2021.02.23

「世界はもっと!ほしいモノにあふれてる ~バイヤーが教える極上の旅~」を読む

 2021年2月、少し前に購入した「世界はもっと!ほしいモノにあふれてる ~バイヤーが教える極上の旅~」を読んだ。
 NHK総合で毎週木曜日に22時30分から放映されている世界は欲しいモノにあふれてるの制作班が監修している書籍である。

 ここに書くまでずっと「世界は欲しいモノ”で”あふれてる」だと思っていた。
 この一文字の差は結構大きいと思う。

 番組で拝見した記憶があったのは、ローカルチョコレートを求め歩く木野内さんという方の回で、他の四方は書籍で初めてお目にかかった。

 旅の本というよりは、バイヤーという仕事の本、という感じだ。
 しかし、「**を探し求める旅」というのは究極のテーマ旅でもある。
 ストイック過ぎて、あるいは情熱的過ぎて、とてもとても真似をしようとか参考にしようとか思うことはない。
 その分、自分が決して経験しそうにない旅を追体験できるのは嬉しい。

 バイヤーさんの旅は、「買い付けをする旅」というよりは「人と会う旅」なんだなと改めて思った。

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2020.07.25

神秘のヨーロッパ 絶景紀行「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ」を見る

 2020年7月24日(金曜日)NHK総合で21時から放映された神秘のヨーロッパ 絶景紀行「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ」を見た。
 BS8Kで放映された番組をさらにBSプレミアムで放映し、1時間番組に編集してNHK総合で放送した、という感じのようだ。

 いくつかある「フランスの道」のうち、ル・ピュイを出発する1500kmを追っている。
 季節は秋で、各地で行われている収穫祭などの様子も収められている。
 何人かの「カミーノ」たちにインタビューもしている。
 2度目の挑戦だというプエルトリコから来たおじさんだったり、アメリカ合衆国から来た17歳の娘とその母娘だったり、フランスでオーナーシェフをしていて心臓発作を起こした男性だったり、ブラジルから来た医者の息子とその父親だったり、台湾からワーキングホリデーで来ている20代の女性だったり。
 一人で歩いているらしい日本人女性へのインタビューもあった。

 番組としては、台湾から来た女性にかなりフォーカスを合わせていたと思う。
 スタート地点、途中経過、ゴールと押さえていたのは彼女だけだ。
 多分、宗教上の理由ではなく「自分に打ち勝つため」歩くという彼女が、日本人にとっては一番馴染みやすいというか親しみを感じやすいと思ったんだろう。

 ル・ピュイからサン=ジャン=ピエ=ド=ポルまではフランス国内、そこから「最も過酷」と言われるピレネー越えを果たすとスペインに入る。
 大聖堂のあるレオンや、巡礼者に人気のアルベルゲ、蛸料理で有名なメリデなどを歩きすぎ、サンティアゴ・デ・コンポステラに至る。

 コンポステラの名前が、9世紀に、星の光に導かれ、ずっと行方不明だったイエスの十二使徒の一人である聖ヤコブの遺骸を発見したところから付けられたと初めて知った。
 コンポが「野原」、ステラが「星」の意味だそうだ。そもそも、コンポスとテラに分かれると思っていた間抜けな私である。

 最盛期には年間50万人が巡礼したそうで、しかし今「星の巡礼」などに影響を受け年間35万人が歩いているという。
 私も、最後の100kmでいいので歩いてみたいと思っている。

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2020.06.13

「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」を見る

 2020年6月13日(土曜日)NHK-BSプレミアムで20時30分から2時間にわたって放映された「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」を見た。

 最近発見された、エジプト最古のパピルスに、クフ王のピラミッド工事を司ったメレルという人物が書いた日誌が含まれており、その解読でピラミッドの様々な謎に答えが出つつある、という趣旨の構成である。
 エジプト考古学者の河江肖剰氏が出演し、(恐らく)監修も務めていたのだと思う。

