていたので、ここで購入できて嬉しい。
17時前にグラバー園を後にした。
そして、出てしまってから、バスガイドさんに「石畳にハート型の石があるので探してみてください」と言われていたことを思い出した。
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