大阪日帰り旅行記
2019年2月21日(木曜日)
前日の天気予報では「晴れ」「暖かい一日」と言っていて、スギ花粉が飛びそうだなぁと警戒していたら、朝、風の音で目が覚めた。結構な強風だ。
簡単に朝食を食べ、始発バスで最寄り駅に向かう。
このバスがちょっと遅れて来て、バスを待っている間が寒くて震えた。ヒートテックのタンクトップに長袖のタートルネックシャツ、ウールのシャツに薄手のダウンコートという格好では寒い。
旅行社で出している大阪日帰りツアーで利用できる新幹線は限定されていて、一番遅くて東京7時13分発だった。
この新幹線に乗るためには、最寄駅を6時頃に出発する必要がある。
平日なら始発のバスに乗ればこの電車に間に合う。大阪日帰り旅行は平日に決行した。
予定どおり、7時過ぎに東京駅に到着した。
東海道新幹線はE列の席で、富士山を見られる側だった。窓の下に電源があるのも有難い。
周りを見てみると、そこそこの混雑具合の車内では、ABCと3列並びの真ん中の席が空いていることが多く、隣に人がいないA列やC列の席の方が快適だったかもと思う。
お隣がやたらと肘を張ってくる方で、その肘を避けようと妙な姿勢を取ってしまい、やけに背中が痛くなったので余計にそんなことを考えた。
富士山は雲に覆われていて残念ながらその姿を拝むことはできなかった。
天候回復の兆しが一向にないまま、9時46分に新大阪に到着する。
大阪市営地下鉄御堂筋線の新大阪駅まで意外と遠いなぁと思いながら歩き、天王寺駅に向かった。御堂筋線は折良く新大阪駅始発天王寺駅行の電車が来て、すぐに乗ることができた。しかも、ガラガラだ。
10時20分ころに天王寺駅に到着した。
美術館に一番近い出口を出る。大阪天王寺公園のてんしばの辺りから美術館に向けて人の流れがあって迷いようがない。
大阪展では、東京展で採用されていた日時指定制チケットは採用されていない。これは意外と空いているのではないかと少し期待していた。しかし、決して「混雑しない」訳ではないらしい。
黒田門をくぐり、フェルメール展開催中の大阪市立美術館に到着した。予めネットで購入した前売り券を示し、早速、入場する。
お目当ては、東京展後半から展示された「取り持ち女」と、大阪にしか出展されない「恋文」である。
フェルメール展の感想はこちら。
ほぼフェルメールの2作品に集中し、1時間弱で見学を終えた。
次の予定は14時10分集合の太陽の塔内部の見学だ。移動距離はあるものの時間的には割と余裕がある。
ビストロスタンド ふじでビフカツを食べようとアポロビル方面を目指していた筈が、何故かアベノ・ルシアスというお隣のビルにたどり着き、しかもスタンド ふじのランチが美味しそうだったので、あっさりと計画を変更し、お魚を食べることにした。
12時前だし、すぐに入ることができた。
「刺身定食」と「魚屋丼」とで迷い、メニューに「最後にお茶漬け用のかつおだしを用意しております」と書いてあったことが決め手で、魚屋丼をお願いした。
店内を見回すと、生ビールをジョッキで飲んでいるおばさま方のグループなどがいらして、こちらもかなり心惹かれつつ、アルコールは帰りの新幹線まで取っておくことにする。
魚屋丼は海鮮が山盛りになっていて、山芋や卵黄、正体がよく判らなかった甘めのあられのようなものの食感も楽しい。
盛大に混ぜてれんげでいただく。
3/4くらいを食べたところでかつおだしをお願いし、そちらをかけてお茶漬けにすれば二度美味しい。
あっという間に完食した。
ちょうどお店が混み始めたところでお勘定し、御堂筋線天王寺駅から千里中央駅、そこから大阪モノレールに乗り換えて万博記念公園に向かった。
駅に着いたのが13時くらいだ。電車に乗っている間に天候回復しないかしらと念じていたものの、念じ方が足りなかったのか、やっぱり空は雲に覆われている。
駅から万博記念公園に向かう途中、「太陽の塔」が見えた。
正直に言って、第一印象は「随分と薄汚れているな」だった。
高速道路を歩道橋で超える手前に太陽の塔のグッズショップがあった。時間に余裕があるし、見学前に絵葉書などを購入する。
入園券を購入してゲートを抜けると、目の前にどーんと「太陽の塔」が立っていた。
生で見るのは生まれて初めてである。
「記念撮影用のカメラを置く台」まであって、入れ代わり立ち代わり記念撮影が行われていた。
思っていたよりもデカイ。
