2005.06.05

ケニア旅行記の入口を作る

 ここはケニア旅行記への入口である。
 旅行記に写真も追加し終えたので、入口を作っておくことにした。
 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2003年9月13日 羽田 -> 関空 -> 機中泊

2日目 2003年9月14日 ドバイ -> ナイロビ(泊) 

3日目 2003年9月15日 ナイロビ -> アンボセリ(泊)

4日目 2003年9月16日 アンボセリ(泊)

5日目 2003年9月17日 アンボセリ -> アバーディア(泊)

6日目 2003年9月18日 アバーディア -> ナクル湖(泊)

7日目 2003年9月19日 ナクル湖 -> マサイ・マラ(泊)

8日目 2003年9月20日 マサイ・マラ(泊)

9日目 2003年9月21日 マサイ・マラ(泊)

10・11日目 2003年9月22・23日 マサイ・マラ -> ナイロビ -> ドバイ -> 関空 -> 羽田

 

その国の旅を終えて 100の質問 (ケニア編)

2003年9月 ケニア・サファリの写真

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2005.05.29

ケニア旅行記10・11日目

2003年9月22日(月曜日)・23日(火曜日)

P9220964マサイ・マラの朝焼け ケニア最後の1日である。モーニングノックが8時という、これまでにない遅起きの日程だ。
 ゆっくり朝寝坊するつもりでいたけれど6時前に目が覚めてしまった。テラスに出て、朝焼けの写真を撮る。コテージからは、ロッジの樹木の隙間から何とかサバンナが見える感じだ。
 その後は、朝ごはんまでのんびりと『海辺のカフカ』を読んだり荷造りしたりして過ごした。

 朝食前に精算を済ませてしまう。3泊の間にレストランで頼んだ飲み物代が23ドルだった。
 昨日も一昨日もサバンナで食べているので、最初で最後のムパタ・サファリ・クラブでの朝食だ。ビュッフェではなくて、メニューを見てパンや卵料理や飲み物を選ぶ方式だった。トーストとオムレツ、コーヒーを頼む。

P9220969ハイラックス コテージに戻ってスーツケースを出し、ロッジの中をちょっとだけ散策する。
 レストラン下のバブーン・バーに行くと、ハイラックスが来ていた。トカゲもいる。
 トカゲはムパタ・サファリ・クラブのマークにも使われていて、ロッジの中を歩いているとしょっちゅう見かけていた。近付くとしゅるしゅるとすぐに逃げてしまって、じっくり見るのはなかなか難しい。
 逃げられちゃわないよう、5m以上離れたところからズームをめいっぱい使ってトカゲの写真を撮った。

 ちなみに、今回持って行ったカメラはデジカメ1台で、メディアは256MBのカードが2枚と512MBのカードが1枚、カメラに元々付いていた16MBのカードが1枚だ。
 マサイ・マラに来てから写真の解像度を上げたけれども、それまではデフォルトのノーマルモードで撮影していた。昨日までで2枚の256MBと512MBのカードは使い切った。
 この旅行中に撮った写真は、完全にブレた失敗作も含めて975枚だ。

 10時にロッジを出発し、10時半過ぎに飛行場に到着した。
 「飛行場」と言っているけれども、滑走路とその脇に日よけの四阿があって、それだけである。四阿から、遠くに象を見ることができた。
 11時発予定の飛行機は少し遅れて11時半過ぎに飛んできた。そのまま歩いて搭乗する。
 荷物の重量検査もないし、X線検査もない。ただし、X線検査は何故かナイロビに到着してから実施された。

 ナイロビの「カーニバル」というアフリカンバーベキューのレストランで昼食をいただいた。シマウマやガゼルやワニやキリンが出され、「残酷!」などと言いつつ、みんなでバクバク食べる。
 ムパタ・サファリ・クラブのバーにもあったDAWAというカクテルを頼む。ウォッカを蜂蜜とレモンジュースで割ったカクテルで、軽くて飲みやすい。セコイと思いつつ、コップの底に蜂蜜とレモンが残ったのでそのままコン・ガスの水を足して飲んでみたら、ちょっと爽やかな飲み物になった。
 食後のデザートのシャーベットはレモンとパッションフルーツ味でどちらも激しく酸っぱい。

 レストランから15分くらい空港に向かって走ったところにあるスーパーマーケット「UCHUMI」に寄り道をしてくれた。
 ここで、コーヒーと紅茶と塩とノートとマッチを買う。昨日の夜飲んだリキュールがあったら買うつもりだったけれど、残念ながら見つけられなかった。
 新婚旅行の二人が、もの凄く大量に買い物をしてみんなの注目を浴びていた。とても持ちきれず、スーパーの人に段ボール箱をもらって詰め込んでいた。新婚旅行というのは大変である。

 出発の3時間前くらいに空港に到着した。何があるか判らないので、とにかく早めにチェックインするのが鉄則のようだ。
 ナイロビに預けていた荷物を受け取り、スーツケースに無理矢理詰め込む。17人が空港の一角を占拠し、スーツケースを広げて荷物整理をしているところは結構壮観だったに違いない。
 荷物整理が出来た人からチェックインで、通路側の席をお願いした。

 あと3時間もあるよ、と思っていたけれど、空港のお土産物屋さんがかなり充実していて楽しい。ケニアシリングもUSドルもかなり余らせていたので、Tシャツとタンザナイトのネックレスを購入した。コーヒーリキュールも見つけたのでお買い上げである。
 空港内のお店では、カードはほとんど使えないようだった。

 18時20分発のエミレーツ航空724便でドバイに向かう。
 翌2003年9月23日0時20分(現地時間)にドバイに到着した。往路と同じように、金属探知器で引っかかって靴を脱いで再チャレンジする羽目になる。
 2時30分発のエミレーツ航空316便で関空に向かう。

 ほとんど眠れないまま、日本時間の17時25分に関空に着いた。関空出発の6人の方々とはここでお別れである。添乗員さんは、往路は関空で合流だったけれど、帰りは羽田まで一緒だ。
 このツアーの行程で最大の難点は、この関空での待ち時間だと思う。羽田行きの便まで4時間近くある。ドバイからの便が遅れることを計算に入れているのだろうが、それにしても待ち時間が長い。

 せっかく関西にいるのだからとお好み焼きを食べたりして時間を潰し、21時15分発のエミレーツ航空6250便で羽田へ向かい、22時25分に羽田に到着した。

 ケニア旅行記9日目<-

2005年6月4日画像追加

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ケニア旅行記9日目

2003年9月21日(日曜日)

 今朝のモーニング・サファリの集合は昨日より1時間遅い6時だった。5時半にモーニングノックが来る。
 レストランに行くと、添乗員さんがすでに待っていてくれた。やはりサファリに出掛けるヴィンセントもいる。コーヒーと紅茶のサービスがあって、担当しているロッジのスタッフとヴィンセントはもちろん顔見知りのようだ。

 出発してすぐに象の群と遭遇した。添乗員さんに「幸先がいいですね」と言われる。
 ツアーの方々が乗っていると思われる気球が見える。概ね私たちの車と同じ方向に進んでいるらしい。「見えないかな」と言いつつ手を振る。
 その後しばらくは遠出のためのドライブという感じで、ひたすら走った。ついにはマサイ・マラに4つあるという飛行場のうちのもう一つも通過してしまう。セレナ・ロッジを遠目に見て、車に揺られ続ける。連日の寝不足もあって、車内も盛り上がらないことこの上ない。

