有馬温泉旅行記の入口を作る
ここは、2023年10月31日から11月1日にかけて、母と有馬温泉に行って来た旅行記の入口である。
一応、私のバースデー記念旅行だ。
以下の日程をクリックすると、旅行記に飛べるようになっている。
ここは、2023年10月31日から11月1日にかけて、母と有馬温泉に行って来た旅行記の入口である。
一応、私のバースデー記念旅行だ。
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2023年11月1日(水曜日)
ガイドツアー開始の11時より少し前に西入口についた。
こちらがメインゲートのようで、入口の外にかなり広めの駐車場があり、観光バスが駐まっているのが見える。
入口近くに「ショップ アルピコラ」という売店があった。センスのいい感じのショップで、欲しいものが色々あって困る。色々あって困ったけれど、迷いすぎて結局買いそびれてしまった。いつものことである。
六甲高山植物園は牧野富太郎縁の場所でもあるらしく、ショップ内には縁の品や写真なども飾られている。
また、奥の一角にドライフラワーのアレンジメント体験ができるコーナーも設えられていた。そろそろクリスマスシーズンに向けてリースを作るのも楽しそうだ。
そうこうしているうちに11時になり、15人ほどが集まってガイドツアーが開始された。
ガイドの女性によると、ただいまの気温は13度だそうだ。薄手のダウンを持って来て良かった。水辺はかなり冷える。
ガイドツアーなのでもちろん色々と説明してもらった筈なのに、メモも取っていないし、記憶にもほとんど残っていない。
説明してもらうのは好きだし嬉しいのに、この記憶に残らなさっぷりが申し訳ない。
辛うじて覚えているのが、例えば左側の写真はサラサドウダンの実である。
秋には真っ赤に紅葉する木だけれど、今年の紅葉はやはり遅れているらしく、葉はまだまだ「紅葉しかけ」とも言えない緑色だ。
右側は「ナンバンギセル」という植物で、姿がキセルに似ていることからこの名が付けられたそうだ。
植物としては相当に珍しいと思うのだけれど、光合成を行わず、他の植物から栄養分や水分を奪い取って生きているという。
なかなか強かである。
この他にも、同じ道筋を通って来た筈が来るときには目にした記憶のない様々な植物について目を留め、説明を聞くことができた。
約30分のガイドツアーは東入口の近くまで来たところで終了した。
シクラメンの原種が展示されていた東入口の近くに温室のそばに池があり、入園したときから職員の方が数人、熱心にお掃除をされていた。
この寒い時期に、これから落葉も増えるだろうに・・・と思っていたら、この日のお掃除は翌日に予定されていたテレビ取材に備えてのものだと教えていただいた。
納得である。
正午前、バスでロープウエーの六甲駅近くの六甲ガーデンテラス まで戻った。
ショップやレストラン、イングリッシュガーデンが配置され、神戸の街の先の海まで一望できる場所だ。
気温が上がってきていて、霞みがかっているところが少しだけ残念だけれど、見事な青空で見事な眺めである。気持ちいい。
ここでお昼を食べて帰るというプランもあったけれど、まだお腹が空いていなかったので、軽く散策し、ロープウエーで有馬温泉に戻ることにした。
12時50分六甲駅発のロープウエーで有馬温泉に戻る。
帰りも生ガイド付きである。贅沢だ。有馬温泉に向かうロープウエーはガラガラで最前席に座ることができて嬉しい。
途中ですれ違ったロープウエーは結構な混雑ぶりだった。
空の旅を堪能し、宿泊していたホテル有馬六彩に戻った。
お昼ごはんを食べるなら、駅まで行くよりも温泉街の中心地で下ろしていただく方が便利だろうと思い、預けていた荷物を受け取り、有馬温泉観光案内所までの送迎をお願いする。
我々二人だけのためにマイクロバスを出していただいてしまい、申し訳なくも有り難い。
有馬温泉の温泉街は水曜定休のお店が多いと聞いていたとおり、確かにお休みのところが多い。
