出雲旅行記の入口を作る
ここは、2019年6月に、出雲へ一人旅した旅行記の入口である。
以下の日程をクリックすると、旅行記に飛べるようになっている。
出雲大社にはこんな感じのウサギの像があちこちにあった。
この子は、島根県立古代出雲歴史博物館のお庭で桂の葉をくわえていた。
ここは、2019年6月に、出雲へ一人旅した旅行記の入口である。
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出雲大社にはこんな感じのウサギの像があちこちにあった。
この子は、島根県立古代出雲歴史博物館のお庭で桂の葉をくわえていた。
2019年6月2日(日曜日)
14時頃、旧大社駅に到着した。
国鉄大社線の終着駅だった大社駅の駅舎等は残され、重要文化財に指定されている。この駅舎は大正13年にできたそうだ。
今では和風建築の駅舎自体が貴重だし、神社様式を取り入れた駅舎としても貴重である。
平成2年にJR大社線が廃線となった後も残され、内部も無料で見学することができる。
駅舎内は、外観とは打って変わって洋風である。
シャンデリアなども下がっている。
駅舎を通り抜けてホームに出ることもでき、ホームからは、精算所や改札の様子を見ることができる。
木造建築の味のある精算所で改札だ。
ホームに停車していたのはD51である。蒸気機関車の代名詞ともいえる、いわゆる「デゴイチ」だ。
まさかそんなものと出会えるとは思っていなかったので驚いた。
昭和49年に本州を最後に走ったその機関車だというから、さらに驚く。
昭和50年からは出雲大社神苑に置かれ、平成13年に旧大社駅に移設されている。
運転席にも上がることができた。
旧大社駅の近くに、出雲大社の一の鳥居である「宇迦橋の鳥居」がある。せっかくなので、一の鳥居から神門通りを歩いてみる。
この鳥居は、大正4年に、ここから始まる松並木の松280本とともに寄進されたものだ。
鉄筋コンクリート製で、真っ白なその姿はかなり目立つ。目立つというか、若干、異様だ。
高さ23mで、随分と大きく感じる。しかし、出雲大社本殿はさらに1m高い。
出雲大社にある国旗掲揚のポールは高さ48mで、その昔にあったという大社本殿の高さに揃えてあるというし、出雲大社は「高さ」とか「数字」に拘りのある神社なのかも知れない。
宇迦橋の鳥居に掲げられた「出雲大社」という額面は、畳6畳分もあるという。高すぎて大きすぎてよく判らない。
「宇迦橋の鳥居」から神門通りが始まる。
車の通りもあまりないので、ぶらぶらと歩く。
すぐ、一畑電鉄の出雲大社前駅に来た。昨日は気づかなかったけれど、日本最古級だというオレンジ色の電車が展示されていて、こちらも自由に中に入り、見学することができる。
展示されている車両は、映画「RAILWAYS」にも多く登場したというデハニ50形で、今ではほとんど見られない荷物室付きの車両だ。
手動の扉が残っているのも貴重だという。概ね、使っているうちに自動扉に改造されてしまって、原形を留めている車両はほぼないらしい。
先ほどの旧大社駅は「ドライブの途中に立ち寄った」という感じの人がちらほら、こちらは「電車を見に来た」という感じの人がちらほらと見学していた。
少し先にあった観光案内所で、次はどこへ行こうかと窓に貼られた地図を眺めていたら、中にいた方から声をかけていただいた。
夕方まで時間があるんです、出雲大社へは午前中に行きました、とお話ししたら、出雲歴史博物館と稲佐の浜をお勧めいただいた。
博物館も午前中に行っているので、せっかくだからと稲佐の浜に行くことにする。
神門通りをそのまままっすぐ上がって行き、勢溜の大鳥居にぶつかったところで左に折れる。
出雲大社正門前のバス停を過ぎた最初の角を左に折れると、そこが神迎の道である。
10月に日本中の神様が出雲に集まる際、みなさま稲佐の浜に上陸し、神迎えの道を歩いて出雲大社までいらっしゃるそうだ。
道沿いの家々に竹の花瓶のようなものが吊され、お花が生けられていて、神様を歓迎する印かしらと思っていたところ、実は竹の潮汲箍で地元の方は稲佐の浜の海水を汲んで身を清めるのに使っているらしい。
結構遠いなぁ、まだかなぁと思いながら歩くこと20分強くらいで、稲佐の浜に到着した。
天照大神のお使いの神様が、大国主命に国譲りを迫ったことで有名な場所であるらしい。
この日は暑く、浜にある大きな岩の周りで海に入って遊んでいる子供達が結構いた。実際、この場所は島根県で最初に開かれた海水浴場でもある。
大きな岩の上には鳥居が立っていて、そちらにいらっしゃる神様へのお供えとしてか、岩のくぼみにはお金が詰め込まれていた。
何だか変な感じである。
この岩にお祀りされている神様が誰なのかはよく判らなかった。
稲佐の浜の近くには、実際に建御雷之男神が大国主命に国譲りを迫った際に「背にしていた」と言われる屏風岩がある。
要するに薄っぺらい高さ2〜3mくらいの岩である。
この岩を背にして話をしたということは、建御雷之男神はそれほど上背のある神様ではなかったのだなぁと不遜なことを考えた。
16時過ぎのバスで出雲大社連絡所に戻り、歩き疲れたし暑くて喉も渇いたし休憩しようと日本ぜんざい学会壱号店に行ったところ、今日はもう受付を終了しましたと言われてしまった。閉店30分前までに入らないといけなかったらしい。残念である。
しかし、気分はもうぜんざいである。
近くにあったくつろぎ和カフェ 甘右衛門に入った。
オーダーはもちろんぜんざいである。
セットの飲み物は選ぶことができ、冷たい煎茶をお願いする。
「ぜんざい」は、神在祭で振る舞われた「神在餅(じんざいもち)」が元になっているとも言われているというし、歩き疲れたし、ここは甘い物をいただくのが王道というものである。
落ち着いた雰囲気のお店で、ゆっくり寛いだ。
JR出雲市駅で夕食を調達できるかどうか確信が持てず、安心のためにも日本海というお店で今日の夕食用に焼き鯖寿司を購入する。
お土産に、UONOYAで島根県産というノドグロのお出汁を買ったり、大社珈琲で令和を記念したコーヒー豆を購入したり、出雲かみしおで「私には塩のミネラルの味はよく分かりません」と思いながらお塩を購入した。
