長崎旅行記1日目その1
2026年3月15日(日曜日)
朝、7時前に家を出て羽田空港に向かう。
荷物をどう持って行こうか試した結果、海外旅行に行くときに使っていたキャリーケースに二人分の荷物を詰めて私が転がして行くことにした。ミラコロでは2泊3日の旅の一人分の荷物が入らなかった。私が「寒いよ!」と言い続けたせいもある。
それに、80歳の母に荷物を転がして貰うより、私が転がした方が安心である。まだ駅の階段程度であれば持ち上げて登ることもできる。
日曜の朝早くの割りに電車はそこそこ混んでいて、東京モノレールの浜松町駅も満杯で、モノレールで座れたときはほっとした。
コラボ車両らしく、内外でキキとララが浮かんでいる。懐かしい。私が子供の頃に全盛だったキキララが、今も相変わらず人気なのか、復活してきたのかどちらだろう。
集合時刻の10分前、8時40分に添乗員さんを発見できた。
バッチ等々を渡され、ツアー人数は13名ですと話があり、今日の夕食は17時30分からですと案内がある。
行程表では、大浦天主堂の見学後、一度宿泊先のホテルに戻り、夕食+夜景に出かけることになっているものの、大浦天主堂と夕食をいただくホテルが近いそうで、宿泊先のホテルには戻らないかも知れないと言う。戻らないのだろう。
夕食のメニューは? と尋ねたところ「洋中華」というお答えだった。どんなメニューなのか謎である。
キャリーケースを預けた後、機内で食べるお昼ごはんを探しに行く。
夕食が17時半と早いそうだから、あまりたくさん食べ過ぎてもいけない。焼き鯖寿司とおこわのおにぎりを購入した。
9時過ぎにはセキュリティチェックを抜ける。水筒は通れたっけ? と思っていたら、蓋を開けて一口飲んでくださいと言われた。のんびり歩いて搭乗口に着いた9時20分頃、ちょうど搭乗が始まった。
ソラシドエア33便長崎行きは、定刻通り9時40分に離陸した。通路が1本、3列3列の機体だ。
国内線に乗ると何故だか国際線に乗ったときよりも耳鳴りが酷い。耳栓をして、のど飴を口に入れて、完全防備のつもりだったけれどそれでもちょっと辛かった。
外はいいお天気である。
富士山もくっきりと見えた。
11時前にお昼ごはんを食べる。
もはや「空弁」の定番とも言える若廣の焼き鯖寿司と、寿徳庵の松阪牛のおこわのおにぎりである。
見事に野菜がカケラも含まれていない。しかし、これが美味しいのである。
順調に飛んだ飛行機は定刻より20分早い11時30分に長崎空港に到着した。
荷物を受け取り、ロビーに出たところにバスガイドさんが待ち構えており、ツアーメンバーが集合した。
3人家族が一組、友人同士らしい3人連れが一組、ご夫婦が一組、我が家を含め母娘が二組、お一人参加が1名の合計13名である。
これだけ少ないとバスの座席も一人で2席確保でき、ゆったりのびのびだ。
「世界初の海上空港」であるらしい長崎空港を正午に出発し、12時40分に最初の観光スポットである出島に到着した。
12時50分に出島に到着した。
出島が市内というか市街地にあって今ひとつピンとこない。出島は海にあったのではないのか?
築造された当時はもちろん出島は海の上の島で、その後、埋め立てが進んだ結果、現在は池というか水路の中にあるような感じになっている。
元々、出島はキリスト教の布教を行っていたポルトガル人を収容するために築造され、ポルトガル船の来航が禁止された後、平戸からオランダ商館が移転されて「鎖国している日本の唯一の外国との接点」になったという経過がある。
何だか中学校の社会の授業のようだ。

出島で一番面白いと思ったのは実は入口手前の「表門橋」だ。
出島は国指定史跡であるため、2017年に出島が出島として活躍していた頃と同じ位置に橋を架け直そうとした際に、出島を削って橋の基礎を作ることはできなかったそうだ。
そのため、この表門橋の基礎は、対岸(出島ではない方)にのみあり、出島側では橋は浮いている。片側だけで橋を支えている訳だ。
世界でも珍しい構造の橋だという。
そして、この橋の上に四角いマークが四つ埋め込まれている。
そのマークは「最初に掛けられた出島橋の起点と終点」の印だそうだ。
そうすると、実際の出島に渡る橋は3mくらいの長さだったようだ。
そんなに短かったら、簡単に飛び移ったりできちゃいそうだけれど、どうだろう。「唯一の入口」の役目はちゃんと果たせていたんだろうか。気になる。
出島に入るところで解散となり、14時まで1時間強の自由時間になった。何というか時間に太っ腹である。
入ってまず、明治時代に建てられた建物を見に行った。入口を入って左手奥にある、手前の緑とクリーム色が旧長崎内外クラブ、奥の水色が旧出島神学校である。
手前の内外クラブの1階はレストランになっていて、入口脇に数人の待ち行列ができていた。レストランに入らないと中を見ることはできない。
奥の神学校も中に入ることはできず、外観のみの見学である。


