大府平温泉旅行記の入口を作る
ここは、2020年11月に大府平温泉旅行に出かけた旅行記の入口である。
ホテリ・アアルトでのんびりお籠もり旅をする予定が、思いがけずお天気に恵まれて、ホテル敷地内の散歩はもちろんのこと、紅葉の五色沼や黄葉の鶴ヶ城を楽しみ、念願の(?)漆器の丼を購入することができ、充実した旅となった。
以下の日程をクリックすると、旅行記に飛べるようになっている。
ここは、2020年11月に大府平温泉旅行に出かけた旅行記の入口である。
ホテリ・アアルトでのんびりお籠もり旅をする予定が、思いがけずお天気に恵まれて、ホテル敷地内の散歩はもちろんのこと、紅葉の五色沼や黄葉の鶴ヶ城を楽しみ、念願の(?)漆器の丼を購入することができ、充実した旅となった。
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2020年11月8日(日曜日)
送迎のワゴンはホテリ・アアルトを11時45分に出発し、猪苗代駅まで、車窓からの黄葉を楽しんだ。
少しずつ雲が広がってきているのが心配である。
25分くらいでホテルの送迎ワゴンが猪苗代駅前に到着した。
友人に書いた絵はがきを駅前のポストに投函し、12時29分発の電車を待ちつつ駅のベンチでメモを書く。
同じワゴン車で来た方々はみなさん郡山方面のホームで電車を待っており、会津若松方面のホームにいるのは私だけだ。
猪苗代駅に入ってきた電車がいっぱいであららと思ったら、乗客の多くは阪急トラピックスのツアーの方々で、みなさん猪苗代駅で降りられていた。
なので車内はガラガラである。
猪苗代駅から会津若松駅までは各駅停車で30分くらいだった。
猪苗代駅に着いてまずみどりの窓口に行き、七日町から西若松、会津田島経由北千住行きの切符を買えるかどうか聞いてみた。
七日町駅は無人駅なので、どう考えても4社にまたがる切符は買えそうにない。
しかし、みどりの窓口でもこういう切符は買えないそうだ。車内で精算してくださいという説明だった。
次に観光案内所に行き、会津若松城への行き方を尋ねたところ、まちなか周遊バスが便利だという。13時15分発のあかべぇ号に乗ってしまうと40分くらいかかってしまうので、あと5分待って13時20分発のはいから号に乗ってくださいと案内も親切だ。
会津若松城から七日町駅まで徒歩でどれくらいかかるかと聞いたところ、街歩き用の地図もいただけた。大体20分くらいらしい。
もう13時を過ぎてはいるけれどお腹は全くすいていない。お昼ごはんはなし、おやつをどこかで食べようと決め、「はいから号」と名前の付いた普通の路線バスに乗り、20分くらいで鶴ヶ城入口に到着した。
そういえば、バスが発車してすぐくらいだったか、汽笛の音が聞こえてきた。SLばんえつ物語号が到着したところだったのかも知れない。
SL磐越号で新津まで行き、新潟を回って帰ってくるという旅程も楽しかったかもと思ったりした。
バス亭「鶴ヶ城入口」から鶴ヶ城(バス亭の名前や、いただいた地図の表記に従って名称の記載を変える)まで歩いてすぐだった。
まちなか周遊バスには「鶴ヶ城」という名前のついたバス亭がいくつかあってどこで降りるか若干迷ったけれど、王道で「入口」のバス亭で正しかったようだ。
お城まで歩く途中、「枡形」といって石垣が組まれ、門があり、敵が攻め込んできたときに三方から攻撃を仕掛けられるよう工夫した、城の防御の仕組みを見ることができた。
鶴ヶ城は、日本のお城の天守閣としては唯一現存している、赤瓦で屋根が葺かれたお城である。
前身の黒川城を葦名直盛が築き、蒲生氏郷が1590年に城主となり、93年に七層の天守閣を完成させて名前を鶴ヶ城に改めたそうだ。
鶴ヶ城は、建立の歴史よりも、戊辰戦争で朝敵とされた会津藩が新政府軍と戦い、1ヵ月に及ぶ籠城線の後に明け渡されたという「最期の歴史」の方が知名度が高いと思う。
もっとも、戊辰戦争のときに鶴ヶ城が落ちたと思っていたら、実際は鶴ヶ城自体は戊辰戦争を持ちこたえており、明治になってから廃城とされている。今の鶴ヶ城は、昭和40年に再建されたそうだ。
知らないことばかりである。
現在の鶴ヶ城の内部は歴史資料館となっていて、また天守にも登れるようになっている。