温泉街で昼食を食べる予定にしていなかったので下調べをしておらず、偶然通りかかったなかさというお蕎麦屋さんでお昼をいただくことにした。
13時半を回っていても満席で少し待つ。
母は鴨南蛮蕎麦、私はおろし桜えびそばをいただいた。
温泉街を歩いて有馬温泉駅に向かう。
途中、やまとごころというお香のお店に立ち寄り、有馬香心堂オリジナルという「和敬清寂」という名前のついたお香のセットを購入した。今回は父にお酒のお土産はなし、代わりにお香のお土産である。
14時39分有馬温泉駅発の電車に乗り、15時過ぎに新神戸駅に到着した。
新幹線改札前にかなり大きなお土産物屋さんのスペースがあり、母にはそこでお土産を選んでもらい、私は新幹線の指定席を押さえるべく券売機に並ぶ。
若干忙しないと思いつつ、15時30分発ののぞみに2席並びの空席を見つけて購入する。
慌ただしく買い物を済ませて帰途についた。
2023年10月31日から1泊2日で母と有馬温泉に行って来た。
1日目は姫路城を見学して有馬温泉には夕方に到着して美味しい牛肉を堪能し、2日目は六甲山までロープウエーで行き六甲高山植物園で黄葉を楽しんだ。
一応、母の心づもりとしては、私のお誕生日記念旅行である。
プロフィール写真は、1日目に行った姫路城天守閣である。
有馬温泉の写真にしようと思って探したら、温泉街でほぼ写真を撮っていなかった。
定番の橋のたもとに居る「ねね」像すら撮っていない。通りかかったときは電車の時間が気になっていて、素通りしてしまった。
有馬温泉は水曜定休のお店が多いそうなので、次に行く機会があったら水曜日を避けて温泉街の散策を楽しみたいと思う。
2023年11月1日(水曜日)
特に目覚ましもかけていなかったけれど、6時少し前に目が覚めた。
外は雲一つないいいお天気である。
ささっと支度をして、朝風呂に温泉大浴場に行く。
やっぱり、「銀湯」の表示がある内湯も、茶色がかった「金湯」のように見える。謎だ。
若干寝不足だったのか、6時半くらいにお部屋に戻り、7時過ぎまで二度寝してしまった。
7時半前に起き、浴衣から服に着替えて朝食に行った。
7時開始の朝食は開始直後が一番混むらしい。タイミングよく窓際の先に案内してもらい、ビュフェのテーブルも待つことなく巡ることができた。
旅先では選べるならほぼ洋朝食にするけれど、今回は鮪丼の誘惑に勝てず、和食メニューにした。
それなのに、フレンチトーストの誘惑にも勝てず、2巡目でフレンチトースト、コーヒー、フルーツをいただいてしまう。
毎回のことながら食べ過ぎである。
鮪丼とフレンチトーストはもちろん、ザクロ酢もだし巻き卵も蒸し野菜も美味しかった。
朝食後、ホテルのショップに立ち寄りお土産を色々と買い込む。
このとき購入した佃煮元祖 川上商店実山椒が本当に美味しくて、後日、友人への贈り物にもしたくらいだ。我ながら素晴らしい選択だった。
お部屋で一休みして荷造りし、お部屋にあった粉末茶でペットボトルにお茶を作り、9時過ぎにチェックアウトして荷物を預かってもらった。
ついでにお聞きすると、六甲有馬ロープウエーの有馬温泉駅まで徒歩7〜8分だという。地図を見て付けていた見当よりも意外と近いらしい。
昨日は車で連れてきてもらって気がつかなかったホテル入口のもみじの木に「おぉ! 紅葉はこれで十分じゃん!」などと言い合いながら、歩き始める。
実際、10分くらいでロープウエー駅に到着し、「あと2分ありますから大丈夫です」と言われながらチケットを購入して、ちょうど出発を待っていたロープウエーに乗ることができた。
ロープウエーは20分ごとに出発するとはいえ、このタイミングの良さは有り難い。
スタッフの方が2名乗り込み、出発である。案内は録音ではなく、乗り込んだスタッフの方がお話してくれるらしい。贅沢だ。
ロープウエーには10人前後が乗っていたと思う。
紅葉には早かったものの、お陰で混雑とは無縁で、ゆっくり楽しめる。
いいお天気で、途中、ビル40階分の高さだという谷を見下ろしたりしつつ、12分の空の旅を楽しんだ。