 そうこうしているうちに久しぶりに別の車の姿を見たなと思ったら、茂みの中で寝ているライオンに遭遇した。狩りの後らしく、膨らんだお腹を大きく上下させて熟睡している。
 ドライバーのオボッチャが、サファリ・カーのエンジンをふかして強引にライオンを起こそうとする。
 彼我の距離5mでそんなに強引なことをしていいのかと思っていると、ライオンが目を覚ました。  おぉ! そんなに怒ってはいないようだ。

 雌ライオンのお腹が大きいのは、たくさん食べたからではなくて赤ちゃんがいるのかもしれない、と教えてもらう。ちょうど1ヶ月前くらいがハネムーンのシーズンだったそうだ。

 思いついて、ライオンのドアップの写真を撮った。
 動物図鑑の本にあった「空を入れる」「動物の進行方向をあける」という注意を(なるべく)守って写真を撮っていたので、こんな写真は珍しい。たまにはいいだろう。
 これまで、大抵はデジカメで写真を撮っても撮った写真を確認している暇はなかったけれど、このロング・サファリでは四人しかいないという気楽さもあり、かなり長めに車を停めていてくれるので、撮った写真を見る余裕もある。車内の方々に披露したらなかなか好評で、CD-Rに焼いて送ることを約束する。

 さらにしばらく車を走らせたところで、オボッチャが「あそこの蟻塚の上にチーターがいる」と教えてくれた。
 指差す方向に目をこらしてみても、確かに蟻塚はたくさんあるけれど、チータなんて確認できない。「見えない」と騒いでいると、オボッチャはおもむろに車道から外れてランクルをサバンナに乗り入れた。
 親子4頭のチーターの家族に、3〜4mの距離まで大接近だ。

 大興奮で写真を撮りまくっているうち、ふと気が付くとチーター(特に子どもたち)が結構活発に動いてこちらを伺っている気配がしている。
 「狙われているー。」と騒いでいると、オボッチャが「赤い服に反応しているんだ。」と私を指差して教えてくれた。動物が赤い色に反応するというのは本当だったらしい。
 もうかなり日も高くなって暖かくなっていたことだし「脱ごうか?」と聞いてみたところ、「大丈夫」という返事だった。

 プロが言うのだから大丈夫でしょうと、赤い服を着たまま、チーターに威嚇されつつ写真を撮りまくる。
 流石に姿勢を低くして今にも飛びかかって来そうになったときには、車中が大騒ぎになった。

 チーターのしなやかさを堪能した後、川べりに移動して朝食になった。オボッチャが周辺の安全を確認してから、「車を降りていいよ」の合図をしてくれる。
 ロッジで用意してくれたお弁当は、タッパの中にサンドイッチやソーセージ、ゆで卵、リンゴなどなどが入っていた。

P9210757ヒッポ・プール 朝食を食べた場所から少し離れたところにカバの群れが寝ているのが見えた。そこは、マラ川のヒッポ・プールだそうだ。40頭くらいの集団で、なかなかの迫力だ。
 「近くで見たい!」とお願いしたら、「危ないからダメ」という返事だった。カバは結構凶暴な動物らしい。

 朝ごはんを食べながら(もちろん添乗員さんの通訳付きで)しゃべっているうちに、オボッチャがムパタ・サファリ・クラブのチーフドライバだということが判明した。ムパタ・サファリ・クラブのドライバーはみんな優秀で、みんな自分がコーチしたんだ、と話す彼が誇らしげなのが可愛い。

 食休みし、木の陰でブッシュトイレを済ませ、再びサファリに出発する。
 小さな川をシマウマとヌーが渡っているところに出会った。
 ヌーとシマウマの川渡りポイントでは、昨日は川岸にたくさん集まってきていて今にも渡りそうだったので30分くらい待ったけれど、結局見ることはできなかったそうだ。
 今日はまだ動物も集まっていなくて、「午後にまた来てみよう」ということになった。

P9210726チータの兄弟 しばらく走ると、サファリ・カーが1台停まり、テレビカメラで何かを狙っているのが見えた。自立すべく親に置き去りにされたチータの兄弟がいるらしい。
 ドライバー同士で話がついたらしく、オボッチャがその兄弟チータのそばまで近づいてくれた。
 この兄弟チータは私の赤い服を見ても反応しない。彼らも不安がっていたのかもしれない。

 「バッファローの赤ちゃんって見てないね」「バッファローは赤ちゃんのときからあんなにゴツイのかな」という話になり、添乗員さんからオボッチャに伝えてもらう。するとあっさりとバッファローの群れ(もちろん赤ちゃんもその中にいる)の近くまで連れて行ってくれた。
 その途中、あまりにも可愛い「お馬の親子」がいたので車を停めてもらう。実はこの頃には、シマウマとヌーにはかなり飽きていたけれど、「子供」となると話は別だ。シマウマの子供は茶髪でとても可愛い。
 そのすぐ近くでは、鷲(だと思う)がシマウマをついばんでいるところも見た。オボッチャによると、そのシマウマはハンティングで殺されたのではなく病死したらしい。

 象やキリンも見ながら12時半にロッジに戻り、そのまま昼食を食べた。
 レストランのすぐ上に図書室があり、そこにヴィンセントがいた。彼のお父さんはマサイ族、お母さんはキクユ族で、彼自身は子供の頃はマサイ・ヴィレッジで育ったそうだ。
 「マサイ・ジャンプもできるの?」と聞いたら「得意です」という返事だ。
 「夜に一緒にビールでも飲みましょう」という話をして別れる。

 昨夜、添乗員さんから、今日の午後はツアーの日程上はフリータイムだけれど希望者はサファリに無料で参加できるという話があった。もちろん私は参加する。その出発が15時だから、少しだけ時間がある。
 ケニアに行く前から「絶対やる」と決めていた、「ケニアで『海辺のカフカ』を読む」をやっと実行した。
 朝夕にサファリがあって、昼間はフリータイムだから時間はたっぷりあるだろうと思っていたら、フリータイムになるとお洗濯を始めたり、友達に絵はがきを書いたり、日記を書いたりして、本を読んでいる時間がまるでなかったのだ。
 窓を全開にすると涼しい風が入ってきて、ベッドに寝転がってかなり心地よい読書タイムを過ごした。

 イブニング・サファリは、ツアー17名のうち9名が参加した。添乗員さんも一緒に行ってくれると言う。
 人数が減ったせいか、面倒になったのか、「もういいですよね。適当に車に乗ってください」ということになり、適当に3台に分乗する。
 「何を見に行くの?」とドライバーさんに聞いたら「ヌーの川渡りを見たいということなので、まず川に行く」という返事だ。

P9210892川岸のヌー 朝のロング・サファリで見た川に着くと、ヌーとシマウマが川岸に押し寄せて、まさに渡らんとするタイミングだった。
 先に渡ったシマウマが、なかなか来ない後続の集団を心配して何だかせつないような声で仲間を呼んでいる。
 それでも川に入る気配がないことを察して、何頭かのシマウマが迎えに戻る。何故かガゼルが一頭だけすいすいと泳いで川を渡り始める。

 そうこうしているうちに、いきなりヌーが集団で川を渡り始めた。  一度決めてしまうとやたらと大胆で、特に足元を確かめもせずに次々と川に飛び込んでいく。後から後から続いてくるので、後ろから押されて、ということもあるのかもしれない。一列になって川を泳いで渡っている。
 渡り終えたヌーとシマウマはそのまま川のこちら側をタンザニアに向けて歩いて行く。