しかしあまり時間もなかったし、何より鶴ヶ城に来たのは見頃だという紅葉が第一の目的だったので、城内の見学はパスして鶴ヶ城公園を楽しむことにした。
公園内には、県の重要文化財にも指定されているという茶室「麟閣」が復元されている。
お抹茶付きの入場券と買い求め、庭園に入った。
お茶室に上がることはできないけれど、開け放たれた障子から中を覗くことができる。
床の間に「日々是好日」の掛け軸が下がっているのを見つけて、何となく嬉しくなる。
そして、お庭の紅葉も見事である。
麟閣は、いわゆる「文化人」でもあった蒲生氏郷が、千利休の死後に、その子どもである少庵をかくまい、匿われている間に少庵が氏郷のために造ったと伝えられている。
ここで少庵が助けられず、氏郷や家康が秀吉に千家復興を願い出ることがなかったら、今に続く茶道の表・裏・武者小路の千家はなかった、かも知れない。
何だか歴史の裏を見ているような気持ちになる。
お庭に置かれたベンチでお抹茶と、皮に米粉と山芋が使われているというじょうよまんじゅうをいただき、もう1回、お庭の紅葉を眺めてから麟閣を後にした。
上手く写真には撮れなかったけれど、このお庭からは鶴ヶ城の天守を望むことができる。なかなか贅沢な眺めだ。
最後に鶴ヶ城と紅葉の組み合わせをもう一度堪能し、七日町駅に向けて歩き始めた。
七日町駅までは、来るときに乗ったはいから号が走ってきた道を概ね逆に歩いて行く心づもりである。
途中、雨がぱらついてきて、どうしようかしらと思ったけれど、すぐ止んで傘を差すまでもなかったのが有難い。
時間があったら日本酒の酒蔵で試飲をしたり、野口英世が15歳から19歳までをこの街で過ごしたことを記念して整備された「野口英世青春通り」を巡ったりも楽しそうだった。
青春通りには、野口英世が手の手術を受けた医院を改装した會津壹番館という喫茶店もある。もうちょっとお腹に余裕があったら一休みするところである。
七日町通りまで早めに戻ったのは、会津漆器の丼を購入するためである。
白木屋漆器店の店内にある資料館(室)を見学させていただいたりしつつ、「ラーメンやうどんをよそう丼」を探す。
福西惣兵衛商店で「この中間の大きさの器があったらぴったり!」という感じの大小の器を見つけ、お店の方にお聞きしたら「そちらは人気の品で売り切れてしまっています」というお答えである。それは残念! と粘っていたら、「これはあともう1回塗りを重ねる予定のものです」とおっしゃって奥から作成途中の器を出してきてくださった。
これだ! と思う。
店頭にある同じシリーズの器と比べると、つやがあって光っている。もう1回塗ると、ずっとマットな感じになる。
また、当然のことながら塗りの回数を重ねた方が丈夫である。
光った感じの器も良かったけれど、比べると、もう1回、漆塗りを重ねたものの方がやはり良い。
「送料がかかってしまうけれど送ることもできます」と言っていただき、もう1回塗って仕上げたものを二つ送ってもらうことにした。
ここで、もう一つ迷ったのが、色である。
二つ購入するつもりである。器は同じデザインで赤と黒とある。赤二つにするか、黒二つにするか、赤と黒一つずつにするか。
漆塗りとしての性質は赤と黒で違いはないそうだ。
こちらも散々迷い、お店の方に「どっちがいいと思います?」と無茶振りし、赤二つを購入し、地域共通クーポンも全額ここで使用した。
漆塗りの器の扱いを聞いたところ「肌を扱うように扱ってください」という回答だった。
ミッションを達成し満足して七日町駅に向かう。
途中、ほしばん絵ろうそく店に立ち寄り、手描きのろうそくを購入する。お店のご主人のお話では、「ほぼ日本ではここだけ」という、昔ながらの工程でろうそくを作っているそうだ。
元々は会津藩お抱えだったという。
400年前から続く伝統柄だと教えていただいた、黒と赤と黄で描かれた菊のものと、牡丹のものと、一番小さいサイズで2本を購入した。
こちらでは芯などもすべて手作りでろうそくを造っているそうだ。もっとも、芯の元になる植物は北限が茨城県辺りで、会津若松周辺では育てることはできないという。
ろうそくの大きさに合わせ芯の太さも調節してあるので、液だれも起きず、最後まで表面に描かれた絵を楽しむことができる。
