香港旅行記の入口を作る
ここは、友人と出かけた香港旅行記への入口である。
のんびりまったり、食べ歩きオンリーの香港はかなり楽しかった。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
1日目 2009年2月8日(日曜日) 成田 -> 香港(泊)
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ここは、友人と出かけた香港旅行記への入口である。
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1日目 2009年2月8日(日曜日) 成田 -> 香港(泊)
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2009年2月11日(水曜日)
5時45分に起きて、宿泊したホテル近くにある●仔粥(●は、保という字の下に火)というお店に向かう。
ここは、ぐつぐつ煮立ったお粥が鍋に入って供されるらしい。最後の朝食にうってつけである。
ところが、お店は灯りがついているものの、テーブルと椅子が全て片付けられ、つなぎを着た人がうろうろし、お店の人と思しき数人はお店の奥の方に所在なげに立っている。
どう見ても営業中のお店ではない。
お姉さんがお店の人に声をかけてくれたけれど、英語が通じず、事情は判らずじまいだった。
しかし、朝ごはんは必要である。
まだ真っ暗な中を少し歩いたところの一角にお粥屋さんがあった。
テーブルでできあがるのを待ち、持ち帰ろうとしているお兄ちゃんたちもいる。
買って帰って朝ご飯にしようとお姉さんと二人で衆議一決し、「極品海鮮王粥」(40香港ドル)というかなり贅沢な感じのお粥を二つ買ってホテルの部屋に戻った。
お粥の他のメニューはこの半額以下のものがほとんどだったと思う。
ホテルの部屋に戻り、お茶を煎れ、朝食にする。
お姉さん的には、この黒く転々と見える海老の目がダメだったらしい。全く平気だった私としては申し訳ない限りだ。
海のものの出汁が効いていて美味しく、時間をかけてゆっくりいただく。それでもかなり大きな丼に入ったお粥は相当にたっぷりで、私は半分くらいのところでギブアップした。
セーフティボックスを開けてパスポートなどを取り出そうとしたら、エラー音がして開けない。慌ててフロントに電話したところ、「すぐ行く。」という返事である。
本当にフロントのお兄ちゃんがすぐに来て、ボタン操作だけで、特別の鍵のようなものを使うことは一切なくあっさりと解錠した。
もちろん、暗証番号は伝えていない。
迅速な対応は有り難い。しかし、セキュリティ的にどうなんだろうと思う。
8時45分にチェックアウトし、最初の日にデポジットとして預けてあった300香港ドルを返してもらう。急にお金持ちになった気分だ。
時間通りの9時に迎えのバスが来た。乗客は私たちを含めて6人くらいなのに大きな観光バスが来たのが不思議だった。どうやら帰りに大量のお客を運ぶためだったらしい。
9時30分に空港に到着した。チェックインもあっという間に終了し、とっとと出国手続きを済ませる。
後から思えばこれがいけなかった。
しかも、デポジットの150香港ドルずつ、所持金が増えていたのもいけなかった。
出発予定時刻の11時30分まで、お土産にタイガーバーム製のスクラブクリームや、ペニンシュラホテルのジャムなどを購入する。
ペニンシュラホテルのお土産は市内と同額、スクラブクリームなどの「普通にスーパーやドラッグストアで買えるもの」は市内の方がもちろん安い。ただ「暴利だ!」と暴れたくなるような価格差はなかったと思う。
ほんの気持ちだけ残額のあるオクトパスカードは、この後また絶対に香港に来るというお姉さんに譲る。返却すれば最初のデポジット分は返してもらえるけれど、役立ててもらえるならその方が良い。しかも、お返しにスタバでスイカジュースを買ってもらった。
香港への出発前にお姉さんからスイカジュースをお勧めされていたのに、マンゴージュースに行ってしまい、スイカジュースを飲みそびれていたのでここで飲めるのは嬉しい。
CI904便は定刻より20分ほど遅れて離陸した。離陸後30分もしないうちに機内食が供された。
さすがは食の国、台湾の航空会社である。
メニューは、焼きそば、レモンケーキ、ミネラルウォーターだった。食後にコーヒーをもらう。
ほぼ定刻の13時5分に台北に到着し、AターミナルからDターミナルに移動するためのセキュリティチェックで悲劇は起こった。
何も考えずにバッグをセキュリティに通したら、チェックしていたお兄ちゃんが機械を止め、ビニルに入ったジャムを取り出すと「これはダメだ。」という。
台北の空港では、ターミナル間の移動の際にセキュリティチェックが行われていたことをすっかり忘れ、香港の空港で買い込んで手荷物にしていた。
スクラブクリームは1個の容量が30mlだったのでお咎めなしだった。問題はジャムである。
「香港の空港で買ったんだし!」と免税品店の袋を見せたり、「どーしてもダメ?」と表情で訴えたりしていたら、困った係官二人は少し偉そうなおじさんを連れてきた。
お姉さんと二人、再びアピールする。
でも、そのおじさんは容赦なく、「ここを見ろ!」とばかり、「ターミナル間の移動には液体規制がかかる」と日本語でも書いてある注意書きを叩き、最後には、ジャムの瓶を掴んでガシャンとそこに置いてあったバケツに投げ入れてしまった。
二人でしばらくショック状態に陥った。
行きはあれほど気にして気をつけていたのに・・・。己れのうかつさに腹が立つ。
我々二人の状態に関係なく、飛行機は飛ぶ。
14時5分にCI018便は台北を離陸し、日本時間の16時にきっちりと機内食が出された。コールスロー、チキン(ごはんとセット)orポーク(パスタとセット)、パン、チョコレートケーキというメニューである。
ヤケになって、りんごジュースの他に白ワインももらって飲む。
しかし、これは何ごはんなのだろう?