出島神学校の道を挟んだ反対側が庭園のようになっており、そこにミニ出島が鎮座している。
1/15の大きさで、1820年代の出島の様子を描いた絵を参考に再現しているそうだ。だから当然、今の姿とは異なっていて、このミニ出島には、明治期の建築である長崎内外クラブも長崎神学校も建っていない。
そして出島橋は、出島側と反対側と両方から基礎部分が飛び出していて、短く丸い橋である。
多分きっと、なかなか再現性が高い。
この後は、出島のもう半分を占める復元された建物を色々と見て回った。
古伊万里の展示があったり。

カピタンの部屋が再現されたていたり。

船長や商館の人の部屋が再現されていたり。

カメラオブスクラを覗けたり、バドミントンのラケットがあったり。

なかなか楽しめた。
ミュージアムショップもあって、母は、カピタンの格好をしたクマのマスコット(チャームと言うのか?)を購入し、早速ショルダーバッグに付けてご満悦だった。ちょっと可笑しい。
私も、ミュージアムショップで販売されていた、中山洋行のドリップパックコーヒーを購入した。日本で最初にコーヒーが伝来したのが長崎の出島と聞いたら、出島でコーヒーを買いたくなるではないか。しかもそれが3つセットで、それぞれ、洋行ぶれんど、オランダ坂の珈琲、カピタン珈琲 と名付けられているのだ。
出島の歴史を上映しているという出島シアターに行きそびれてしまったものの、うろうろと出入りして結構楽しめた。また、当時の格好をしたガイドさんによるガイドツアーもあるそうで、そちらもちょっと面白そうである。
この後はバスに乗ってほんの少し移動し、結構急なお土産物屋さんが並ぶ坂を上がって行くと、そこに大浦天主堂がどどん! とそびえ立っていた。
ここでガイドさんの説明を受けた後は、17時半まで自由行動である。
大浦天主堂は国宝である。かつ、「長崎と天草地方的の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する世界遺産である。さらに、国内に現存する最古の教会である。行くまで知らなかった。
大浦天主堂は幕末に外国人用の教会として1864年に創建されている。
そして、大浦天主堂が「シンボル」であるのは、ここに長く隠れキリシタンとして信仰を守っていた人々が1865年にこの教会の神父に信仰を告白したからだという。「信徒発見」だ。
かつ、大浦天主堂は、「日本二十六聖人殉教」に捧げられた教会でもあるらしい。そのため、この教会は、二十六聖人が十字架にかけられた西坂を向いて建てられている。
「日本二十六聖人」だから、二十六聖人は日本人なのかと思っていたら、フィリピンからメキシコに向かっていて台風で土佐に漂着したスペイン船に乗り組んでいた宣教師や信者たちが、「布教と占領」を宣言したことに激怒した豊臣秀吉によって処刑されたという。
処刑はともかく、激怒されるのは当然なのでは・・・、という気がしてしまう。
大浦天主堂の内部を見学している限りは、そうした歴史が表に出てくることはない。なかったと思う。
木目の美しさやステンドグラスの美しさ、穏やかで重厚で少しばかり重苦しい空気感を感じるだけだ。
写真撮影禁止だったし、私の記憶は曖昧だけれど、白より焦げ茶のイメージだったと思う。


バスガイドさんからは、お隣にある大浦天主堂キリシタン博物館の見学もお勧めされていた。
でも、本当に申し訳ないことながら、丁寧に見学している母の後ろを付いて行きながら「キリスト教の考え方、なじめないわ〜」と思っていた。(正直に言うと「好きくないわ〜」と思っていた。失礼極まりなくて申し訳ない。)
「なじめない」と言い切れるほど知っている訳ではないけれども、博物館の展示が、二十六聖人の殉教に関するものだったり、信徒発見にまつわるものだったり、上手く言えないのだけれど自己犠牲を前提としているようにも当然としているようにも感じられて辛かった。
ちなみに、大浦天主堂キリシタン博物館は、下の写真右の「旧羅典神学校」と左の「旧長崎大司教館」の二つの建物で構成されている。
母は30分くらいかけてじっくり見学していた。


30分くらいかけてじっくり見学してもまだ15時である。
ガイドさんにお勧めいただいた通り、そのままグラバー園に向かった。
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