はぜろうで造っているためろうそくは時間が経つと粉を吹いたようになるので、できれば落ち着くまで2年くらいは飾っておいて、粉を吹いたら布で優しく拭ってください、というお話だった。
また、会津長門屋という和菓子のお店に立ち寄り、バラで購入できるお菓子をいくつかお土産に買い求める。
伊勢志摩サミットで各国首脳へのお土産の一つだったという香木実というお菓子がとてもとても気になったのだけれど、木箱に17個入りのもののみで、これはちょっと多いよなと思って見送った。
16時過ぎに七日町駅に到着した。
七日町駅にはカフェ兼会津17市町村のアンテナショップである「駅カフェ」がある。
こちらで休憩を兼ねてお昼兼おやつを食べようかと思っていたら、何故かこの期に及んでもお腹が空いていない。また、駅弁のようなごはんになるものは販売されていないようで、ここで購入して電車で食べるというのも難しそうである。
雨も降り出したので街に戻ってお弁当屋さんを探すのも面倒で、会津田島駅で購入できるかも知れないし、北千住駅に着くのが21時前だから、北千住で食べるという方法もあると腹をくくった。お茶も持っているし、まぁ何とかなるだろう。
16時49分発の会津鉄道が走らせているリレー号に乗り込んだ。
リレー号という名前が付いていて、会津若松駅から西若松駅まではJR、西若松駅から会津田島駅までは会津鉄道と、二つの会社にまたがって運行されている。
けど、一両編成の普通の車両だった。
このリレー号の車内で会津田島駅から会津高原尾瀬口駅までの会津鉄道、会津高原尾瀬口駅から新藤原駅までの野岩鉄道、新藤原駅から北千住までの東武線を含め、四つの会社にまたがる切符を購入できた。
会津田島駅から乗車するリバティの特急券を持っていますかと聞かれたから、恐らく、特急券の購入も可能だと思う。ただし、現金のみの取扱だった。
何だか遅いなぁとは思っていた。
養鱒公園の手前くらいだったか、車掌さんから「雨と落葉で車輪が空転してスピードが出ず遅れています」というアナウンスがあった。
嘘でしょと思って窓の外を見ると、車輪が空転しているからなのか風で落葉を巻き上げている。
気がついてみれば、スタックしたときの車輪のような音がしている。あるいは、坂道発進に失敗し続けている感じがある。
歩く方が早いんじゃないかくらいのスピードだ。
車掌さんは運転席と車両後方を行ったり来たりしつつ、どこかに電話で連絡を取ったり、窓から身を乗り出すようにして車輪の様子を見たり、アナウンスをしたり忙しい。
「15分遅れです」と言われ、リバティに乗れるかしら、乗れなかったら家に帰れるかしらと若干不安になる。しかし、車内に10人以上20人未満くらいの人がいて、多くはリバティに乗り換えるのだろうに誰も慌てていない。「乗り継げますか」と聞く人もいない。落ち着いたものである。
結局、リレー号は15分遅れのまま会津田島駅に到着した。
しかし、折り返しのリバティ号もやはり車輪が空転して遅れているそうで、我々は一旦改札を出て駅の待合室で待つよう指示される。
改札の外に売店やまびこがあって、売り場を覗いたら三つくらいお弁当があり、いずれも半額になっていた。
おにぎり弁当(290円が半額の150円!)を購入し、店頭の電子レンジで温めさせていただいた。
確実に購入するには、こちらでは名物の松茸弁当なども販売されているし、電話で取り置きをお願いするのがいいようだ(実際、そういう風にされている方がいらっしゃった)。
特急リバティは、10分遅れくらいで到着し折り返したと思う。
駅員さんに言われるままに改札を戻り、乗り込んだので、あまりよく覚えていない。
流石にお腹が空いていて、動き出すなり、おにぎり弁当をぱくつく。梅と鮭のおにぎりだ。
リバティの車内はガラガラである。
リバティはかなりがんばって遅れを取り戻したようで、ほぼ定時に北千住駅に到着した。
無事、帰宅した。
2日目の歩数 20665歩
2020年11月7日から1泊2日で大府平温泉に行って来た。
雨の予報だったけれど2日目の午前中は青空が広がり、紅葉の五色沼を楽しむことができた。
プロフィール写真に選んだのは、毘沙門沼の真っ赤なもみじである。
2020年11月8日(日曜日)