出雲大社連絡所発17時50分のバスに乗り、JR出雲市駅に向かう。
もう1本前のバスに乗るつもりが、ぜんざいとお土産に時間を使いすぎてしまい焦る。渋滞することもなく18時半前に出雲市駅に到着したときにはほっとした。
駅構内にあるセブンイレブンにも、若干のお土産物やお弁当、お酒などが売っている。焼き鯖寿司のお供に、ミニサイズの日本酒があったので購入する。1本は父へのお土産である。
サンライズ出雲の発車は18時51分である。
出雲市駅始発ながら、入線時刻は5分前とか3分前とか、本当にギリギリだったと思う。
入線してくるサンライズ出雲の正面の顔と乗車口横の行き先表示を撮って急いで乗り込んだ。
私が一晩を過ごすのは4号車26番、シングルデラックスのお部屋である・階段を2〜3段上がった左右に向かい合うようにある扉を入る。
同じ車両にシングルデラックスの乗客専用のシャワー室があり、お部屋にシャワーカードが付いていて有難い。
発車と同時にシャワーを使っている方がいらして、「なるほど賢い、そうすれば間違いなく未使用の綺麗なシャワー室を使用できるんだわ」と思った。
左側がベッドでその上に窓があり、正面が入口の扉、右側にハンガーがかかっていて、その下がデスクとイス(壁に向かって座る)だ。さらに写真を撮っている私の後ろに洗面台がある。
発車してすぐに車掌さんが来て、アメニティグッズを手渡してくれた。
車内探検に行き、随分と空室があることに驚く。出雲市駅出発直後だし、途中駅で乗車する人もたくさんいるのだろうと思う。
それにしても空いていて、のびのび座席には女の子が一人いるだけだった。
お部屋の窓は海側(進行方向に向かって右側)にあり、宍道湖を見ることはできない。
ラウンジは逆に進行方向に向かって左側に窓があり、おじさま方が酒盛りを始めている中に割り込んで、宍道湖の夕日を何とかカメラに収めようと苦心する。
がんばっていると、おじさま方も「幻想的だねぇ」などと窓の外を見始め、何となく満足する。
松江駅に近づくと電車は宍道湖から離れてしまう。
そのタイミングで部屋に戻ろうとしてシャワー室を覗いてみると空いていたので、夕食前にシャワーを浴びることにした。
シャワー室にもリンスインシャンプーとボディソープが用意されているけれど、先ほどもらったアメニティの中からシャンプーとコンディショナーを有難く使わせていただく。
お湯が出るのは6分で、これは北斗星と一緒だ。
「お湯を6分間流せる」のであれば髪を洗うにも十分だ。シャワー室自体は確か30分使えたと思う。
バスタオルは持参する。この分、荷物が多くなるのは仕方がない。
北斗星とは違い、シングルデラックスでもシャワーとトイレは共用で、そうそう変なカッコになる訳にも行かないのが面倒くさい。
シャワー室にはドライヤーもあったけれど、狭くて揺れるところでドライヤーを使うのは結構大変で、タオルドライだけでお部屋に戻った。
汗を流してさっぱりし、夕食をいただく。
出雲大社前で購入した焼さば寿しと、出雲市駅のセブンイレブンで購入した日本酒である。
お酒をちびちび舐めながらいただく焼さば寿しはなかなかのものである。
ベッドに足を伸ばして座り、真っ暗な外の景色を(というよりも時々現れる明るい場所を)眺めながらいただいた。
お酒の効果か、かなり眠い。
灯りを消してみても、窓がカーブを描いているせいか、星空を拝むことはできなかった。ちょっと残念だと思いつつ、早々に就寝した。
2019年6月3日(月曜日)
目が覚めたとき、サンライズ出雲は富士駅の辺りを走っていた。外はもう明るい。
部屋の外に出て、反対側の窓から見てみたところ、富士山は山裾が見えているだけで、ほぼ雲の中に隠れてしまっていた。これまた残念である。
相模湾の辺りでは雨も降り出した。旅行中に降らなかっただけ、良しとするべきだろう。
東京駅に7時過ぎに到着した。
朝食は東京駅で食べてから帰宅する心づもりである。
駅構内のRISO CANOVIETTA グランスタ店でトーストとトマトソースのスープリゾットのセットをいただいた。粉チーズ(多分、ちゃんとした名前があると思う)にオリーブオイルをかけたものをパンにつけたりスープに入れたり、味の変化を楽しめるのも嬉しい。
朝食を終えて家に電話すると、母が「お昼ごはんに駅弁を買ってきて。」とおっしゃる。
なるほどと大混雑している駅弁屋さんでお昼を買い込み、重くなった荷物とともに帰宅した。
出雲旅行記2日目その2 <-
2019年6月2日(日曜日)
神職の方にご案内いただき、10時15分、八足門の中に足を踏み入れた。
まず、回廊のところに集まり、神職の方にお祓いをしていただく。
「はらいたまい」「きよいたまえ」という祝詞を繰り返した、ような記憶だ。
その後で、楼門でのお参りとなる。
お参りの前に、出雲大社では「二礼四拍手一礼」であることの説明があった。
といっても、他の神社の多くが「二礼二拍手一礼」であるのに対し、何故出雲大社では「二礼四拍手一礼」が作法とされているのか、神職の方にも伝わっていないという。
元々はそれぞれの神社がそれぞれの作法でのお参りをしていたところ、明治時代に「二礼二拍手一礼」に統一されている。
その統一の際に、出雲大社では昔からのしきたりを継続したということらしい。
それだけの格式と権力があったということなんだなと思う。
心して楼門でお参りをする。もちろん「二礼四拍手一礼」である。
このとき楼門でお参りさせていただいたのは我々のグループだけだ。人数でいうと10人ちょっとである。ゆったりした気持ちになって、ゆっくりとお参りした。それだけでちょっと嬉しい。
全員のお参りが済むと、神職の方が色々と「出雲大社」について説明してくださった。
例えば、出雲大社では年間にたくさんのお祭が行われており、ちょうどこの前日の6月1日には「涼殿祭(りょうでんさい)」が行われている。
涼殿祭に当たっては、神職の方は前の晩から出雲大社に泊まり込み、昔ながらの方法で熾した清らかな火で調理したごはんをいただき、身を清める。
いつもは本殿の扉は閉められていて、大国主命にごはんを差し上げるだけだけれど、特別な日は扉を開けて中に入り、ごはんを差し上げる。
