2015.01.12

西伊豆旅行記の入口を作る

富士山 ここは、年始に出かけた西伊豆旅行記への入口である。
 母と二人、美味しいものを食べて温泉に浸かって、ついでに西伊豆の海に沈む夕日と、あと富士山が眺められるといいねぇというのんびり旅だ。

 この1泊2日の旅行にかかった費用は、一人分約38500円だった。
 ここには、交通費、ホテル代、食事代等が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 以下の日程の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2015年1月1日(木曜日)

2日目 2015年1月2日(金曜日)

 

持ち物リスト(西伊豆編)

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2015.01.02

無事、帰宅する(西伊豆)

 2015年1月1日から1泊2日で、母と西伊豆旅行に行ってきた。

 色々と考えた末、行きは修善寺まで踊り子で行き、そこからバスで堂ヶ島に向かった。
 宿は、堂ヶ島アクーユ三四郎という、三四郎岩が目の前に見える宿で、抜群の眺望である。ただし、宿の方のお話によると、今の季節は干潮時にもトンボロ現象は確認できず、3月以降ということだった。
 また、堂ヶ島の遊覧船も、冬の間は西風が強くて波が高いため欠航になることが多いという。

 もう本当に西風が強くて、露天風呂好きの私が露天風呂に入っていられないくらいの強風、横殴りの湯気なんてものを初めて見てしまった。
 でも、水平線近くは雲があったけれど夕日も眺めることができたし、お食事も美味しく、温泉も1泊2日の間に4回も入って堪能した。

 2日目は、土肥港までバスで出て、カーフェリーで清水港に行き、船中から富士山を堪能した。
 JR清水駅近くのまぐろ館で美味しいお寿司をいただき、帰りだけ、東海道新幹線が遅れたためか、新幹線が大混雑で指定席を取れず、自由席も満席で通路まで人がいる状態で、静岡ー小田原間は立ちっぱなしだった。こういうときにミラコロの威力が発揮されるというものである。

 というわけで、なかなか充実したお正月温泉旅行となった。

 ちなみに、今回の旅行にかかった費用は一人分38500円だった。ここには交通費、宿代、食事代が含まれているが、お土産代は含まれていない。

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2013.10.09

宿を予約する(那須)

 2013年9月に妹母子が我が家に滞在していた際、母は妹に「11月に那須に行かない?」と声をかけたらしい。
 その前に、テレビで藤城清治美術館が新しく那須に開館した様子が流されており、それで行きたいね、那須だったら妹たちも行きやすいんじゃない? と言い出したのだ。

 声はかけたものの、相変わらず我が妹の意向ははっきりせず、そうこうするうちに今度は母が「那須はどうせなら紅葉の時期に行きたいから、11月は西伊豆に行って夕陽を見ましょう」と言い出した。
 いや、まだ妹の返事を聞いていないんでしょ? 結構行く気になっている可能性も高いよと言ったのだけれど、母は「どうせ行くって言わないわよ」とおっしゃる。だったら「行こう」とそもそも言わなければいいものを、どうしてわざわざ話をややこしい方向に持って行くのか、本当に謎である。

 そういうことならと西伊豆の宿を予約して2、3日たったところで、案の定、母が「電話があって、那須に行くって。宿は予約しておいてくれるらしいわ」と言い出した。
 そんなことだろうと思っていたので腹も立たない。我ながら、オトナの対応である。

 さらに1週間ほどがたった今日、妹から電話があって「宿が取れない」と言う。甥っ子がいるのでお子様連れ歓迎の宿がいい、藤城清治美術館からも近いし、とホテルサンバレー那須にしようと言う。しかし、予約しようとしたところ、和室が一杯なのだそうだ。甥っ子がいるので、ベッドよりも落ちる心配のないお布団の和室がいいらしい。
 妹はホテルのサイトで探したというので、楽天トラベルで探したところ、和室が2室空いていたので、早速押さえた。楽天イーグルスが優勝したときに押さえておいたクーポンも使え、お得なプランを予約できて満足である。

 妹たちは車で行くと言っているので、あとは新幹線を押さえればいいだろう。

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2013.03.31

ダーウィンが来た!「進め! ヌー親子 100万頭の大移動」を見る

 毎週日曜の19時30分からNHKで放映されている「ダーウィンが来た!」「進め! ヌー親子 100万頭の大移動」を見た。

 何となくチャンネルを回したら(と何気なく書いてしまうところに年齢が出るような気がしなくもない)、ヌーの群れが画面に映っていたのだ。
 これはきっとケニアのマサイ・マラかタンザニアのセレンゲティだろうと思ったら、やはりセレンゲティだった。