定刻通りの18時に成田に到着し、エアポートリムジンで帰るというお姉さんと別れ、私はJRの乗り場に向かう。
最後の最後にショッキングなことになった記憶はかなり鮮やかで、インパクトは絶大だ。
しかし、この香港旅行は、美味しいモノをたくさん食べて、街歩きをして、ウィンドウショッピングをして、楽しかった。
香港旅行記3日目 <-
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2009年2月10日(火曜日)
目覚ましをかけた8時よりも早く、7時半に目が覚めた。
本当に旅行中はいきなり健康的になり、遅寝早起きが普通にできる。
昨日食べきれなかったカステラのようなパンとお姉さんが用意して来てくれたお茶で軽く朝食にし、9時くらいにホテルを出た。
今日は1日フリーである。
香港公式ガイドを検討し、とりあえず、キャットストリートに向かった。
せっかく香港島に渡って来たからには、まだ食べていないエッグタルトを確保せねばならない。何しろ、香港には美味しいものを食べに来たのだし、エッグタルトはぜひ食べたいものリストのかなり上の方に入っている。
ガイドブックを見て狙っていた泰昌餅家というお店でエッグタルト(5香港ドル)を二つ購入した。その後の街歩きと観察の結果、餅家はパン屋という意味だろうとお姉さんと意見の一致を見た。
エッグタルトを持ったまま、文武廟に向かった。文武廟は香港最古の道教寺院だ。
まだ開いていないお店が多くてなかなか道を聞く相手に出会えなかったけれど、途中でやはり道を尋ねたり、途中から現れた標識に頼ったりしながら、何とかたどり着いた。
文武廟の外観はこのとおり、かなり地味である。
後ろにそびえ立つアパートメントとの対比が激しすぎる。これがシンフォニー・オブ・ライツに参加するようなビルではなくてよかった、という感じである。
しかし、一歩中に入るとその様相は一変する。
まず、人が多い。旧正月はまだ終わっていないらしい。
昨日の黄大仙よりも狭い分、人口密度が激しく高く感じられる。
そして、来ている人一人一人が何やらお供えのようなものを作っていたり、お線香をたくさん買ったり、真剣にお参りしている。
ちゃんとしたお作法は判らないけれど、そこに参加してみたい。外で売られていた「旧正月セット」のようなお供えはパスして、堂内で「無料だけど寄付してね」という感じに置かれていたお線香を幾ばくかのお金を寄付していただき、上に掲げてお参りした。
やっと人心地ついた気がして写真を撮らせてもらっていたら、お姉さんに「スカートの裾!」と叫ばれた。
この上に吊されたお線香は、何を考えたのか火がついている。
頭上に渦巻き状になったお線香が下がっていたときに、これに火がついていて灰が降ってくるなんてことを想像する人がいるだろうか。
でも、この赤いほのぐらい中に浮かぶ渦巻き状のお線香は、何だか異世界の感じがした。
香港の街中には全長800mのエスカレーターが設置されていて、10時までは恐らくは出勤用に下り、それ以降は上りで運転されている。
そのミッドレベル・エスカレーターの乗り場まで戻り、角にあったシアトル系のコーヒーショップに入った。
11時近くなったところで休憩である。
二人とも、エッグタルトの11倍の価格(笑)のカフェオレを頼み、「観光客だからいいよね。」と言い合って先ほど購入したエッグタルトを取り出し、一緒にいただく。
クッキーっぽいサクサクしたタルトに、ちゃんと作られたプリンが詰まっている感じがする。美味しい。
エネルギー補給後、ミッドレベル・エスカレーターを上がる。
とりあえず、上がれるところまで上がり、帰りは歩いてこようということになる。
途中、陶磁器のお店に立ち寄ったり、やけにアメリカンな感じの一角を通り過ぎたり、モスクに入り込んだりしていると、何だか自分がこの辺りの住人のような気がしてくる。
もちろん、住人ならこんなところで写真を撮ったり、ボンヤリ上から景色を眺めたり、ネコと遊んだりすることはほとんどないだろう。
行きは何やら準備中といった感じでただ雑然としていた一角が、帰りには、12時過ぎていたこともあって、路地いっぱいに椅子とテーブルと屋台が建ち並んでランチタイムが開催されたりしているのも楽しい。
かなり上の方まで上がったけれど、一体このエスカレーターはどこまで続くのかと不安になり、その不安がピークに達したところで歩いて戻ることにした。
後で地図を見たところ、あと2〜3のエスカレーターを乗り継げば一番上まで行けたようだ。
アッパーデッキのようなところを冷たいビル風に煽られながら歩き、セントラルからスターフェリーで九龍半島に戻った。
13時頃にペニンシュラ・ホテルに到着し、一昨日に頼んであった妹のハンコを引き取りに行く。
試し押しをした紙を渡され、縁起のいい字体にしてもらうと、新字体だろうが旧字体だろうがほとんど区別はつかないということが判る。
できあがったハンコに同じ翡翠でできた朱肉入れをセットし、箱に入った姿はなかなか立派で満足である。
ロビーでのアフタヌーンティは14時からだった。ホテルの人に尋ねたら予約はできません、時間になったら並んでくださいと言われる。
フロントの辺りのソファでこの後の予定を立てつつアフタヌーンティの開始を待ち、14時ちょうどに入った。
この時点では並んでいる人はいなかった。席についてアフタヌーンティ(220香港ドル)を注文し、落ち着いたところで周りを見渡したら10人くらいの列ができていて驚いた。
香港に来た最大の目的のうちのひとつである、ペニンシュラ・ホテルのアフタヌーンティだ。
お姉さんが、レパルス・ベイのザ・ベランダにしようか、インターコンチネンタル・ホテルで海を眺めながらのアフタヌーンティにしようかと色々と候補を挙げてくれた中から、伝統と格式を重んじてこちらを選んだ。
何しろ、中2階のバルコニーで弦楽四重奏の生演奏が行われている。
周りのテーブルもほとんどこの「タワー」が置かれている。
サンドイッチやキッシュ、スコーン、チョコレートやオレンジのパウンドケーキなど、完全に雰囲気に酔わされているなと自覚しつつ、どれも美味しい。
何より、クロテッドクリームとイチゴジャムをたっぷりと乗せていただくスコーンが美味しかった。
流石、ペニンシュラホテルのアフタヌーンティである。来た甲斐があった。
地下のペニンシュラのショップにも行き、お土産を買い込んだ。
