奥日光旅行記(2024)の入口を作る
ここは、2024年7月21日から22日にかけて、母と奥日光に行って来た旅行記の入口である。
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2024年7月22日(月曜日)
旅先としては物凄く珍しいことに5時過ぎまで一度も目を覚まさずに爆睡した。
お陰で、昨夜の温泉でお勧めいただいた「夜空の星を眺める」ことはすっかり忘れていた。まぁ、仕方がない。
外を見てみると青空が広がり、いいお天気である。
6時過ぎに本格的に起き出し、温泉に行った。
流石に朝のこの時間帯は独泉という訳には行かないものの、自分達を含めて5人前後、という感じである。
露天風呂にいると風が気持ち良くて、注ぎ口に近い湯が熱いあたりでのんびりしていたら、上がった後で大汗をかくことになった。
湯上がりに、昨日スペーシアX車内で購入したりんごジュースをいただく。美味しい。
7時前に朝食の案内の電話が入った。
昨夜の夕食と同じお部屋でいただく。
お膳に用意されていたのは「ザ・旅館の朝食」といったメニューである。
おかゆの他にごはんもおひつで用意されている。おかゆとごはんを軽く一膳いただき、ほぼほぼ完食した。
朝の時間帯はラウンジでコーヒーのサービスがある。
そのままラウンジやロビーでいただいてもいいし、お部屋に持ち帰ってもいいというご案内で、有り難くお部屋に持ち帰った。
8時頃に部屋に戻ってみると、おふとんがすでに上げてあって、「チェックアウトまでこのままだろう」と油断して適当に荷物を広げ、適当に浴衣等を丸めておいたことを若干後悔する。
何だか申し訳ない。
昨夜に使いそびれたシートマスクで朝から保湿したり、テレビを見たり、荷造りをしたりして、9時過ぎにチェックアウトした。
そのままバスターミナルに向かうと、ちょうど観光バスが到着したところで、小学生の団体を引率する先生(インストラクター)の方が賑やかに指示を出していた。
サマーキャンプ、という感じだろうか。
9時20分発のバスに乗り、菖蒲ヶ浜遊覧船発着所を目指す。
道中、車窓から、一面に咲いているホザキシモツケのピンク色や、青空をバックにした男体山を見ることができた。
いい景色である。
景色を満喫し、菖蒲ヶ浜遊覧船発着所のバス停を下りて道路の反対側を見たら、「悪天候のため欠航」の貼り紙が目に入った。
悪天候? こんなにいいお天気なのに悪天候?
即座に運転手さんに「遊覧船が欠航しているみたいなのでバスに戻っていいですか?」と尋ねてバスに戻った。
船の駅中禅寺でも「悪天候のため欠航」の貼り紙が出ていることをバスの窓から確認し、中禅寺温泉のバスターミナルで下車した。
元々は、遊覧船でイタリア大使館別荘記念公園に行こうと思っていた。以前はあった中禅寺温泉から立木観音や別荘記念公園方面行きのバスが紅葉の時期のみの運行となっていて、公共交通機関によるアクセス方法がない。
徒歩30分くらいだし、母も「歩くのは構わない」と言うし、大きな荷物をコインロッカーに預けて歩いてもいいかと思いつつ、日光中禅寺温泉観光案内所でタクシーを呼べるか聞いてみた。
すると、いろは坂の上にタクシーは待機しておらず、呼ぶと日光市街から来てもらうことになるので配車に30分以上かかるという。
「運が良ければ、下からリッツ・カールトンに乗せてきたタクシーがそのままホテルで待機していることがある」言われ、3社ほど電話番号を教えてもらって次々かけたけれど、いずれも「日光市街からの配車になるので・・・。」という回答だった。
コインロッカーに荷物を預け、帰りは遊覧船に乗れることを期待して、イタリア大使館別荘記念公園に向けて歩き始めた。
基本的のアスファルトの車道の横を歩いて行くことになり、「遊歩道」という感じではない。
それでも標高が高い分だけ、日差しは強くとも風は涼しい。だから歩けるというものである。
途中、中禅寺湖のビューポイントがあり、くっきりとした男体山を湖越しに見ることができる。
それにしても、この日は水の色がひときわ鮮やかであるように感じた。
