2024.12.28

湯河原旅行記(2024)の入口を作る

20241031_112247-2 ここは、2024年10月30日から31日にかけて、母と湯河原温泉に行って来た旅行記の入口である。
 以下の日程をクリックすると、旅行記に飛べるようになっている。

 2024年10月30日(水曜日)その1

 2024年10月30日(水曜日)その2

 2024年10月31日(木曜日)その1

 2024年10月31日(木曜日)その2

 持ち物リスト(湯河原・2024編)

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2024.11.24

湯河原旅行記(2024)2日目その2

2024年10月31日(木曜日)

十国峠 十国峠頂上は、標高1059mある。風も強くて、ダウンを着込むほどではないものの、やはり涼しい。
 ケーブルカーを降りて少し坂を上ると、「十国峠」のモニュメントがある。
 360度視界が開けており、あちこちに「こっち方向は伊豆国」という案内表示がある。
 一段高くなった展望台がありベンチがあり、ネットが張ってあって寝転ぶことができるようになったスペースもある。

千葉方面
 奥にうっすらと見えているのが房総半島である。
 肉眼ではかなりはっきり分かったのだけれど、写真に撮るのは難しい。
十国峠

伊豆方面
 母が山並みが重なる様子を撮りたいと言い、私もチャレンジしてみた。
 こちらも肉眼では何層にもくっきりと見える山並みを写し取ることは難しい。
十国峠

 景色を眺めているだけと言えばその通りだけれど、なかなか楽しい。
 1時間弱滞在して、ケーブルカーで下山した。
 ケーブルカーの十国峠山麓駅には、お土産物屋さんとレストランが併設されている。お土産物屋さんで富士山を模したギザギザ模様が縁をぐるっと囲っているお皿やカップを見つけ、購入しようか迷っている間にバスの時間が来てしまい、断念した。

來宮神社 12時25分発のバスで熱海駅に戻る途中、母が「せっかくだから來宮神社に寄って行こう」と言い出した。
 母は、自分は行ったことがあるけれど私が行ったことがないことを気にしているらしい。
 「温泉に入って美味しいもの食べて帰るだけ」の旅行はどこへ行ったんだと思いつつ、來宮神社で下車する。
 バス停の目の前に鳥居があり、一礼してお邪魔する。

 來宮神社は、3000年くらい前、出雲から来た大国主命が熱海に上陸し、温泉等々を気に入って居を構えた場所の跡で、第12代景行天皇の時代に日本武尊をお祀りし、第43代元明天皇のときに五十猛神(イソノタケルノミコト)をお祀りしたそうである。
 と書いてあったけれど、初期の天皇は実在していたかどうか議論があった気がするし、五十猛神は名前も聞いたことがない。Wikiによると、スサノオの息子だそうだ。日本に初めて植物を植えたという話だから、(順番としては逆だと思うけれど)元は木々を信仰の対象としていた來宮神社に相応しい神様なのだろうと思う。

來宮神社

 手水舎では、コロナ禍以降のことだと思うけれど、参道を挟んだ手水舎の向かい側に大きな楠があった。
 樹齢1300年を超え、約300年前にあったという落雷で根元はほぼ洞のようになっている。
 どこから栄養を摂取しているのか、それでも葉が青々と瑞々しく茂っている。不思議だ。
 二番手に甘んじてしまうのが惜しいくらいの大木で、貫禄のある木だった。心なしか周辺の空気も清々しい気がする。

 本殿でお参りし、健康を願う。
 本殿に向かってすぐ隣に、もう1本楠の木(だと思う)があった。見た感じ、第二大楠の木と同じくらいか少し若いくらいのようだが、母が「この木を一周すると寿命が1年延びる」と言う。
 確かにコンクリートで木の周りを1周できるようになっている。
 若干の疑問を覚えつつ、1周する。

來宮神社來宮神社

 お参りもしたことだし、参集殿で「大楠 結びの葉」と名の付けられたお守りをいただいた。
 母は「葉っぱだから」と緑色、私は好みとして赤を選ぶ。
 それにしてもこちらのお守りは種類が豊富で、ずらっと様々な色と形のお守りが並んでいるところは壮観だった。
 合わせて、楠の木(薄い板状になっている)に書かれた御朱印を合わせてお願いした。