バレンタインデーが近いので、妹夫婦へのお土産はチョコレートで決まりである。母からはジャスミンティーをリクエストされていたので、ネームバリューを頼ってこちらで購入する。
私が一番気に入ったのは、お香とキャンドルのセットだ。
その後で行った中国デパートで、お姉さんは、昨日の漢方薬屋で出してくれた梅のお菓子を購入していた。私はお買い物は自粛である。
もっとも、自粛したのは中国デパートだけで、ドラッグストア「ワトソンズ」にまた行き、大量にタイガーバームの湿布などを購入した。
大荷物になったのと、昼間のセントラルの冷たい風を思い出してこれからビクトリアピークに行ったら寒くなりそうな気がしたので、お姉さんにワガママを言い、いったんホテルに戻ってもらった。
ホテルの部屋に落ち着いたのが17時頃である。
お水を切らしていたので、ロビーの自動販売機で購入し(500mlで7香港ドル)、お茶を煎れてほっと一息ついた。
シンフォニー・オブ・ライツの時間にはビクトリアピークにいたいねという話になり、ダウンの上着を持って18時30分にホテルを出発した。
オリンピック駅からセントラルに向かい、ビクトリアピーク行きトラムの駅までノンストップで向かうオープントップバスを待つ。
20分おきに運行されているという表示を見て安心したけれど、結局30分近く待ち、19時30分くらいにバスがやってきた。
10人目くらいに並んでいたので、余裕で2階席の一番後ろの席に陣取ることができた。このバスもオクトパスカードで乗ることができる。
やはりオープントップバスは楽しい。風に吹かれ、ライトアップされたビルを眺め、車のストップライトの赤い列を眺めながら高速道の高架をくぐる。
他の乗客も立ち上がったり写真を撮りあったり興奮している感じなのが余計にわくわくさせる。
10分程度で到着してしまうのが勿体ない。
ピークトラムの乗り場も大混雑で、ディズニーランドのアトラクションのような列になっていた。
その列の途中で、強制的にニセモノの「ビクトリアピークからの夜景」をバックに写真を撮られる。
列の先でパソコンの画面に表示された写真を見て買うかどうか決めるシステムがなかなか合理的である。しかし、それでも60香港ドルは高い。
ちょうど、シンフォニー・オブ・ライツが始まるくらいの時間に獅子亭に到着できた。
流石の人出である。昼間よりも夜の方が人が多いようだ。
上から眺めるシンフォニー・オブ・ライツは、音がない分やっぱり地味で、でも昨日見覚えていた「がんばっているビル」がちかちか色を変えたり光ったりしているのを見つけると嬉しい。
どうしても「人と夜景」を綺麗に撮ることができなかったのが心残りだ。
1時間弱に渡って夜景を堪能し、夕ごはんを食べに行く。
ピークトラムの麓の駅でタクシーに乗り込み、切り取ってきた雑誌を見せる。
坤記●仔小菜(●は、保という字の下に火)という上環駅からタクシーで5分ほどだという炊き込みごはんのお店である。
運転手さんがおもむろに虫眼鏡を取り出したときには微妙に不安を感じたものの、「60香港ドルくらいになるけどいい?」と聞かれて走り出した。いい運転手さんのようだ。
オフィス街なのか、周りのお店はすっかり閉まり、暗くなっている辺りにそのお店はあった。帰りのタクシーが捕まるかしら、でもトラムが走っているし、などと思いつつタクシーを降りる。
そんな寂しい場所にあるのにお店は大混雑で満員だ。
中国語と英語のメニューを示されたけれど、今ひとつよく判らない。
炊き込みごはんが食べたいという意図だけは通じたようで、お店の人がどうも普通にお客さんらしいお兄さんを連れてきた。彼が英語と日本語(こちらは少し)をしゃべるかららしい。
そのお兄さんが「僕はここに来ると鰻とスペアリブの炊き込みごはんを必ず頼む。他のモノは食べたことがないからよく判らない。」ともの凄いことを言う。
そのお薦めに従い、鰻とスペアリブの炊き込みごはんを頼んだ。
外のテーブルで食べている人もいたけれど、どうやら中の席が空いたらしい。
野菜不足な感じもして、中国菜の炒め物を追加で注文する。熱いお茶は頼まなくても出てきたと思う。そのお茶をちょっと使って、出されたお皿やボールをすすがせてもらう。
この炊き込みごはんは、炊き込みごはんと言いつつ、土鍋で炊いたごはんに具と特製のたれをかけまわしたごはんで、このお焦げが美味しい。大胆にぶつ切りにした鰻とスペアリブにかぶりつく。
22時過ぎにこんなガッツリと食べていいのかと戦きつつ、ひたすら食べる。判りやすい青菜の炒め物も、見かけほど油っぽくなくて美味しい。
私は少し残してしまったけれど、お姉さんは完食していた。骨はテーブルの上にそのまま出すのがお作法のようだ。
これで110香港ドルである。
帰りは、上環駅までタクシーで戻り、旺角駅で降りて、女人街をぶらついた。
流石に22時45分頃という時間だと店じまいを始めているところが多い。私が覚えているのは、Tシャツ屋や、ヘアアクセサリーのお店、ニセモノのレスポのお店などだ。他にも色々なお店があったと思う。
高いところにかけてあったTシャツを物干し竿でも扱うような道具で降ろすと、そこ縦1列のTシャツが全て降ろされる。そんな片付けの風景も楽しい。
人出が多かったのと、ちょっと腰が引けてしまったのとで、写真を撮りそびれたのが残念である。
23時半過ぎにタクシーでホテルに戻った。
今夜と明日の朝用の水をセブンイレブンで買い、明日はホテル近くの、6時頃には閉まってしまうらしいお粥屋に行こうと目覚ましを5時45分にセットして就寝した。
香港旅行記2日目その2<- ->香港旅行記4日目
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2009年2月9日(月曜日)
トラム乗車体験も無事終了し、バスに戻ってお昼ごはんを食べるレストランに向かった。
結構な繁華街のビルに入ったと思う。場所などはあまりちゃんと覚えていない。
「金龍船 海鮮酒家」というレストランで飲茶のランチをいただいた。大きなテーブルで二手に分かれる。
点心もシュウマイや肉まん、春巻き、海老餃子など色々と食べられて楽しかったけれど、デザートのマンゴープリンを含め、正直に言って微妙なお味だった。
13時過ぎにレストランを出て、黄大仙に向かった。
ガイドさんによると、旧正月の期間中は初詣に行く人で大混雑する寺院だ。今日はもう旧正月も明けているのでそれほど混雑はしていないでしょうという説明だった。
とんでもない。