六甲山に来てどうするか、母に聞いてみたら「牧場は前に行ったことがある」と言う。「行ったことがある」といっても、50年くらい前の話の筈で、その頃とは様変わりしているのではないかと思いつつ、そういうことであれば「行ったことがない」ところが良かろうと、バスで六甲高山植物園に向かった。
バス停二つ目か三つ目くらいですぐ到着する。10時の開園を待ってチケットを購入し、入場した。
私たちが入ったのが東入口で、11時から西入口出発でガイドツアーがあるとお勧めいただく。まずはゆっくり歩いて西入口に向かうことにした。
また、園内では現代アート展(正式な名称を忘れてしまった)が開催されているそうで、そちらも園内マップで「こことここに作品があります」という感じで教えていただいた。
有馬温泉旅行記1日目その2 <- -> 有馬温泉旅行記2日目その1
2023年10月31日(火曜日)
姫路城大天守の見学を終え、1階まで降りてくると、順路は小天守に向かう。
小天守は東西2カ所あって、見学で入れるのは東小天守だ。入ったところに姫路城の骨格の模型があった。
この模型は昭和の時代に大改修をした際、まずは姫路城の技術的特徴や構造上の欠陥などを理解するために作成したものだという。
私の身長より高かったと思う。これで縮尺1/20である。
小天守の中では、姫路城で使われている鬼瓦も展示されていた。
色々な模様を付けていたようで、この写真はアゲハチョウの模様である。
彫ったのか? と思ったら、木で型を作り、それを押し当てて模様を浮かび上がらせていたそうだ。
大量生産していたらしい。
このアゲハチョウの模様がついた鬼瓦は、今の姫路城に設置されている様子も見ることができた。
正直なところ、大天守の見学を終えた後、自分がどこをどう歩いたのかよく分かっていない。
とにかく、姫路城がフォトジェニックなお城であることだけは確かである。そして、姫路城もそれをよく知っていて「記念写真スポット」みたいな表示もあちこちに設置されている。
また今日の空が異様なくらい写真に向いている。
回りにも夢中で写真を撮っている人が大勢いた。
姫路城内に掘られた井戸の跡などもある中、「おぉ!」と思ったのが「お菊の井戸」である。
あの播州皿屋敷の怪談で、「お皿が一枚〜、お皿が二枚〜」と数えていたお菊さんが投げ込まれてしまった井戸だ。
この解説を読んで、自分が播州皿屋敷という怪談の内容をほぼ知らないことに気がついた。
そもそも「番町皿屋敷」だと思っていたのは私だけなんだろう。思い込みって怖い。
播州皿屋敷がそもそもお家乗っ取りに係るお話だったことも、お菊さんが横恋慕した男を振って恨みを買い、奉公先の家宝である組のお皿の1枚を隠されて濡れ衣を着せられ、挙げ句の果てに井戸に投げ込まれて殺されてしまったことも初めて知った。
怪談、恐ろしすぎる。
姫路城には、大天守の他にも、千姫に縁のある化粧櫓や百間廊下などの見どころもある。
しかし、大天守に上がって、姫路城のフォトジェニックさも堪能して写真を撮りまくった母と私はここで満足し、電車の時間も迫っていたので、ちょうど開催されていた第70回 姫路城菊花展 など横目に見つつ駅に向かうことにした。
姫路城滞在時間は2時間弱だった。
帰りもバスに乗って、姫路駅に15時15分くらいに到着した。
15時26分発の快速に乗るため少し早めにホームに行ったら、その電車は姫路駅始発で、座ることができた。三ノ宮まで40分くらいあるので有り難い。
進行方向と逆側を向いた椅子に「ん?」と思っていたら、ちょうどそこにいた方がガタっと背もたれを逆側に移動させてくださった。御礼を言ったら笑っていたから、よっぽどまごついて見えたらしい。
三ノ宮駅で、みどりの窓口のお姉さんに教わったとおり有人改札に行くと、「心得ています」「よくこういう人います」という感じで、何かを聞かれることもなく、流れ作業のように切符にスタンプを押してくれた。
