鬼怒川温泉旅行記(2019)の入口を作る
ここは、2019年12月に母と鬼怒川温泉旅行に出かけた旅行記の入口である。
以下の日程をクリックすると、旅行記に飛べるようになっている。
2019年12月9日(月曜日)
特に目覚ましもかけなかったけれど、昨日寝たのが早かったし、6時過ぎに起き出した。
そのまま、温泉大浴場に行く。露天風呂に入るとやはり空気が冷たくて気持ちがいい。
またもや1時間くらいかけて温泉を堪能した。
ところで「寝湯」はどうやったら落ち着いて入れるのか、いつも疑問である。どうやっても髪を濡らさずに寝湯に入ることができないし、寝転んでいると身体がどんどん浮いてくる。
NHK朝の連続テレビ小説「スカーレット」を見てから朝食をいただきにレストランに行く。
窓際の席に案内され、ラッキーである。窓から鬼怒川の流れが見える。昨日の龍王峡と同じ水の色だ。
紅葉はもう終わっていて、でもところどころに「名残り」がある。葉が落ちていなかったら水面は見えていなかったに違いない、ということにしようと思う。
どう見ても和食メニューの方が豪華だよと思っても、やはり選べるなら洋食を選んでしまう。
恐らく、我が家の朝食が平日は和食、休日はパン食だからだと思う。
昨夜の夕食でパンとトマトが美味しかったので、もちろんいただいてくる。やっぱり美味しい。
ホテルのエントランス前のもみじが、辛うじて赤い葉を残している。「紅葉も見た」ことの証明代わりに写真を撮り、10時前にチェックアウトした。
東武ワールドスクエア駅まで徒歩5分くらいの道を戻り、10時15分発のスペーシアに乗る。下今市駅で乗り換えて、日光駅に到着したのが10時45分だ。
意外と遠い。
母の希望により、本日の予定はまず田母沢御用邸である。
ここでお腹を空かせて日光でお昼を食べ、早めに帰宅する計画だ。
田母沢御用邸の正式名称は日光田母沢御用邸記念公園である。
東武日光駅でコインロッカーに荷物を預け、昨日とは違って身軽になって中禅寺湖方面に行くバスに乗り込んだ。
田母沢御用邸は、元々は明治時代の銀行家の邸宅であった場所に旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、さらに増築して大正天皇の保養所として造築されている。
大正天皇の即位後、さらに大規模な増改築が行われ、江戸時代、明治時代、大正時代の(それも贅沢な)建築様式が現存している。
昭和22年に廃止されるまで、大正、昭和、平成の天皇が利用していたそうだ。
その後、もっとも大規模だった大正10年当時の姿を可能な限り復元し、平成12年に記念公園となり、平成15年に国の重要文化財に指定されている。
部屋数106って一体・・・、と思う。
もっとも、そのうち83室は臣下のための部屋である。それもある意味、贅沢な話である。
入園料を支払ってまず建物を見学する。
靴を脱いで上がると、結構厚手の内履きが用意されている。
そして、とにかく寒い。寒いというか冷えている。
あとでスタッフの方に聞いたところでは、そもそもここは避暑のための場所であって、冬の寒い時期には使われていなかったという。
さもありなん、である。
開口部はあくまでも開放的、板敷きの床はとにかく冷え、畳敷きに絨毯が敷いてあってさえしんしんと冷えている。
外に出て日に当たり「暖かい・・・。」と呟いてしまったくらいの寒さである。
木造建築らしいといえばらしい。
一見して何の変哲もない、地味とは言わないものの派手な装飾のない部屋であっても、そもそも床が「欅の柾目」の「寄せ木張り」で、とにかく(実は)贅沢な設えになっている。
違いの分かる人にだけ分かれば良い、という雰囲気である。あるいは分かる人には分かるという気持ちだったのかも知れない。