 お会計をお願いすると、お守りと一緒に絵はがきと神社の由来などを書いた紙をいただいた。その絵はがきの1枚が大楠の前での神前結婚式の写真だった。
 どう見ても、先ほど周りを回った楠と様子が違う。
 母にはベンチで休んでいてもらい、本殿のさらに奥に進んで行くと、そこには本物の大楠があった。

來宮神社 おかしいと思ったんだよ!
 そう思いつつ、母を呼びに行く。これはちゃんとお参りせねばならないだろう。
 こちらが本物の「來宮神社のご神木」であり、国指定天然記念物であり、樹齢2100年を超える本州で一番大きな樹木である「大楠」である。
 こちらの大楠も一周できるよう、さらに立派な遊歩道が作られている。母とともに一回りし、健康を祈願した。

 聞けば、母は以前にご友人の方々とと來宮神社に来た際、全員で先ほどの本殿の横にあった木を「大楠」と思い、お参りしたのだという。
 4〜5人で来ていて、中には來宮神社再訪という方もいらしたらしいのに、誰ひとりとして「違うんじゃない?」と言い出さなかったそうだ。
 私も危うく同じ轍を踏むところだった。セーフである。
 母も改めて見る大楠にちょっと感動しているようだった。

來宮神社 近く大楠の根元の部分を見下ろせる位置にキャットウォークのような場所が用意されていた。
 一度に歩いてよい人数が制限されており順番待ちになっている。
 母と私もその列に並び、上から見下ろして「おぉ!」とその迫力を味わった。

 來宮神社を堪能し、13時36分発のバスで熱海駅に戻った。
 バス停では結構な人数が待っていて、十国峠から来ることを考えると座れるかどうか微妙なところだった。「歩いても同じくらいの時間で駅に着くよ?」と言ってみたところ、母は「でも歩きたくない」と言う。
 案の定、このバスが結構混雑していて、母が座れたのは僥倖だった。

ランチ 14時前に熱海駅前に戻ることができた。
 あとはお昼ごはんを食べて帰るだけである。
 熱海に来るとついつい立ち寄ってしまうKICHI +に今回もお邪魔した。ランチタイムから外れている時間帯でも1階はほぼ満席である。
 母も私も生しらす丼をお願いする。生しらすなんてなかなか食べられるものではない。
 そして、やはり美味しい。
 あっという間に完食した。

 生しらす丼を待つ間に、15時31分発のサフィール踊り子の指定席を押さえた。
 何だかよく分からないけれど、ネットで予約したのに発券が必要だと言われる。解せない。
 駅に戻り、お土産を物色したり、指定券を発券したり、コインロッカーから荷物を出したりする。今回はミラコロで来ていないし、重い荷物を持ちたくないので厳選したいところ、母が「自分が持つから」と言って色々と買いたがり、攻防戦になる。

 帰りのサフィール踊り子でも爆睡し、品川駅で下車して夕ごはん用に駅弁を購入し、帰宅した。

 湯河原旅行記(2024)2日目その1 <-

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2024.11.20

湯河原旅行記(2024)2日目その1

2024年10月31日(木曜日)

 念のためセットしておいた目覚ましのアラームが鳴る前、6時過ぎに目が覚めた。
 カーテンを開けて外を見ると、いいお天気のようだ。嬉しい。
 早速、温泉に行く。夜中に男女の入れ替えがあり、朝は檜風呂が女湯になっている。小さめの湯船が二つあり、以前は別々だったところを繋げたのではないかと思う。
 内湯のみだからか、お湯が熱く感じる。さくっと温まって目を覚ます。

 8時に朝食をいただきに昨夜夕食をいただいたレストラン「ピノ・クラーレ」に行く。テーブルも昨夜と同じだ。
 朝食のメニューが置かれている。嬉しい。
 朝食は何故か調理法というか献立名も書いてある。この方が有り難いです、と思う。