流石に、4時に一度目が醒めた。喉が渇いていたので、お部屋の冷蔵庫のさるなしジュースをいただく。
「さるなし」の実は見たことも食べたこともない。キウイに姿も味も似た果物らしい。だいぶ寝ぼけているときに飲んだので記憶が定かではないものの、薄いグリーンのさっぱりした味の飲み物だったと思う。
二度寝して次に起きたのは6時過ぎだった。
やっぱり喉が渇いていたので、今度は「桃の恵み」という果汁100%の桃ジュースをいただく。こちらも美味しい。
昨日飲み過ぎた割に(喉は渇いているものの)頭痛もなく、目覚めは爽やかである。
作務衣に着替えて本館の温泉に行った。
6時半前に着いたらどなたもいらっしゃらなかった。ちょうど湯船に浸かる頃に2〜3人いらしたと思う。
露天風呂から特に「眺め」がある訳ではないけれど、やっぱり露天は気持ちがいい。
昨夜のことを考え、湯船に浸かっていたのは15分もなかったと思う。早めに切り上げた。
そのまま本館ロビーに出ると、昨日はなかった噂の「飲むヨーグルト」があったので、ソファに座っていただく。会津中央乳業という会社の製品で、濃い、昔懐かしい感じの「飲むヨーグルト」だった。ストローでちゅうちゅう吸う感じも何となく懐かしい。
お部屋に戻って、そういえば昨日は顔を洗っただけで寝てしまったし、今はお風呂上がりだからちょうど良いと、持参したシートマスクをしつつテレビでニュースを見る。
ベッドに寝そべったままテレビを見られるのが便利だ。ソファに座って見られるのとどちらが便利かは、観る人の怠惰さ加減によって違うような気がする。
7時半に朝食をいただきにたどころ食堂に向かったら、ちょうど日が差してきたのが見えた。
ネットで天気予報を見ると五色沼の辺りは7時から1時間くらいは晴れ間が見えるものの、その後は曇りの予報である。ロビーに並んでいた長靴を再び借りて、今回は熊よけの鈴はすっかり忘れ、朝食前の散歩兼写真撮影に中庭に出た。
やっぱり、紅葉には青空と日差しが似合う。
新鮮な空気を吸ったところで、改めてたどころ食堂に朝食をいただきに行った。
私が最後の一席に滑り込んだようで、私の後に来た方は「少しお待ちください」と案内されていた。ラッキーである。
朝食はハーフビュッフェで、真ん中の大きめの白いお皿はサーブされ、その他はごはんやお味噌汁も含めてビュッフェ方式である。
ビュッフェのテーブルには使い捨ての手袋やアルコール消毒液が用意され、お皿は全て透明のセロファンでカバーされている。
「朝シャン」と呼ばれているらしいシャンパンの瓶も用意されている。凄い。
折角なので、もちろんシャンパンをいただき、グリーンスムージーもいただく。
和食の魅力に抗うことができず、ごはん、具だくさんのお味噌汁、牛すじの煮込み、サラダ、生卵、笹に包まれた納豆、ラー油などなどをいただいてくる。
これでごはんは控えめによそったつもりである。
食べるラー油と納豆と生卵を混ぜてごはんにかけていただくと、こんな幸せな味はない。
だいぶお腹がいっぱいになっていたものの、シェフお手製だというプリンとヨーグルトの姿を見てしまったら食べない訳には行かない。
ここには写っていない会津りんごのコンフィチュールも追加し、ゆっくり心ゆくまで朝食をいただいた。
30分では食べきっていないと思う。
お部屋に戻って今日の予定を考えていたら、曇ってくるかと思っていた空に、逆に晴れ間が広がってきた。
これは五色沼を歩くしかあるまいと、慌てて支度をする。
朝食のときにも持っていたレスポのスモールジェニだけ持ち、足下はゴアテックスのレインシューズで来たのでこのままで良かろうとホテルを出発した。
五色沼までは歩いて行ける距離である。
ホテルを出たのが9時前で、途中、お天気が良くなかったら見学に行こうと思っていた諸橋近代美術館の横を通り過ぎ、若干迷ったりして毘沙門沼まで15分くらいかかった。
到着である。
いきなり真っ赤な紅葉が出迎えてくれた。
まさに「見頃」という風情である。
駐車場には結構車が駐まっていて、沼にボートでこぎ出す方々も結構いらっしゃる。
昨日よりもさらに暖かくて、ヒートテックにセーター、フリースまで着て歩くとちょっと暑く感じるくらいである。
五色沼自然探勝路を歩くつもりが、最初、逆方向に歩き「見晴らし台」にたどり着いた。