 ヌーが大移動を行うのは、上の前歯がないため柔らかい草しか食べることができず、柔らかい草を生えさせる雨を追わなければならないからだという。
 ケニアに行ったときには、シマウマとヌーとでは草の食べる部分が異なっているので、一緒に行動していてもエサの取り合いにはならないと聞いたように思う。それだけでなく、ヌーは、危険探知能力に優れたシマウマを自分達の斥候として使っているらしい。
 シマウマ側にも斥候になる理由なりメリットなりがあるんじゃないかと思うのだけれど、残念ながら番組では取り上げていなかった。

 ヌーの川渡りも見ていて、そのときはシマウマが先頭を切って渡っていたのだけれど、今回の群れは、母親ヌーから若い雄のヌーが押し出されるようにして先頭を切らされていた。
 母は強し。

 同じ情景を見ても解説を聞いても、色々な感想が浮かぶし、色々な考え方があるんだなと改めて思ってしまった。
 ケニアでのゲーム・サファリが懐かしい。
 セレンゲティと比べることはなかったので、マサイ・マラが起伏に富んだ地形だとは全く思わなかった。どちらかというと、「どこまでも続く大平原」と思っていたように思う。
 また行ってみたいと思ったのだった。

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2011.02.17

「マイルの有効期限廃止」のメールが届く

 2011年2月17日、デルタ航空のマイレージプログラムである「スカイマイル」から、「マイルの有効期限を廃止いたしました。」というお知らせメールが届いた。

 有効期限をなくすための条件などもなく、米国大手航空会社の中で、マイルに有効期限を設けていないのはデルタ航空だけだという。
 ノースウエスト航空のワールドパークスはマイルの有効期限がなかったので、デルタ航空に吸収される際にマイレージクラブも統合されてマイルに有効期限が設けられたときには「やられた!」と思ったものだった。
 恐らく、私の熱意と注意力が足りないせいだと思うのだけれど、マイルを使って飛行機に乗るというのはなかなか難しいのだ。実は今までに一度も実行できたことがない。

 条件が良くなったのだから、スカイマイルは絶対に無駄にしないようにしようと改めて決心したところである。

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2011.01.28

ヨルダン・エジプト旅行記4日目その1

2010年9月21日(火曜日)


生デーツといちじく 6時30分に起きた。ペトラの山に囲まれたような感じになっていることもあって、日の出は7時と遅い。
 7時15分くらいから朝食をいただく。その場で焼いてくれるオムレツがあるのが嬉しい。
 昨日バスの中でもらったイチジクとデーツも食べてみた。イチジクは熟していて甘くて美味しく、フレッシュ・デーツはとんでもなく渋かった。私がもらったデーツがことさらに「ハズレ」だったのか、渋さの良さを判らないお子様の舌しか持っていないせいなのか、よく判らない。


 今日は1日ペトラ遺跡で過ごすことになっている。
 紀元前7世紀頃には、モーセ率いるヘブライ人が土地を通過することを拒んだと旧約聖書に書かれているエドム人がペトラに都市を築いていたようだ。しかし、現在のペトラで見られる遺跡のほとんどは、ナバテア人が建造したものだ。
 それでは、ナバテア人とは何者かということは、実はよく判っていないらしい。紀元前4世紀頃にアラビア半島から移動してきた遊牧を生業とする人々だとされている。
 資料によって「ナバテア人」となっていたり「ナバタイ人」となっていたりする。


 ナバテア王国は、紀元前1世紀から1世紀にかけて、中国とローマを結ぶ収益性の高い交易ルートに位置したペトラで豊富な水を提供し、略奪者からキャラバンを保護する見返りとして通過するすべての商品に税を課して、最大の繁栄期を迎えている。
 2世紀にはローマ帝国の属州に組み入れられ、ビザンチン帝国時代の度重なる地震でほとんどの建物が崩壊し、再建されることはないまま、7世紀以降、歴史上から姿を消してしまっていたらしい。
 19世紀初頭にスイス人探検家が「再発見」するまで、ペトラは「失われた都市」だった。