裏手にある駐車場から入口に回ったところ、門の前に設置されたディズニーランドのようなつづら折りの通路こそ使われていなかったものの、一目で大混雑していることが判った。
ガイドさんも引率を諦め、「13時55分にあの木の前に集合してください。」と言ったきり、信者ではないからお線香やお賽銭を上げる必要はありませんという程度のことを言っただけでずんずん中に入って行く。
周りの人は観光客というよりもちゃんとお参りしに来た人が大多数だ。多くの人はたくさんの大きなお線香をかざすようにして持っている。
このお線香に火が点いていて、ちょっとした恐怖だ。しかし、これだけの混雑で事故が起こっている気配もない。
お姉さんによると「大抵はどこかが工事中」で、この日は本殿が工事中だった。人波は仮本殿に吸い込まれて行く。
仮本殿に入ると、そこでは占いをする人たちが一斉におみくじの箱を振りまくっていた。そのカチャカチャ、シャカシャカという音が反響してもの凄い大きな音になっている。
お姉さんは以前にこの占いにチャレンジしたことがあるそうだ。お姉さんの指南によると、振り続けて1本が飛び出るのを待ち、その上でその1本が運命の1本かどうかを更に占わなければならない。
20分では結論が出そうにもないし、そもそも筮竹を振り続ける人の真剣な面持ちに負けて、お賽銭だけあげてそそくさと出た。
この後はお買い物三連発だ。
ツアーを予約した際にはどんなお買い物に行くかは不明で、行ってから分かる仕組みである。今回行った「宝石工場」「シルクのお店」「漢方薬のお店」はどうも定番らしい。お姉さんはどこも行ったことがあったと言う。
宝石工場で母へのお土産に翡翠で作られた干支のストラップを100香港ドルで購入した他は何も買わなかった。
それぞれのお店の滞在時間は15分〜30分だったから、ツアーとしては良心的だろう。
6時にDFS GALLERIAで解散となった。
お姉さん曰く、ここは無料でコーヒーが飲めるのがいいそうだ。
そのサービスのコーヒーをいただきつつ、今後の予定を考え、1日連れ回されて結構疲れていたし、足つぼマッサージを探すことにした。
ガイドさんにお勧めのお店を聞いたら「この辺ならたくさんあるよ。」と言われてしまったから、自力で探さねばならない。
ハイアットリージェンシーの並びにある、「大班美容水療足浴中心」というお店に決めた。
階段を降りて店内に入るので少し躊躇したものの、その通路には水槽が埋め込まれて熱帯魚が泳いでいたり、高級感と安心感が漂う。
日本語のメニューが用意されていて、足マッサージ50分と頭とデコルテのマッサージ25分のコース(267香港ドル)をお願いした。
荷物を預け、靴下などを脱ぐように言われ、サンダルに履き替えてまずはフットバスである。
バスに乗っていた時間も長いとはいえ、1日歩いた後なので、まずこれが気持ちいい。
お店のお姉さんに足を拭かれ、サンダルを履かされて、たくさん並んでいるカウチベッドの一つに連れて行かれる。
暗い中を見渡した感じでは、女性の客には女性の担当者が付いていたようだ。
足マッサージは足つぼマッサージではない。
どちらかというとアロマオイルを使ったオイルマッサージという感じである。ベッドに寝転がって、肩に湯たんぽのようなものを当ててもらい、とにかく気持ちがよい。
デコルテのマッサージのときには、湯たんぽがお腹に移動され、これまた気持ちがよい。
すっかりリラックスして寝入ってしまった。
マッサージの後は、喉も渇いたことだし、許留山のジュースだ。
テイクアウトの人は店先のレジで先にお勘定を済ませ、店内で食べる人はそのまま席に着いてお店の人に注文し、帰りに精算するシステムだ。
それを知らなかったので、先にお会計をしてしまう。
私が頼んだのは、mango & mango juice Harsmar Jellyというジュース(写真の左側)で、このHarsmar Jellyの正体が未だに判らない。食べた感じでは愛玉子に似ていると思った。
お姉さんは、スイカと何かのジュースを頼んでいた。
その後、ガイドブックに載っていた「徳發牛肉丸」という牛肉団子を載せた麺のお店を探した。ところが、これがどこにもない。
地図を見ても、そのお店がある筈の辺りに、そもそも道がない。
ショッピング・ビルの受付のお姉さんに聞いてみても「あの辺。」と言われたり「もう閉店時間じゃない?」と言われたり、辿り着けない。
そうして何人目かに聞いたお兄さんが、同僚らしいお兄さんに聞いたり、ぐるっと遠回りした挙げ句、でもほとんど間違いようのない辺りまで連れて行ってくれた。
うん、いい人だ。財閥の息子かしら?(笑) という会話で盛り上がる。
探していたお店は、九龍公園の真向かいにある「海防道臨時街市」という市場の中に存在していた。
市場自体が、19時頃には活気もなく閉まっているような風情だし、そもそも市場なんて観光客に縁のなさそうな場所だから、その中にあるなんて考えもしなかった。
二人いれば大丈夫だろうと、勇気を持って(?)突き進む。
私たちは探していた「徳發牛肉丸」の1軒隣のお店で食べたようだ。こちらのお店も美味しかった。
牛肉団子のスープは醤油ベース、海鮮団子のスープは塩ベース、いずれも玉子麺である。
お箸と、取り分けるようにもらったお椀をウエットティッシュで拭う。
これが、それぞれ20香港ドルで食べられるのだから、香港って本当にいいところだ。
お姉さんは実は玉子麺が苦手だそうで、申し訳ないことをしてしまった。
食べ終わったら、19時30分過ぎだった。
時間もちょうどいいので、このままシンフォニー・オブ・ライツを見に行く。
海縁に陣取っても、昨日に比べるとそれほど風も冷たくない。
シンフォニー・オブ・ライツは、楽しかった。
昨日はスターフェリーからだったので、何が起こっているのかよく判らなかった。しかし、九龍半島側の海縁にはスピーカーが仕込まれていて、音楽やDJが入る。これが大きい。
ビルの名前が叫ばれると、そのビルが一際賑やかかつ派手にイルミネーションをキラキラさせたり、レーザー光線を放ったりする。ビルに人格があって掛け合いが行われているようで、可笑しいし楽しい。
堪能した。
何度も来ているお姉さんは逆にこんなにがっつりシンフォニー・オブ・ライツを見たことがなかったそうで、二人で「楽しかったねー。」と言い合う。
スーパーでお土産を確保しておこうとランタンに飾られた道を歩き出したところで、お姉さんに「後で、マッサージのお店に行っていい?」と聞かれた。