本殿の正面は真ん中に柱があるため、階は真ん中ではなく向かって右に少しずらしたところにある。その15段、高さ4mの階を上がったところに扉がある。
本殿の内側は白木の簡素な造りだけれど、天井には280年前に描かれた八雲の絵が色鮮やかに残っている。
できれば拝見したいところだけれど、次の機会には私は生きていないような気がする。
平成20年から行われていた大遷宮の際に、40日間だけ本殿を公開していて、30万人が訪れている。
伊勢神宮の「遷宮」が「新しく作り直す」のに対し、出雲大社の「遷宮」は「修理」をする。
本殿の屋根の葺き替えを行う際、神様のいらっしゃるところの上に人が上がる訳には行かず、平成20年4月20日にまず神様に拝殿にお移りいただいている。そうして、神様がいらっしゃらない間だけ、本殿の特別公開が行われた。
本殿の屋根は、檜皮葺である。
檜皮は、1回檜の木の皮を剥ぎ、次の皮が生えてきた10年後にその皮を使う。気の遠くなるような話である。
さらに気の遠くなることには、この皮は生えてきたばかりだから当然に薄い。その薄い皮を少しずつずらしてひたすら重ねてあり、最も厚いところでは1m近くにもなるという。
現在では、檜の山を手入れする人も減っているし、檜皮葺をできる職人さんも減っている。
神職の方が檜を植えたけれど、その檜の皮が使えるようになるのは80年後で、次の60年後の遷宮には間に合わない。それくらい気の長い話である。
檜の皮に油分があるうちは水をはじいてくれるけれど、油分が抜けて行くと水が染みこみ、苔が生えてきてしまう。
本殿の屋根の葺き替えが終わったのは平成24年で、すでに屋根の先の方(雨にさらされる方)には苔が生えて、緑色になっているところがある。
屋根の上の千木は、木材に銅板を巻き、漆を塗ってある。
今は漆の黒色をしていても、時間が経つにつれて緑青が浮いて来て、緑色になってくるという。黒い千木を見ることが出来るのは今のうちだけだ。
剣菱や金色の紋の部分も同様に、時間が経つと緑青が浮いてくるらしい。
出雲大社の由来も語ってくださった。
ガイド本的なものを読んで、私のイメージは「国を譲るように天照大神から言われた大国主命は、渋々国を譲り、その交換条件として大きな社を作ってもらった」という感じだった。
このときのお話では、大国主命が天照大神に自ら国をお譲りしたところ、「新たな目に見えない世界」を治めるようにと命じられた、というニュアンスだった。
何だか可笑しいような納得できるような、という感じだ。
大国主命は、「おおくにぬしのみこと」の他にもたくさんのお名前を持っている。
お名前がたくさんあるということは、神徳もたくさんお持ちということになる。
「治めるように」と言われた「目に見えない世界」は、例えば「縁」の世界であったり「死後」の世界であったりする。そこから縁結びの神様と言われているけれど、この「ご縁」は何も男女のことに限らず、人が生きて行く上でのあらゆる人との関係のことをいう。壮大だ。
大国主命が国を譲った代わりに、天照大神の次男が大国主命を祀ることになり、以後83代にわたってその約束を守り続けている。
一方で、「天孫降臨」で下界に降りた天照大神の孫である邇邇芸命から三代は高千穂で暮らし、その後、東に進んで橿原神宮において神武天皇が即位し、その後126代にわたって続いている。
その両家の裔に当たる千家国麿氏と高円宮典子様とのご結婚はご縁の深いことだ(という感じだったような)と語っていらしたのが不思議かつ面白かった。
八足門から出たところで、平成の大遷宮で下ろした檜皮葺の一部を、同じく檜皮葺から漉いた和紙で包んだお守りをお土産にいただいた。その和紙には「御本殿大屋根檜皮古材」と書かれている。
こちらをいただいたところでツアーは解散となった。
なかなか贅沢な時間だったと思う。
八足門内ではもちろん写真撮影禁止、メモを取っている余裕もなかったので、まず聞いたお話を覚えているうちにとがーっとメモを書いた。
八足門のすぐ前にお守り所がある。
伊勢神宮にお参りしたときに購入した御朱印帳があと少しになっていたので、出雲大社にお参りするときには出雲大社の御朱印帳を購入し、御朱印をいただこうと思っていた。
ちょうど待っている人も少なかったので列に並ぶ。
出雲大社の御朱印帳は白地にご本殿が水色で描かれたものと、紺地に金で八雲が描かれたものとがある。
少し迷い、たまには変わったことをしようと白地のものを購入し、御朱印をいただいた。
併せて、母と自分へのお土産に、美保岐玉ストラップを購入する。出雲大社宮司の方が代替わりをするときに皇室の弥栄を祈って奉製してきた赤と白と緑の瑪瑙の玉をそう呼ぶようだ。
ちょっと気に入っている。
この後は、ガイドさんのお勧めに従って、瑞垣を一周することにした。
八足門に向かって右側から周り始める。
瑞垣の向こうに本殿の屋根を大きく見ることができるのが嬉しい。
また、案内の看板には大きくQRコードが印刷されていて、英語、中国語、韓国語での説明を読むことができるようになっていて驚いた。
後ろ姿ではあるものの、一番御本殿を大きく、遮られずに拝見することができるのは、ちょうど文庫のある瑞垣の角からではないかと思う。
階の屋根もこちらからなら見ることができる。
曇り空ながら逆光なので、随分暗く写ってしまっているのが惜しい。
ガイドさんが「ぜひお参りしてください」と言っていたのが、「素鵞社」である。ちょうど御本殿の真後ろにあり、大国主命の父に当たる素戔嗚尊をお祭りしているお社だ。
光の加減か、新しく清々しく明るい感じのお社で、お参りしている人も多かった。
素鵞社では、予め稲佐の浜の砂を用意し、このお社の縁の下にお供えして代わりに縁の下から砂を持ち帰る、というお参りのしきたりがある。持ち帰った砂はお守りにしたり、庭に撒いて清めたりするといいらしい。
残念ながらそこまでは用意できなかったけれど、色々なしきたりや作法、約束事があるなぁと思う。
瑞垣の西側に回ってくると、「御神殿正面拝礼所」がある。
本殿の大国主命は、何故か正面ではなく、この西側を向いていらっしゃる。
