ブラタモリ「#41 伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~」を見る
2016年6月11日、毎週土曜日19時30分からNHK総合で放映されている「ブラタモリ」を見た。
この日のテーマは「伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~」の2回目である。
御師のお宅では、江戸時代に江戸からお伊勢参りに来た一行17名の「旅の記録」の文書と、御師の家に残されていた江戸からのご一行様を迎えた「おもてなしの記録」の文書を付き合わせながら、どんな旅だったのかを推理する。
当時、御師の家(要するに旅籠である)で出されたお料理をいただき、神楽の奉納やお土産や宿代食事代を含めた17名様ご一行が5泊した代金が当時のお金で60両だったそうだ。今のお金に換算すると600万〜1000万円くらいになるらしい。
「御師って儲かるんですね」という感想に対して、「いえいえ、そんなことは」と御師の家の方が同じ年に25両の借金をしていたんですと証拠の文書を出してきたのが可笑しかった。
可笑しいといえば、外宮と内宮の間の街に一大娯楽街が誕生し、江戸から来たご一行のうち何名かはそちらに行って夕食も食べず朝帰りをしたなんていう記録が律儀に御師の側で残してあったのも可笑しい。
特に言及はなかった記憶なので、「お伊勢参りをした側」の記録にはなかったのだと思う。
江戸時代には日本人の6人に一人がお伊勢参りをしたけれど、明治になって御師の制度が廃止されてしまう。
しかし、天皇がお伊勢参りをするために国道1号線が東京から伊勢神宮まで引かれたり、鉄道が大阪から引かれたり、交通手段が発達したことで新しいお伊勢参りの形ができる。
しかし、交通手段が発達したため、おはらい町を素通りして志摩などの次の目的地へ向かってしまう観光バスが続出し、今から40年くらい前のおはらい町の写真は見事に閑散としている。
そこで「おはらい町に人に来て貰いましょう」ということで、その街並みを江戸時代の風情に変えようと行政と商店街の人々が取り組んで、今の盛況を呼び込んだと言う。
江戸時代には「新しくなる」「若返り」ということで遷宮が人を呼び、明治以降には今度は「次の遷宮までに」という行政や町の人々の取組の節目となり目標となっている。
伊勢神宮は遷宮に始まり遷宮に終わる。
そういう感じがした。
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