そして、やっぱり、白いところがだいぶ汚れてきてしまっている。惜しいような、この方が「自然」なような、微妙なところだ。
青空の下で見たかった! と盛大に惜しみ、集合時刻までまだ大分あったので梅林に行った。
「梅まつり」が開催されている。
日差しがなく、風も吹いているので結構寒い。
カメラを操作する手がかじかむくらいの寒さだ。
そんな天候にも関わらず、大きなレンズを装着したカメラを持った方々が大勢いらしてびっくりした。ここは「梅の花」撮影のメッカなんだろうか。
自然文化園と日本庭園とを合わせると、140種類・680本の梅が植えられている。
私も(コンデジで)梅の花の写真をたくさん撮り、水車小屋を見学し、「太陽の塔」の周りを一周する。太陽の塔の外側には「顔」が全部で3つあって、それぞれ決して幸せそうでも楽しそうでもない顔をしているように見える。何だか不思議だ。
明るいパワーというよりは、むしろ不機嫌そうな、敢えていえば不満そうな表情にすら見える。
その「顔」の存在感がありすぎな感じで、塔というキャンバスを存分に活かして描かれている。
繰り返す。太陽の塔はデカイ。
写真や映像で見たことはあったものの、こんなにデカイとは思わなかった。大きさを全く認識していなかったとも言える。
この塔を何の先入観も情報もなくいきなり見た訳だから、1970年の万博当時はまさに「度肝を抜く」という感じだったんだろうなぁと思う。
太陽の塔の地下入口から入り、14時過ぎに受付してもらうと、14時10分から入場していただけますと案内された。
予約時刻の20分前に受付を済ませるようにサイトに書いてあるのは、そういうことらしい。
「建築基準法により16人以下のグループを作ってご案内します」という説明もあって、多分そのための「完全事前予約制」なんだと思う。
そういえば、太陽の塔には窓がない。
「太陽の塔」には、外側に三つ(正面の真ん中にある顔が現在を象徴し、一番上の金色の顔が未来を象徴し、後ろ側の黒い顔が過去を象徴している)の顔があり、そして第四の顔として地下に祈りの意味を込めた地底の太陽があったそうだ。
太陽の塔1階には、大阪万博後に行方不明になったその「地底の太陽」が復元されて展示されている。
大阪万博の際に実際に展示されていたという、仮面や石像などと一緒に展示されているその太陽は、当時のままなのか現在の工夫なのか、太陽の顔自体も照明や映像で色や表情を変え、背後の映像も常に変化している。
「祈り」に対してこういうことを言うのもどうかと思うけれど、この地底の太陽の顔が一番ハンサムだ。
「地底の太陽」があるスペースでは、「時間制限等はありませんのでずっと見ていても大丈夫です」と言われる。
そう言われても、次の展示が気になるので、概ねみなすぐ壁際に沿って次の部屋に行く順番待ちの列に並んでいたと思う。
次の部屋からは16名ずつの案内になる。人数を区切られてドアを入ると真っ赤な部屋が待っていた。
「生命の樹」が天井に向かって大胆かつ傍若無人に伸びている。
太陽の塔に内部があったなんて知らなったよ、というのが最初に浮かんだ感想である。
「内部公開が始まった」というサイトの情報を見て申し込んだにも関わらず、万博当時から太陽の塔内部を公開していたことは全く知らなかった。
生命の樹は枝ごとに色が変えられていて、一番下の単細胞生物(だったと思う)から、一番上のクロマニヨン人まで、進化の過程を辿るように色々な動物が「樹」に宿っている
写真撮影は1階までで、階段を上がる前にカメラやスマホは鞄にしまってくださいと注意があった。
次のフロアに移動するまで、夢中で写真を撮る。
部屋全体が赤いこともあって、やっぱり異様だ。
赤が基調をなしているのは、岡本太郎が「生命の樹は血流だ」と表していたからなのか、当時からこういうイメージで展示していたのか、両方なのか、どこかに説明があったかも知れない。
階段を一つ上がったフロアでは、一番、生命の樹に接近して見ることができる。ほとんど触れそうな距離だ。触ろうと思えば簡単に触れたと思うけれど、触っている人はいなかったと思う。
三葉虫などがすぐ近くにあったことを覚えている。当時使われていたという案内板も展示されていて、フォントに時代を感じる。
恐竜のプロントザウルス(だったと思う)は、大阪万博後もずっと枝に乗っかった状態で保管されていたという。それでも当時のままという訳には行かず、修理されている。