そこで、大国主命と相対してお参りできるように「正面礼拝所」が用意されている。
改めて、こちらでもお参りした。
瑞垣の西側には、出雲大社宮司のご先祖様ともいえる、天穂日命の氏社などもある。
天照大神も次男だからお社があって当たり前とも思えるし、宮司のご先祖様を自ら神としてお祀りし、参拝者間にもお参りを促すってどうなんだろうとも思う。
少なくとも奥ゆかしさは感じられない。
瑞垣の一番手前の両側に「十九社」がある。
屋根付きの長いベンチのように見える場所だ。
東西にあるこのお社には、神在月に全国から集まってきた神様がお泊まりになるという。
神様の寝所にしては狭い。ちなみに、このお社は横には長いものの、奥行きはほとんどない。縦には寝転がれないだろうなというくらいだ。
ただ、いずれにしても出雲大社のお社はみな質素かつ質実剛健というイメージである。
瑞垣を一周して西側に回って来た。そのまま右に折れて神楽殿にお参りした。
こちらの白眉は何といっても、この「日本最大級」だというしめ縄である。5.2tもある。
どうやって作ったのか、どうやって持ち上げたのか、本当に謎だ。
神楽殿では、お神楽の奉納はもちろん、結婚式なども執り行われる。
また、神楽殿の向かって左にある御朱印受付所で、先ほどいただいたのとは別の御朱印をいただくことができる。
そういえば、出雲大社で御朱印をいただいたとき、どちらでも初穂料の指定がなく「お気持ちで。」と言われて面食らった。正直に「あのう、おいくらくらいで・・・。」と尋ねたところ「300円という方が多いですね。」と教えていただき、「変なお尋ねをしてすみません。」と謝ってしまった。
そういえば飛ばしてしまっていた拝殿にお参りしようと、神楽殿から戻る。
本来は、本殿にお参りする前に、拝殿をお参りするのが作法のようだ。「失礼しました」とご挨拶する。
拝殿のしめ縄も十分に大きいけれど、先ほどの神楽殿のしめ縄に比べると重さで1/4よりも小さい。
ちょうど拝殿の前に先ほど見かけた子供相撲大会の優勝者たちが並んでいた。お相撲の大会は同時に神様への捧げ物であった、ということだと思う。
12時過ぎに宝物殿に入った。
宝物殿にも、出雲歴史博物館にあったのと同じような、古代本殿の心御柱が展示されている。平成12年に発見されたのはこの二つなんだろうか。
宝物殿ではこの心御柱を上から見られるようになっていて、その年輪のすごさに驚いた。
また、先ほどストラップを購入した美保岐玉について、84代の神職の方が神宝として納めたものが展示されていた。
赤と緑と白のめのうは、いずれも出雲産だ。当たり前だけれど、ストラップよりもずっと大きい。どれだけ秘蔵していためのうなんだろうと思う。
代替わりのたびに探すのは大変だし見つからなかったら大問題だから、きっと、どこかに「次のために」「先のために」原石を秘蔵しているのではないかなどと考える。
また、八足門内ツアーのときに紹介のあった、本殿の天井の八雲の絵が、1/3サイズに複製されて展示されていたのが嬉しい。
御神座がある場所と御柱がある場所を外して雲の絵が描いてある。
これは確かに本物を見たかったなぁと思う。
宝物殿を出ると12時半を回っていた。荷物をピックアップため、ホテルに戻る。
来るときには素通りしてしまった、大国主命の一番有名なエピソードであろう因幡の白ウサギの場面を再現した像を見たり、大国主命が「幸魂奇魂」の玉をいただいて「ムスビの神」となった場面を再現した像を見たり、つい寄り道をしてしまう。
いにしえの宿 佳雲まで戻って荷物をピックアップし、八足門内ツアーのアンケートをフロントに提出して記念の品をいただいた。記念品は「五円玉」である。らしいと言えば、らしい。
喧嘩はしないでくださいねと思いつつ、お正月に初詣でいただいてきたお参りと一緒に、鞄に入れた。
1日4本しかない、ホテルの前に停まるバスがちょうど来て、出雲大社連絡所まで行った。
出雲大社連絡所にはコインロッカーがあり、荷物を預けてしまう。JR出雲駅行きのバスの始発でもあるから、帰りはここからバスに乗ればいいだろう。
コインロッカーに荷物を預けて身軽になり、バスでJRの旧大社駅に向かう。
13時もだいぶ回っており、お腹も空いている。
旧大社駅見学に行く前に、バス停のすぐ近くにある手打ちそば本家 大梶でお昼をいただいた。
先客が二組くらいいらしたと思う。もちろん、三色割子蕎麦を注文する。
こちらの「三色」は、卵黄ととろろと大根おろしである。
そばつゆを掛けていただく。それぞれの割子は直径12cmくらいで、一つ一つがするするとお腹に収まって行く。
重なって出されるから、一番上のお蕎麦を食べ終わったらそのつゆをそのまま下のお蕎麦にかけて・・・、と食べていくのが正しいお作法のようだ。
確か、食べ方の説明書きが置いてあったと思う。
あっという間に美味しくいただいた。
出雲旅行記2日目その1 <- -> 出雲旅行記2・3日目
2019年6月2日(日曜日)
5時半に起床した。外を見ると曇り空だ。
みなさん早起きのようで、貸切風呂に行ったら満室になっていた。その奥にある佳雲の大浴場も今までで一番の人出だ。
大浴場からの帰り、6時頃に通りかかったら、貸切風呂のうち「漆」のお部屋が空いていた。折角なので、入ってみることにする。「漆」のお湯は温泉で嬉しい。
大人が二人、足を曲げれば一緒に入れるな、という感じの大きさである。
漆塗りの赤い色がなかなか派手だ。
カランは確か一つだったと思う。
ザブンと入るとお湯が溢れ出すのが嬉しい。しばし、貸切の贅沢を楽しんだ。
昨夜はアイスが用意されていた休憩処に、今朝はヤクルトっぽい乳飲料が用意されている。
有難く1本いただいて飲んだ。
お部屋で身支度をしたり荷造りをしたりテレビで天気予報を見て「雨は降らなさそうだな」と確認したりした後、7時過ぎに朝食を食べに行った。
朝は自由席のようだ。
お宿 月夜のうさぎの朝食は「海鮮丼作り放題」が目玉である。にも関わらず、旅先だと何故か洋食を選んでしまう。
洋食も、焼きたてのクロワッサンあり、フレンチトーストあり、オムレツ(焼きながら並べていた)ありで、なかなか豪華である。