磐梯山を望むことができる。
ちょうど日が差してきて、エンジェルスステップが届く磐梯山を見ることができた。
しかし、見晴らし台を降りると、どうも先に進む道がなく、ぐるっと回って毘沙門沼の方に戻るようになっている。
自然探勝路はどこかしらと思いながら来た道(遊歩道)を戻り、本格的に晴れてきた日差しの中、改めて今が盛りの紅葉の写真を撮りつつそのまま沼に沿って進むと五色沼自然探勝路の看板があり、それっぽい道が伸びているのが見つかった。
毘沙門沼越しにそびえる磐梯山を眺めつつ、歩き始める。
ホテルのチェックアウトが12時、猪苗代駅までの送迎バスの発車が11時45分なので、歩き通す時間はない。
歩き出したのが9時40分くらいだったので、10時10分くらいまで歩いたらそこから引き返そう、そうしたら11時くらいにはホテルまで帰れるだろうと決めた。
周りには結構歩いている人がいる。
紅葉が見頃の時期とはいえ、まだ「朝」と言える時間だし、ちょっと意外だった。
こんなにアップダウンがあったっけ? と思いつつ歩き、10時過ぎに赤沼に到着した。
毘沙門沼が大きくて、どこまで行っても毘沙門沼沿い、みたいな感じだったから、「次の沼」に到着できたのは嬉しい。
赤沼で赤く染まっている筈の植物もこの季節には枯れてしまうのか、赤というよりは黄色っぽく見える。
この辺りまで来ると歩いている人の姿もだいぶ減り、道幅もそこそこあるので歩きやすい。
赤沼からすぐというよりは、ほとんど隣みたいな感じでみどろ沼がある。
若干、気の毒な感じの名前だと思う。
赤沼よりもむしろこちらの方が、沼の周りを覆う草の根元のところが赤く、沼を横断するように赤茶色の草が見える。
ここまで写真を撮りつつ歩いて30分強だ。
帰りは疲れていて歩くのも遅くなるだろうし、次の弁天沼まではちょっと距離がありそうだったので、ここで引き返すことにした。
そういえば、毘沙門沼にはハートのマークを背負った鯉がいて、その鯉を見つけられたら幸せになれると言われているそうだ。
ボート乗り場での目撃情報が多いらしい。
すっかり探すのを忘れていた。我ながらどうにもこの手のことに爪が甘い。
しかし、雨女の面目躍如かと思っていたところ、これだけの青空の下、ちょうどいい気候で自然の中を歩けたのだから、そこそこの幸せはキープしていると思う。
最後にもう1回紅葉を堪能し、裏磐梯ビジターセンターに立ち寄って絵はがきを購入して五色沼を後にした。
ホテルに戻ったのが11時くらいである。
お部屋に入り、備え付けのネスプレッソでコーヒーを淹れて飲みつつ、買ったばかりの絵はがきで友人に便りを書いた。猪苗代駅にポストがあったのは昨日チェック済みである。
11時半くらいにチェックアウトした。
周りの方は結構、フロント横にあったお土産のコーナーでお買い物をされているようだった。そういえば、お土産を見る余裕もなく、お買い物も全くしなかった。何だか申し訳ない。
送迎車の発車まで少し時間があったので、ホテルのロビーで東武鉄道のサイトにアクセスし、帰りのリバティを予約する。
送迎車に乗るときに飴をいただいた。ちょっと嬉しい。
私はオールインクルーシブのお宿に泊まるほど人間ができてないし余裕がないな、まだまだだな、と思いつつ、宿を後にした。
大府平温泉旅行記1日目 <- -> 大府平温泉旅行記2日目その2
2020年11月7日(土曜日)
GOTOトラベルも始まったし、せっかくなら普段はとても手が出ないいようなお宿に泊まってみたい。
そして、ついでに紅葉も楽しめたらなお良い。
そんな風に探して、今回の旅の行き先が決定した。福島県の五色沼のすぐ近く、大府平温泉「ホテリ・アアルト」である。
自宅を10時半ころに出発した。
行程として「駅に預けて歩く」ことが難しそうだったし、宿は「アメニティ完備」だし、荷物はなるべく減らしてリュック一つにした。
天気予報を見て、随分寒そうだと思い、防寒パンツを履き、ヒートテック・セーター・フリースにシルクのストールを巻いてコートを重ねるという防寒スタイルである。
ecute上野で散々探し迷い、塚田農場の炭の薫りと夢創鶏の共演 炭火焼弁当を購入した。