そのまま地下鉄の三宮駅まで少し歩き、神戸市営地下鉄で谷上駅まで、谷上駅で神戸電鉄有馬線に乗り換え、有馬口駅でも乗り換える。山の中に入るにつれ、ところどころで紅葉している木を見ることができる。
17時前に有馬温泉駅に到着した。
もう暗い。
母がホテルに電話してお迎えをお願いし、17時15分くらいに本日の宿である有馬六彩に到着した。
チェックインしたところ「夕食のご用意ができています」というお話で、お部屋で一息付いた後、ホテル内のイタリアンレストラン「リストランテ アルトゥーラ」に行く。
すでに5〜6組の方がいらしたと思う。
母が珍しく「ワインを飲む」と言うので、ソムリエの方にお聞きしてグラスワインで一番フルーティな白を選んでもらう。
自分は、色ワインと赤ワインが1杯ずつのセットをお願いした。最近、外で美味しいごはんを食べるときにはお酒もお料理に合わせて色々飲んでみたくなってしまう。
コースの一皿目は「シェフからの季節の一皿」と銘打たれている。
「旬魚の湯引きと梨 白ワインと白菜のジュレとともに」である。
この日のお魚は甘鯛と言われた気がするけれど、記憶が定かでない。
さっぱりとして美味しい。白ワインによく合う。
二皿目は、季節のオードブル盛り合わせだ。
この日は、左からカプレーゼ、鰆の**、ソフトサラミ、パプリカのフリット、オムレツ、と教えてもらったような気がする。
かなり曖昧な記憶である。
中でも、鰆はそもそも聞いた直後にすでに忘れていた。煮込んであったのは確かだけれど、料理名は何だったろうか。「煮込み」というよりは「煮付け」という和風な感じがあった。
三皿目は、蕪と木の子の卵スープである。
このスープこそ和風のお味である。「ブイヨン」というよりも「お出汁」が効いている、という感じだ。
「どうして私の苦手な椎茸が!!!」と思いつついただく。
苦手な筈の椎茸もこうしていただくと美味しく食べられてしまうから不思議である。
ここで赤ワインに切り替え、カトラリもお箸がセットされて、メインは「黒子和牛の石焼きステーキ 旬の焼き野菜」だ。
「お箸???」と思わず首を傾げたら「石焼きなので、焼き加減を調節して召し上がってください」というお話だった。
お肉がジュージュー言いながら供される。
お皿にはガーリックチップとわさびが添えられ、ソースは、有馬温泉の粉山椒、サルサ、醤油ベースのソースの3種類が用意されている。
このお肉がとんでもなく美味しかった。
火をあまり通さない方がよいだろうと、いったん石の上から避け、食べるときに少し温める感じでいただいて行く。
母など「今まで食べてきた中で一番美味しい」と言ったくらいだった。
デザートは、フルーツ盛り合わせ、柿と胡桃のチーズタルト 塩キャラメルのジェラート添え、紫芋のスイートポテトとホワイトチョコのジェラート 檸檬のアクセント、以上3種類から選ぶことができた。
私はチーズタルト、母はスイートポテトを選ぶ。
私の分は(まだ少し先なのだけれど)バースデープレートにしてくださっていた。
コーヒーと一緒に美味しくいただく。
2時間かけて、美味しくいただいた。
大満足である。
お部屋に戻って、ベッドでゴロゴロしたり、テレビを見たり(何かスポーツを見ていたような気がする)、畳にぺたんと座って明日の予定を立てたりする。
和洋室で、ベッドで寝られて、床にぺたんと座って寛げて嬉しい。
20時40分くらいにテレビ観戦していた試合が終わり(本当に、何のスポーツだったか思い出せない)、ちょうどお腹も少しこなれてきたところで、浴衣に着替えて温泉に行った。
ホテル自体の規模が大きいし、大浴場は1カ所なので、カランもたくさんあり、浴槽も広い。
そして、意外と空いている。
内湯と露天にそれぞれ「銀湯」「金湯」と看板が出ていたけれど、両方とも茶色っぽい濁り湯に見えたのが謎である。
しかし、ホテルのサイトを見ると、「金湯」「銀湯」の2種類のお湯を楽しめますと書いてあるし、やはり、内湯が銀湯で露天が金湯だったのだと思う。私の目がおかしいのか? 暗かったから?