馬 こういった基本知識は後から仕入れたもので、予備知識はインディ・ジョーンズだけという状態で、9時にホテルを出発した。
 遺跡の入口からシークの入口まで、昨日のペトラ・バイ・ナイトのときは歩いた道を今日は馬に乗って行く。我々に渡された今日の1日入場券(30JD)には馬に乗る分のチケットも含まれている。馬から下りるときに2JDか3USDのチップを渡してくださいと注意を受け、順番に馬に乗せてもらう。
 遺跡の入口からエルカズネまで馬車に乗ることもでき、料金20JD、チップに5JDが必要という説明もあった。全員がシーク入口からは歩くことを選択したようだ。
 馬に揺られて15分ほどでシーク入口に到着した。


 馬に揺られているうちにあっという間に到着してしまい、馬の頭ばかり見て周りの景色をじっくり見ることができなかった。
 実は遺跡入口からシーク入口までの間にも、ジン・ブロックスと呼ばれている岩塊の墳墓や、上部にオベリスクが四つ並んでいるオベリスクの墓や、その1階部分のように見えつつも実は全く違うお墓だというトリクリニウムの墓と呼ばれるお墓もある。
 楽をさせてもらった代わりに、こうしたものを見逃した(というか、見たことは覚えているけれど何の感慨もなく通り過ぎてしまった)のは、勿体なかったなぁとも思う。


シーク入口 シークの入口部分は砂岩のアーチになっていたけれど、1869年の地震で壊れてしまっている。
 シーク入口には、ナバテア人が峡谷に水が流れ込まないように作ったダム(今はその機能を失っている)などもあるし、この正面にそびえる岩窟には広間が掘られている。
 その見学は後回しにして、午前中の光を浴びたエル・ハズネを見るため、私たちは先を急いだ。
 シークは天然の峡谷で、エル・ハズネまで約1.5kmある。シークの左側の岩肌には水路が掘られており、ワディ・ムサなどから水を集めてきていたという。シークの足もとは石灰岩だから、水は浸透せずにそのまま流れて行く訳だ。


祈願用の壁龕顔 シークは、ペトラ内部に至る主要な交通路であったのと同時に、宗教的な価値も高かったらしい。
 その証拠に、シークの両側には岩を掘って様々な彫刻がなされている。
 例えば、シークのほぼ中間地点に立つ岩は「神様の家」だ。真ん中にくりぬかれた祈願用の壁龕があり、その両側はナバテア式の角柱で挟まれ、上部には装飾が施されている。
 祈願用の壁龕の左側の大きい方には、様式化された四角い目と筋で掘られた鼻があり、これは、アル・ウザ女神の象徴として典型的なものだという。口がないのは、神はモノを食べないからだ。


隊商の壁画 また、上半分が失われてしまっている像も、下半分だけで、ラクダを人が引いているところだと判る。


 この像から10分も歩かないうちに、ついにシークの向こうが明るくなり、そこにエル・ハズネが見えてきた!


 当然のことながら、しばらくはみなして写真撮影に夢中である。
 私も、エル・ハズネの真下に行ってこんな写真を撮ってみたりした。


エルハズネの地下エルハズネの由来


 エル・ハズネの真下に行ったついでに地下を覗くと、金網越しに見ることができた。
 この先に、「インディ・ジョーンズ」のような地下迷宮が広がっていると楽しいが、エル・ハズネの奥行きは浅い。
 この地下部分は8年前に発見され、王室の一員か関係者のお墓ではないかと考えられている。つまり、まだ決定的な何ものも出土していない。そもそも、エル・ハズネの主だって判っていないのだ。


 「エル・ハズネ」とは、「宝物殿」という意味である。
 エル・ハズネの一番上にある壺に宝が入っていると信じたエジプト人がそう名付けたという。名付けただけならともかく、そのお宝を取りだそうと壊してしまったのはいただけない。
 もちろん、壺の中には何も入っていなかったそうだ。


エルハズネ全景馬の像 エル・ハズネは、神殿ではなくお墓として使われていたとガイドさんは言う。
 もし神殿として神を崇めるために使われていたのならあった筈の生け贄台が見つかっていない。
 また、1階部分の両脇の彫刻は壊されてしまっているけれど、馬が彫られていたと判っている。馬は神聖なものとされ、お墓に葬られた人の眠りを守る魔除けと考えられていたという。
 2階部分のアマゾネス像は、イスラム教で偶像崇拝が禁止されているため、何となくの輪郭だけを残して破壊されてしまっている。