90年たってもゆがみも出ず浮いているところもない。どれだけの「匠の技」が使われていたのかと思う。
また、さりげなくぶら下がっているシャンデリアも、当時はなかなか手に入らなかった筈だ。
田母沢御用邸の建物は、とにかく細工が凝っている。
そして、それぞれの「豪華さ」に意味がある。
天皇陛下がいらっしゃるお部屋の内側が最も豪華で、そこから外側に行くに従って質実になって行く。そういう仕掛けが随所に施されている。
「謁見所」は、天皇陛下が(誰かに)謁見した場所だ。
違い棚も床の間もありつつ、畳の上に絨毯を敷きシャンデリアが下がり、和洋折衷しまくっている。
謁見所の前の廊下で説明板の写真を私が撮っていたら、スタッフの方が色々と説明してくださった。
畳の上に絨毯を敷いているのだと教えてくださったのも、スタッフの方だ。勝手にめくってみる訳にも行かない。
絨毯を敷いているのは、ここを天皇陛下が靴で歩くからである。西洋式に室内でも靴を履いて過ごしていたということなのか、謁見という正式な場で靴を脱ぐわけにはいかなかったということなのか、聞きそびれてしまった。
椅子も置いてはあるものの、謁見の際、天皇陛下が椅子に座ることはない。即位の礼でもずっと立っていらっしゃったでしょう? と言われた。そう言われてみればそうだったような気もする。
謁見所の床柱は、柾目の木が使われている。
樹齢の高い太い木であっても、「四面とも柾目」にするためには、1本の材木しか取れないらしい。柱に注目して四面見て回る人もいないだろうと思うのに、そういう所にこそお金を使うのが、職人さんだったり工事を差配した人の心意気、なのかも知れない。
それにしても、贅沢の桁が違うという感じだ。
左側は、謁見所の中にある錺金物(用途はよく分からない。釘隠しだろうか。)、右側は謁見所の外(のさらに外の縁のところだったかも知れない)にある錺金物である。
もちろん、「全部が金」の方が上等な品物である。
さらにこちらは分かりやすい。
上左側がお部屋の中の取っ手、右側が同じふすま(障子だったか?)の外側の取っ手、さらに廊下の外になると左側の黒い取っ手となる。
いずれも菊のご紋が入っていつつ、分かりやすく「差」が付けられている。
この建物がおもてなしをしているのは、謁見してもらいに来た人ではなく、謁見している天皇陛下である。
そのことがさらに分かりやすく現れているのが、この廊下の造りだ。
謁見所の天皇陛下が立つ場所からちょうど見えるように廊下側に窓が開いている。
その先はさらに障子があり、窓があり、開け放てばお庭を見ることができる。
その眺めを堪能していただくため、廊下を斜めにして、お部屋側(写真の右側)よりも、庭側(写真の左側)の開口部を広くしている。
遠近法の活用兼「見える景色を少しでも広く」するための工夫だ。
ついでに書くと、廊下の正面の壁の所にある黒いものは、「ここから貴重な場所ですよ」という印だという。
竹を模した造形である。
こういうことは知っているか説明していただかないと「へー。」と思うことすらできない。
懇切丁寧な解説に感謝である。
2階にも上がることができた(3階はこの週末から特別公開される予定だそうで、ちょっと残念である)。
杉の戸絵は本当にこんな窓際に置いてあって日光を浴びまくっていていいのかと思っていたら、桜の花は胡粉で描かれて、自然のものは日光で褪色することはないという説明だった。
2階にある全体に白っぽい部屋は御座所である。
要するに「個人的な執務室」だ。外から来る人や家臣とここで正式に「会う」ことはなく、壁やふすまなどが白くなっていて、装飾的なものが排除されている。
名画でも毎日見ていれば飽きるということか、個人的な場所くらい好きなようにしたいということか。