チョコファウンテンもあってかなり惹かれる。しかし「甥っ子(小学生と幼稚園生である)達じゃあるまいし」と自粛する。
レストランでもコーヒーをいただき、ロビーのコーヒーメーカーでもう1杯紙コップにコーヒーをいただいてお部屋に持ち帰って楽しんだ。
8時半にチェックアウトした。
「八足門内」特別参拝ツアーの集合は、いにしえの宿 佳雲のロビーだ。お隣に移動して、フロントで荷物を預け、ツアーの受付をしてもらう。
ツアー参加者は12〜13人だ。一人参加は私だけだったと思う。
ガイドさんは、いわゆるシルバーガイドさんっぽい。
まず、徒歩で島根県立古代出雲歴史博物館に向かった。
お宿からは徒歩5分といったところだ。
まだ開館前の時間だったからか、東入口から入り、情報交流室に集まった。そこで軽く「30分、自由見学です。時間が足りなかった人は、あとで戻ってきてゆっくり見ていただくこともできます。」といった説明があり、見どころをいくつか教えてもらう。
その、最初に見どころがロビー中央でケースに入って鎮座している「出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱」である。
平成12年から13年にかけ、出雲大社境内遺跡から杉の大木を3本一組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されている。
「宇豆柱」はこの3カ所のうちの一つで発見されたもので、棟をささえる柱すなわち棟持柱を指す。
宇豆柱は、その後の調査で鎌倉時代のものだと推定されている。それにしても、よくこの状態で腐りもせずに残っていたものだと思う。
この柱が発見されたことで、その昔、出雲大社にはやたらとデカくて高いお社があったという説の信憑性が増したという。
ロビーを抜けて展示室に入ると、その「平安時代にあったと推定されている、高さ48mに及ぶ出雲大社本殿」の1/10復元模型(イメージ)が展示されていた。
この模型の他にも、幾種類か学者さんが作成した小さめの模型が展示されていた。実際の姿はまだよく判っていないということだと思う。
それにしてもこの10倍の大きさの建物が平安時代に既にあったとしたら、とんでもないと思う。
先ほど見た3本の杉の柱の間をさらに埋めて1本の柱として使っていたとはいえ、こんな重そうなものをどうやってこの高さまで持ち上げたのか。
ピラミッド並みに「どうやって作ったのか」が研究対象になりそうである。
ついでに言うと、この形状からすると、もの凄く横揺れに弱そうに思える。
耐震設計などという概念はなさそうだし、出雲は実はほとんど地震が来ない地域だというのでもない限り、ぱたんと横に倒れちゃいそうだと思う。
出雲大社本殿の模型もあった。
上から見ると正方形になっている。縦横2間ある。
千木までの高さは24mもある。
平成の大遷宮で下ろされた千木も展示されていた。
斜めにバッテンに渡された木材が「千木」である。これがまたデカい。長さ約8m、重さ約500kgである。こんな大きくて重いものを、現代ならともかく、その昔にどうやって屋根の上に上げたんだろうと思う。
この他にも様々な展示品がある。
発掘された銅鐸をモデルに、成分分析をして同じ成分で作成した模型の銅鐸では、音を鳴らしてみることができたりする。
その昔に響いていた音が再現されている、筈だ。
写真をパシャパシャ撮っていたためか、博物館のスタッフの方(シルバーガイドさんのように見受けられた)が色々と説明してくださった。
この銅鐸に描かれている鹿や四つ足獣は、他の地域で出土した銅鐸にはない模様で、出雲周辺で作られたものである可能性が高いという。
ちなみに、国宝だ。
こちらも国宝の銅鐸である。
やはり、雲南市の加茂岩倉遺跡で発掘されている。
吊り手の中央にウミガメが描かれていることが最大の特徴で、スッポンなど淡水にいる亀が描かれることはあっても、海洋性の亀が描かれたものは希だ。
もっとも、この絵柄からどうやって「淡水性か海洋性か」を見分けたのか、そこのところの解説も欲しいところである。
「景初三年」の銘が入っている銅鏡もある。
「景初三年」の銘が入っている銅鏡は全国でも二つしか発見されていない。
景初三年には、卑弥呼が魏の国に使いを送って鏡100枚を賜ったとされていて、恐らくは推測でこの銅鏡の説明文に「卑弥呼の鏡 か」と記載されている。
ちょっと可笑しい。
安来市で大正時代に発見された、6〜7世紀の刀剣も展示されている。
そんな昔の刀剣や鞘木などが綺麗な状態で発見されるのは非常に希だ。
刀剣自体も、今でも使えそうなくらいの光り方をしている。
ただ、この刀剣は発見当時に研いでしまっており、そうすると「発見時の状態」を保っていないという解釈になってしまうらしい。「国宝級」ではあるものの、「重要文化財」としての指定に留まっているのはそのためだ。
何だか勿体ない。
発見したのは考古学の愛好家の方達で、鞘から刀剣が抜けるくらいの状態であったら、それは研いでみたいに決まっているよなぁと思う。
30分一本勝負の見学はとてもではないけれど時間が足りなかった。
9時35分に再集合し、出雲大社に向かう。
博物館の庭に桂の木が植えられている。桂の木には、女神が宿って製鉄の技術を伝えたといういわれがある。その桂の木の、ハートの形をした葉っぱを加えたウサギの像などもある。
出雲大社にもあちこちあるウサギの像は、平成の大遷宮の際に作られ置かれたものであるらしい。
9時50分くらいに勢溜の鳥居に到着した。
出雲大社の参拝はここから始まる。
勢溜の鳥居は、昨年建て替え工事が完了し、それまでの木造から鋼管製になっている。
ガイドさんによると、参道の右側を通るか左側を通るか、その日によって人の流れが変わるそうだ。
いずれにしても「真ん中は神様がお通りになる」ので避ける必要がある。
全国的にも珍しいという下り参道を進み、ガイドさんに倣って我々も祓社はスルーする。祓橋を渡った先にあるのが、中の鳥居である。
両側の松の木の枝に隠れてしまっている中の鳥居は鉄製だ。
鳥居をくぐったすぐ先からは松の木を守るために入ることができないが、鳥居自体はくぐることができる。有難い。