10時15分くらいに中禅寺温泉バスターミナルを出発し、ビューポイントに寄り道しつつ、歩くこと40分くらいで英国大使館別荘記念公園の入口に到着した。
公園の中に入れば緑が濃く、いっそう涼しく感じられる。
この緑を抜けた先、中禅寺湖畔にイギリス大使館別荘の建物があった。
入口でイタリア大使館別荘との共通拝観券を購入し、お邪魔する。
英国大使館別荘は、元々、奥日光が好きで英文の「日光案内」も著した英国の外交官アーネスト・サトウが建てた別荘で、旅行家のイザベラ・バードも滞在し「山荘からの眺めの素晴らしさ」を手紙に綴ったそうだ。
湖に向けて開かれた1階のテラスからの眺めは本当に絵画のようである。
アーネスト・サトウがこの地を選んだ理由の一つが中禅寺湖越しに奥白根山を望むことができるだという。
この写真の一番高い山が奥白根山で、この山頂の割れ目がここまでくっきり見える日は少ないとスタッフの方がおっしゃっていた。
ラッキーである。
「こんなに開放的で夏の滞在しか考えていなかったんでしょうねー。」と何となく言ってみたら、冬の間は雨戸を立てて完全に閉じてしまうそうだ。そうしないと、寒すぎて建具に使っているガラスが割れてしまうと言う。
この建物に使われているガラスは当時のもので、現代の技術では再現できないらしい。
2階のテラスも気持ち良い場所で、こちらもソファが並んでいる。
栃木県「奥日光のリゾート篇」の宣伝で吉永小百合がこのソファに座った写真があり、母を座らせてまねっこ写真を撮ったりした。
このテラスの奥にはティールームがあり、イギリス式のサンドイッチとスコーン、紅茶を楽しむことができる。結構な繁盛振りだ。
お腹に余裕があったらこちらもいただいてみたかった。
湖畔に下り、これまで遊覧船から見たことがあるだけだった外観を近い距離から干渉する。
中にいたとき思ったとおり、やはり開放的な別荘だ。
次に行った(写真左の)イタリア大使館別荘よりもさらにさらに開放的という感じがある。
英国大使館別荘は、インテリアもいかにも英国風で素敵だったけれど、あまりにも外観と眺めが素晴らしかったので、ついついそちらに注目してしまった。
続いて見学したイタリア大使館別荘記念公園は、別に資料館のような別館を持ち、本体の別荘は今も別荘として使えそうな感じで設えられている。
スタッフの方曰く「ダイニングテーブルと2階の寝室のベッドには座らないでください。その他の椅子は座って寛いでいただいて大丈夫です」ということだった。
こちらも素敵な内装だった。
どちらの別荘にも遊覧船の運航状況の案内があって、お昼近くから遊覧船の運航が再開されるけれども、イタリア大使館別荘の桟橋は立ち寄らない、と書かれていた。
聞いてみたら、知床の遊覧船の事故以来、風速10mを超えると遊覧船を運航しないことが徹底されており、かつ、イタリア大使館別荘付近は水深が浅く、水位が下がっていることから座礁の危険があって立ち寄らない日もあると言う。
知らなかったよ! と思う。
やっぱりこの日の中禅寺湖の水の色は際立っていたと思う。
立木観音まで歩き、僅か5分、船の駅中禅寺まで中禅寺湖遊覧船の船旅を楽しんだ。
船の駅中禅寺から中禅寺温泉バスターミナルまで歩いて戻り、コインロッカーから預けた荷物を取り出して、12時55分発のバスで日光市街に下りた。
相変わらずいいお天気である。
そして、いろは坂を下って行くにつれ、バス車内は冷房が効いているにもかかわらず、外の温度が上がって行くことに気がついた。
日光市街はほぼ、自宅辺りと変わらない暑さのようだ。
神橋でバスを降りる。
時間帯の差なのか、昨日に比べると格段に外国人観光客の姿が多い。
13時半を過ぎていたこともあり、すんなり日光湯波巻き 全 ZENに入ることができた。
日光湯波巻き御膳をお願いする。鯛と三つ葉の湯波巻きは売り切れていて、とちぎ和牛と山葵を選んだ。他に、本日の小鉢(キノコの煮物、ピクルス、あと1皿が思い出せない)、たまり漬け、バイ貝の旨煮、葉唐辛子と昆布の佃煮、生のりの赤だし、生湯葉ぜんざいが付いてくる。
食べられるかなと言いつつ、二人ともあっという間に完食した。