未だに謎に思っている。
それはともかく気持ち良く、1時間近く露天と内湯を行ったり来たりして楽しんだ。
カードキーを2枚もらっていたので、とっくに上がってマッサージチェアも堪能したらしい母は先にお部屋に戻って行き、私も湯上がりにマッサージチェアを使った。
これがかなり性能のいいマッサージチェアだったらしくて気持ち良く、30分くらい揉んで揉んで揉みまくってもらった。
至福である。
部屋に戻ると母はとっくに就寝体制に入っており、和室とベッドスペースとの間の引き戸を閉める。
先ほど聞いた母の希望を元に明日の予定を考える。荷物をあまり持ち歩きたくないので、動線の検討は重要だ。
23時頃に就寝した。
有馬温泉旅行記1日目その1 <- -> 有馬温泉旅行記2日目その1
2023年10月31日(火曜日)
何だか今年は母との二人旅が多い。2023年で3回目の母娘旅である。
姫路城の見学時間を確保することと早朝出発を避けることの二つを両立するため、のぞみ車内でお昼ごはんを食べる予定である。 9時20分頃、東京駅に到着し、駅弁屋 祭でお弁当を購入する。
母は定番となっている柿の葉寿司、私は湘南鎌倉 大船軒の「押し寿し 食べくらべ 六貫入」にした。
飲み物も購入し、9時48分東京発のぞみ65号(広島行き)で出発である。
昨日、みどりの窓口のお姉さんが言っていたとおり、ほぼ満席のようだ。並びの席が取れなかったので母と話をすることもできないし、寝不足もあって、名古屋手前くらいまで爆睡した。
母によると、全体的にうっすらと雲がかかっていて、富士山の姿を見ることはできなかったそうだ。
ちょうど目が覚めたし、名古屋駅を出発した11時半過ぎくらいからお昼ごはんを食べた。
平日の午前中だし、てっきりのぞみの指定席はビジネス客で埋まったのだと思っていたし、実際、隣席の方はスーツを着ていたけれど、どうやらこの「のぞみ」が混んでいたのは「ちょうどいい時間帯」だったかららしい。
京都で車両の2/3くらいの乗客が降りてしまって驚いた。
「のぞみ」での車内販売はこの日を以て終了すると、東京駅出発直後からアナウンスが何度か入っていた。
そういえば、新幹線に乗るときは事前に駅で購入し、車内で何かを購入したことはなかったかも知れない。
これが最後の機会だと思い、食後にホットコーヒーをいただいた。今から思えば、記念にカチカチで有名なアイスクリームを食べておけば良かったかも知れない。
12時45分に姫路駅に到着した。
コインロッカーに大きな荷物を預け、駅前に出たら大きな道の真正面に姫路城が見えた。
相変わらずフォトジェニックである。
姫路城は2015年まで大天守の改修工事が行われ、白鷺城がさらに白くなったと当時は話題になっていたと思う。私は姫路城に行ったことがなく、新幹線から見たこともほとんどなく、「おぉ! あれが!」という感じだ。
いいお天気だし、歩いても20分くらいだけれど、最近「膝が痛い」と言うことの多い母が天守閣に登るための気力体力温存で、バスで大手門前まで行った。
姫路城の大手門前は堀が残り、木製の橋がかけられ、大勢の人が天守閣に向かっている。
外国人観光客もかなり多い。
ニュースでは見聞きしていたものの、こんなにもインバウンドが回復していたのかと驚いた。
大手門をくぐると芝生の広場があり、その向こうに姫路城がそびえ立っていた。
秋空をバックにして、フォトジェニックなことこの上ない。
もちろん、写真を撮っている人も鈴なりだ。母と私ももちろん仲間に入る。
大改修から8年経ち、実は流石に真っ白ではなくなっている壁も、このくらいの距離があれば十分白い。
そして、その白さだけではなく、佇まいというか、全体の構成が姫路城の美しさを作っているのだなと納得した。
人の流れに乗って、天守閣に向かう。
紅葉もまだ進んでおらず、平日だし、「比較的空いている」のだろうけれど、それでも結構な混雑である。
修学旅行生もそこそこいる。
1階から順番に見学して行く。
靴の袋が邪魔そうだったので母の分も預かり、恐らくは見学者の靴下で相当に磨き込まれただろう木の床を踏みしめて見学である。
冬だったら相当に底冷えしたに違いない。
写真左の釘隠しは、その名のとおり、釘を打ったところを隠すものらしい。
それがどうして「見どころ」として紹介までされるのか? と思ったら、回りのハート型に抜いているように見えるところがポイントらしい。
写真右側は、天守への出入り口である。二重扉になっていて、4カ所ある出入り口のすべてにかんぬきをかけてしまえば、中に入ることはできないらしい。
城外から攻め込まれたときに最後の手段で籠城することを想定しているということだろうか?