 1階の馬を連れて立つ人物は、ギリシア神話のゼウスとレダの間に産まれたカストルとポルクスの双子の兄弟と考えられている。
 ファサード1階部分の柱や三角の屋根には明らかにローマの影響が見られ、エル・ハズネは、ギリシャ、ローマ、エジプト、シリアの文化の特徴をミックスした建造物だと言える。
 1849年に発見されたとき、エル・ハズネのすぐ前のこの広場には川が流れており、6本の柱のうち真ん中向かって左側の1本は折れていたそうだ。


 ナバテア人は加工しやすい砂岩にこうした「お墓」を掘り出している。
 ただし、いくら掘りやすいといってもこれだけ大きいとやはり作るのに時間がかかるので、王妃が妊娠するのと同時にその子の墓を作り始めたというから驚く。
 加工しやすいということは崩れやすいということでもあるけれど、エル・ハズネなどは岩を掘って作られているので額縁が付いているのと同じ強度があり、また、出っ張った部分がないので浸食されにくいという特徴も持つ。


エル・ハズネ内部 現在、エル・ハズネ内部に入ることはできない。これは、望遠で無理矢理撮った入口から見える内部の写真である。
 エル・ハズネ内部は待合室と小さな3つの部屋があるだけだ。壁面なども、素っ気ない岩肌に漆喰が塗られていただけらしい。
 また、奥には壁を切り込んだアルコーブがあって、そこには棺が置かれていたと考えられている。
 エル・ハズネがお墓として使われていたことはほぼ確かな一方で、「誰のお墓か」ということは判っていない。
 ガイドさんは紀元前1世紀にいた二人の有名なナバテアの王のうちどちらかの墓だろうと言う。一人は、ギリシャ文化をナバテアにもたらしたアレタス3世、もう一人は(名前は忘れたけれど)非常に人民を保護した王だ


エルハズネ上部 エル・ハズネはまず2階部分から掘り始められているう。
 2階部分の両脇には踊る女性が描かれ、真ん中の奥まったところにいる羽を持った女性像も含めた3体がアマゾネスだ。
 1階の上にある三角屋根の一番上には王冠があり、またその下の2段に分かれたところには玉があったが、いずれも壊されている。
 この三角屋根に彫られたざくろはお金持ちの象徴で、ワイン(ぶどう)は長生きの象徴である。三角屋根の外に彫られた薔薇の花もやはり生命の象徴だというし、きっとエル・ハズネの彫刻の一つ一つには意味があるのだろう。何だか陽明門みたいだ。


天文台への階段 エル・ハズネ前の広場には、写真モデル兼遺跡内の足となるラクダたちがたくさん控えている。
 ベンチがあって、冷たい飲み物なども売られている。
 エル・ハズネに向かって左側に階段が掘られていて、階段を上がるとそこはナバテア人が作った天体観測のための場所になっている。
 ペトラはこれだけで終わりかのように見せて、実はさらに奥にもの凄い広さの遺跡が広がっている。エル・ハズネに向かって右に回り込むと、再び短いシークが現れる。
 結局、エル・ハズネ前に私たち一行は40分くらいも留まっていた。


サンドボトル エル・ハズネ右横のシークの両脇にはお墓が並んでいる。そして、お墓の他にもここには有名なものがある。
 サンドボトルだ。
 サンドボトルに使う砂は、着色されたものではなく、全て自然の砂が使われている。
 実演を見せてもらったところ、赤っぽい砂をボトルに入れ、その赤い砂を傾けて黒っぽい砂を上から入れる。黒っぽい砂を突いて細い棒を赤い砂のところまで差し込むと、その細い棒で空いた空間に黒い砂が落ちて行く。
 あっという間にラクダが形作られて、思わず拍手した。
 今頼めば帰りまでに名前入りのオリジナルサンドボトルを作って貰えると言われ、何人かの方が注文していた。


 まだ11時過ぎだったけれど、この近くにあったお茶屋に入っての休憩になった。
 何しろ、暑い。
 日陰に入ってかなりほっとした。


 ヨルダン・エジプト旅行記3日目その2 <- -> ヨルダン・エジプト旅行記4日目その2

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2009.08.02

「伊勢神宮と神々の美術」展の開催を知る

 2007年7月14日(火曜日)から9月6日(日曜日)まで、東京国立博物館の平成館で、「第62回式年遷宮記念 特別展 伊勢神宮と神々の美術〜上野でぶらり、伊勢詣で〜」が開催されていることを知った。
 この企画展の公式Webサイトによると、そのコンセプトは以下のとおりである。