 ふと気が付くと、川の向こうに見えていたカバがいなくなっていた。
 ツアーの人によると、さっき渡っていたガゼルがワニに捕まってしまったらしい。ワニはガゼルをくわえて川を渡っていたそうだ。ヌーとシマウマに気をとられて、全く気が付かなかった。

 ロッジへの帰り道でドライバーさんに聞いたところでは、ヌーが川を渡るシーンは1ヶ月滞在して2〜3回見られるかどうかというくらい珍しいそうだ。そう聞くと、嬉しさも倍増である。
 アンボセリに到着したとき以来目にしていなかったダチョウを発見し、車を停めてもらう。ダチョウは黒っぽい羽毛のものが雄、茶色っぽい羽毛のものが雌と教わったけれど、私には見分けが付かなかった。

 帰り際にとうとう雨が降り出した。結構強い雨で、ドライバーさんにオープントップを閉めてもらう。
 それでも遠くの方は晴れていて、地平線から地平線に半円状にかかる虹を見ることができた。
 そんな虹を見たのは生まれて初めてだ。

 このツアー最後の夕食は、19時40分からという微妙な時間に集合だった。
 えびのマリネ、チキンとそば入りのスープ、メインは選べたのでビーフのベーコン巻きにする。デザートにいちごのムースとコーヒーというメニューだ。
 ツアー中に誕生日を迎えた方がいらして、その方のお誕生パーティになる。シェフがバースディケーキを作ってくれて、ろうそくを立て、ロッジのスタッフが歌いながら持って来てくれた。みんなで周りを囲んでお祝いだ。

 夕食の後、添乗員さんがみんなに声をかけてくれ、ほとんどのツアーメンバーがそのままバーに移動した。
 ヴィンセントも後から合流し、日本語と英語のちゃんぽんでしゃべる。どう考えても私の英語よりも彼の日本語の方が達者だ。
 「今日はヌーの川渡りを見たんだ」と自慢すると、ヴィンセントも「それはラッキーだ」と驚いていた。その幸運と一緒にケニアに残ってくれ、なんて言っていた。彼は明日、川渡りを見るために再チャレンジするそうだ。

 「ヒョウが見たかったな」と言うと、「ずっとこっちにいれば見られる」と言う。そりゃあそうかも知れないが、そういう訳にはいかないのだ。
 ヴィンセントは、ヒョウは主に木の高いところにいるから運転しながら見つけるのは大変なんだと言う。
 ガイドドライバーという仕事はかなり季節労働のようで、「今はヌーがマサイ・マラに来ているから肉食獣もこちらにいるけれども、彼らがセレンゲティにいる間は観光客も来ないから、寝ているしかないくらい暇だ」と言っていた。

 23時には消灯になるので、22時半にお開きになった。
 ちなみに、私がそのとき飲んだのは「アフリカン・ブラウン・カウ」というカクテルである。ケニアのコーヒーリキュールをミルクで割ったカルアミルクのようなカクテルで、甘くて美味しかった。

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2005年6月4日画像追加

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2005.05.28

ケニア旅行記8日目

2003年9月20日(土曜日)

 ムパタ・サファリ・クラブではバルーン・サファリに行く宿泊客がいるときといないときでは、朝、ジェネレータを動かし始める時刻が違う。今日は3時45分に動き出したらしい。電気を消さずに寝ていたので、ジェネレータの稼働と同時に電気がついて目が覚めた。
 4時頃に起き出し、4時半にモーニングノックをしてもらったときにはほぼ準備万端整っていた。
 各コテージには電話がないので、モーニングコールを頼むと(頼んだのはもちろん添乗員さんである)、スタッフが一軒一軒、ノックして回ってくれる。

 5時にレストランに集合した。
 まだ外は暗くて、頭上には天の川が流れている。信じられない量の星である。
 長袖Tシャツ、薄手のカーディガン、長袖シャツ、コートを着込んで、お腹と背中にカイロを入れて、ちょうどいいくらいの気温だ。出発前に見たホームページで「バルーン・サファリに出掛ける人はスキーに行く格好で」と読んだのでかなり重装備にしておいた。

 ツアーの全員が同じ日にバルーン・サファリに出掛けることは出来ず、今日は私を含めた4人でバルーンサファリに行くことになった。他の13人はロング・サファリに出掛けることになっている。添乗員さんはロング・サファリに付いて行くけれど、バルーン・サファリ組のためにレストランで待っていてくれた。

 迎えのジープが走り出してすぐ、ヘッドライトにライオンが浮かび上がってとても驚いた。
 車を停めてくれたので、3〜5mくらいの至近距離で立派な鬣の雄ライオンを見ることができた。ライオンはヘッドライトを浴びせられても悠然としている。
 ドライバーさんに「今日、一番最初にライオンを見たのはあなたたちだ」と言われる。それはそうに違いない。

 キチュア・テンボというテント・ロッジで二人が加わって、ムパタ・サファリ・クラブから乗って来た私たちと一組のご夫婦を加えて8人になった。全員が日本人だ。
 気球を準備している地点に着くと、ビスケットとコーヒーのサービスがあった。日本語の注意書きのカードもあったので目を通す。
 少し離れたところにテントのトイレがあったので借りたら、便器の中に蜥蜴ががんばっていて、どうしようかと思った。

P9200477気球 気球はある程度の大きさになるまでは、大きな扇風機で風を送り込んで膨らませるようだ。
 ある程度膨らんだところでバーナーに点火し、さらに膨らませる。2基用意している。
 12人乗りの気球に日本人8人が乗り込む。真ん中はパイロット席で、その周りに4区画あり、二人ずつ乗り込んだ。
 気球を操縦するのはディヴィッドというひげのおじさんで、バンクーバー出身だという。

 ようやく空が明るくなりかけた頃、気球は離陸した。本当に静かで、離陸したことに気が付かなかったくらいだ。
 私はバーナーに近い方に乗っていたので、髪が焦げるのじゃないかと思ってしまうくらい、火が近くて熱い。
 朝焼けの空に太陽が上ってくるところを空の上から見るのは本当に気持ちが良かった。

 気球から日の出を満喫した頃、地上の森の中にいるキリンやしまうまが見え始めた。ディヴィッドが指差して教えてくれる。
 サバンナの上を飛んでいるときには、自分が乗った気球の影が地上にくっきりと落ちているのを見ることができた。
 川岸にいるワニや、水場に集まって来ているヌーやインパラ(推定)なども見える。草食動物は、(多分)バーナーの音に驚いて、気球が近づくと一斉に逃げ出してしまう。

 遠くに、かなり高いところを飛んでいる気球が見えた。そちらはセレンゲティの気球だそうだ。セレンゲティの気球が飛んでいる辺りはすでにタンザニアで、国境を越えるわけにいかないからあっちには行けない、と教えてもらう。
 途中でディヴィッドが「気球の向きを変えるよ」と言ってぐるっと180度回転させていたし、動物を発見するとそちらに向かってくれるし、気球は、ガイドブックに書いてあったような「完全に風まかせ」ではなく、かなり操縦が効くらしい。

 「地球の歩き方」には朝食を準備する車が気球を追いかけて来ると書いてあったけれど、そういった気配はない。どうも(どうしてそう考えたのかすら、もう忘れたけれど)当時の自分のメモによると、気球にはGPSが積んであって、それで大体の着陸地点を無線で知らせていたようだ。