 私が注意力散漫なためか、このキーとなるパピルスがいつ発見されたのか番組内で聞かなかったような気がして今検索してみたところ、2013年に発見され、2016年からカイロの国立考古学博物館で展示されているそうだ。
 考古学の研究に膨大な時間が必要であることは想像できるのに、「そんなに最近の発見じゃないじゃん」と思ってしまった。

 ただ、この情報を確認して、テレビを見ながら「聞いたことがある知識が多いな」とか「前からそういう風に言われていなかったっけ?」と思ったことに納得した。
 現時点での最新情報が、3年前の最新情報と同じ可能性は十分にある。

 七つの謎が何だったのか、思い出せないところがなかなか情けない。
 ギザのピラミッドは、傾斜路を使って建造したこと、クフ王のピラミッドの建造期間は26〜27年(ほぼ在位期間)であること、建造に携わった人々には結構いい食事が提供されていたこと、クフ王のピラミッドに携わったメレルという中級役人は建造に必要な銅をシナイ半島から輸入する業務を行っていたこと、ピラミッドが今の形で作られるにはクフ王の父王の試行錯誤があったこと、クフ王の父王は太陽神信仰篤くそのため墓所も地下から天空に近いところに移そうとしたこと、ピラミッド建造により国のインフラ整備や国の行政機関の整備が進んだ結果として権力が王から官僚に移ったこと、官僚が権力を持つようになってピラミッドは建造されなくなったがエジプト文明の影響を受けたスーダンなど諸外国でピラミッド型の墓所が作られるに至ったこと、などなど。

 その説明は全く意味が分かりません、というところもありつつ、河合氏以外の出演者のリアクションがわざとらしいようにも見えつつ、「今の最新情報のおさらい」として割とまとまっていたと思う。
 ギザの三大ピラミッドや屈折ミラミッドなどが見事な青空の下で映っていて、私が行ったときにはこんなに鮮やかな青空なんて全く拝めなかったよ、とそこが一番悔しかった。

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2019.04.27

ブラタモリ「#131 熊野の観光~熊野観光の“深~い”魅力とは?~」を見る

 2019年4月27日、毎週土曜日19時30分からNHK総合で放映されている「ブラタモリ」を見た。
 この日のテーマは「熊野の観光~熊野観光の“深~い”魅力とは?~」である。
 先週(20日)も熊野が舞台でぜひ見たかったのだけれど、出かけていて見そびれてしまった。5月21日の再放送を見られるといいなと思っている。

 スタートが串本で、ここは行ったことがないので橋杭岩の奇観が面白かった。
 岩の向こうと手前で海の気配が全く違うのが、不思議なような、当たり前のような、変な感じだ。

 ここで熊野と今呼ばれている地域が、1500年前くらいに噴火したカルデラの中に当たるという説明があり、何ともブラタモリらしい展開である。
 もはや死火山といえるのに熱い温泉が湧いているのはフィリピン・プレートという若いプレートが潜り込んできているからであるとか、奇観には流紋岩が一役も二役も勝っているとか、すべての道は地質に通ず、という感じなのは相変わらずだ。

 その後、川湯温泉、つぼ湯、熊野本宮大社、大斎原と懐かしい場所が次々と写って嬉しい。
 私が熊野古道に行ったのは13年も前のことで、比べると外国人観光客の姿がもの凄く増えていて随分と驚いた。
 「東京からのアクセスは決して良くない」という話も出ていたから尚更である。
 サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼の道と姉妹関係を結んだことも、観光地として世界に名を馳せたきっかけなのかも知れない。

 また行きたい、歩きたいと思った。

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2016.10.31

クローズアップ現代+「ピラミッド透視 謎の空間を発見!」を見る

 2016年10月31日、毎週月曜日から木曜日まで、22時からNHK総合で放映されている「クローズアップ現代+」を見た。
 この日のテーマは「ピラミッド透視 謎の空間を発見!」である。