 凄く食べてみたかった洋朝食のこの日のメニューは以下のとおりである。

有機野菜のサラダ / 本日のフルーツジュース
 ジュースは確か、マンゴーとマンデリンだったと思う。
朝食

自家製パン / 季節のジャム
パセリとクリームチーズの塩ケーキ
 パンは、トーストとパセリとチーズのサクレだった。
 ジャムはキウイとベリー系の何かだったと思う。
朝食

季節野菜のクリームスープ
 カップに入っていたのは、茸のクリームスープだった。

和牛ローストビーフ / しらすとオリーブ / 小海老のマリネ
  / 地魚のスカ別種 季節野菜のマリネ
 それぞれが小皿に盛られ、お重に入っていた。
 朝からローストビーフなんて贅沢である。
朝食

鳳凰卵の温泉卵 / 特製和牛ミートソース
 そのままスプーンで掬っていただいたり、トーストに載せて食べたりした。
 美味しい。
朝食

自家製パンナコッタ 本日のフルーツ添え / 珈琲または紅茶
 本日のフルーツはシャインマスカットで、ミントも添えられ爽やかなデザートだ。
 母も私も珈琲をお願いした。
朝食

 1時間弱かけて、念願だった源泉かけ流しと創作イタリアンの宿 Albergo湯楽の洋朝食をいただいた。
 本当に美味しかった。大満足である。
 夕食にイタリアン以外のコースをいただいたときにも洋朝食を選べるといいなぁと思う。

 さて今日の予定をどうしようかと母と何となく相談し、お天気も良さそうだしということで、十国峠に行くことにした。
 前から熱海に行ったり箱根に行ったりするたびに、十国峠は見晴らしがいいらしいと候補に挙がるものの、お天気が今ひとつだったりしてまだ行ったことがない。
 この機会にどうだと調べてみたところ、熱海から箱根に抜けることはできないけれど、熱海から十国峠までは路線バスで往復できるようだ。決定である。

 9時半過ぎにチェックアウトし、落合橋バス停9時43分のバスで湯河原駅に向かう。
 9時57分くらいに駅に到着して時刻表を見ると9時59分に熱海行きの電車が来る。ラッキーだ。
 慌ててホームに向かった割りに少し待ち、10時過ぎに一駅先の熱海に到着した。
 駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、10時18分発のバスで十国峠に向かった。まるで予め組んであったかのような順調さだ。

 結構たくさんの人が乗車していて「みんな十国峠に行くの?」と思っていたら、半分くらいの乗客は來宮神社で降りていた。來宮神社は来宮駅から歩くものと思っていたので「ここだったのか!」と思う。
 市街で若干の混雑はあったものの、バスは順調に山道を登り続け、11時過ぎに十国峠に到着した。

 そのままチケットを購入し、11時15分発の箱根十国峠ケーブルカーで十国峠山頂に向かった。
 ケーブルカーにはスタッフの方が同乗し、「十国峠」の名の由来等の話があった、と思う。帰りだったかも知れない。
 十国峠は「峠から、十国が見渡せる」ことから名付けられている。
 「いつの時代の十国か」という疑問をとりあえず横に置いておくと、「伊豆」「駿河」「遠江」「甲斐」「信濃」「相模」「武蔵」「上総」「下総」「安房」である。

富士山 ケーブルカーの中から見えていたし、スタッフの方も「今日はよく見えている」とおっしゃっていたので、ケーブルカーを降りて展望台にそのまま向かう。
 ばっちり富士山が見えていた。
 母は「富士山は雪化粧していなくっちゃ。」と言うけれど、このケーブルカーは昨日までの3日間は点検のためお休みしていたし、今日はこんなに晴れていて、しかも見晴らしもいい。
 これ以上の幸運はないと思う。

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2024.11.10

湯河原旅行記(2024)1日目その2

2024年10月30日(水曜日)