 大体、45分くらい飛んでいただろうか。ディヴィッドに「最後の一枚を撮って」と言われた。そろそろ着陸らしい。
 別に撮らなくてもいいのに、そう言われると撮らなくちゃいけない気分になるのが不思議だ。
 カードにあった注意書きに従ってカゴの中にしゃがみ、背中をつけて、目の前にあるロープを掴む。

 もう周りは全く見えていないから、どれくらい高度が下がっているのか判らない。
 ディヴィッドがカウントダウンを始め、最後の「One」がやけに長く引っ張られているな、と思っていたら、2、3回カゴの底が地面について弾んだ後、見事に背中からひっくり返った。ひっくり返ったときに下になる場所に座っていたので、草原の草についた朝露が思いっきり飛び込んできた。
 でも、これが結構楽しい。

 ディヴィッドが回していたゲストブックにきっぱりと日本語でサインし、4人で一緒に写真を撮ってもらう。
 そうこうしているうちに、2基目の気球も着地した。そちらの気球もやっぱり横倒しになっていた。

 朝食の準備が進められている間に、まずはシャンパンで乾杯だ。
 だだっ広いところで朝からシャンパンなんて、本当に贅沢なことをしているよなー、と思いつつ、ごくごく飲む。記念写真ももちろん撮る。
 朝食は、気球のバーナーで焼いたソーセージやパンケーキ、フレンチトーストが次々と大きな木のお皿で回されてくる。どのジャムが美味しいかなんてことをディヴィッドに教えてもらいつつ、ぱくぱく食べる。
 野外で食べるごはんというのは大抵美味しいものだけれど、これはかなりの水準の美味しさである。

 学校の机二つ分くらいの「売店」の案内があり、少し離れたところに駐められたジープの陰がが女性用トイレだと案内される。丈の高い草が生えている辺りで、周りに人がいないことは確かだし、紙を捨てるゴミ箱まで用意してある。有り難くお借りする。
 食事をしたその場所から、大移動しているヌーとシマウマの群れも見ることができた。

 一緒に気球に乗ったご夫婦は、11時の飛行機でナイロビに帰るそうだ。彼らを送るために急いで空港に向かう途中、サファリカーがまさかのエンストを起こした。ケニアに来て初めてのことだ。
 エンジンの真上辺りの床をはがし(簡単に外れた)、ドライバーやレンチやヤスリまで持ち出して修理している。
 「ここから空港までダッシュしないと」「ダッシュしてたどり着ける距離じゃないですよ」などと呑気に会話をしているうちに、多分10分くらいで修理は完了した。思わずみんなで拍手する中、車は再スタートする。
 ムパタ・サファリ・クラブに戻ったのは11時半くらいだった。

 ランチは12時半からだったので、一度部屋に戻った。マサイ・マラがこれまでで一番洗濯物が乾くので、シャワーを浴びるついでにお洗濯をしてしまう。
 日中、電気は止まっているけれど、シャワーのお湯は24時間出るのが有り難い。

 バルーン・サファリ組の4人でビュッフェの昼食をとる。かなりのんびり食べても、なかなかロング・サファリ組が帰ってこない。
 13時半過ぎにロング・サファリ組が帰ってきた。ヌーが川を渡りそうだったので、実際に渡る場面を見ようと待っていたら遅くなってしまったという。

 ロング・サファリ組と再会する前に、ヴィンセントと再会した。ナイロビの空港で別れた後、7時間かけて車でマサイ・マラまで来たそうだ。
 日本のカメラマン二人についているそうで、「今日の午後はマサイ・ヴィレッジに行くんだ」という話をしたら、「自分も明日は4つのマサイ・ヴィレッジに行く。カメラマンだから、彼らは色々なところに行きたいんだ」と教えてくれた。

 添乗員さんは「少し遅めに出発するかも」と言っていたけれど、定刻通り、15時にイブニング・サファリに出発した。今日は、まずはマサイ・ヴィレッジの訪問だ。
 村の入り口でマサイの暮らしについてダニエルが説明し、それを添乗員さんが通訳してくれる。
 この村から6km離れたところに小学校があること、村を訪れるときは通常は牛を連れて行くけれどもロッジを通して支払ってもらったお金が牛の代わりになること、そのお金は小学校を作るなど教育資金として使われること、家の中を見ても写真を撮っても構わないことなどだ。

 村は真ん中に広場があり、その周りに牛糞等々を塗り固めた家があって、家の前は雨が流れ込んでこないように通路が開けてある。
 真ん中のスペースは牛糞が積み上がっている。牛糞と言うよりも堆肥に近い黒っぽい色だ。遠くに運ぶのは大変だからそのまま置いてあって、近くにあるから家の修理に使うこともある、ということらしい。

P9200536マサイの歓迎 マサイの女性たちが一列に並んで歓迎の歌と踊りを披露してくれた。その列に入れてもらい、ビーズの首飾りをかけてもらって、とりあえずまねして歌って歩いてみる。
 その後、木で火を熾すところを見せてもらったり(私も挑戦したけど、全く煙も出なかった。ツアーの方の中には成功してその火でたばこを吸っている人がいた)、マサイ・ジャンプを見せてもらったり、家の中を案内してもらったりする。

 壁が厚く、窓もかなり小さく切っているので、マサイの家の中は真っ暗だ。何も見えない。
 土地としてはかなり乾いているのだけれど、家の中は天井が低いせいか暗いせいか、湿っぽく感じる。この状態で竈に火を入れて酸欠にならないんだろうか?

 小屋の中の赤ちゃん山羊を見たり、マサイの子どもたちの写真を撮らせてもらったりしている間に、いつの間にかあちこちで商売が始まっていた。実演で見せてくれた火を熾す道具や(そういえばお土産物屋さんでも見かけた)、ムパタ・サファリ・クラブのキーホルダーにもなっているマサイの(多分)武器などが人気のようだ。

 村から出ると、そこからサファリ・カーに行くまでの間が青空市状態になっていた。お土産が並んでいる。
 ロング・サファリに行った方々は、サファリの帰りに国立保護区のゲートのところでも同じような青空市を見かけ、わざわざ車を止めてもらって見たそうだ。それでもみんな目を輝かせて交渉している。
 私もムパタ・サファリ・クラブのお土産物屋さんで見かけて買うかどうか悩んでいたネックレスと対になったブレスレットを見つけて購入する。400シリングを300シリングに負けてもらった。

 16時半くらいにマサイ・ヴィレッジを後にしてサファリへ向かった。
 ドライバーさんに「どんな動物が見られる? チーターは見られる?」と聞くと「もう時間が遅いからあまりたくさんの動物は見られない。チーターは遠くにいるから明日」と言われた。
 だから、このサファリで一番存在感があったのはバッファローだ。大きな雄の年老いたバッファローが2頭、サバンナの中で凄んでいた。

 ムパタ・サファリ・クラブのサファリカーはランクルのオープントップだ。
 バルーンサファリに行ったときは素通しのジープだったけど、天井が開かない車はサファリに向かない。
 マサイ・マラは国立保護区なので、これまで行った国立公園とは違って車が道じゃないところを通ることが許されている。これまで以上の悪路を走ることになるからランクルくらいじゃないと対応できないのかもしれない。

 夕食の時間にはステージでショーがあった。今日の午後、マサイ・ヴィレッジに行ったときににマサイの布を巻いて参加していたツアー参加者の若い男の子が、いつの間にかステージ上のマサイと一緒になってマサイ・ジャンプをしていた。それにしてもよく跳ぶ。
 ステージがダンスに変わると、彼の奥様も一緒になってステージに上がり歌って踊っていた。若いって素晴らしい。ヴィンセントと一緒に回っているというカメラマンを捕まえ、自分たちのカメラを渡して撮ってもらえるようにお願いしている。周到だ。
 ツアーの人が「ビデオカメラを持って来れば良かった」と悔しがっていた。