また、万博当時は、プロントザウルスのお腹の部分は脈動(呼吸)のように動いていたそうだ。
そこまで凝るか! という感じだ。
また、少し上の枝にいたゴリラは万博当時のもので、頭部は中の機械が露出してしまい、足の皮が剥がれた状態のまま、修繕せずに展示している。「作られてから約50年経っている」という説明付きで、その事実を感じてもらうために敢えて修繕していないというような説明があったように思う。
そして、生命の樹のゴール(一番上)にいるのはクロマニヨン人だ。
もっとも、見ただけで「これはネアンデルタール人」「これはクロマニヨン人」と私に分かる筈もなく、各フロアにいる案内の若者の誰かがそう教えてくれたと思う。
また、最上階には、生命の樹にいる動物たちの一覧が展示されていた記憶だ。
いずれにしても「人間」ではないのだなぁと思う。
最上階の5階では、太陽の塔の腕の内部を見ることができる。
片方の腕は、当時、スタッフの非常脱出経路とされていて、腕の中の階段もそのまま残されている。
太陽の塔の腕部分は、当時、直接太陽の塔を囲むようにして立っていた(というか、太陽の塔が突き抜けていた)建物の5階に繋がっていて、観客は、もう一方の腕の中に設置されていたエスカレータを利用して移動したそうだ。
へーと思う。
ここでコースは終了となり、普通の非常階段みたいな階段を下りて地上に戻る。この階段の踊り場には、太陽の塔を建設している途中の写真などなどが展示されていた。
大阪万博の2年ちょっと前に依頼され、太陽の塔のデザインのみならず、全体の展示コンセプト(プレゼンテーション)を任されたという。当時の岡本太郎という人の勢いが分かろうというものだ。
15時前に見学を終了し、太陽の塔内部にあるスーベニアショップと行きがけに寄ったお店の品揃えがほぼ同じことを確認して外に出た。
この後、早めに新大阪駅に戻っておやつを食べるか、EXPO70展に行くか迷った末、今回は見送るつもりでいたみんぱくに向かった。
45分あれば一通りどんな感じか掴めるだろう、次回じっくり見学するために下見をしておこう、という目論見である。
実際にとにかく一周してみたところでは、何というか「雑多」な感じの空間だった。ものすごく駆け足で見ると、「展示」というよりは「コレクション」「オタク」という感じだ。
全部をじっくり見るにはとても時間が足りなかったので、今まで旅行した地域の、例えば、北アメリカのトーテムポールや、ウズベキスタンのスザニ、ペルーのチチャ(というお酒)づくりを象った焼き物などなどを中心に見て回った。
みんぱくは、長く時間を取って大量に所蔵されているというビデオテークを見たり、音を聞いたり(これは楽器展が開催されていたため余計にそう思ったのかも知れない)、写真集などの書籍をゆっくり眺めたりするのが楽しいところだと思う。
そろそろ帰ろうとしたところで、みんぱくの中で出口を見つけられずに迷ってしまった。さらに、モノレールで待ち、地下鉄で待ち、少しずつ待ち時間が積み重なって、16時半には新大阪駅に到着するつもりが15分遅れになってしまった。
急いで新幹線の改札を入り、ツアー特典の「東海キヨスクで使えるクーポン3000円分」が使えるお店に行き、夕食のお弁当(炭火焼肉たむらの牛カルビ弁当)、ビール(を買ったつもりが発泡酒だった。慣れない買い物をするとこうなる)、お土産にひとくち餃子 点天、大阪往来館の中之島ラスクを購入した。
帰りの方が新幹線の座席に余裕があった。
新大阪17時3分発ののぞみに乗り、乗り遅れなかったことにほっとする。企画チケットなので、他の新幹線に振り替えることはできない。
名古屋駅を過ぎたあたりで、お弁当を開け、発泡酒と一緒にいただいた。卵焼きが甘い。意外だ。
品川駅で新幹線を降り、乗り換え時間5分はギリギリだよと思いながら小走りで上野東京ラインに辿りついて、こちらもほっとする。
大阪日帰り、しかも設定されている新幹線のうち一番遅い時間で行き、一番早い時間で帰ってた。帰りの新幹線に乗る前に少しバタバタしたものの、これが意外と充実した旅となった。もう少し上手に計画を立てられたら、もっと楽しめそうだと思う。
また、色々な行先で日帰り旅にチャレンジしてみたいと思う。
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