 クローズアップ現代が19時半から22時に移動し、国谷裕子キャスターが降板してから初めて見たクローズアップ現代+という番組に対する印象は、実はあまりよくない。
 やはり国谷裕子キャスターという方は、専門家から判りやすく話を引き出し整理し語ってもらうプロだったんだなと改めて思った。

 それはともかく、この日のテーマは「ピラミッド透視 謎の空間を発見!」ということで、エジプトのクフ王のピラミッドの内部構造に迫る、という内容だった。
 フランスとカナダと日本のチームが、それぞれの手法で、クフ王のピラミッドの内部構造を解明しようというプロジェクトが始まっているそうだ。
 ドローンを用いるフランスチーム、赤外線による温度変化を調べるカナダチーム、ミューオンという宇宙から降り注いでいる物質を用いる日本チームという構成だ。NHKがこの日本チームに加わっているらしい。

 番組を見る限りでは、まだ調査の端緒という段階のようだ。
 北側の斜面にある、切り妻屋根の端っこが見えているような場所から、ピラミッドの中心部に向かい、水平か上昇しているか下降しているかは判らないものの、1〜2mの大きさの通路が延びている可能性が出て来たという。
 ミューオンを反射させる装置をさらに大量にピラミッド内部に設置し、これからさらに研究を進めれば、内部構造を解明し、もしかしたらあるかも知れない新たな空間を発見できるかも知れないという。

 先の長い話だ。

 クフ王のピラミッドはデカ過ぎて、これまで正確な計測や内部構造の調査研究がほとんど進んでいないという話を聞いて、なるほどなぁと思ったり、現代科学を駆使しても計測すらそうそう簡単にはできないのだなと思ったりした。
 番組に登場した考古学者の方も「とにかくデータが欲しい」と言っていた。データがなければ仮説も立てられないし、研究も進められないのだ。

 続報に期待したい。

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2016.06.11

ブラタモリ「#41 伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~」を見る

 2016年6月11日、毎週土曜日19時30分からNHK総合で放映されている「ブラタモリ」を見た。
 この日のテーマは「伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~」の2回目である。

 御師のお宅では、江戸時代に江戸からお伊勢参りに来た一行17名の「旅の記録」の文書と、御師の家に残されていた江戸からのご一行様を迎えた「おもてなしの記録」の文書を付き合わせながら、どんな旅だったのかを推理する。

 当時、御師の家(要するに旅籠である)で出されたお料理をいただき、神楽の奉納やお土産や宿代食事代を含めた17名様ご一行が5泊した代金が当時のお金で60両だったそうだ。今のお金に換算すると600万〜1000万円くらいになるらしい。
 「御師って儲かるんですね」という感想に対して、「いえいえ、そんなことは」と御師の家の方が同じ年に25両の借金をしていたんですと証拠の文書を出してきたのが可笑しかった。

 可笑しいといえば、外宮と内宮の間の街に一大娯楽街が誕生し、江戸から来たご一行のうち何名かはそちらに行って夕食も食べず朝帰りをしたなんていう記録が律儀に御師の側で残してあったのも可笑しい。
 特に言及はなかった記憶なので、「お伊勢参りをした側」の記録にはなかったのだと思う。

 江戸時代には日本人の6人に一人がお伊勢参りをしたけれど、明治になって御師の制度が廃止されてしまう。
 しかし、天皇がお伊勢参りをするために国道1号線が東京から伊勢神宮まで引かれたり、鉄道が大阪から引かれたり、交通手段が発達したことで新しいお伊勢参りの形ができる。
 しかし、交通手段が発達したため、おはらい町を素通りして志摩などの次の目的地へ向かってしまう観光バスが続出し、今から40年くらい前のおはらい町の写真は見事に閑散としている。

 そこで「おはらい町に人に来て貰いましょう」ということで、その街並みを江戸時代の風情に変えようと行政と商店街の人々が取り組んで、今の盛況を呼び込んだと言う。
 江戸時代には「新しくなる」「若返り」ということで遷宮が人を呼び、明治以降には今度は「次の遷宮までに」という行政や町の人々の取組の節目となり目標となっている。