「どうして?」と聞き返すと、「あのお店にダウンのコートを置いてきた。」とおっしゃる。
言われてみれば、着ていた筈のダウンのコートを持っていないし着ていない。もうかなり前から忘れてきたことに気がついていたものの、持ち歩くのも邪魔だし、香港でダウンのコートを持ち逃げする人もいないだろうし、クロークに預けている感覚で「後で取りに行けばいいや」と考えていたとおっしゃる。
「えー!」と叫んで大笑いしてしまった。
私には永遠に辿り着けない、大物かつ大胆な境地である。
スーパーに寄ってお土産に陸羽茶室のティーバッグを全種類と、オイスターソースの生みの親と言われる李さんという人が作った李錦記というブランドのXO醤を購入した。
ワトソンズというマツモトキヨシみたいなドラッグストアに寄り、タイガーバーム社製の湿布や埃っぽくて喉が痛かったので飴を買う。
お姉さんが買った、直径2cmくらいの容器に入ったタイガーバームも可愛い。白いパッケージと赤いパッケージと2種類あり、白い方はスタンダード、赤い方はニッキが入っているらしい。
夕食が麺だけで小腹も空いてきたので、再び許留山に行ってデザートをいただいた。
今回は二人ともマンゴーベースである。マンゴープリンが既に売り切れてしまっていたのが残念だ。
私が食べたのは右側の方で、マンゴーとマンゴーアイスクリームと白玉がたっぷり入ったマンゴー味のかき氷だ。
お姉さんは、確か、緑豆の餡が沈ませてあるマンゴーのデザートだったと思う。
海風に当たり、涼しくなった街をうろついた後で食べるには、このデザートはちょっと冷たすぎだった。二人で「次はこの温かそうなお汁粉にしよう!」と言い合う。
夕方に行ったマッサージのお店に戻り、お姉さんは宣言通り、「忘れた」のではなく「置いていった」コートを取りに来たとフロントのお姉さんに言い、ダウンのコートを手にした。
小心者の私にはできない見事なワザである。私だったらコートを忘れたと気がついた時点で、飛んで取りに行っていたと思う。
チムサーチョイからモンコックまでMRTで戻り、そこからふらふらと歩いて、ホテルに帰り着いたのは22時過ぎだった。
「そうだ! 22時49分に月を見なくてはいけなかったんだ!」とガイドさんに言われたことを思い出してホテルの窓から外を見たけれど、月の姿がない。
わざわざ外に出るのも面倒くさくてあっさりと諦めたけれど、この日のこの時刻、香港では月蝕が起こっていたらしい。
後になって「面倒くさがらずに、外に出て月を探してみれば良かった!」と悔しい思いをした。
香港旅行記2日目その1<- ->香港旅行記3日目
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2009年2月9日(月曜日)
6時に起床し、昨日買ってきたパンと持参したコーヒーで朝食にした。
7時15分に1日市内観光の迎えのバスがやってきた。私たちが泊まったホテルが一番町はずれにあるようで、バスには誰も乗っていない。正確には、ガイドさんと、正体不明のおじさんが乗っていて、このおじさんは後にカメラマンだと判明した。
その後、4軒のホテルを回り、私たち二人を含めて総勢14人で出発した。
最初に向かったのはビクトリアハーバーだ。スターフェリー乗り場である。8時に到着する。
スターフェリーに乗ってしまえばあっという間に香港島に到着する。それではここまで私たちを乗せてきてくれたバスが向こう岸にたどり着けない。九龍半島と香港島とを結ぶトンネルは慢性的に渋滞しているらしい。
集合が朝早いこともあって、ここで朝食を食べたい人は食べてください、写真を撮ってくださいと言われた。
お姉さんと二人でカメラマンのおじさんを避けまくり、昨日見たランタンの物語絵巻の方に行ってみたら、昨日は気がつかなかった説明板が出ていた。
説明板は中国語と英語の両方で書かれていた。中国語を嗜んでいるお姉さんは漢字を読もうとし、私は英語を読もうとするということが判って何だか可笑しい。
説明板を適当に読んだ私の適当な理解によると、ランタン祭のテーマはモンゴルを舞台にした中国の古い恋愛小説の名場面のようだ。
20分くらいの自由時間の後、ガイドさん曰く「日本の丸の内のイメージ」だというセントラル行きのスターフェリーに乗り込んだ。
対岸には「今のところ」香港で一番高いというビルがそびえている。
先回りしていたバスに乗ってピークトラムに向かう途中、イギリス時代の古い建物(国会議事堂だと聞いた記憶である)を壊さないのは、銀行など周りの建物の風水が悪くなってしまうためだという説明があった。
そんなところにまで「風水」が生きていることに驚く。
ピークトラムは、てっきり一番下からビクトリアピークまでノンストップで上がると思っていた。途中に駅があり、乗降客がいる場合には停車する。
「丘」はどこであっても高級住宅街になる運命のようで、その昔、この辺りはセレブな方々御用達の場所だったらしい。
もっとも、現在では、香港という街の「セレブ」な中心は他の地域に移っているそうだ。
上りのピークトラムに乗る場合には進行方向右側に座るのが鉄則だ。そうすると、かなり上がった場所から、こんな景色を望むことができる。
ピークトラムはかなりの急勾配で、左側に座ってしまったために立ち上がってこの写真を撮った私は、立っている間、膝の裏側でベンチ式の椅子の座面を利用して全体重を支えることになり、その後しばらく痛がる羽目になった。アホである。
ビクトリアピークに到着し、有料の展望台は避けて、獅子亭と呼ばれる一角に向かう。
展望台よりも若干高さは下がるものの、それでもこれだけの眺望が開ける。
ガイドさんによると、3月に入って暖かくなってきたのでガスが出るようになっており、くっきりとした景色を眺めるには12〜2月の寒い時期が適している。
それでも、昨日まで旧正月のお休みだった分、空気が若干澄んでいたのだと思う。
私がうろちょろと写真を撮ったりお手洗いに行ったりしている間に、お姉さんは、ピークトラムの車体を利用した観光案内所に行き、「香港公式ガイド2009」という無料のガイドブックを手にしていた。
その辺りに並べてあった訳ではなく、彼女が地図などなどを集めていたら、係らしき人がどこかの棚からわざわざ出してきてくれたらしい。
流石である。
再び私たちを追ってきたバスに乗り込み、ビクトリアピークを反対側に降りてそのままスタンレーマーケットに向かった。
今日が旧正月明けのため、10時少し前という今の時間帯は重役出勤の方々で大渋滞だ。