***
 ・・・。
 この展覧会はその式年遷宮を記念して、伊勢神宮の神宝はじめ「古事記」「日本書紀」などの古文書や、考古遺物、絵画、彫刻、工芸品から伊勢神宮の歴史と信仰、式年遷宮の様子、さらに遷宮による工芸の伝統技術の継承などをたどるものです。また、歴史と伝統に育まれた神道美術に光を当て、近年注目されている神像彫刻や神宮以外の神社の古神宝など、その精華を紹介します。
***

 ぜひ、行ってみたいと思う。

 上記公式Webサイトで、当日券(大人1400円)から100円割り引いてもらえる、割引引換券を印刷することができる。

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2009.01.08

「ビザ免除プログラム対象国の米国渡航者入国に関する新しい規制に関して」のメールが届く

 「ビザ免除プログラム対象国の米国渡航者入国に関する新しい規制に関して」というお知らせメールが、ノースウエスト航空から届いた。

 内容をおおざっぱにまとめると、こんな感じである。

1 日本などのビザ免除プログラム対象国から米国へ渡航し、「機械読み取り式旅券」を所持している場合は、短期の商用や観光目的で滞在が90日以内であれば、ビザ取得が免除されること。

2 2009年1月12日から、1に該当する渡航者は、電子渡航認証システムによる渡航認証を取得するよう義務付けられること。

3 出発の72時間前までにESTA申請Webサイトで申請し、認証を取得すること。
  申請に費用はかからないこと。

 この認証を取得していない場合、飛行機に搭乗できなかったり、米国での入国手続きが遅れたり、最悪では入国が拒否されたりする場合があるそうだ。
 当面、アメリカ合衆国に行く予定はないけれど、気をつけなければと思った。


 NWAの公式Webサイト内、「査証免除プログラム渡航者における、電子渡航認証システム(ESTA)導入のご案内」のお知らせはこちら。

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2008.10.19

「週末のシンデレラ 世界! 弾丸トラベラー」を見る

 昨日(2008年10月18日)の23時30分から、日本テレビで放映されている「週末のシンデレラ 世界! 弾丸トラベラー」 を見た。
 「北陽」の2人が、「マカオで思いっきりストレス発散したい」というテーマで出かけた回である。

 この番組は、「弾丸トラベラー」「シンデレラ」というタイトルが示すとおり、現地滞在時間ほぼ24時間でやりたいことをとにかくやろう! と女性タレントががんばる旅番組である。
 従って、それぞれ「やりたいこと」をかなりはっきりさせて出かけることになる。
 この番組の「旅」が面白く充実しているのは、恐らくこのためである。

 今回の旅は、マカオの非常に狭い地域に集中している世界遺産30ヶ所の全てを回ってそれらをバックに記念撮影し、ポルトガル料理を食べ、豪華ホテルに泊まって足つぼマッサージを受け、超格安で美味しそうな朝食を食べてから、地上233mの場所を命綱1本で歩くという超ハードスケジュールが予定されている。
 そして、こなしてしまった。

 最後のアトラクションは、高所恐怖症の私はぜひ遠慮したいけれど、こういう旅もいいなぁと思ったのだった。

 そういう風に思う人は結構多いらしく、4TRAVELが2008年3月4日に発表した「旅行好きのフォートラベルユーザーが、旅行に行きたくなる旅情報番組は?」という調査でも、この番組は堂々の1位を獲得していた。

2008年10月18日(土曜日)23時30分から
日本テレビ「週末のシンデレラ 世界! 弾丸トラベラー」 マカオで思いっきりストレス発散したい
「週末のシンデレラ 世界! 弾丸トラベラー」 の公式Webサイトはこちら。

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2008.03.28

エイビーロードのブログパーツを設置する

 少し気分を変えようと、プロフィール写真の代わりにエイビーロードのブログパーツを設置した。

 1日1回(と表示はされるけれど、再読込すれば、1日に何度でもチャレンジできる)、一定時間内にモアイ像をクリックした回数によって、モアイがその場所に飛ばされる、という趣向のようだ。
 試しに今やってみたところ、この「一定時間内に」という条件に気づくのが遅れ、クリック11回でカンボジアのアンコール遺跡にまでしかモアイを飛ばせなかった。

 ついでにモアイ像についてネット検索していたら、2008年3月23日に、イースター島で、モアイ像の耳たぶを壊して地上に落とし、20〜30cmに砕いてその一部を持って逃げようとした観光客がいたというニュースを見つけた。

 世界遺産にもなっている、何百年も風雨に耐えてきた遺跡を、「お土産にしようと思った」などという理由で破壊するなど信じられない。

 私が読んだ記事はこちら。

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