 本日の宿である源泉かけ流しと創作イタリアンの宿 Albergo湯楽での夕食は、チェックインの際に18時半でお願いしていた。時間に少し遅れて館内にあるレストラン「ピノ・クラーレ」に行くと、奥のスペースはほぼ席が埋まっている。
 浴衣姿の人が半分、洋服を着ている人が半分という感じだったと思う。
 母は白ワインを頼み、禁酒中の私はロゼのノンアルコール・スパークリングワインでスタートした、イタリアンの夕食のメニューは以下のとおりである。

 いただいたメニューには食材のみ書かれ、お料理の説明はサーブの方が伝えてくれた。
 私の記憶とメモが頼りなのでかなり怪しい。お料理の名前を書いてあると嬉しい。

冷菜 鮪 梨 九条ネギ
 梨はダイスに刻んでタルタルの中に入り、合わせてチップ状に揚げて添えられていた。
冷菜-2

冷菜 茸 フォアグラ 無花果 カリフラワー
 煮込んだカリフラワーが敷かれ、その上に茸のソテーとセミドライの無花果が載せられている
 ジュレも茸のお出汁で作ったとお話があった、気がする。
冷菜

自家製パン盛り合わせ
 フォカッチャとゼッポリーネ、そしてチーズは確か山羊のチーズが2種ともう一つトリュフ入りと言われたような気がする。
自家製パン

天然地魚のカルパッチョ
 左からハタ ヒラメ ヤガラ。もずくのチップが添えられていた。
 そして、カルパッチョだけは料理名が書いてあったのがちょっと楽しい。
 どのお魚もコリコリと新鮮で、もずくのチップには塩気が利き、美味しかった。
 飾られたお花は全てエディブルフラワーだ。
カルパッチョ

温菜 薩摩芋 地鶏 青梗菜 ストラッキーノ
 さつまいものニョッキとチキンのフリットである。
 ストラッキーノとは何か説明してもらったことは覚えているのに、肝心の正体を忘れてしまった。悲しい。
 「青梗菜はちんげいさいだ」と何度言っても母に信用して貰えなかったのが若干ショックである。
 (写真を撮り忘れた。)

お魚 本日鮮魚 牛蒡 人参 蓮根 白菜
 本日鮮魚は鰆のソテーだった。
 白菜は煮込まれて敷かれ、野菜のラグーソースがかかっている。
 若干強めの塩気が美味しい。
お魚

 この辺りで最初のドリンクを飲み終わり、ジンジャーエールをお願いした。
 「自家製と自家製でないものと両方あります」と言われたら、それは自家製をお願いするに決まっている。

お口直し 紅玉
 これはシャーベットでしょう! と思ったら当たった。
口直し

お肉 和牛 蕪 パセリ
 柔らかいお肉に蕪のソースとパセリのソースの2種類のソースと岩塩が添えられていた。
 牛肉は脂もしつこくなく、柔らかく、美味しかった。
お肉

デザート 南瓜 チョコレート 巨峰
 「ハロウィンですものね」とサーブの方に言ったら「何のこと?」という表情をされていたので、ハロウィンを意識してパンプキンプリンが供された訳ではなかった、のかも知れない。
 巨峰はコンポートとジュレだった。巨峰に限らず葡萄のコンポートは初めて食べたと思う。
 「チョコレート」はガトーショコラを焼いて砕いて散らしました、というお話だった。凝っている。
 そして、バニラアイスが添えられていた。
 飲み物はコーヒーか紅茶かを選ぶことができ、母も私もコーヒーをお願いした。コーヒーカップが洒落ていると思う。
デザートデザート

 2時間弱かけてゆっくり美味しいイタリアンをいただいた。
 夕食の際に明日の朝食を和食にするか洋食にするかお尋ねがあり、洋食をお願いした。

 もう本当に本当にお腹がいっぱいで、アルコールを入れたこともあり母は眠そうで「お風呂はもういい」と言う。
 同じような方が多いのか、22時前に大浴場に行ったら、また貸切状態で楽しむことができた。ラッキーである。
 ゆっくり温まり、汗が引くのを待って、23時過ぎに就寝した。

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2024.11.03

湯河原旅行記(2024)1日目その1

2024年10月30日(水曜日)