 伊勢神宮は遷宮に始まり遷宮に終わる。
 そういう感じがした。

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2016.06.05

ブラタモリ「#40 伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~」を見る

 2016年6月4日、毎週土曜日19時30分からNHK総合で放映されている「ブラタモリ」を見た。
 この日のテーマは「伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~」である。

 伊勢神宮内宮は河岸段丘に作られたというところから話が始まる。
 「河岸段丘」などという単語は、ブラタモリ以外では耳にしたことがない。国土地理院から表彰されたという話も納得である。

 伊勢神宮にお参りするときに下調べしたことが番組で結構取り上げられていて、予習した甲斐があったんだなぁと思って嬉しかった。
 タモリもそうだと言っていたけれど、私が前にお参りしたお正殿等々はもうすでにないのだなと思うとちょっと寂しい。

 20年ごとに建て替える式年遷宮をするお陰で「若返り」のイメージとイベント効果でお伊勢参りに来る人が増えたという話は何となく可笑しかった。この場合、誰が「たくさんの参拝者が欲しい」と思ったんだろう?
 また、伊勢神宮の建物は壁で屋根の重さを支えることで、逆に壁板同士の隙間を埋めるようになっていて、柱は実は屋根を支えてはいない。しかし、壁板の経年劣化でついには柱で屋根を支えなくてはならないようになるまでに大体20年かかるのだそうだ。

 伊勢神宮の外宮には、もの凄く広い門前町が広がっており、その門前町の発展を支えたのが「御師」と呼ばれる、全国に伊勢神宮の名と意義を広め、かつお伊勢参りに来た人に宿と情報を提供していた人々だったという話も面白かった。
 何だ、作戦じゃん、作ろうと思って作った伊勢神宮人気なんじゃん、と思う。我ながら徹底的に信仰心というものが欠如しているらしい。

 次回も伊勢神宮のお話が続き、江戸時代のお伊勢参りを再現するそうだ。ぜひ見たい。

 江戸時代には日本人の6人に1人がお伊勢参りをしており、「お伊勢講」が大きな役割を果たしていたらしい。その話が出たときに、母が「お母さんが子どもの頃にもあった」と言うので驚いた。一体いつくらいまで続いていた習慣なのだろう。

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2013.12.29

「 堤真一×神秘の熊スピリットベア 〜カナダ 聖なる森をゆく〜」を見る

 2013年12月28日19時30分からNHK BSプレミアムで放映された、の堤真一×神秘の熊スピリットベア〜カナダ 聖なる森をゆく〜を見た。

 カナダ北西部に広がる「グレート・ベア・レインフォレスト」を堤真一がギットガット族の父子と行き、スピリット・ベアと呼ばれる白い熊を追い求めるという番組だ。
 という触れ込みだったと思うのだけれど、実際見てみたらちょっと趣が違う。

 ギットガット族のお父さんは、スピリットベアを守るためには秘密にしておくのではなく保護しようという人々の協力が必要だと考えた長に託され、もう何年もスピリットベアを探し、出会い、観察を続けて来ているようだ。
 その息子のネルソン君(8歳)も一緒に海を行き、森を歩き、赤ちゃんの頃から森や熊を身近に感じて育ってきているらしい。
 彼らに会えたところで「スピリットベアは幻の熊」という大前提は崩れている。
 それでももちろん「必ず出会える」訳ではないし、初めてスピリットベアを海上から見つけたときの堤真一の感動は伝わってきたように思う。

 そして、森の中で本当に近くで出会えたときのその近さはびっくりである。
 もっとびっくりなのは、ほんの数メートル先に熊がいるのに、悠々と岩の上でお昼寝をしていたネルソン君だ。

 スピリットベアは白い熊なので、目の位置がすぐ判るし表情も判る。だから人間の側もゆったり構えて見るし、熊の方も落ち着いている。
 一方、ブラックベアは目が黒い毛に同化してしまっていて、人間はつい目を覗き込むようにしてしまい、そうすると相手の熊も身構えてにらみ返すようなことになり、場に緊張感が生まれるそうだ。