バスの中では、2月10日の0時43分に月蝕があり、2月9日の中国のバレンタインデーと重なっていて目出度いこと、中国では緑色は「守る」ことの象徴であり、赤は「幸せ」の象徴で、だから花嫁さんは赤いチャイナドレスを着ることが多いことなど、占いや伝統といった方面の話が多かった。
手相の話では、掌と指を比べて指が長い人はリーダーシップを発揮して人に命令することに長けており、掌が長い人は自分で動く方が適していると聞いた。お姉さんは前者、私は後者だったことに納得する。
また、今向かっているスタンレーマーケットに花文字の達人がいるという話から字画の話になり、総画数が10画の人は運気が上向きになり、13画の人は下向きであるなどという話も出る。
ここまで力強く語っておいて、最後には「こういうことを信じて守ることで、安心できる。」とやけに達観したことを言うガイドさんが可笑しい。
ガイドさんのセールストークに負け、スタンレーマーケットに到着して「花文字」のお店に案内されて、書いてもらうことに即決した。
何しろ、私もお姉さんもここのところ主に仕事運というか職場運に見放されている。
今注文して、帰りまでに完成すればその場で渡してくれるし、間に合わなければホテルに届けてくれるという。
自分の名前を一番小さいサイズで書いてもらうことにした。120香港ドル(額付き)である。
名前をメモに書いて渡すと、その「字」を見て、足りないところを補うように蝶や鳥やハードなどの模様を書き足してくれるという。また使う色にも意味があるそうで、できあがりが楽しみだ。
注文を終えると後は10時50分まで自由行動と言われた。
特にお買い物の予定のなかった私たちはマレーハウス方向に散歩に出た。
しかし、この「マレーハウス」は謎である。
石造りのちょっと見は博物館のような建物で、何がどう観光名所なのか今ひとつよく判らない。中に入ってみれば、数軒のレストランがテナントとして入っている。
後でガイドブックを見たら、この建物は元々はセントラルにイギリス人将校の住まいとして建てられたもので、2001年にこの地に再建されたそうだ。
また、2005年11月にはこの建物の一部を使って海事博物館がオープンしたそうで、ぱっと見の印象もそれほど外れたものではなかったらしい。
その後で行ったレパルスベイは、「治安が悪い」という印象しかない。
ガイドさんがここだけやけに重点的に「注意してください。お財布は持って行かないでください。」と厳重に注意していた。
レパルスベイ自体は、要するに海岸である。小学生くらいの子ども達は足だけ海に入って遊んでいる。
レパルスベイが混雑している理由は、海岸や海がきれいだからではなく、御利益満載の銅像っぽい立像がタイガーバームガーデンばりに並んでいるところにあるのではないかと思う。
この像の黒い石に触ってお願いすれば縁結びの神様が願いを叶えてくれる。
既婚者のお姉さんに命じられ、私は「香港の財閥の息子と結婚できますように。」とお願いする羽目になった。
朝が早かったせいか、まだ11時半にもなっていないのにお腹が空いてきた。
お昼ごはんの前にもう一つ午前中のイベントが残っている。トラム乗車である。
レパルスベイから戻る途中、「あまりお勧めしない。」とガイドさんが強調していたせいか、「希望者だけ」という募集に応募したのは全体の半数の7人だけだった。残りの半数はバスでお留守番である。
乗り降りはタイミングが重要ということで、ほとんど始発に近い町はずれでバスを降ろされた。
やってきたトラムに乗り込み、2階に上がる。この狭い螺旋階段も結構楽しい。スカートの裾を踏みそうになるのも許せる気がする。
一番後ろの席に陣取ったので、後ろから追いついてきたトラムがよく見える。
このトラムは、時刻表や運転間隔といった観念はどうもないらしく、あちこちで団子状態になっている。乗り降りに熟練が必要とされる訳である。
こうして、僅か10分ほどのトラム乗車体験は終了した。
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2009年2月8日(日曜日)
ここのところツアーに一人参加で海外旅行することが多かったので、成田空港で誰かと待ち合わせをするのは久しぶりである。
安さを追求した結果、台北乗り継ぎで香港に行くことになった。9時40分発のチャイナエアラインでまずは台北に向かう。空港での集合は7時40分に指定されていた。
集合時間ぎりぎりくらいに到着したら、旅の相棒のお姉さんが現れない。
団体カウンターがかなり混み合っていたので、そのうち来るだろうと列に並んでみたものの、小心者の私としては周りが気になる。あと3人くらいになったところでお姉さんが登場し、ほっとした。
彼女の荷物の少なさにびっくりする。
私は迷った末にキャリーケースを転がして来た。彼女はスーツを入れるケースのような旅行バッグ一つである。
「ガイドブック持ってくるの、忘れたから〜。」と言われて思わずのけぞりそうになった。お姉さんは香港に慣れているし、最低限必要そうな情報はコピーしてきたし、どこかに観光案内所もあるだろうし、大丈夫だろう。
早めに出国審査を抜け、お姉さんの提案で免税品店に立ち寄って、二人でお世話になっている職場の方へのお土産として煙草を1カートン購入した。煙草代のほとんどが税金で占められているのは本当なのね、と納得するお値段だ。
機内用にペットボトルのお茶を買い、搭乗ゲートに向かった。オンタイムで乗り込んだものの、機内の設備が不調だったらしく、CI107便は30分遅れの10時10分に離陸した。
離陸して30分もすると機内食が出てきた。これは何ごはんなのだろう?
後方の席にいた私たちにはすでに選択の余地はなく、配られた機内食は、天丼、サラダ、パン、チョコケーキ、チーズ、クラッカーというメニューだった。飲み物は、白ワインとりんごジュースとコーヒーをもらった。
離陸時の遅れを20分取り戻して台北時間の12時40分に到着した。
台北の空港は、他のアジア諸国からの飛行機と日本からの飛行機とで到着するターミナルが異なっている。ターミナルを移動する際にはセキュリティチェックを受けなくてはならない。成田空港で化粧品を購入していたら没収だったわねと思う。
急いで移動し、香港行きのCI763便に乗り換えた。
13時40分に離陸したこの便でも、30分もたつと機内食が出てきた。
しつこいようだけれど、これは何ごはんなのだろう?