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2005.05.21

ケニア旅行記7日目

2003年9月19日(金曜日)

 5時半に起きて、ナイロビに置いて行く荷物を選んでトートに詰める作業を黙々と行った。
 元々そんなにたくさんの荷物を持ってきているわけではないから、買ったお土産と蚊取り線香くらいしか置いていくものはない。
 朝食はいつもどおりのビュッフェである。レイク・ナクル・ロッジではパンケーキもその場で焼いてくれるのが嬉しい。
 みんながあまりにも「美味しい」というのでパイナップルも食べてみる。どちらかというと苦手だけれど、確かに甘くてみずみずしくてとても美味しかった。

 今日はジョージの車で出発である。ジョージがケニアの新聞を見せてくれる。タブロイド判で64ページ。かなりの情報量なのではあるまいか? 
 英字新聞を読める語学力はないからパラパラとめくっただけだけれど、求人広告が多いのが目に付いた。

 ほどなくナイバシャ・カントリー・クラブに到着した。ナクル湖はソーダ性の水だけれど、ナイバシャ湖は純粋な淡水湖だそうだ。
 トイレ休憩を取ったツアーの方々がそのまま吸い込まれるようにお土産物屋さんへと流れ込んで行く。お土産に見せるみなさんの熱意は凄い。年輩の方が多かったこともあって「嫁に」とか「娘に」とか、口々に言いながら探している。

 お土産購入が一段落し、ボートサファリへ向かった。一艘だけあるという屋根付きのしっかりしたボートに乗ることができてラッキーだ。ライフジャケットを着けて出発する。ペリカンや水鳥があちこちにいる。
 岸辺近くでカバを発見した。これまでは遠目に見るだけだったので、カバだとはっきり判るカバを見たのは初めてかもしれない。
 カバの大あくびも見ることができた。カバの口の中はやけに鮮やかなピンク色をしている。あまりにもしげしげと見てしまい、写真を撮りそびれた。
 お天気も良く、遠くにはロンゴット山やアバーディア山を望め、気持ちよく風に吹かれる。1時間余りでボートサファリは終了となった。

 ナクル湖から少し車で走り、アフリカ大地溝帯を望む展望台のようなところでフォト・ストップとなった。
 お土産物屋さんがあって、青い揃いのシャツを着た男の人たちは、客引きに余念がない。これまでそんなに「怖い」と思ったことはなかったけれど、ここの人たちは本当にピタリと背後に付いて来るので怖かった。
 正直に言うと、昨日ナクル湖に行く途中に見た大地溝帯の方が(もちろん同じものだけれど)格好良く見えた。

 写真を撮って早々に車に戻ろうとしたところで「ハイラックスがいる」と言われ、好奇心に勝てずに見に行った。ウサギくらいの大きさの、ウサギのようなネズミのような茶色い生き物である。可愛い。
 お店の人が「○○(パン?)をあげれば近くに寄って来るから買え」と添乗員さんをしきりに勧誘していたけれど、添乗員さんは見事に撃退していた。見習いたいものだ。

 大地溝帯の展望台からナイロビまで、連日の早起きに負けて車で熟睡した。ナイロビの日本食レストラン「東京」へ行く道筋はスラムの谷のようだったらしい。
 私が目を覚ましたのは、車がレストランにまさに入ろうとしているときだった。レストランだというのにそこは門がピタリと閉められ、門衛さんがいる。門衛さんに門を開けてもらわないと入ることもできない。それだけで周辺の治安の悪さが想像できる。きちんと自分の目で見ておきたかったと思う。

 添乗員さんが「ケニア風の日本食ですから」と何度も断りを入れるので一体どんな日本食なんだろうと思っていたら、想像していたよりずっとちゃんとした幕の内弁当とわかめスープの昼食で、結構美味しかった。
 白いご飯に、お刺身、天ぷら、焼き物(いか、たこ、魚)、煮物(牛肉のしぐれ煮みたいなものと鶏肉)、サラダ、フルーツ、それにそば茶のような風味のお茶がつく。
 この日本食レストランの庭からは、ナクル湖で見かけたよりもうちょっと咲いているジャカランダの花が見えた。
この後、我々は国内線の飛行機でマサイ・マラに向かうので、ずっと一緒だったドライバーさん達とはお別れである。添乗員さんはここで彼らにチップを手渡していた。

 国内線専用の空港に到着し、マサイ・マラに持って行かない荷物を車に積み直して預かってもらう。ここまで一人一つずつ持っていたスーツケースを二人で一つにまとめているご夫婦が多かった。
 15時発の予定だけれど、特にアナウンスもないままマサイ・マラに向かう飛行機は遅延している。
 ツアーの方々は、「チャンス!」という感じで大挙して待合室の2階にあったお土産物屋さんへ流れて行った。確かにこれまで見たお土産物屋さんの中で一番品揃えが良い。
 マサイの布を買った人が何人かいた。赤というか濃いめのピンクの派手な布だ。

 40分遅れくらいで、手荷物検査も受け、何故か空港内に生えているバナナの木を眺め、飛行機まで歩いて行って搭乗した。50人乗りくらいの飛行機は満席である。思っていたより大きな飛行機で安心したけれど、コックピットとの間はカーテンで仕切られているだけだ。
 マサイ・マラには四つの空港があり、私たちが降りる空港が何番目になるかは降りてみないと判らないという。
 一つ目の空港は違ったらしい。そこには、土の滑走路があって、掘っ建て小屋のようなお土産物屋さんがある。店は開いていなかったけれど、「TAX Free」の文字が見える。謎だ。

 ムパタ・サファリ・クラブに近い空港は二つ目の停車場(という言葉がイメージに一番近い)だった。
 各ロッジの車が迎えに来ていて、ムパタ・サファリ・クラブの車はランクルだった。荷物を確認し、適当に分乗してロッジに向かう。
 添乗員さんは、ドライバーさんから雨季が始まっているのかどうかとか(始まりかけ、といったところらしい)、野焼きのこととか(飛行機から見えた煙はこれのせいらしい)、聞き出している。
 途中、トピの親子が道筋にいて、車を停めてくれた。

P9190459レストラン ムパタ・サファリ・クラブは確かにお金がかかっていそうな空間だった。チェックイン手続きに時間がかかり、その間にロビーやお土産物屋(日本人がオーナーの割に品揃えが薄い)や図書室スペースやレストランを見学する。
 チェックインが済んだのは18時半過ぎだった。

 ロッジ形式のお部屋までポーターさんに案内してもらった。私は14号室だ。お隣が12号室だったので「13号室は?」と聞いたら、「このロッジには4号室と9号室もない。なぜならオーナーが日本人だからだ」という返事だった。
 それならばと「4」は音が「死」につながるから縁起が悪いと言われていると説明したところで、はたと困った。「9」の「苦」は何につながるんだろう。「苦労」って英語で何と言うのか思いつかないまま曖昧なままお茶を濁したので、きっと彼は余計な混乱に陥ったに違いない。本当にお粗末な英語力で申し訳ない限りだ。

P9190475マサイのショー ムパタ・サファリ・クラブのレストランでは三國清三 氏監修のフレンチが供される。夕食はアボガドのサラダ、スープ、メインはラムか魚を選べ、マンゴのケーキとコーヒーが食後に出た。
 レストランにはステージもあり、歌ったり踊ったりのアフリカ民族ショーがある。出演者はロッジのスタッフだったらしい。