 そのブラックベアとスピリットベアが実は同じ「熊」で、毛の色を伝える遺伝子の組み合わせで、黒い方が優性遺伝子なので、白いスピリットベアは数が少ないということらしい。
 それは、ギットガット族に伝わる「氷河時代のことを忘れないように、この世界を作ったワタリガラスが、黒熊10頭につき白熊1頭が生まれるようにした」という伝説ともマッチする。

 最後に、堤真一は、スカン・グアイに向かう。熊が人の子を抱えた意匠のトーテムポールがそこにはあるのだ。
 半年前に行ったその場所が懐かしい。
 そして「立ち去りがたい」と表現していた筒井真一の気持ちがとてよく判るような気がしたのだった。

 この旅は何月のことだったのだろう。それほど重装備ではなさそうだったから、夏なのは間違いない。
 革を埋め尽くすような鮭の遡上、ブラックベアにスピリットベア、ザトウクジラなどたくさんの生き物と出会えた様子がとても羨ましかった。

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2013.09.21

出没!アド街ック天国「伊勢神宮」を見る

 毎週土曜の21時からテレビ東京で放映されている「出没!アド街ック天国」」で2013年9月21日に放映された「伊勢神宮」の回を見た。

 今年は遷宮が行われるということで、随分前からあちこちで特集されていた「伊勢神宮」だけれど、アド街は相変わらずアド街で、もちろん「伊勢神宮」が1位になるところは譲れないものの、美味しいものだったり、その昔からあった遊郭の風情を残す宿だったり、王道ではないところを丁寧に拾って行くところが好ましい。

 5年前に伊勢神宮に行ったときには調べた記憶すらないのだけれど、伊勢はフレンチやイタリアンのレストランがひしめきあっているそうだし、恐らくは遷宮をきっかけに新しい宿がいくつも生まれているようである。

 その代わり、「伊勢神宮」そのものについては5年前の私はなかなかがんばっていたということも確信した。

 いずれにしても、近いうちにまた行きたいと改めて思ったのだった。

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2013.08.03

「日立 世界ふしぎ発見! エジプト スフィンクスの謎 遂に解明!!」を見る

 毎週土曜の21時からTBSで放映されている「日立 世界ふしぎ発見!」」「エジプト スフィンクスの謎 遂に解明!!」を見た。

 何というか、テレビを見たのは久しぶりな気がする。

 タイトルのとおり、スフィンクスにスポットを当て、誰が何のために建造したのかを解明しようというチャレンジ精神溢れる内容だ。

 河岸神殿を建造したのはカフラー王であるというのは定説のようだ。
 スフィンクスを建造した王の候補として、クフ王の息子であるジェドエフラーとカフラーが挙げられているというのも定説らしい。
 そのことから、河岸神殿よりもスフィンクス神殿の方が後に建てられたことが証明できれば、スフィンクス神殿とセットで建造されたスフィンクスはカフラー王が建造したことになる。

 そういう三段論法だった。

 そして、河岸神殿の周りに築かれていた壁がスフィンクス神殿の下に潜っている(というか、その壁の上にスフィンクス神殿が建てられている)ことから、スフィンクスを建造したのはカフラー王であると結論づけている。

 仮説としてはともかく、「証明できた」とは言えないのでは? というのが私の正直な感想だ。
 でも、ロマンであることは間違いない。

 夏至の日に、カフラー王とメンカウラー王の両ピラミッドの間に太陽が沈む。その太陽が沈む場所にスフィンクスを建造し、王の再生を願ったのではないかという説も紹介されていたけれど、いや、それは「どこから」見たときにということが重要なのでは? と思ってしまった。

 それはそれとして、確か今は通常入ることのできない、「世界最古の宗教碑文」であるらしいピラミッドテキストの部屋に入っているのが羨ましかった。

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