海鮮焼きそば、チョコケーキ、オレンジジュース、コーヒーというメニューを完食する。
現地時間の15時30分頃、香港に到着した。
直行便で来れば4時間超くらいである。この時間距離の差は安さで埋め合わせできるものなのか、ふと疑問を感じる。
香港の入国審査はあっという間に済み、「B出口でガイドがお待ちしています」と指示された場所に行ったものの、それらしき人がいない。
16時近くになってやっと香港人のガイドさんを発見することができた。その場には、マカオに直行する人も含めて10人くらいが集まった。
送迎バスに乗り込むと、ガイドさんから様々に注意事項が与えられた。
香港ではちょうど旧正月が終わって明日から学校が始まる人が多いため特に渋滞が激しくなると予想されること、普段にも増して車に注意する必要があること、水道水は絶対に飲んではいけないこと、財布には十分注意すること、明日の市内観光では時間厳守してもらいたいことなどである。
また、「銀行より(レートが)いいよ。」と両替の案内もあり、私たちはそれぞれ20000円を両替してもらった。このガイドさんのレートは、10000円=810香港ドルだった。
すでに日本で用意していた6000円相当の香港ドルを共用財布にしたレスポの三連ポーチに入れてある。そこに、二人とも810香港ドルずつを足す。そして、共用財布のポーチは私が持ち歩くことになった。
明日の市内観光の説明では、渋滞を回避するため、7時15分ホテルのロビー集合を言い渡された。
早すぎ!
この送迎バスには様々なプランの人が乗り込んでいたようで、ガイドさんは「観光内容をチェックさせて。」とグループ毎に確認を取り、「こんなのツマラナイから、そんなのよりもずっと楽しい、車じゃないと行けないところに案内しますから。任せて。」と言う。
任せてもいいけれど、それって旅程保証に反するのでは? と思う。
私たちの泊まるドーセット・カオルーン・ホテルが、空港から一番近かったらしい。
「私は他の人達を案内しなくちゃならないので。何かあったら携帯に電話して。」と言われてバスから降ろされ、そのまま荷物と共にホテルの入口に置き去りにされた。
別にいいけれど、何だか私たちに関しては放置してもいいと決めているような感じが釈然としない。
ホテルに到着したのは16時40分くらいで、チェックイン時にツアーなのにデポジット300香港ドルを要求された。やっぱり釈然としないまま、早速共用財布から支払ってチェックインする。
13階の部屋で、サイトでの口こみ評判どおりかなり狭い。バスタブもないけれど、3泊だし、二人だし、何とでもなるだろう。
アメニティや冷蔵庫、セーフティボックス、お茶セットなど一通りのものは用意されている。
1時間くらいホテルの部屋で荷ほどき兼休憩の時間を取った。
私が「妹の結婚祝いに、香港で新姓のハンコを作りたい!」と前々からワガママな希望を述べていたことをお姉さんはしっかり覚えていてくれて、今日中に注文すれば間違いなく日本に持って帰れると、まずオススメのペニンシュラホテル内のお店に向かった。
ホテルの最寄り駅は奥輪(オリンピック)駅で、15分ほど歩けば旺角(モンコック)駅に出ることもできる。
18時近いのに街はまだ明るい。
市場のように八百屋やお肉屋さん、雑貨屋さんが並んでいる通りがあって、ついフラフラと意味なく路地を曲がってしまう。
とんでもない高層ビルとごちゃごちゃした地べたに近い部分が混在しているのが香港の街、という感じだ。
香港リピーターのお姉さんから「このホテルの**号室で、ニセモノのブランド品が売られている。」なんていう情報が普通に教えられるところがまた凄い。
旺角駅でオクトパスカード(50香港ドル)を購入した。
香港の地下鉄やバスやトラムで使えるプリペイドカードで、すこぶる便利である。
2枚購入したうちの1枚がどうしても改札を通れず、もう1回窓口に戻って「これ使えないんだけど。」と文句を言ったら、あっさりと新しいカードに交換してくれた。しょっちゅう「使えない」カードが存在しているのではと疑うくらいのスムーズさだ。
(漢字を変換するのが面倒になってきたのでカタカナで書くことにして)地下鉄でチムサーチョイ駅まで行き(4.4香港ドル)、ペニンシュラホテルに向かう。
お姉さんに「ここは、正面玄関から入りたいわよね。」と言われ、ぐるりと正面に回り込む。
昔はこのホテルのすぐ目の前が海だったというから、埋め立てが相当に進んでいる。
ホテルの中2階にある「TANGS(タンズ)」という印鑑専門店に入った。
妹は丑年で、最初は牛の顔をかたどった彫刻がてっぺんについているハンコにしようと思って探したけれど、どうも牛というのは可愛らしく造形するのが難しいらしい。
諦めて普通のハンコにすることにして、散々迷った挙げ句に薄いグリーンの翡翠を選んだ。
メモに名字を書き、字体を選び、同色の朱肉入れとのセットで注文する。翌日の15時以降には受け取れるというから超スピードだ。
お店は19時で閉店だ。
私たちの前にハンコを購入している日本人の母子がいて、彼女たちはるるぶを見せて割引価格(10%引きだったか15%引きだったか)で購入していた。
面倒くさがらずにちゃんと持ってくればよかったなと思っていると、お姉さんが「さっきの人達と同じ本を持っているけど、ホテルに置いてきた。」とお店の人と交渉を始め、見事成立させて同じだけ割引してもらえることになった。流石である。
実は、るるぶは日本の私の家に置き去りにされている。
ペニンシュラホテルを出た頃には19時を過ぎていた。そのままハリウッドロードに向かう。
香港では毎日20時からシンフォニーオブライツというイベントが開催されている。そのメイン開場が、香港島と九龍半島に挟まれた海べりである。
続々と集まってくる人の数に押されながら特等席に陣取って10分ほど待ったけれど、何しろ海風が寒い。このままあと15分待つなんてとんでもないと、二人してあっさり日和った。
スターフェリーからシンフォニーオブライツを見るのも乙に違いない。
スターフェリー乗り場に行く途中、やけに明るい一角があった。
そういえば、香港ナビというサイトで見つけた事前情報で、今は元宵節(中国のバレンタインデー)の時期であり、街中がランタンで飾られているという話があった。
近づいてみると、どうも何かのお話に沿ってランタン(というか、イルミネーション?)が飾られているらしい。
ゲルがあったりラクダがいたり、モンゴルのお話のようにも見える。しかし、いかんせん知識がないものではっきりしない。
でも、綺麗だった。
一周してランタンを堪能してから、スターフェリー乗り場に向かった。
スターフェリー乗り場の入口のところにあった両替屋さんのレートは、10000円=845香港ドルだった。二人して「こっちの方が良かったじゃん!」と悔しがる。
スターフェリーは、九龍半島側の乗り場はチムサーチョイだけだ。香港島側はセントラルとワンチャイと乗り場が2ヶ所ある。乗船時間が長いことと、その後、お姉さんが「ぜひ行きたい」とチェックしていたレストランに近いワンチャイに向かう船に乗った。
スターフェリー乗船もオクトパスカードで可能である。
スターフェリーはちょうどシンフォニーオブライツの始まる20時に出航した。しかし、船上からでは今ひとつ派手な感じとかレーザー光線などが味わえなかった。残念である。
お腹も空いたことだし、ワンチャイからタクシーに乗って、南北楼というレストランを目指した。
お店はぴったりと扉を閉めていて、中の様子を見ることができず、一見、近寄りがたいように感じられる。
いざ入ってみればそれほど高級そうな構えの店内ではなく、日本テレビの「世界! 弾丸トラベラー」という番組で紹介されたこともあるため、テーブルの半分くらいは日本人だったかも知れない。
予約なしで、無事に空いていたテーブルに着くことができた。
メニューは英語と中国語だ。がんばれば大体の意味は取れる。少なくとも、メインの食材と調理法は判る。
このレストランの名物はエビチリだ。この写真では微妙に食べ散らかしてしまっている。
焼けた鉄板とお皿に盛られたエビチリが運ばれてきて、お店の女の子に紙ナプキンで服を覆えと手真似で指示される。
そのとおりにすると、じゃっと鉄板にエビチリが流され、じゅーっ、じゃーっ、パチパチパチともの凄い音がした。その美味しそうなこと!