この味は絶対にビールに合う味だよなぁと思ってこちらもかなり迷ったものの、新幹線車内でのアルコールは自粛する。
上野12時6分発のやまびこ137号はガラガラだった。大宮で乗客が増えるかと思いきや、それほどでもない。
いずれにしても空いているのは有難い。発車してすぐ、お弁当をいただいた。
やはり炭火の風味が美味しい。
お弁当を完食してさらに、「おやつに」と持参したもみじまんじゅうも食べてしまう。
母が「これが一番美味しい」と絶賛する、藤い屋のこしあんのもみじまんじゅうである。薄めの色の甘さ控えめのこしあんが美味しい。
胃が痛いの何のと言いつつ、旅に出るとあっと言う間に健啖家に戻る。不思議である。
13時18分に郡山に到着した。雨を覚悟していたけれど、意外なことに晴れている。
そして、けっこう暖かい。フリースはなくても大丈夫な感じだ。
郡山駅って結構大きな駅なんだなぁ、ここでお土産も揃いそうだなぁ、でも帰りは郡山駅には来ないんだよなぁと思いながら通り抜け、磐越西線に乗り換える。13時47分発だけれど待っていてくれるのが嬉しい。無事に座ることができた。
2両編成の磐越西線は結構な乗車率でほぼ座席は埋まった状態で発車した。猪苗代まで35分だから、普段の通勤を考えればこれくらい立ったままでも全く問題ないのに、何故か「座らなくっちゃ」という気分になるのが不思議だ。
14時22分に猪苗代駅に到着し、そのままホテルのお迎えのワゴンに乗り込んだ。
車内は私を含めて5人くらい乗っていたと思う。そのままワゴン車で走ること30分、ホテリ・アアルトに到着である。
ロビーで生姜ほうじ茶を出していただき、チェックインの手続きをする。
このタイミングでGOTOトラベルの地域クーポンをいただいた。
ホテルの説明(ロビーでのドリンクやお部屋の冷蔵庫の中の飲み物、食事の際の飲み物などがオールインクルーシブであること、別館の温泉は男女入替制で女性は今日の24時までであること、別巻の温泉からは沼を見渡せるので明るい内がお勧めなこと、今日は満室で女性のお客様が多いのでもしかしたら温泉が混み合うかも知れないこと、敷地内に沼があるのでお散歩もお勧めなこと、お散歩の際には貸出の長靴を履いた方が良いことなどなど)をいただきながら、お部屋まで案内いただいた。
ホテリ・アアルトのお部屋は全て内装が異なっている。
今回、私が泊まったのは203号室で、手前にある赤茶色のソファが特徴である。
ソファに向かい合う位置に水屋があって、ネスプレッソ(だと思う)のマシンが置いてあり、ポットもあってお湯を沸かせるようになっている。
冷蔵庫の中には、お水や桃ジュース、アルコールはアサヒスーパードライが1本入っていたと思う。
お部屋の床は無垢材で、歩いた感じが何故かとても暖かい。
館内用とは別にお部屋用のスリッパも用意されていたけれど、歩き心地が良かったので、靴下か素足でいることが多かった。
窓からは中庭を見ることができ、ちょうど木々が紅葉していた。嬉しい。
ここは温泉の前にお散歩だろうと、ロビーに並べてあった長靴を履き、「熊が出ますので持って行ってくださいね」と強調されていた鈴つきのストックをお借りした。
確かに足下に水たまりが出来ていて、案内のお姉さんが言っていたとおり、長靴を履いていると安心である。
1周10分くらいの、紅葉の散歩道を楽しんだ。
歩いているうちに雨がポツポツと降り出し、また冷えてもきたので、お散歩は15分くらいで切り上げた。
15時半過ぎに別館の温泉に行った。
浴用タオルは温泉にたくさん用意され、バスタオルを持参すればよい。お部屋のバスルームにはタオルウォーマーがあって、使ったバスタオルもすぐほかほか乾かすことができるのも嬉しい。
お部屋に用意されていたカゴを持ち、館内着として用意された作務衣に着替える。
温泉に行ってみたら誰もいなかった。貸切状態である。嬉しい。
別館の温泉は内風呂のみで、しかし窓を開けることができ、そこから敷地内の沼を見渡すことができる。
窓から入ってくる冷たいくらいの風が気持ちいい。
湯船に浅いところがあって、寝湯のようにして浸かることもできる。
寝転がったり、窓の近くで外を眺めたり、私とあと一人か二人という感じの温泉を30分くらいゆっくり堪能した。