母よりも私の体力的な問題で、早めに帰ろうと決める。
暑いし、日光天然氷のかき氷を食べたいなぁと思っていたものの、昼食にデザートが付いていたし、お腹もいっぱいである。次の機会に譲ることにする。
日光に来るたびに母が「買って帰る」と言う、三ッ山羊羹本舗で水羊羹を一口羊羹を購入する。
お盆も近いことだしと、日野屋酒店で日光誉の小さな瓶を購入する。
おやつに食べようとザ・金谷テラスでアイスコーヒーと「金谷 時のプリン」と名付けられた、明治・昭和・平成それぞれの時代をイメージして作られたプリンの3つセットを購入する。
母には「最後が忙しすぎた!」と怒られたけれど、14時57分発のけごん38号で家路についた。
2024年7月21日から1泊2日で母と奥日光に行って来た。
1日目は中禅寺温泉でお昼を食べ、二荒山神社中宮祠と温泉寺にお参りし、湯元温泉の源泉を見学した。
2日目はイタリア大使館別邸と英国大使館別邸を見学し、日光市街でお昼を食べて帰宅した。
母には「ゆっくりすると言いつつ、何だか忙しかったわ」と苦言を呈されたけれど、そこは貧乏性なので勘弁してほしい。
まだ旅行記を書き終わっていないけれど、今回の旅行を象徴している感じがして、泊まったお宿の鍵と二荒山神社中宮祠でチャレンジした「つりみくじ」で私が釣った鱒のマスコットの写真をプロフィール写真に選んだ。
2024年7月21日(日曜日)
14時40分頃、湯元温泉のバス停に到着した。終点である。
宿のチェックインは15時で少し時間があるし、何よりそのつもりで中宮祠で温泉寺の御朱印をいただいており、お参りしないわけには行かない! と温泉寺に向かった。
温泉寺の参道は石灯籠がずらっと並び、両脇の森には不思議な感じの草が生えている。
中禅寺湖半より標高が300mくらい上がっており、さらにもう一声涼しい。
温泉寺はすぐ隣が湯元温泉の源泉で、薬師湯という日帰り湯があることで有名で、歩いて行くと湯上がりに涼んでいるらしい方の姿も見えた。
母が日帰り湯を厭うので、目的はお参りと写経である。
温泉寺の本堂でまずはお参りする。ご本尊は薬師瑠璃光如来という何というか綺羅綺羅しいお名前の仏様である。
本堂の中に写経の受付はあるものの無人だ。
「あんただけやりなさい」という母を強引に説き伏せ、日帰り湯の受付で声を掛ける。日帰り湯の受付の方が本堂の方に移動してきて、こちらの受付もしてくださるようだ。
温泉寺での写経は、薬師経十二大願の第十願の一節である「以我福徳 威神力故 皆得解説 一切憂苦(いがふくとく いじんりきこ かいどくげだつ いっさいうく)」の十六文字を写す。
筆ペンをお借りし、薄く印刷された文字をゆっくりなぞってゆく。
なぞっているのに綺麗に書けないのはどうしたことか。我ながら謎だ。
写経し、「願いごと」を書き、日付と名前を記す。
写経したものは年1回、8月8日に行われる薬師講のお焚き上げをしていただける。また、特別な御朱印をいただくことができる。
ちなみに、温泉寺では写経の他に写仏の体験もすることができる。
写経と写仏ではいただける御朱印の紙の色が異なっていて、「母と手分けして写経と写仏をすれば、違う御朱印が手に入ったのに!」と思い、「いや、そういうことではない」と思い直した。
カワラケ割りをし、おみくじを引き、写経をした。私の厄落としは万全ではなかろうか。欲張ってはならない。
写経しているときから、子供たちの声が聞こえていた。
学校行事なのか、一緒にいる大人が来ているポロシャツに「NPO」の文字が見えたから民間団体主催のサマーキャンプ的なものなのか、小学生がスタンプラリーをしていた。
久しぶりに子供たちの元気な声を聞いたなーと思う。なかなか微笑ましい。
そのまま源泉に向かって歩いて行くと、こちらにも子供達が回ってきていた。
母は温泉寺には来たことがあるが、源泉には来たことがなかった、と言う。
足下からぼこぼこと温泉が沸いており、湯小屋が並んでいる。足下にはすのこのような木道が作られていて、すぐそばで見ることができる。
そういえば、源泉のところで、一組だけ外国人観光客の方を見かけた。