欄間は100部屋以上あるこの御用邸でここにしかないそうだ。絵扇が浮かび、扇には花の絵が描かれている。
床柱は檜だし、決して「質素」という訳ではない。
もちろんお風呂もある。
もっとも、湯船はない。質素倹約のためではなく、そもそも湯船に浸かることがなかったかららしい。
避暑のための場所だということと関係あるのだろうか。
奥に見えるコンクリートの容れものがお湯入れで、かけ湯をすると、板の間の真ん中の切れ目が排水溝になっていてそこにお湯が流れる仕組みになっている。
印象に残ったのがこちらのシャンデリアである。
他のお部屋では大抵、シャンデリアに使われているガラスは透明か曇りガラスだった。皇后のお部屋に飾られたこのシャンデリアだけは、ガラスが赤く着色されている。
ガラスの赤は金を王水に溶かして発色させているそうで、可愛らしいデザインながら実は贅を尽くされている。
お土産物の売り場と休憩所は暖房が入っていた。
そりゃそうだよと思いつつ、お庭に出る。お天気もいいし、むしろ外の方が暖かい。
左の写真の左端に写っているのはしだれ桜である。
樹齢400年と伝わる、日光市の天然記念物だ。
桜の時期には、この桜を間近で見ることのできる、2階の皇后御学問所が特別公開される。
やはり田母沢御用邸は春や夏に来るべき場所のようだ。
今の上皇陛下が戦時中はここに疎開しており、庭には防空壕への入口跡などもあった。
1時間半近くかけてゆっくり見学し、バスの時間までだいぶあったので、とりあえず神橋に向かって歩いた。
帰りは下り坂だから、歩くのも苦にはならない。
途中、日光翠園を見つけ、こんなところにあったとは! と思う。名前はよく目にしていたものの、実店舗を見たのは初めてだ。
ここで食べてもいいなぁと思ったら、ちょうどお店を覗いた方が「**待ちだって」と言っているのが聞こえてきて断念する。
割とすぐ、神橋が見えてきた。
こちら側から見るのは初めてかも知れない。少なくとも歩いてこちらから見るのは初めてだ。
大谷川の水の色が綺麗だ。
御朱印帳は持っていなかったけれど、「ここは神社? 神橋だし。」と思いつつ御朱印をいただく。
まだ渡ったことがないので、いつかきっと渡ってみようと思う。
もう13時を回っている。
母にお昼に何を食べたいかと聞くと「お蕎麦かな。」と言う。
出発前は「2日目のお昼は日光金谷ホテルで100年カレーもいいわね。」と言っていたので聞いてみると「今はそんなにたくさんは食べられない。」とおっしゃる。
朝食を食べ過ぎてお昼ごはんのタイミングを失いがちな我々二人である。
油源を覗いてみたところ、お蕎麦のメニューはないようだった。残念である。
特に当てもなく駅方向に歩いていたら、和み茶屋に人が並んでいなかった。チャンス! と、母の意向はどこか遠くに放り投げ、「ここで食べましょう!」とさっさとお店に入った。
以前に来たときは大行列で入れなかった。リベンジである。
お昼のメニューは「懐石ランチ」と「ゆば懐石ランチ」で、懐石ランチにゆばのお料理を足したものが「ゆば懐石ランチ」である。
これはもうゆば懐石ランチをお願いするしかない。
師走の献立はこんな感じだった。
ひきあげゆば
ゆばと車麩の清し仕立
芋幹と小松菜のお浸し、蒟蒻のピクルス、出汁巻玉子、牡蠣有馬煮、蕪梅味噌
白菜と厚揚の精進シチュー
揚巻ゆば
舞茸佃煮ごはん、味噌仕立、平ゆば包揚げ、蓮根挟み揚げ、茄子
豆乳の杏仁とうふ
ゆっくり出てきたし、ゆっくり味わっていただいたので、食べ終わったら14時を回っていた。
15時前のスペーシアに乗って、ラッシュが始まる前に家に帰りたい。
慌てて、三ッ山羊羹本舗で水ようかんをお土産に購入し、早足で東武日光駅まで戻ってコインロッカーから荷物を取り出し、ぎりぎりスペーシアの特急券を購入して帰路についた。