 ムパタ・サファリ・クラブでは、電気の供給される時間が決まっている。自家発電なんだろうか。夜は23時で消灯だ。
 マサイ・マラは高度が高く蚊がいない代わりに、やはり涼しい。ベッドには可愛い湯たんぽが入れてあった。
 明日はバルーン・サファリのため、日の出前に出発である。電気で目覚めようと電気を点けたまま、ジェネレータの停止で勝手に消えるだろうとそのまま就寝した。

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ケニア旅行記6日目

2003年9月18日(木曜日)

 5時半に起き出して動物を見に行った。
 アバーディアのロッジは、これができるのが楽しい。
 池の周りにはインパラかガゼルかウォータバック(要するに、私にはこれらの見分けが未だについていない)がいる。雄が一生懸命求愛していて、そのたびにコケているのがもの悲しくもおかしい。子ハイエナもまた出てきている。

 6時半、モーニングコール代わりにロッジの人が木琴を鳴らしながら廊下を歩く。動物が来たときに鳴るブザーは各部屋にあっても電話はない。宿泊客は全員起きざるを得ない。
 朝食はビュッフェだった。その場でシェフが焼いてくれるオムレツがここにもある。フレッシュジュースにオムレツ、パンケーキ、ソーセージに火を通した野菜というのが、私の朝食の定番になってきた。コーヒーも美味しい。

 朝食が7時からで、集合が7時50分だったから、慌てて荷造りをした。
 朝から霧雨が降っている。通常は駐車場のバスまで数分歩くそうだけれど、今日は雨が降っているので特別にロッジの入口までバスが迎えに来てくれた。有り難い
 その「いつもは歩く」という木の歩道を少しだけ歩き、箱船の形をしているというロッジの全景を見て、写真を撮ってもらう。

 バスに乗ると、ロッジの支配人であるサイモンのサイン入り滞在証明書が配られた。
 また50分くらいかけてアバーディア・カントリー・クラブに戻る。すでに4台のサファリカーは準備万端だ。
 今日はジョージの車でまずは赤道へ向かった。

P9180300赤道 赤道に着く頃には、空は綺麗に晴れていた。
 単なる道端であるその場所には、赤い線が引いてあるわけではもちろんなくて、「赤道」という看板があってお土産物屋さんがあるだけだ。

 赤道の定番(?)であるコリオリの力の実験を見せてもらう。
 「赤道」から10mくらいずつ南と北へ歩き、ロートを使い、その辺に生えている草を投げ入れて水が渦を巻く方向を見せてくれる。
 確かに、北と南とでは渦を巻く方向が違ったし、赤道の真上で試すと渦を巻かずに水が下に落ちる。
 ここを出発するときに「赤道通過証明書」みたいなものをもらい、バスの中ではその後、これは一体誰が証明してくれているのか? と盛り上がった。

 すぐ近くに「トムソン・フォールズ」という滝があり、ここにもお土産物屋さん街があった。
 この滝は高さが74mあって、ケニア国内に6つか7つしかない滝の中でも大きな滝だそうだ。でも「ケニアの人はあんまり順番をつけることに興味がないから、正確に何番目に大きいのかは判らない」とは添乗員さんの説明だ。
 この滝の水源は、今朝までいたアバーディア山中だそうだ。今朝も雨に降られたし、鬱蒼とした森の中だったし、これくらいの水量は十分に蓄えられているに違いないと思う。

 「あれがアカシアの木だ」「ここは紅茶畑だ」と英語で教えてくれていたジョージが、「ダイチコウタイ」と日本語で教えてくれたそこは「大地溝帯」だった。
 地球上でこの「地球の割れ目」が地上に出ているのはアイスランドとアフリカ大陸しかない、というのは帰国してから仕入れた知識で、そのときには何の感慨もなくぼーっと眺めてしまった。
 なかなかのフォト・スポットだったと思うけれど、「明日も見る」の一言で車中から見ただけで素通りしてしまったのが残念だ。

P9180318TASKERビール ナクル湖国立公園の中にあるレイク・ナクル・ロッジに13時過ぎに到着した。
 まず、ピンクに染まるナクル湖を遠くに望めるテラスのレストランでビュッフェの昼食である。ここでは珍しくスープもセルフサービスで、セロリとナッツのクリームスープが美味しかった。
 ここで飲んだTASKERビールにはラガーの表示があった。何となく高級感がある気がして写真に撮る。TASKERビールは象の絵のラベルが可愛い。

 昼食が終わった頃に降り出した雨は、お土産物屋さんを覗いている間に本格的な雨に変わった。
 ロビーでコーヒーを飲みつつ雨宿りしたけれど、いっこうに止む気配がない。そういえばお部屋に傘が置いてあったと思いつつ、コテージ式になっている自分の部屋まで走って戻った。
 シマウマ模様のベッドカバーで、ちょっと狭いけれど(そして何故かバスルームが異様に広い)なかなか居心地がいい。気持ち良くお昼寝した。

 夕方のサファリに出掛ける頃には少し小降りになって、でも傘を持って出発した。車もオープントップにはしない。
 「ヒョウが見たい」「サイが見たい」「チーターが見たい」と我が儘なリクエストを出してヴィンセントに苦笑いをされ、「マサイ・マラの方がチャンスがある」と諭される。

 それでも出発してすぐにシロサイに遭遇した。
 「白くない!」と叫んだら、またしてもヴィンセントに「ホワイトというのは英語の白という意味ではなくて、南アフリカ語の平たいという意味だ。口の形からそう呼ばれている。シロサイは白くないのだ」と諭された。そうとは知らなかったよ、と思う。
 シロサイはかなり大きくて、ゆっくりと車の前を横切って行ってしまった。

 「雨が降ったからフラミンゴは飛んで行ってしまった。戻ってこないかもしれない」というのはヴィンセントの作り話だったようで、陽も射してきた湖の岸辺には一面のフラミンゴがいた。
 ここは国立公園では珍しく下車していいらしく、みんなで車から降りてフラミンゴを眺める。ペリカンもいる。湖の対岸までピンクで染まっているのが判る。フラミンゴの群れは湖をほとんど半周しているようだ。

 林の中に向かう途中で、バッファローや、ロスチャイルドキリン(ナイロビのジラフセンターで育ったキリンかもしれない)、ライオンを見る。
 フラミンゴが特に有名だけれど、この周辺には結構たくさんの動物がいるらしい。40頭近い雌を従えたインパラの雄も見かける。まさにハーレムだ。

 やけに急いで林の中の一本道を奥に向かっているな、と思っていたら、木の上にヒョウがいたらしい。どんどんサファリカーが集まって来たけれど、我々がその場に着いたときにはヒョウは姿を消した後だった。残念である。
 その後、サファリカーは細い道を凄いスピードでバックのまま戻り、少し道が膨らんだところで強引に方向転換した。その運転技術に、乗り合わせた4人で思わず拍手する。
 フラミンゴとヒョウの分予定よりれて、ロッジには18時半頃着した。ここは水辺だからか、気温は低いのに蚊が多い気がする。サファリ前につけておいた蚊取り線香が活躍していたようだ。

 夕食は19時半からだ。トマトのスープとバーベキューというメニューである。牛とラムと鶏とが用意されていて、シェフのところまで行って取り分けてもらう。なかなか美味しい。
 デザートのプリンも美味しい。この日はみんな寛いでいて、「旅行に行くならどこがいい」「どこが良かった」という話で盛り上がった。