バスの中から見た日光市街、中禅寺温泉を歩いているときもほとんど見かけなかったので、「湯元温泉で見かけるとは!」と少し驚いた。
逆に、世界遺産だし、もっともっと外国人観光客で溢れているかと思っていたので、ほとんど見かけていないことを不思議にも思う。
ぽこぽこ湧く源泉を見られたことに満足し、散策を終えて本日の宿である湯元 板屋にチェックインした。
夕食は18時からまたは19時15分から選ぶことができ、母に聞くと「19時15分」と言う。「大河ドラマ見られないけどいいの?」と一応確認し、19時15分でお願いした。
お部屋にご案内いただくと、大浴場から近い場所で有り難い。
「お向かいのお宿に今日は小学生の団体が泊まるそうで賑やかだったらすみません」とおっしゃっていただく。結果としては、ほとんど声が聞こえることはなく、全く気にならなかった。
また、廊下の窓から見えるところに鹿の親子がいることがあるので、たまに覗いて見てくださいとおっしゃる。
また、お宿の方から「クーラーがなくて。暑かったら扇風機とうちわで涼を取ってください」と案内があった。
この日は最高気温30度くらいあったと思うけれど、そもそも日光湯元でここまで気温が上がることはまず滅多にないのだと思う。「短い、本当にいい季節」ともおっしゃっていた。
窓を開けて風を入れれば十分に過ごしやすいくらいの気候で、これから日も落ちて涼しくなる時間帯で全く問題ない。
お部屋のお茶菓子は虎彦製菓の「きぬの清流」だった。ザ・定番、という感じだ。
ティーバッグではなく茶筒にお茶っ葉が用意されているのが嬉しいと思いつつ、お茶を入れてお菓子を食べ、一息入れる。
夕食の時間を遅めにしたので、時間がたっぷりある。
軽く荷物を整理した後、そのまま畳に座布団を並べ、30分くらい昼寝した。爆睡だ。
こういう昼寝はかなり気持ちいい。
一眠りした後、温泉に行った。
温泉分析書の泉質には「含硫黄−カルシウム・ナトリウム−硫酸塩・炭酸水素塩温泉(硫化水素型)」と書いてあった。正直なところ、意味は分からないけれど、何となく効きそうである。
板屋の温泉は、自家源泉だそうだ。もちろん、掛け流しである。
入浴されていた方(多分、日帰り入浴の方)と入れ違いになり、母と二人で貸切状態だったのが嬉しい。
お湯の色はミルキーブルーで、硫黄の匂いが強い。
内湯は熱め、露天風呂の方が外気にさらされている分なのか、ちょっと温めである。
気持ちいい。
明るいうちから浸かる温泉は、非日常感たっぷりで嬉しい。至福である。
ここのところ体力が落ちているので、大事を取って少し短めの時間で上がった。
湯上がり処には、冷水と麦茶が用意されていて嬉しい。
以前に来たときはマッサージチェアがあった記憶だけれど、今回は割と新しい感じのフットマッサージャーが設置されていた。
そういえば、チェックインのときにお部屋の鍵を2本いただいた。大抵の場合は、母が私よりずっと早く上がるので、鍵を別々に持てるのは有り難い。
温泉に入ると上がった後で汗が吹き出して止まらないことが多いけれど、今回は意外とすんなりと汗が引いた。不思議だ。
意外と時間が余ってしまい、そのまま1時間くらいうたた寝をした。
自分で選んだのに母が「お腹が空いた」「ヒマだ」と言い続けていたのは覚えている。北千住駅で購入していた雑誌の出番である。
19時過ぎに電話が入り、お食事処に行った。
和室がいくつもあって襖でしきられており、我々のお部屋は小さい子のいらっしゃるご家族連れと同じお部屋で衝立で仕切られていた。
母はビールを頼み、私はいくつも用意されていた栃木の地酒の中からここは地元中の地元のものにしようと「日光誉」の純米酒をお願いした。180mlなら飲み切れるだろうし、飲みきれなかったら持ち帰っても良いのが嬉しい。
食前酒の山ぶどう酒で母と「お疲れ様」の乾杯をし、早速いただく。
先付け もろきゅう とうもろこし
小鉢 桜海老・胡瓜・わかめの酢の物 防風
防風って何? と思ったら、左手前の葉っぱの野菜の名前だそうだ。もしかしたら生まれて初めて食べたかも知れないが味は覚えていない。
お造り 生湯波 鰹