2019年12月8日(日曜日)
今回の鬼怒川温泉旅行は、宿泊分は母からの誕生日プレゼント、ということになっている。
とはいうものの、その他の「プロデュース」は私担当である。
1日目は電車の旅だ。
北千住の駅ビルでお昼ごはんを買い込み、11時12分発の東武鉄道の特急リバティに余裕で間に合った。むしろ駅のホームで時間が余ってしまったくらいだ。
北千住駅の特急専用ホームには待合室はあるが売店はない。この辺りの塩梅は意外と難しい。
車内は日曜のお昼前の下り電車にも関わらずほぼ満席だ。
今日の夕食は17時半で予約してあると母が言うし、ならばお昼ごはんも早めにいただこうと、乗り込むと同時に早速買い込んだお昼ごはんを開いた。
母は梅の花のお弁当、私は中華のお惣菜のコーナーでエビチリと青椒肉絲と油淋鶏の詰め合わせを購入し、おにぎりのお店で青菜のおにぎりを買った。「お弁当」ではなく、こういう買い方を一度してみたかったので嬉しい。
特急リバティは12時43分に下今市に到着した。
次は、SL大樹である。
以前に鬼怒川温泉に行ったとき、母に「SLに乗る?」と聞いたら「高校の頃は毎日乗っていたからもういい。」という回答だった。
今回、再び「SLに乗る?」と聞いたら、何故か色よい返事が返って来て、指定券を押さえた。
要するに私が乗ってみたかったのである。
SL大樹は、C11-207だ。
霧の多い北海道で走っていたためヘッドライトが二つあり、そのビジュアルから「カニ目」という愛称を持つ。
機関車に車掌車を連結し、その後ろに国鉄14系という「昭和な車両」が3両連結されている。青いシートがいかにもな感じを醸し出す。
各車両にアテンダントさんが配置され、記念乗車券を配布してくれたり、沿線の観光案内をしたりしてくれる。
また、カメラマンの方が一組ずつ写真撮影し、写真の販売も行っていた。
「乗っちゃうと見えない。」と母は言う。その通りである。
しかし、何だかんだ言いつつ、汽笛の音を聞き、黒い煙が流れてくるのを見て「窓を開けていると大変なことになるのよ!」と思い出話を語っていたのも母である。
結構、楽しんでいたと見た。
流石に紅葉は終わっていたものの、青空も見えて気持ちが良い。
車窓も楽しみつつ、途中、東武ワールドスクエア駅にも停車し、12時50分に下今市駅を発車したSL大樹は13時26分に鬼怒川温泉駅に到着した。
ちなみに、下今市駅から鬼怒川温泉に向かう場合、AB列の方が眺めが良いと思う。
鬼怒川温泉駅に到着後は、13時40分くらいから駅前で「転車台」のショータイムである。
機関車が向きを変えるための転車台が据え付けられていて、人だかりができていた。
機関車が台に乗って回るだけなのに、これが結構楽しい。
この見物人を当て込んでか、駅前でお猿の大道芸も披露されていた。
このままホテルに直行しちゃおうかと思っていたら、機関車から見えた川の色に興趣を覚えたらしい母が「龍王峡を歩きたい。」とおっしゃる。
観光案内所で聞いたら「うーん」とかなり難色を示された。倒木で遊歩道が塞がれ、迂回路を通る必要があるという。
しかし、ここは母の意思を尊重することにして、ちょうどあった14時10分発の龍王峡に行くバスに荷物を抱えたまま乗り込んだ。
ホテルの最寄り駅は東武ワールドスクエア駅で、鬼怒川温泉駅のコインロッカーに荷物を預けると帰りの交通手段の選択肢が狭まってしまいそうだ。
龍王峡を歩き始めて、観光案内所の方が唸った理由が分かった。
龍王峡が深すぎて、青空が広がっているし、まだ15時前にも関わらず、峡谷には全く日が差していない。
むしろ、暗い。
そして、水辺で木が多くて冷えている。
つまり、寒い。
母はどうやら、虹見橋から眼下の景色が見られればそれで満足だったらしい。
しかし、私はすっかり「歩く」モードになっている。