温泉は無色で、うーんと頑張るとかすかに硫黄の香りがするかな、という感じのお湯だ。
どちらかというと硬めのお湯という印象だった。
その硬めのお湯に負けてしまったのか、私にしては短い30分くらいという時間だったのに、上がって少し休んだらいきなりくらっと来て驚いた。
湯あたりという奴だろうか。
温泉の横に椅子とレモン水が置かれているコーナーがあり、座って休憩する。何だか心臓までバクバク言い出した気がして、本当に驚いた。
驚いたものの、少し休んだら回復したので、本館のロビーまで行って休憩することにした。
ここは血糖値を上げるべきだろうと、本館の温泉の前に置かれていた中からコーヒー牛乳を選んで飲む。久々に甘いコーヒー牛乳を飲んだ気がする。
ロビーの中庭を向いた窓はピクチャーウインドウのようになっていて、私のお部屋からも見えた中庭の紅葉がひときわ鮮やかに見えた。
今が盛りである。
窓際にはカウンターが設えてあって、ムーミンの飾りが置かれていたりする。
ホテリ・アアルトは名前のとおり、フィンランドがモチーフになっている。
少し休んだら元気になって来たので、スタッフの方にキールロワイヤルをお願いして飲みつつ、ロビーにあったme time ~じぶんとつながる北欧の旅~というタイトルの写真集を眺めた。
北欧の国々で撮影した写真が集められていて、北欧のイメージよりもずっと明るい、白飛びすれすれくらいの明るさの写真を集めた写真集である。
こういう風に見える世界もあるんだなぁと思う。
1時間くらい休憩し、我ながら何を思ったのか、というか「夕食を早めに始める方が多そうだったから今なら温泉が空いている筈」と思ったのだけれど、17時過ぎに本館の温泉に行った。
先刻、あれほどくらっときてバクバクしていたのに、全く無謀にもほどがある。
しかし、空いているだろうという読みは的中し、またしても貸切状態である。嬉しい。
本館の温泉には内湯と露天風呂があり、露天風呂との境の引き戸は全開することができる。
もうすっかり暗くなり、明かりが灯っている。いい雰囲気だ。
一応、先ほどの反省を元に、湯あたりしないよう肘をお湯に浸けないよう気をつけつつ、楽しむ。
別館よりも本館の方が、硫黄の匂いが少しだけ強かったように思う。そして、本館の温泉は檜の匂いが嬉しい。
18時半から夕食をいただいた。
ホテリ・アアルトのレストラン(食事処)は「たどころ食堂」と名付けられている。
その食堂に行って気がついたところでは、どうやらこの週末に一人で宿泊していたのは私とあと一組あるかないかくらいだったらしい。
あらまぁと思う。
「aaltoよりお裾分け」と書かれたメニューがテーブルに置かれ、本日のアミューズがセットされている。
本日のアミューズは以下のとおり。
アミューズ
サーモンのリエット シトロンオイルをからめて
高砂屋さんの米味噌で漬ける豆富のマリニエール
あいづ桜肉のミ・キュイ とうがらし味噌をソースにして
白河清流豚のリエット
いろいろきのこのグレッグ
しつこく書くと、お食事のときの飲み物も特別なものを除きオールインクルーシブである。
それならばと贅沢なことを思いつき、ドリンクメニューに載っていた日本酒でお燗向きと書かれていたものを除いた5種類、全部一口ずつくださいとお願いしたところ、細長いお皿にガラスのおちょこと赤い焼き物のおちょことに交互に次いで持ってきてくださった。
贅沢である。
アミューズの小皿たちは、お盆のように使われている白いお皿に味噌を置いて固定されている。
日本酒を持ってきてくださったお姉さん曰く「お味噌も日本酒に合いますので召し上がってください」とのことで、美味しくいただいた。
ちなみに、いただいた日本酒はこちらの5種類である。
大七純米 生酛
純米酒 会津中将
純米酒 栄川
本醸造 花泉
純米大吟醸 極 会津ほまれ
この順でいただいて、会津ほまれをいただく頃にはすでに味の違いも曖昧になってきていたものの、やっぱり大吟醸は飲みやすいと思ったことを覚えている。
スープは「シャンピニヨンコンソメロワイヤル」である。
茶碗蒸し風にきのこを入れて卵を固め、その上にコンソメを注いである。
綺麗だ。
そして優しいお味である。
一緒にサーブされたパンも温められていて美味しい。