お吸物 栃木、季節の土瓶蒸し(いっこく野州どりと夏野菜)ブールジャポネと天然海塩にて
お吸い物に付いて来たバター(柚子とパセリだったか、柚子と紫蘇だったかが入っている)は、最後に出てくるとうもろこしご飯に載せて食べるのもお勧め、と教えていただいた。
もちろん、お吸い物に塩とともに加えていただいても風味が変わって美味しい。
焼き物 鮎塩焼き(蓼酢にて)
冷やし鉢 日光ひみつ豚冷しゃぶ 和だしのガスパッチョ仕立て
ガスパッチョ仕立てなので、トマトスープである。トマトが苦手だったらポン酢でもお出しできますとお品書きに書いてあった。
「日光ひみつ豚」というのは割とあちこちで見かけたので、ここでいただけて嬉しい。
揚げ物 揚げそばがき・しし唐 みぞれ和え
せいろご飯 とうもろこしご飯
香の物 参点盛
止め椀 あおさ・手鞠麩
揚げたそばがきも生まれて初めて食べたと思う。ちょっとぼそぼそした感じが残っていて、意外な食感だった。
とうもろこしご飯は甘くて美味しい。このままいただき、次に先ほど残しておいたバターを載せて混ぜていただいた。
デザート ほうじ茶ブラマンジェ
ほうじ茶のゼリーが載っていて、かつほうじ茶の粉末が散らされている。この二つの味が濃く、ブラマンジェの優しい味のアクセントになっていた。
1時間半弱かけて夕食をいただいた。美味しかった。もうお腹いっぱいだし、相当の酔っ払いである。
お部屋に戻るとお布団が敷かれていた。何だかちょっと懐かしい感じがする。
1時間半くらいテレビを見ながらごろごろし、母は「もういいわ」と言うので一人で温泉に浸かりに行った。
ちょうど母と同年配の方がいらして、6月の奥日光は、千手ヶ浜のクリンソウも綺麗だし、日光湯元に向かう道筋の両側に咲くズミも綺麗だとお勧めいただいた。そういえば、今回、お花の写真をほぼ撮っていない。お花の綺麗な時期は心惹かれる。
奥日光お勧めの時期のお話の他、ご夫婦の話やお友達のお話まで色々なお話を伺った。我ながら模範的な傾聴精神である。
うっかり傾聴しすぎて「のぼせそうなのでそろそろ」と言うタイミングを10回くらい逃してしまい、外はかなり涼しくなっていたにもかかわらず、本当にのぼせそうになった。
湯上がり処の麦茶を美味しくいただき、フットマッサージャーも一通り試して休憩してから部屋に戻ったら、母はもう寝る準備を万端整えて、電気まで消している。
23時過ぎに就寝した。
2024年7月21日(日曜日)
日光までは北千住駅から東武鉄道のスペーシアXで向かう。少し早めに家を出たのは、昨日に間違えて購入したまるごと日光・鬼怒川東武フリーパスの払い戻してができるか聞いてみようと思ったからだ。払い戻しができれば、まるごと日光東武フリーパスを新たに購入するつもりである。
それにしても時間に余裕がありすぎて、コンビニで飲み物とのど飴を購入した他、母が本屋でサボテンの雑誌を購入していた。これから持ち歩かなくてはならないというのに、謎の行動である。
特急専用ホームに入るところの窓口で聞いてみたところ、無事にフリーパスを買い直すことができた。。
払戻し手数料220円が発生したものの、「まるごと日光・鬼怒川東武フリーパス」と「まるごと日光東武フリーパス」では販売価格が1500円くらい違うので、駅員さんたちのお手を煩わせてしまったけれど有り難い。感謝である。
北千住駅9時22分発のスペーシアX909号は繁忙期のみ運行しているようで、通常の時刻表には掲載されていない。
そのお陰か、前回スペーシアXに乗車した際に「乗ってみたい」と思ったプレミアムシートを予約することができた。嬉しい。 プレミアムシートの座席は2列+1列の3列だ。
リクライニングしても後ろの座席に影響がないため、心置きなくリクライニングできるのが有り難い。
そして、リクライニングの操作は電動である。
スペーシアXの2〜5号車の乗客が車内のカフェを利用するには、春日部駅発車後、車内アナウンス後にオンライン整理券を取得する必要がある。
春日部駅までは爆睡し、その後満席でもないようだったし試しにと思ってチャレンジしたら、10時20分からの整理券を確保することができた。