姫路城の天守は基本的にガランとした空間だけれど、戦時ともなれば、そのがらんとした空間に武器と食料を大量に詰め込んだらしい。
石落としなども備えられていたし、城は居住空間というより砦なんだなと思う。
急な階段を上り3階まで来ると、太い柱を見ることができる。
天守を1階からてっぺんまで貫いている、という話だったと思う。
丸い方の東大柱は一本柱で1階から天守まで貫き、四角い方の西大柱は釘を使わずに継がれており、その継いだところを3階で見ることができる。
この西大柱を階段が巡っており、この写真からでも見学者の多さが分かるというものだ。
3階だけでなく、4階にも大千鳥破風がある、らしい。
この写真奥の破風は小さいので、恐らく南北に二つずつある破風の一つだと思う。
破風の中は窓のところに座りたくなる高さの棚があって、どの階でも寛ぐ人がいたように思う。
また、東西にある大千鳥(外から見たとき、三角屋根のように見える部分の名称らしい)のため窓の位置を挙げざるを得ないため、写真の左側の窓の下にある石打棚を設けてあるそうだ。
階段があって上がれるようになっており、「窓に手が届かない」とか「窓から外が見えない」といった事態を解消できるようになっている。
芸が細かい。
5階まで上がったところで、天守閣最上階への入場制限が行われた。
時刻でいうと、13時45分頃のことである。逆に、ここまで順調に上がって来られたのはラッキーだった。
いったん、5階から6階に上がる階段を使えないようにロープを張り、階段を下り専用にして、6階にいる人が一定数に減ってから階段を上れるようにしてくれた。
手慣れている。素晴らしい機動力だ。
多分10分も待たないうちに6階に上がることができたと思う。
お天気もいいし、天守閣からの眺めは格別である。
こうして四方を見渡すと、山と海に囲まれて、「山城」ではなくとも堀があれば結構便利かつ守りやすい場所だったんじゃないかなという気がした。
眺めを堪能した後は、登ってくるときに見落としてしまった「見どころ」などを拾いつつ下って行く。
急な階段は上るときも怖かったけれど、降りるときはさらに怖い。足を置く場所の奥行きもないし、手すりにすがりつつ、ほぼほぼ横向きに降りる感じになる。
フロアの四隅には、伏兵を置くための隠し部屋のような場所が用意され「武者隠し」と呼ばれているらしい。
いや、これはバレバレだったのでは? と思う。
それに、床よりもかなり高いところに扉があるので出入りにモタモタしちゃいそうだし、中を覗くと狭いし、半分以上は床が結構な角度で斜めになっている。
本当に「武者隠し」として機能してた? と疑ってしまう。
また、武具を掛けるための棚も用意されている。
壁一面に槍や鉄砲、刀を置くための突起が取り付けられている感じだ。
ただしまうだけならもっと詰め込む方法があると思うので、これらは多分、籠城して戦うときに手に取りやすいように、という工夫だと思う。
一体、何人でこの城に立てこもるつもりだったのだろう?
「武具を持ってみよう」という体験展示もあって、銃と刀を持ち上げてみることができるようになっていた。
重心や刀の刃の部分は透明プラスチックの箱に入れられていて、持ち手の部分が外に出され、切り込みの入った範囲でだけ動かしてみることができる。
重い。
こんな重いものを持って歩いたり走ったり振り回したりするなんて、尋常な体力じゃないよと思う。
ただ、姫路城には甲冑などは残っていないそうだ。
そもそも所蔵していなかったのか、誰かが持って行ったり捨てたりしてしまったのか、その辺りのことはよく分からなかったけれども、武具庫として使われていた場所はあって、他所からお借りしたらしい鎧兜が展示されていた。
2階と1階には、「石落とし」がある。
下の左側の写真は、2階にある「石落とし」で、出格子の出っ張っている下のところが開けられるようになっている。
下の右側の写真は、1階にある「石落とし」で、建物の内部が棚っぽくなっており、その棚板を開けるとそこは外、という仕組みらしい。
どちらも、真下に石を落として石垣や壁面を登ってきた敵めがけて石を落とせるようになっている。実際は、石を落とすのではなく、鉄砲で撃っていたという。
石ならどこにでもいくらでもありそうだけれど、実際、落としてぶつけて威力があるような大きさと重さの石を大量に保管するのは大変そうだ。
そして、1階と2階を通して建物の角には筋交いが入っている。
地震などで横揺れがあったときにぺしゃんこに潰れるのを防ぐための補強材だという。
何というか、流石である。知恵と工夫に溢れている。
1階まで降りて来たところで、順路に従い、東の小天守に入った。
2023年10月31日から1泊2日で、母と有馬温泉に行って来た。
今年3回目の母との旅行である。多すぎだ。
1日目は姫路城を見学してから有馬温泉に行って1泊し、2日目はロープウエイで六甲まで行って高山植物園で紅葉の始まりを楽しみ、六甲ガーデンテラスから神戸港方面を眺め、有馬温泉に戻って昼食をいただいてから家路についた。
かなり詰め込んで、何だか凄く動き回った気がする。
今回の旅行費用は、一人分で約65000円だった。
ここには、交通費(ロープウエー含む)、宿代、飲食費、入園料が含まれているが、お土産代は含まれていない。
また、1日目の歩数は11209歩、2日目の歩数は10648歩だった。
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