松の参道は、松江城城主堀尾吉晴の長男が1630年に寄進した、とガイドさんは言っていたと思う。ネットで検索してみると諸説あるらしい。
とりあえず、松江藩ゆかりの誰かが寄進したことは間違いなさそうである。
平成の大遷宮のとき、小石が敷き詰められた参道の両脇に石畳の道を作り、黒松の根を保護するために通行止めにしている。
ただし、旧暦10月10日のお祭りのときと、6月30日・12月31日の大祓ときは、神様にお通りいただくために通行止めが解除される。
また、祓橋を渡る手前左側に、出雲大社相撲場がある。つまりは土俵だ。
6月2日は、ちょうど、第5回野見宿禰わんぱく相撲大会出雲場所が開催されていて、子供達の声や、応援の声が響いていた。
出雲大社と相撲の関係は古く、出雲はお相撲の発祥の地でもある。野見宿禰という人が垂仁天皇の7年に大和国の当麻蹶速と力比べをしてこれを倒した事が相撲の元祖であるとされ、以後野見宿禰は相撲の始祖となり尊崇されているという。
へぇ、という感じだ。
中の鳥居に戻り、両脇の石畳を進むと、正面に銅鳥居がある。
ガイドさんによると、ここが写真のベストスポットである。銅鳥居、拝殿、本殿を並んで見通すことができる。
周りが木々(というか山)に囲われているのも良い。
この鳥居をくぐる前に、各自、手水舎で両手と口をすすいで清めた。
拝殿のしめ縄は、出雲大社の中で2番目に大きなしめ縄だ。重さは1.5tもある。
拝殿では個人の祈祷が行われる。
出雲大社で一番大きなしめ縄は神楽殿にあるしめ縄で、こちらは5.3tもあるというから驚きである。昨年の6月、7月に新しくされたばかりだ。
これだけ大きいと新しくするのも大変である。
本殿は屋根付きの回廊で囲まれており、回廊には八足門ともう1カ所に門がある。
通常、この回廊の中には入れず、八足門からお参りする。しかし、その八足門からはご本殿が見えない。しかも、ご祭神のオオクニヌシノミコトは、ご本殿で何故か西向きに鎮座されている。(八足門からいうと向かって左が正面ということになる。)
この八足門には、左甚五郎の作とも言われている彫刻がある。
左甚五郎といえば、日光東照宮の眠り猫である。
ちゃんと探してから帰ろうと思っていたのに、すっかり忘れていたのが悔やまれる。
また、八足門の前の地面にある赤い三つの丸は、博物館でも見た「柱」の建てられていた場所を示している。
こうして改めて上から見てみるとデカイ。
再び「どうやって建てたんだろう」、「そもそもどうやって柱を作ったんだろう」と気になる。
ガイドさんとはここでお別れである。
このツアーは、例えば伊勢神宮などに比べてドレスコードがそれほど厳しくないものの、それでも例えばノースリーブやショートパンツはご遠慮くださいとか、ビーチサンダルやクロックスはご遠慮くださいといった制限はある。
その上で、神職の方から貸していただく「きよがき」(と説明されたと思ったけど自信がない)を肩にかけることで正装したことになるという。
ここまで確認し、ガイドさんは「奥にスサノオミコトを祀った摂社もあるので、この瑞垣の周りをぜひ1周して帰ってください。」と案内して帰って行った。
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2019年6月1日(土曜日)
7時過ぎに家を出発した。今回は移動が多い見込みだったので、いつものミラコロは使わず、レスポのボストンバックを肩に掛けた。
自分で持ち歩かなくてはならないので、その分、荷物も厳選している。
仕事が立て込んでいるところ、無理矢理3日(月曜日)に休暇を取得したので、前日の帰宅は遅かった。頭が痛い。
予定通り、羽田空港に到着した。
今回はマイレージの特典航空券を利用する。Webチェックインをしていたので、そのままセキュリティ検査に向かう。
いつの間にか、「全部機械」になっているんだなぁと思う。
ラウンジに立ち寄ると、かなり混雑している。
林檎ジュースを飲んで落ち着き、一休みして69番ゲートに向かった。
アナウンスによると、私の乗るANA383便は満席である。
ほぼ予定通り9時35分過ぎに出発した。
お天気も悪くなく、富士山は見られなかったけれど(席の位置のためか、お天気のためかは不明)順調に飛行し、11時に米子鬼太郎空港に到着した。
荷物はすべて機内に持ち込んでいる。さっさとロビーに出て、縁結びパーフェクトチケットを購入した。
飛行機の離発着に合わせ、空港から松江駅までバスが運行している。
11時15分発の松江駅行きバスに乗り込んだ。満席に近かったと思う。
海が綺麗だなぁと最初のうちは思っていたものの、知らないうちに眠り込んでいて、駅到着の直前まで爆睡した。
このバスも「出雲パーフェクトチケット」で乗車できるのが有難い。
正午少し前に松江駅に到着し、ちょうど目の前に停まっていたぐるっと松江レイクラインバスに飛び乗った。こちらは、縁結びパーフェクトチケットを見せると1日乗車券をいただける。「明日も使いますか?」と聞かれたので、「使う。」と答えたら2日分の1日乗車券がいただけるのだと思う。
観光用のバスらしく、デザインも可愛らしいし、車内では観光案内のビデオが流されている。
松江駅からほど近い、京橋のバス停で降車した。
バス停近くにカラコロ工房もあったし、バス停から少し歩くと松江城が遠くに望める。
京橋周辺はお買い物も楽しそうで目移りしつつ、私がここに来た目的はランチである。
お腹も空いたことだし、まっすぐ西洋軒に向かった。バス停から、川を挟んで真向かいくらいである。
入ると1階はフロア一杯にカウンターが設えられている。待つことなく案内していただけた。
どうやら、テーブル席は2階にあって、そちらは予約優先のようである。
ランチのセットメニューもあって、そちらをオーダーしている方も多い。気になったものの、ここは初志貫徹で、ぜひ食べたいと思っていたタンシチューと海老フライのセットをお願いした。
まずコーンスープが出てくる。あっさり味で、ちょっと塩気が強いかなという感じだ。
開いた海老フライを食べたのは初めてかも知れない。ぷりぷりして美味しい。