 今回、母との温泉旅行の行き先は湯河原である。
 毎回言っているのに果たせていない気がするけれど、今度こそ「美味しいものを食べて温泉入ってゆっくりのんびりするだけ」の旅行にする予定である。
 最初は東京駅でお昼ごはんを食べてから特急踊り子に乗ろうと思っていたものの、母に「それでまたとんかつを食べるの?」と言われ、そういえば3月に伊東に行ったときも東京駅でお昼ごはんを食べたことを思い出した。

天ぷら蕎麦 ここは違いを出そうと、10時半前に家を出て品川駅に向かった。
 雨が止んだのが有り難い。
 ちょうど12時くらいに品川駅に到着し、うろうろと探し回って、ぬる燗佐藤 御殿山茶寮に落ち着いた。一升瓶をずらっと隙間なく並べた壁が圧巻だ。

 二人とも、冷たい天ぷら蕎麦を頼んだ。わさびはお蕎麦の上に散らし、ネギをそばつゆに入れていただく。
 お蕎麦も美味しいし、天ぷらも美味しい。
 満足である。
 お水ではなくお茶だったらさらに嬉しかった。

 思ったよりもサクッと食べ終わり、構内のお店を見て回ったり、本屋さんに寄ったり、ペットボトルのお茶を購入したりした後、品川駅13時8分発の踊り子11号に乗車した。
 乗車し、母の荷物を網棚にあげて座席に落ち着いたらもう爆睡である。
 小田原辺りまでは確実に寝ていたし、その後もたまに目を開けると海が見えていた、という感じだったと思う。
 曇り空の下の海は青というより青灰色だ。

 14時13分に湯河原駅に到着し、そのまま14時24分発のバスに乗った。
 宿のチェックイン時刻は15時なので、その前に少し散歩しようと、落合橋で降車し、万葉公園に入った。
 楽勝と思っていた川沿いの道は、母と歩いてみると、昨日の雨もあってなかなか歩きづらかった。水たまりもできているし、意外と階段も多い。
 惣湯まで歩いて、そのまま宿に向かうことにした。
 それにしてもカタツムリなんて久しぶりに見た気がする。

万葉公園万葉公園

万葉公園万葉公園

 万葉公園から徒歩10分ほど、最後の急な登り坂道に母が「息も絶え絶え」と言うのを励まし、15時過ぎに本日の宿である、源泉かけ流しと創作イタリアンの宿 Albergo湯楽にチェックインした。
 こちらの宿には3年ほど前に一人で宿泊し、そのときに「次は母も連れてこよう」と思っていた。3年かけてやっと達成である。
 ロビーのソファでチェックインの手続きをし、夕食・朝食の時間を決め、貸切風呂の予約をする。
 私が以前泊まったことがあるとフロントの方がご存じで、ちょっとびっくりした。

 前回来たときには口頭でお伝えいただいていた貸切風呂の予約状況を、今回は一覧表で見せていただくことができた。
 貸切風呂は、露天風呂と岩風呂の2カ所あり、そのどちらかを1回、無料で利用することができる。やはり、現在の予約状況を見せてもらえると選びやすい。
 概ね似たような時間が埋まっていたし、ここは露天の気持ちよさを母にも味わってもらおうと、17時からの露天風呂をお願いした。
 宿の方曰く「露天が人気で、日によっては岩風呂の予約が1件も入らないことがあるんです。毎日掃除しているのに!」ということだった。

宿のお部屋 以前は「オーベルジュ湯楽」という名前だったこの宿が名前を変えたきっかけは宿のリフォームだったという。
 我々が泊まった部屋は多分以前からあるお部屋だと思う。
 湯楽は斜面に建てられているためエレベータがなく、温泉2カ所とレストランのある階がすべて異なっている。階段移動が必須だ。
 少しでも楽なようにと低層階のお部屋を指定した。眺望がないく、アウトバスである分、お値段がお安めになっているのも有り難い。

 ベッドの部屋を選んだのは、自分が宿に着くなりお昼寝をするだろうなと思ったからでもある。
 案の定、お部屋に入り、湯楽文庫という共用のラウンジでいただいてきたコーヒーをいただいて一休みしたあと、少し横になってしまった。
 ちなみに湯楽文庫と泊まった部屋は同じフロアにあった。
 湯楽文庫では、コーヒーマシンの他、熱湯とお茶のティーバッグが各種用意され、また冷茶のポットもあった。