 21時過ぎからステージでアクロバットショーのようなものが始まった。少し眺めたけれど、特にケニアらしい内容ではないようだし、早々にお部屋に戻る。
 シャワーを浴びて洗濯し、乾きそうにないので、バスタオルに挟んで必死で踏んで水分を取る。踏みつつ、明日の荷造りを考える。マサイ・マラに行く飛行機の重量制限が厳しいので、荷物を減らさないといけない。減らした分の荷物はナイロビで預かってもらえる。
 洗濯した物の乾き具合によっても荷物が変わるので荷造りは明日の朝に回し、23時半頃に就寝した。

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ケニア旅行記5日目

2003年9月17日(水曜日)

 暗いうちに起き出してもう1回キリマンジャロの朝焼けを見ようと思ったら、今朝は雲がかかっていてキリマンジャロは全く見えなかった。昨日の朝見えたから朝は必ず見られると思い込んでいたので結構ショックだ。
 明るくなる頃にロッジのテラスに行ったら、シマウマが目の前を行進していた。

 朝食のビュッフェのテーブルにはシャンパンも並んでいた。何て贅沢なと思いつつ、もちろん有り難くいただく。
 ツリートマトのジュースがあったので飲んでみると、普通のトマトジュースよりもさっぱりしていて飲みやすかった。
 今朝もオムレツを焼いてもらい、キュウリやなすの炒め物、ソーセージ、パンケーキで朝食にする。

 今日はこれからアバーディアに移動である。
 アバーディアのロッジはスーツケースを搬入できないため、一泊分の荷物を別に作る必要がある。いつも国内の一泊旅行で使っているトートバッグで充分だろうと思ったら全く容量が足りなくてリュックも持って行くことにした。「一泊用のバッグ」は大きめのものを用意した方がいいみたいだ。

 アンボセリに来たときの教訓を生かしてマスクをし、7時半に出発した。砂埃が車内を舞い、ジャンプする車に揺られているのにうつらうつらしてしまった。慣れというのは怖いものである。
 国境の町であるナマンガまで約2時間かかった。マスクを外したら、すっかり茶色くなっていた。
 ここまでは添乗員さんが一緒で、ドライバーのモンディアはスペイン語と英語をしゃべることが判る。同じ車にスペイン語が得意な方が乗っていたので、以後の会話は主に彼女とモンディアの間でスペイン語で交わされることになった。

 アンボセリからナマンガに行く途中、黒い衣装を着たマサイの少年を見かけた。
 彼らの黒い衣装は、割礼して大人になったばかりだという証らしい。
 昔は、リーダーである少し年上の少年に連れられて割礼後は山に籠もり、そこで傷を癒しながら狩りを学んで、一人前になったと認められたところで山を下りる、という儀式が行われていたそうだ。
 山を下りた直後はお祭りで、少年たちは仮面をつけて踊っているから、家族には自分たちの息子がどこにいるのか判らない。儀式の途中で亡くなる少年もいて、少年たちの人数が減っていることは判る。自分の息子が無事かどうかは、祭りが終わるまで判らない、ということもあったという。

 ナマンガの町では、行きに立ち寄ったところとは別のお土産物屋でトイレ休憩となった。
 お土産を見ていて、象の形をした石造りのチェス盤に惹かれた。白とピンクの石でできていて可愛い。キングの駒はライオンだ。駒の方の芸も細かい。
 お店の人も「これはキリマンジャロの石を彫って作った」「浅いところに白い石があって、深く掘るとピンクの石があり、それを使っている」「マサイがひとつひとつ手彫りで作った」と売り込んでくる。

 あまりの可愛さに交渉を開始し、お店の言い値が85ドルだったので、50ドルを目標に私は30ドルからスタートしてみた。「KILL」と言って自分の首に手を当てて引いてみせるのは「殺すつもりか」という意思表示らしい。
 結局、粘りに粘って、50ドルまで下がったところで購入した。

 ナマンガからナイロビまでの道中はほとんど寝ていた。
 ふと気が付くと車が町中にいて、渋滞に巻き込まれていた。ナイロビの中心街(だと思われる)の中華料理屋「DragonParl」で昼食をとる。久しぶりのおしょうゆ味や鶏ガラスープの味が嬉しい。ジャスミンティーの味も懐かしい。

 ナイロビから、さらに北に向けて走る。アンボセリに向かっていたときとは違って、町を抜けても緑が濃く残っている。
 「ここはケニアで2番目に大きいパイナップル・ファームだ」とモンディアが教えてくれる。確かにアンボセリへの道筋とは違って、水が豊富な感じがある。時々、川も流れている。
 アンボセリに向かっているときは、川は「あった」けれど「流れて」はいなかったのだ。
 マサイ族は放牧を生業としているけれど、この辺りにいるキクユ族は農耕民族で、だからこの辺りは畑も多く見られるらしい。

 ナイロビからだいぶ走ったところで、川で釣ったらしい魚が売られていた。濡らした新聞紙を魚に巻いてマタツの外に吊してナイロビまで持ち帰るそうだ。車内に置いておくよりも涼しいのだろう。

 15時半にお土産物屋(アフリカン・クリオ・ショップ)に到着し、休憩した。
 そこはやけに暗くて倉庫のようでリアルな木彫りの人形が所狭しと並んでいる。あまりの圧迫感に早々に退散した。
 その先は高原地帯に入った感じで、風も冷たい。山を上っているという雰囲気が濃くなってきたところで「アバーディア・カントリー・クラブ」の看板を見つけた。やっと到着だと喜んでいたら、モンディアに一言「very far」と言われた。ずっと運転してくれたモンディアとっては、さらに遠く感じられたに違いない。

 P9170251クジャクアバーディア・カントリー・クラブでスーツケースを預け、モンディアたちとは明日までお別れである。
 今夜の宿であるジ・アーク行きのバスはしばらく出発しないらしく、17時半まで待機と言われる。
 何故かクジャクが放し飼いにされていたので、しっかり羽を広げるのを待って記念写真を撮ったりお散歩をしたりして待ち時間を過ごした。

 アバーディア・カントリー・クラブからバスでゆっくり走って1時間くらいでジ・アークに到着した。
 まず、バスの中でロッジの人から注意を受ける。
 ロッジの中は廊下も狭く、くねくねと曲がっていて迷子になりそうである。確かにこの廊下でスーツケースを通すのは厳しいだろう。
 部屋は、私はツインルームに一人だからまだ余裕があるけれど、ここに二人は息が詰まるかも、というくらいの広さだ。
 部屋のドアには閂しか付いていない。自分が部屋の外に出てしまうと鍵をかけることはできない造りになっている。貴重品は常に持ち歩かなければいけない。

 部屋に入るとすぐにブザーが鳴り、テラスに出てみたら象が来ていた。かなりたくさんの象が来ていて、ライトのせいなのか白く浮かび上がっていて幻想的な雰囲気である。
 アバーディア国立公園のロッジは、居ながらにして夜間にやってくる動物を見られるのがポイントである。ロッジの庭には池があり、塩を撒いてあるので、水と塩分が必要な動物たちがやってくるのだ。
 アンボセリでたくさん象を見た記憶が残っていて、象はいつでも見られる気分になり、ほとんど写真を撮らなかった。これは大間違いで、この後、象の姿を見ることはなかった。

 19時半からの夕食はプリフィクス形式で、私は、ポテトとネギのスープ、ヴィクトリア湖のお魚のフライ、チョコレートムースにした。白ワイン(200シリング)が軽くて飲みやすく、くいくい飲む。寒いせいもあって、みんな結構お酒が進んでいたみたいだ。