帰りの電車の時間に間に合うようにギリギリまで歩くぞ! と歩いたら、結構デコボコして歩きにくい遊歩道を歩くことになってしまい、後で母から「靴に傷が付いた! と苦情が出た。
1時間くらい歩いて駅に戻った。
切符売り場で「15時51分発の電車に乗ってください、特急ですが乗車券だけで乗車いただけます。」と言われた。
よく分からないがそういう仕組みになっているらしい。
特急券代を払っても次の普通電車を待つよりもいいやと思っていたので、これは有難い。
やってきた特急リバティに乗り込み、もちろん指定券は持っていないので適当に空いていた席に座る。
鬼怒川温泉駅到着前に車掌さんが来て、「この席に次の駅から人が来るので、その前に空けてくださいね。」と案内があった。
鬼怒川温泉駅から一駅、東武ワールドスクエア駅までは立っていることにした。
本日の宿である東急ハーヴェストクラブ 鬼怒川に16時過ぎに到着した。
チェックインし、お部屋に入って一息つく。
手前のデイベッド兼ソファみたいなコーナーの居心地が異様にいい。
部屋にいるときは、大抵、このコーナーで寛いでいたと思う。
お茶セットのお茶がティーバッグではなく、玄米茶の茶葉だったのも嬉しかった。
こちらのホテルでは、大浴場には浴衣とスリッパで行くことができる。レストランや売店は「浴衣・スリッパはご遠慮ください。」の看板が出ている。
それもあって、母は夕食を17時半に予約したらしい。
うだうだしているうちに、あっという間に夕食の時間となった。
母が選んでいたのはリヴィエールというフランス料理のコースである。
テーブルを担当してくださった女性が勧め上手で、メインを栃木和牛にランクアップするという贅沢振りだ。
プルミエ
金目鯛のカルパッチョ プロヴァンス風
ドゥジーエム
海老のロンド風
スープ
魚介のスープ ブイヤベース仕立て
魚料理
鯖のトマトパッツァ
口直し
本日のグラニテ(白ワインだった、と思う)
肉料理
とちぎ和牛フィレ肉のソテー
(ソースは、塩と、大根おろしとポン酢を選んだ)
デザート
ホットアップルパイ(私)
フルーツとソルベの盛り合わせ(母)
最初に「エドシック モノポール ブルートップ」というスパークリングワインをいただき、魚料理から「プリュニー モンラッシュ プルミエ・クリュ シャン・ガン 2011」という白ワインをいただいた。
サーブの女性がもの凄くこの白ワインを押していたので名前を控えてきた。
もっとも私は違いの分からない女なので「渋みの強い美味しい白ワインでした」ということしか分からない。
とにかく美味しくて大満足の夕食だった。
母と「一番美味しかった」と言い合ったのがパンとトマトだったことは秘密である。私の「違いの分からなさ」は母からの遺伝ということにしておこう。
食後はテレビを見ながらだらだらと食休みをとり、21時過ぎに大浴場に行った。
レストランがかなりゆったりしていたので、意外な混雑振りに驚いた。
露天に出ると、風がかなり冷たい。お陰で長く入っていられる。
1時間ばかり温泉を堪能し、部屋に戻って、23時過ぎには就寝した、と思う。
-> 鬼怒川温泉旅行記2日目
2019年12月9日、無事、鬼怒川温泉から帰宅した。
母との1泊旅行である。
ただひたすらのんびりする筈が、1日目は龍王峡に行ったし、2日目は田母沢御用邸記念公演に行ったしで、両日とも1万歩前後を歩いてきた。
いつも通りである。
この1泊2日の鬼怒川温泉旅行は、宿泊費分が母からの誕生日プレゼントということになっているので、かかった費用は不明である。
かなり贅沢をさせてもらってしまった。
感謝である。
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