湯楽文庫湯楽文庫

 毎回「ゆっくり温泉に浸かって美味しいものを食べるだけ」の旅行にチャレンジしているものの、多分根っからの貧乏性の母と私はなかなか「ゆっくりする」旅行を果たせていない。
 今回は流石にゆっくりするだろうと他人事のように思っていたけれど、私は暇である。暇すぎる。
 余りにも暇すぎて、17時から貸切風呂を予約しているにも関わらず、16時過ぎに大浴場に行った。母が「私はいい」と言うので一人で行く。

 大浴場は誰もおらず貸切状態だった。嬉しい。
 男女別で夜中に入れ替わり、チェックインした日、女性は大きな湯船のあるタイル張りの内湯に入ることができる。
 一人だったので写真も撮ってみたけれど、湯気がもうもうとしていて、何を撮ったのか全く分からない写真になった。
 70度くらいのお湯を2〜3mくらいの高いところから細く注ぐことで冷ましている。それでも熱めの湯だ。
 貸切風呂も待っているし、15分くらいでさくっと上がった。

おやつのりんごゼリー 湯上がりに、部屋の冷蔵庫にご用意いただいていたりんごゼリーと、湯楽文庫で入れてきた紅茶をいただいた。
 落ち着く。
 そういえば、冷蔵庫は洗面スペースに設置されていて、この洗面スペースが前室のような位置にあり、かつ異様に広かった。

 軽く畳3畳分はあったと思う。どうしてそこまで広いのか本当に謎だった。

貸切露天風呂 予約時刻の17時に露天風呂に向かった。階段を上がってさらに進み、この時間は男性用になっている岩風呂への入口の隣にある引き戸から外に出る。
 砂利道を進むこと20歩くらいで、露天風呂のある湯小屋の入口だ。
 10月下旬のこの時間帯はすでに薄暗くなっており、砂利の敷かれた道は母には歩きづらかったようだ。申し訳ない。うっかりしていた。

 それでもこの20畳の広さがあるという貸切露天風呂の広さをぜひ味わってもらいたかった。
 洗い場は1カ所、外にある。私は大浴場で身体をすでに洗っていたからいいけれど、お湯が出るまで少し時間がかかったこともあって、母は寒かったようだ。
 こちらの湯船にも高いところからお湯が落とされている。外気にさらされている分、大浴場よりも若干お湯の温度が低いような気がする。
 湯に浸かっている間に日が落ち、ライトアップされた露天も楽しめて特をした気分になる。
 風も気持ち良く、貸切時間の40分を最大限に活用して堪能した。

 -> 湯河原旅行記(2024)1日目その2

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2024.10.31

無事、帰宅する(湯河原2024)

 2024年10月30日から1泊2日で、母と湯河原に行って来た。

 母からの「温泉に行きたい」という再三のリクエストにお応えしての温泉旅行である。
 私が相変わらず心身共にいっぱいいっぱいだったので「何もしない、行ってごはん食べて温泉入ってくるだけの旅なら!」と言っていた筈が、帰ってきてみれば、前回の奥日光旅行と同様に意外と動き回っている。
 そして、贅沢したなー、美味しいものを食べてきたなー、という感じだ。

 1日目は、品川駅で昼食を食べてから湯河原に向かい、万葉公園を少し散策してチェックイン、温泉三昧をし、美味しいイタリアンの夕食をいただいた。
 2日目は、熱海からバスで十国峠まで行き、ケーブルカーで見晴台に上って「十国」と「富士山」の眺めを堪能し、來宮神社に寄り道して大楠を拝み、熱海で生しらす丼のお昼を食べ、サフィール踊り子で品川に戻り、夕食用の駅弁を買って帰宅した。

 今回の旅行費用は、一人分で約38000円だった。
 ここには、交通費、宿代、飲食費が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 また、1日目の歩数は6513歩、2日目の歩数は6540歩だった。

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