「カフェ」という名前だけれど、実際のところは「売店」に近い形で、2〜5号車の乗客は自席に持ち帰っていただくことになる。
メニューは結構豊富で、スペーシアXの1周年記念として「ニッコリーノ」という、栃木県産の梨をベースに柚子、山椒などを加えたシロップを炭酸で割ったドリンクなども提供されている。
母はりんごジュースというリクエスト、私は「本日のジェラート」であるイチゴミルクのジェラートを選んだ。
ちなみに、支払いはキャッシュレスである。
イチゴミルクのジェラートはミルクの味が濃くて、なめらかな舌触りだった。
母と半分こでちょうど良い。
次の機会があったら、定番メニューであるらしい酒粕のチーズジェラートもいただいてみたい、と思っている。
スペーシアXは11時6分に東武日光駅に到着した。
様子を見てみると、11時10分発の湯元温泉行きのバスがすでに到着しており、そしてガラガラである。昨年に来たときは、東武日光駅からバス停数カ所で満席になっていて、混雑しているのではないかと思っていた。ラッキーだ。
そのまま11時10分発のバスに乗車した。
「雲一つない晴天」という訳ではないし、目に入る山の山頂付近が雲に覆われていたりもしつつ、青空が見えていいお天気だ。
レインシューズを履き、日傘ではなく雨傘を持ってきたのに・・・、と思うけれど、雨に降られないに越したことはない。
いつだったか霧降の滝の辺りで突然の大雨に遭い、傘を差してもびしょびしょになったことがある。それ以来、「日光はいつ雨が降るか分からない、大雨になるか分からない」という印象が強いので、ついつい雨対策に力が入ってしまう。
バスの中で母に昼食に食べたいものを聞いたら「お蕎麦がいい」と言う。
中禅寺温泉のバス停に正午前に到着し、新月というお蕎麦屋さんに行ってみたら、まさかの休業日だった。思わず「日曜日なのに!」と叫ぶ。
しかし、考えてみたら、バスの乗客も少なかったし、神橋までの道や東照宮等に向かう階段や西参道の辺りも、観光客らしき姿はあまり見かけなかったように思う。
インバウンドの波は、日光にはあまり届いていなかったのかも知れない。
それでも相変わらず行列ができていたのが「トンカツ 浅井」である。いつかチャレンジしてみたい。
「新月」からすぐ近くのシェ・ホシノに行ってみたところ、今度は「本日のランチは予約のお客様で満席です」といった メッセージが出ていた。なかなかままならないものである。
しかも、青空が覗きつつも、ポツポツとお天気雨が降り出している。
さらに中宮祠方面に向かって歩き、カフェ ドゥ サヴォアにお邪魔した。
ご主人がお料理、奥様が給仕と、ご夫婦お二人でやっていらっしゃるお店のようだ。
ランチは、メインとサラダのセットで、メインは数種類から選ぶことができる。飲み物やドルチェは別注文だ。
母は、メインに中禅寺湖で獲れたというヒメマスのムニエル グルノーブル風、私はビーフシチューのオムライスを選んだ。
最初に出てきたサラダが新鮮で美味しい。
そして、メインディッシュも、ヒメマスはかなり大きくて肉厚、食べ応えがある。
一口もらって食べたら、しっかりしたソースの味が効いていて、身もたっぷりで美味しかった。
ビーフシチューオムライスも、ビーフシチューのお肉はほろほろだし、オムライスの卵もトロトロで、こちらも美味だ。
ゆっくり美味しくいただいた。
食後の飲み物に、母はアイスティを、私はデザートも兼ねて自家製シロップの炭酸水割りを選んだ。
自家製シロップは日替わりのようで、ここでもついつい、とちおとめシロップを選んでしまう。
栃木と言えばイチゴである。
店内にはもう一組ご家族らしき4人連れがいらして、もの凄い健啖家振りを発揮されている。
多分、前菜、お魚料理(ヒメマス)、お肉料理(ステーキ)、ドルチェまで、アラカルトを組み合わせ、オーダーメードでコースをお召し上がりになっていたと思う。流石にメインディッシュは2皿オーダーしてシェアする等していらしたようだけど、凄いなぁ、気持ちいいたべっぷりだなぁとつい見つめてしまった。
それにしても暑い。