タンシチューはもちろんホロホロである。
美味しくいただいた。
ここからぐるっと松江堀川めぐり」の船に乗れちゃうと便利だなと思い、乗船場に行ってみる。始発に当たるふれあい広場や松江城の大手門に行かなくても、乗れそうである。
ちょうど船が来たところで、係のおじさん達に「早くチケット買ってきな!」と言われて慌ててチケット売り場に行き、パーフェクトチケットを見せて団体料金でチケットを購入した。
このチケットも一日乗車券になっていて何回でも乗り降り自由だ。太っ腹である。
乗船するときに「どこまで?」と聞かれ「一周回って、大手門まで。」と答えたら、「ふれあい広場で乗り換えて。」と言われた。
途中乗船させてもらったこの船は、ふれあい広場始発着の船だったようだ。
一番前に陣取ったのでこの写真に屋根はないけれど、もちろん日よけ雨よけの屋根がついている。
靴を脱いで上がるので、かなり寛げる。
出発してすぐに橋の下をくぐった。
これは序の口で、場合によっては、屋根をかなり低いところまで下ろし、私たち乗船客はほとんど寝そべるようにして頭を下げなければならない橋もある。
このアトラクション性が、堀川めぐりの売りだ。
本当にギリギリのところを通って行くことになる。右側の写真は、多分「一番低くしないといけない」橋である。
これが意外と楽しい。
定員13名のところ、半分くらいの乗車率だったので、窮屈さもない。
川沿いに人家が迫っていたり病院の横を通ったりするときは、船頭さんはマイクを使わずに案内してくれる。
大手門に向けて曲がると、松江城が遠くに見えた。
なかなかの景色だ。
この眺めは、船に乗ったからこそ見られる景色である。
そして、地上は暑いけれど、川面に吹く風は涼しくて心地よい。
大手門で下船した方もいて、ますます船は貸切状態に近づいている。
大手門を出て、今来た堀を戻る。
石垣の近くにカルガモの親子がいて、船頭さんがわざわざ船を止めて見せてくれる。なかなか可愛い。
大手門を過ぎると、船は松江城の北側に回り、お城は見えなくなる。
代わりに、まず見えてくるのが塩見縄手と呼ばれる武家屋敷が残る一角である。
塩見縄手は、武家屋敷などが軒を連ね、松江で一番城下町らしい風情の残る場所だ。
観光客らしき人がたくさん歩いているのが見える。
小泉八雲旧居などもこちらにある。
そういえば、堀川めぐりの川沿いにも、小泉八雲にちなんでか、怪談をモチーフにした碑(とは言わないかも)が飾られていた。
塩見縄手を過ぎ、ふれあい広場ではいったん下船して、チケット売り場で乗り継ぎの手続きをする必要がある。
10分ほど待って、次のふれあい広場始発の船に乗り、緑の中を進む。
県庁や図書館などの脇を進んで行ったように思う。こういった公共の建物は、元々「**屋敷」があった場所に建てられているようだ。
カラコロ広場到着の手前で、高さもギリギリなら幅もギリギリの橋の下をくぐった。
これがまた長い。その長く細い隘路を見事に船は進んで行く。
最後に、広く太い橋の下で「天然(?)のカラオケだ。」と船頭さんが歌を披露してくださり、カラコロ広場に戻った。
これで1周である。
私はここからもう1/3周乗って、大手門に行き、松江城をちょっとだけ見学しようという心づもりである。
船頭さんによって説明の内容は変わるのね〜、などとさらにのんびりと船旅を楽しんだ。
大手門に14時くらいに到着した。
15時12分の電車で出雲に向かいたい。あまり時間がない。
観光案内所で「松江しんじ湖温泉駅」までの道順と所要時間を確かめ、何とか外観だけでも拝もうと松江城に向かった。
ボランティアガイドさんの説明が聞こえてきて戻ってみると、確かに石垣にハート型の石が紛れ込んでいた。
大手門を入ってすぐ、階段を上るとその左手にある。
「だからどうした」と思いつつ、階段を上った左手にある松江神社も縁結びの神様だし、何というか「何も典拠がない」訳ではない感じがする。
松江城は、江戸時代以前に建てられたお城のうち天守閣が現存している12城のうちの一つである。
その12城のうち、国宝に指定されているお城は五つのみで、松江城はその一つである。しかも、安土城から大阪城まで続く「正統派」のお城の中では唯一現存している天守閣だというから、何というか、小さい割に歴史と風格がありすぎるお城と言えよう。
内部の見学をしている時間がなかったのが残念である。
その代わりといっては何だけれど、松江神社にお参りして御朱印をいただき、松江しんじ湖温泉駅に向けて歩き始める。
途中、振り返ると明治時代に取り壊され、平成13年に復元されたという櫓が並んでいるところを見ることができる。
松江城から伸びる道は広く、日陰がなく、暑い。へろへろになりながら歩いて、何とか15時前に駅に到着することができた。
電車の時間まで少しあったので、駅前にある足湯に入った。
駅まで思ったより距離があったし、ちょっと急いで歩いたので、足だけとはいえ温泉に浸れて嬉しい。
足下の石の感触も気持ち良く、5分と短いながらも意外な和みの時間となった。
喉が渇いて駅の売店で水を買い込み(どこかのカフェで、とか、せっかく松江に来たのだからお抹茶を、とならないところが少しばかり情けない)、電車に乗り込む。
15時12分発出雲大社駅行きの一畑電車に乗車した。
一畑電車も縁結びパーフェクトチケットで乗車できる。縁結びパーフェクトチケット様々である。
最初はガラガラだった一畑電車には、どこかの駅で部活帰りらしい高校生がたくさん乗り込んできた。通学の足になっているらしい。
たまたま、私が乗った電車は「しまねっこ号」だった。
ピンクの外装と内装で、「しまねっこ」が外装や窓に描かれていたり、床にあみだくじの描かれた絨毯が敷かれていたり、座席シートがピンク地に白いハートが散らされている模様だったり、何というか「女子仕様」である。
6月6日には、新しい内装のしまねっこ号が走り出している。歴史ある内装のしまねっこ号に最後の機会に乗れて良かった、ということにしておこうと思う。
松江しんじ湖温泉駅を出発してしばらく、しまねっこ号は宍道湖をすぐ南に見ながら走る。