お店のおじさんのお薦めに従い、エビチリの他に、麻婆豆腐(これはマイルドな辛さだと言われた)と、沼子青豆の炒め物と、ごはんをオーダーした。
この青豆の炒め物が肉みそのようなものと絡めて炒められ、絶品である。唯一の辛くないお料理だったし、二人ともどんどん箸を伸ばす。
アルコールはパスしてお姉さんお勧めの菊花茶を頼み、2人で515香港ドルだった。
大満足な美味しさとお値段である。
帰りは、地下鉄の銅鑼湾駅からオリンピック駅に戻った。九龍半島と香港島と行き来するといきなり地下鉄の料金も倍以上に跳ね上がる。何故なんだろう。
ホテル最寄りのオリンピック駅は意味なくデカイ。併設されているショッピングセンターはさらに意味なくデカイ。
ショッピングセンターに迷い込んだついでに、パン屋さんを見つけて明日の朝食を買い込む。4つ買って28香港ドルだったと思う。
ホテルの部屋にもティーバッグやインスタントコーヒーが用意されていたし、自分たちでもドリップコーヒーやお茶のティーバッグを持参していたので、部屋朝食の準備は万全である。
朝食の準備は万全なのに、ホテルが見つからない。そもそもホテルに近い出口がどこだか判らない。
こんなこともあろうかとフロントでホテルカードをもらったものの、私が地図と照らし合わせてうろうろきょろきょろしている間に、お姉さんがとっとと親切そうな女性を見つけて道を聞いてくれた。
そのおばさまは、「こっちにいらっしゃい。」と手振りで示して歩き始め、道を渡るときには「今よ!」という感じで先に立って渡り、ホテルのほぼ目の前まで連れて行ってくれた。大感謝である。
ホテルまで連れて行ってもらう途中、このガソリンスタンドは空港からホテルに向かう途中で目印代わりに覚えたんだよなー、とぶつぶつ言っていると、お姉さんに「よくそんなこと見てたね!」と言われた。しかし、辿り着けなかったのだから余り意味はない。
少し戻ったところにあったセブンイレブンでお水を買い(香港らしい銘柄を試してみようと、1.5L入りと1.8L入りの2本買って、22香港ドルだった)、23時くらいにホテルに戻った。
この日の香港の最低気温は19度、最高気温は24度だった。
香港の天気予報では「空気のキレイ度(汚れ度、かも)」も予報されていてびっくりだ。
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「その国の旅を終えて100の質問」は 旅して~世界206ヶ国&旅と暮らし からいただきました。
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1.ハンドルネーム、性別、星座、血液型をどうぞ。
姫林檎 女 蠍座 A型
2.行った国はどこですか?
香港
3.日程(年月日)と日数を教えて下さい。
2009年2月8日〜2月11日 4日間
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昨日、やっと写真の整理をしたので(といっても、ピンボケすぎて何がなにやら判らない写真をチェックし、パノラマ機能で撮った写真を合成しただけだけれど)、プロフィール写真も変更することにした。
シンフォニー・オブ・ライツのときの写真や、ビクトリアピークからの眺め、文武廟のお線香など迷ったのだけれど、やはり今回の香港旅行のテーマは「食」だっただろうという結論に達して、最後の夕食に食べた炊き込みごはんの写真に決定した。
写真を見ると、また行きたい、また食べたいと思うのである。
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world66というサイトのVisited Countriesというページでは、「私が行ったことのある国を赤く塗った地図」を作成することができる。
先日(2009年2月8日から11日まで)香港に行って来たので、この「Visited Countries」の世界地図を更新することにした。
香港に行っただけなのに中国全体が赤く塗られてしまい、訪問国が一気に増えたかのように見えてしまうところが何だかなと思うけれども、それは仕方がない。
一応、20歳以降に行った国だけを赤く塗っているこの地図では、19ヶ国に訪れたということになっている。
まだまだ行ってみたいところがたくさんある。
create your own visited country map
or check our Venice travel guide
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今日、台北での乗り継ぎでも液体物の持ち込み制限がひっかるのか! という旅の最後に大ショックな事件がありつつも、とりあえず無事に香港から帰国した。
一緒に行ったお姉さんは「こんなに色々と準備した旅は初めて」と言い、私は「こんなに何も準備をしない旅は初めて」と言ったのだけれど、真逆な2人の珍道中の割りに、上手く回った楽しい旅になったと思う。
お姉さんもそう思っていてくれるといいのだけれど、超マイペースな私としてはここはかなり自信のない部分である。
香港は、楽しかったし美味しかった。
しかし、お姉さんに「香港で何が一番印象に残っている?」と聞かれて、「オープントップバスに乗って、トラムに乗って、ピークトラムも乗って、乗り物が楽しかった」と答えた私は、どうも問題があるような気がする。
ペニンシュラのアフタヌーンティーは美味しかったし、足つぼマッサージは極楽だったし、乗り物が楽しかったのは事実だけれどビクトリア・ピークからの夜景も綺麗だったし、シンフォニー・オブ・ライツは楽しかったし(結局、3泊した3夜ともちょっとずつ見ている)、鉄板のエビチリも、海鮮たっぷりのお粥も、牛肉団子の麺も、マンゴーのスィーツも、炊き込みごはんもごはんも美味しかった。
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