地元や日光市街に比べればそれでも全然涼しいし、実際、こちらのお店でもエアコンはなく、窓が全開にされていて、それで問題なく過ごせるくらいだったものの、「寒いくらいに涼しい」のとはちょっと違う。
意外とスルーしてしまう二荒山神社中宮祠にお参りしようと足を向けた。
いつの間にか雨は上がっていたけれど、代わりに日差しはかなり強い。標高1216mの中禅寺湖半すら30度を超える真夏日になるとは、日本の猛暑恐るべしである。
それでも、緑があって、水があって、日陰に入れば十分に涼しい。気持ちのよい気候だ。
二荒山神社中宮祠は中禅寺湖に向いてあり、背後には男体山が控えている。
夏の間は男体山に登ることができ、登山口は神社の中にある。
13時過ぎはちょうど下山時刻に当たるのか、何組かの登山者が下りて来たところと行き会った。
登山道はまず石段から始まっていて、少しだけ登ってみたところ、結構な急階段で息が切れる。
下りてくる方々はみなさん、結構しっかりとした足ごしらえをされているし、雰囲気だけ味わって満足した。
10種類くらい用意されていた御朱印の中から、二荒山神社中宮祠のものと、この後行く予定の日光湯元の温泉寺の御朱印をいただく。
中宮祠では、御朱印帳に直接かくことはしていないようで、紙での授与になります的な貼り紙があった。
もう神頼み万歳という気分の私は、カワラケ割りにも挑戦した。
1枚200円で素焼きのお皿をいただき、そこに「厄」と書いたり、あるいは自分が祓いたい何かを記入して、「幸運の杜」の中に用意されたコンクリートブロックに思いっきり投げつけて割り、粉々に砕いて厄を祓うというものだ。
コントロールが悪くて全然手前の地面にぶつけることになったものの、見事に割れて、ちょっとスッキリした。
また、母が「このおみくじを引きたい」と言い出し、「つりみくじ」にもチャレンジした。
先端に磁石を付けた釣り竿が用意され、その釣り糸を見えている穴に垂らして、手前の「マス」のお守りとおみくじをつり上げる、というものだ。
その名も「願い叶えますみくじ」である。
お守りの鱒は何種類か用意されていて、「中禅寺湖漁業協同組合公認」と麗々しく書いてあるのがちょっと可笑しい。
私が釣った鱒は、一番メジャーな鱒だったと思う。
おみくじが「小吉」で、それこそ「願いが叶う」と書かれていたので満足だ。
母と二人、釣った「鱒」をそのとき持っていたバッグに早速くくりつけた。
意外と充実していた二荒山神社中宮祠お参りを終え、14時過ぎのバスで日光湯元温泉に向かう。
しばらくは中禅寺湖半に沿って道が続く。晴れ間も出てきた空が気持ちいい。緑も涼しげだ。
戦場ヶ原を歩く際の拠点となる赤沼のバス停に差し掛かる前、運転手さんから「赤沼付近は電波がないため、デジタルの方はチケットを表示することができません。予め表示させておいてください。」的なアナウンスが入った。
我々は紙チケットを購入しているけれど、「なるほど、デジタルではそういうことがあるんだな」と思った。
2024年7月21日から1泊2日で、母と奥日光に行って来た。
母からの「涼しいところに行きたい」と再三のリクエストにお応えしての温泉旅行である。
私の方が心身共にいっぱいいっぱいだったので「何もしない、行ってごはん食べて温泉入ってくるだけの旅なら!」と言っていた筈が、帰ってきて見れば意外と動き回っている。
そして、贅沢したなー、という感じだ。
1日目は、中禅寺温泉でお昼を食べ、二荒山中宮祠にお参りし、日光湯元に移動して温泉寺で16文字(!)写経し源泉を見てチェックイン、2日目は中禅寺温泉から歩いて英国大使館別荘記念公園とイタリア大使館別荘記念公演をハシゴし、立木観音から遊覧船に乗って戻り、神橋近くで昼食、早めに15時前のスペーシアで帰宅した。
今回の旅行費用は、一人分で約34000円だった。
ここには、交通費、宿代、飲食費、遊覧船代、入館料、写経体験料が含まれているが、お土産代は含まれていない。
また、1日目の歩数は6750歩、2日目の歩数は12973歩だった。
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