そのうち、田園地帯に入り、宍道湖は見えなくなり、高校生が乗ったり降りたり降りたりしているうちに1時間が過ぎ、出雲大社駅に到着した。
出雲大社前駅はなかなか可愛らしい駅だった。
漆喰(だと思う)の壁にステンドグラスの内装、外観もなかなか可愛らしい。
カフェも併設されていて、居心地良さそうである。
一休みしたいところだけれども、早めにチェックインしようと、ちょうど来たバスに乗って参道を上り、出雲大社の勢溜の大鳥居まで行った。
本日の宿であるお宿 月夜のうさぎは大鳥居から歩いて10分弱だった。下り坂なのが有難い。
16時半過ぎにチェックインした。
夕食の時間は18時か20時が選べるという。お天気も良かったし、これから稲佐の浜まで歩いて夕日を見に行こうか、見に行くなら20時だなと迷っていたら、フロントの方が「お勧めは18時です。早めに夕食を食べていただいて、美味しく夜鳴きそばを召し上がってください。」と言う。
その言葉というよりも、夜鳴きそばの誘惑に負け、宿を楽しむことに決めた。
また、宿を予約した際に、明日の八足門内のツアーを併せてお願いしていた。そちらの精算は先にお願いしますとのことで、チェックインの際にお支払いした。
こちらの宿は、フロントでチェックインしたら「あとはご自由に」という姿勢である。
お部屋に入り、早速、用意されているコーヒーセット(ミルまで付いて、ハンドドリップできるようになっている)でコーヒーを淹れ、休憩である。
お部屋は清楚で、欲しいものは何でも揃っているという感じだ。
有料で色浴衣が用意されている。もっとも、私は普通に用意されている作務衣の方が楽だし有難い。
お部屋の外、廊下も含めて畳敷きなのも嬉しい。
こちらのお宿は、お隣の「いにしえの宿 佳雲」と繋がっていて、温泉も両方とも入ることができる。
佳雲には貸切のお風呂が五つあり、「空いていたらご自由にどうぞ」という方式だ。
17時過ぎに行ってみたところ、貸切のお風呂はすべて埋まっていた。そのまま「いにしえの宿 佳雲」の大浴場に行く。
大浴場には誰もいなくて、貸切状態だった。貸切風呂よりも贅沢な貸切風呂である。
露天風呂もあり、明るい中で温泉に入る贅沢を満喫した。
夕食は、18時からの人が多かったからだろう、正確には18時15分と指定されていた。
入ったときから90分のビュフェである。
一人客はカウンター席に案内してもらえるようだ。窓際のカウンター席で、落ち着く。
少し迷いつつも、あとは寝るだけだし、日本酒も何種類か用意されていると聞いて、アルコールの飲み放題をお願いした。
日本酒も何本か用意されていた。メモしそびれてしまったので銘柄を覚えていないのが悔しい。
確か、3種類は飲み比べをした記憶である。
お刺身が用意され、いただいているうちにサーモンの炙りの実演が行われたり、焼きたてのアップルパイが供されたり、なかなか凝っている。
このお皿でもう1回お刺身を中心にいただいた。鯛のお刺身が甘くてとても美味しい。
ワインに併せてスペアリブやステーキなどお肉を中心に洋食をいただく。
お酒を飲みすぎだと自覚があり、本当は苦手だけれど二日酔い防止に銘産であるところのしじみ汁も飲んでおく。
もちろん、デザートまでがっつりいただいた。
お部屋に戻り、テレビを見ながらお腹が落ち着くのを待つ。
22時前、今度は月夜のうさぎの大浴場に行った。この時間帯でも貸切風呂は満室で、順番待ちの方までいる。
大浴場もかなりの混雑で、常に湯船に4〜5人の人がいる、という感じだった。
こちらにお宿では、お風呂上がりに夕方から夜の時間帯はアイスが用意されている。
じっくり温まって暑く、バニラアイスをいただく。
お腹がいっぱいだよと思いつつ、「用意されている」と聞けば食べたくなるのが人情というものだ。坪庭を見ながら、夜鳴きそばもペロリと平らげた。
本日の歩数計を見たら1万歩をちょっと超えたくらいだった。
意外と歩いていないなぁと思う。
シートパックをし、明日に備えて23時30分ころに就寝した。
-> 出雲旅行記2日目その1
2019年6月、出雲旅行に行く前に読めば良かったなぁと思いつつ、「出雲大社ゆるり旅」という本を読んでいる、というよりも眺めている。
「ヴィジュアルガイド」と銘打っているだけあって、写真が大きく載せられている。
その写真が、過度に綺麗な感じではなく、日々の感じであるところがいいと思う。
そして、神職の(といっても、出雲大社で務めていらっしゃるのではない)方が、出雲大社で行われているお祭りのこと、出雲大社をめぐる神々のこと、出雲大社の建物や摂社のこと、出雲大社の歴史のこと等々を説明している。
若干、送り仮名がうるさいけれど、実際、送り仮名がなかったら読めない固有名詞なども多く、これは必要な「説明」の一つだと思う。
写真を見て記憶を呼び覚まし、説明を読んで復習している。
それも、なかなか楽しい「旅の始末」である。
2019年6月3日、朝の9時過ぎ、無事、出雲一人旅から帰宅した。
1日目は、米子空港に飛んで松江までバスで出て、昼食後、堀川めぐりを楽しんだ後、ちょっとだけ松江城を見学した。そのまま一畑電車で出雲に移動し、温泉に1泊してお湯を満喫した。
2日目は、宿泊したホテルの「八足門内参拝」のツアーに参加し、そのまま出雲大社でお参りした。出雲そばのランチ後、旧大社駅を見学したり、参道をぶらぶらしたり、稲佐の浜まで歩いたり、出雲ぜんざいを食べたり、出雲を満喫した。
サンライズ出雲に乗車、宍道湖の夕日を眺め、日本酒を飲みつつ焼き鯖寿司の夕食を食べたらとんでもなく眠くなって、シャワーを先に浴びておいて良かったと思いつつ21時前に就寝。
3日目の7時過ぎに東京駅に到着、駅でモーニングをいただき、母に電話したら「昼食用に駅弁を買ってきて!」とリクエストがあり、9時前に帰宅した。
2泊3日(うち寝台電車1泊)にかかった旅行代金は、約67000円だった。
ここには、交通費(片道は特典航空券)、宿代、ツアー代、食事代、おやつ代、御朱印に納めたお金等が含まれているけれども、お土産代と、東京駅で購入したお弁当代は含まれていない。
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