ここで、フランス産のシャルドネの白ワインをお願いした。もはや、そして既に、酔っ払い以外の何者でもない。
左は「魚貝のマリニエール 都路卵をソースにして」、右は「三陸ホタテ貝のポワレ 柚子のコンフィをソースにして」である。
帆立の下に敷いてあるのはポロ葱を格子状に編んだものである。手が込んでいる。
そして、フルーティかつさっぱりした白ワインとよく合う。
お肉料理は「ふくしま牛のテンダーロインのロティ ステューベン葡萄をソースにして」で、これは赤ワインでしょうと、恐らく三つ並んだうちの一番下に書かれたものが一番重めのワインだろうと勝手に予測し、イタリアワインをお願いする。
流石に「少しにしてください」とお願いしたけれど、かなりたっぷりと注がれている。
そして、お肉との相性も良く、ソースが葡萄ベースだということもあるのか、これがワインとよく合うから困ってしまう。
「イタヤ貝とフレッシュトマトの生パスタ」には、これまた「ほんの少し」とお願いしてポルトガル産のオーガニックワインをお願いした。
てっきりオイルベースのパスタかと思っていたら、トマトベースのパスタが供されてちょっと驚いた。
もはや酔っ払いだったからか、イタヤ貝がどれだかよく分からなかった。
それにしても、はっきりキッパリと飲み過ぎである。
デザートは「会津リンゴでつくるクレーム・シブースト」だった。
飲み物をコーヒー、紅茶、ハーブティから選ぶことができる。
コーヒーとハーブティで迷い、コーヒーだったらロビーやお部屋で飲むことができるので、お兄さんのお勧めに従ってカモミールティをお願いした。
カモミールはりんごの香りとも言われるし、りんごのデザートによく合っていたと思う。
18時半から2時間弱をかけて、美味しくいただいた。
夕食をいただいている間に明日の朝食の案内もあって、確か、7時半から9時までの間の好きな時間に同じ「たどころ食堂」に来てくださいという案内だったと思う。
また、明日の送迎の利用についてもこのときに確認されたと思う。
「思う」ばかりなのは、酔っ払いだからである。
たどころ食堂を出たら、お客様方がロビーで楽しく談笑されていた。
なるほど、この時間を長めに取るべく、みなさん早めの夕食なのだなと思う。ロビーでの飲み物の提供は22時までだ。
ところで、少し休憩したら温泉にもまた入りに行こうと思っていたし、夜食としてお部屋に届くおにぎりももちろんいただこうと思っていた。
それが、お部屋に戻るまでは大丈夫だったのだけれど、お部屋に入った途端、猛烈な眠気が襲ってきた。
繰り返すけれど、飲み過ぎの酔っ払いである。
私のような貧乏性はオールインクルーシブの宿に泊まるべきではなさそうだ。もっと優雅に過ごせる方々向けのシステムである。
お部屋に戻った途端、堪えきれず、そのままベッドにダイブした。
1時間くらいして22時過ぎに一旦目が醒めた。
しかし、とてもじゃないけれど温泉には行けそうもない。
顔を洗って、歯磨きをして、お部屋に用意されていたパジャマに着替えて、お水を飲むのがやっとで、そのまま沈没した。
1日目の歩数 4154歩
2020年11月7日から1泊2日で大府平温泉に行き、22時前に帰宅した。
電車に乗って、宿に行って、温泉入って、温泉入って、ごはん食べて、寝て、温泉入って、ごはん食べて、歩いて紅葉を楽しんで、電車に乗って、歩いてお城を楽しんで、町並みを眺めて、お買い物をして、電車に乗って帰ってきた、という感じである。
出発前に「2日とも雨か・・・。」と思っていたら、特に2日目の今日の午前中は晴れ間もあって、お陰でついつい頑張って歩いてしまった。
また、日差しがあると、思っていたよりもずっと暖かかった。
ホテリ アアルトは評判通りの居心地の良い宿で、GOTOトラベルのお陰でよい経験をさせてもらった。
オールインクルーシブを楽しむには、私は貧乏性過ぎるしガツガツしすぎているということも学ばせてもらった。
今回の旅行費用は一人分で約47000円だった。
ここには、交通費、宿代、飲食費、見学代が含まれるが、お土産代は含まれていない。
(GOTOのクーポンはお土産に使ったので、ここには反映されていない。)
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