 食事中、さっき集まっていた象がレストランの脇を帰って行くのが見えた。
 食後はコーヒーや紅茶を飲みながら、ロッジの人がジャネットに餌付けをしているところを見学する。2皿出ていて、3匹来ている。3匹目のちょっと弱そうな子がなかなか餌にありつけないのが可哀想な感じである。

 結構冷えていたし、動物が姿を現せばブザーで教えて貰えるということもあってみんなが次々と部屋に帰る中、ロビーで日記を書きつつ動物待ちをする。
 同じツアーの人が来て「あそこにカワウソがいる!」と教えてくれる。
 カワウソ??? 現実の生き物だっけ??? と莫迦なことを考えながら双眼鏡をお借りし、指差された方向を探す。確かに水辺に黒っぽい動物が見えるけれど、あれがカワウソなのだろうか。
 そうやって遠くを探していると、ときどき白いマングースと黒いマングースがロッジのすぐ近くをちょろちょろっと駆け抜ける。

 添乗員さんもツアーの人の車割りをしつつ動物待ちをしている。
 しばらく二人で1階のフォトポイント(石造りの壁に囲まれたスペースでガラスの入っていない窓があり、動物の写真を撮れるようになっている)から、2匹のお馬鹿な子ハイエナを見物した。
 絶対に敵わないのにバッファローに向かって威嚇(のつもりだと思われる)してみたり、絶対に間に合わないのに水鳥を追いかけてみたり、仕草が可愛い。学習しろー! と二人でかなり盛り上がる。

 添乗員さんもお部屋に戻った後は、誰もいなくなったお部屋で暖炉に当たりながら日記の続きを書いていた。
 ひたすら動物を待っている私を哀れに思ったのか、レンジャー(なのかな?)の人が話しかけてくれる。「多分、1時半くらいに出てくるよ」とか「さっき携帯電話をかけて呼んでおいたから」などとおっしゃる。
 毎日、どんな動物が何時頃に来たのか記録に残しているそうで、そのレコードブックも見せてもらう。
 9月6日にはヒョウとサイが両方来ていて、うーん、この日に泊まりたかった! と思う。9月中でヒョウが現れたのはこの日だけ、サイは3〜4日置きに現れているようだ。

 ハイエナとかバッファローはいるけれど、待っているヒョウやサイは出てきてくれなくて、レンジャーの人とおしゃべりを続ける。
 もっとも、私の英語は中学生レベルも怪しいから、大した話はできない。「どこから来たの?」とか「どんな仕事をしているの?」とか。この答えだって入国カードに「Public Servant」と書いていなかったら素直には出てこなかったくらいだ。入国カード、ありがとう。

 「それはいい仕事だ」と言われ、「to live the people」を「人々を生かすための仕事だ」と変換してしまった私は、微妙に誤解があるような気もしたし、でも訂正するだけの語学力もないしで、考え込んでしまった。
 彼は動物が好きで、今の仕事も好きだし誇りを持っている、とキッパリと言っていて、それが羨ましい。
 暖炉に当たりながらこんな話をしていて、周りにはほとんど人もいなくなっていて、何て贅沢なんでしょう、とぼんやり考えてる。
 「サイが来たら起こしてあげるから」と言われ、1時半過ぎにギブアップした。シャワーを浴びる元気もなくて、隣のベッドからも毛布を奪い、すっかり温くなっていた湯たんぽを抱え込んで就寝した。

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2005.05.14

ケニア旅行記4日目

2003年9月16日(火曜日)

 5時45分にモーニングコールが鳴る前、5時半にお隣で目覚まし時計が鳴った音で目が覚めた。支度をして、6時過ぎにテラスへ行く。朝食はモーニングサファリ後になるので、セルフサービスになっているコーヒーとホットミルクでカフェオレを作り、とりあえず暖まる。
 長袖Tシャツの上に長袖シャツを羽織っただけの格好だと少し肌寒い。

 ロッジの入口まで行ってみると、キリマンジャロが見えていた。やった!
 朝夕は見えることが多いとガイドブックにあったけれど、昨日の夕方は全く見られなかったから嬉しい。
 日の出前の赤く染まりつつある空にうすむらさきのシルエットで浮かぶキリマンジャロ山は、その山裾までくっきり判る。
 日が昇るにつれて、キリマンジャロ山も空も、色と表情を少しずつ変えて行く。

 日の出とキリマンジャロ山を堪能した後、ゲートまで来てくれたサファリカーに乗り込んだ。6時半からモーニングサファリだ。
 走り出してすぐ、サファリカーが停車した。シマウマとヌーはもうちょっとだけ見飽きたよ、と思っていたら、ドライバーさんが「キリマンジャロをバックに写真が撮れる」と日本語で言ったのか英語で言ったのか、指さして教えてくれる。もちろん慌てて写真を撮る。
 すでに、キリマンジャロは雲の中に隠れようとしていた。

 シマウマは草の上部のやわらかいところを食べ、ヌーは下の方の少し固いところを食べる。だから、大移動のときはシマウマが先に立って草を食べながら歩き、その後をヌーがついていく形になるそうだ。

P9160186四頭のライオン 他のロッジを通り抜ける道には何故かヒヒが集団でいた。まだお母さんのお乳を飲んでいる子供のヒヒは、その子だけ色が黒っぽくて小さくて可愛い。
 大人の象の身体の下にすっぽり入るくらいの大きさの子象は大体1歳くらいだそうだ。それくらいの子象を連れたファミリーがサファリカーのすぐ前を横切る。
 雌ライオン3頭に雄ライオン1頭のライオンの群れ(?)がサファリカーのすぐ前を横切る。
 遠くの水辺にカバが歩いているのが見える。
 2時間のサファリはあっという間だった。

 手だけ洗って、すぐに朝食を食べる。具を選べて目の前で焼いてくれるオムレツがここにもある。オニオン・ハム・チーズ・トマトを入れて焼いてもらう。やっぱり卵が白っぽいけれど美味しい。
 パンケーキにメイプルシロップをかけ、ヨーグルトを食べる。

 10時半にウォーキング・サファリに出発した。添乗員さんも加わって、参加者は11名だ。マサイ族のレオナルドが案内兼護衛役で、ロッジを出て国立公園を抜け、マサイランドまで歩く。
 ロッジのすぐ近くでライオンが狩りをしたらしく、上空を禿鷹が舞っている。「あれは獲物が下にあるときの飛び方だ」とレオナルドが教えてくれる。

P9160195キリマンジャロの雪解け水 ロッジのすぐそばを川が流れている。その川の源はキリマンジャロ山の雪解け水だそうだ。触ってみると結構冷たい。触った後で「動物の糞とかがあるから、川の水は綺麗じゃない」と言われ、時すでに遅しだ。

 川岸はもちろん、あちこちに色々な鳥がいる。レオナルドは鳥の名前を教えてくれようとするけれど、私が持っていた本は大半が動物で鳥はほんの少ししか載っていない。
 「動物の方が好きなのか?」と聞かれて困ってしまう。確かに鳥を見るよりは動物を見たときの方が嬉しいけれど、よくよく考えてみれば、動物だってそれほど好きな訳ではないし、そこまで考えて本を購入した訳でもない。。

 のんびり歩きながら、リスやブッシュベイビー(木の上の巣の影にいて、「そう言われれば何かがいる気がする」という程度だったけれど)、こうもりが木から木へ飛び移るところを見た。
 確かに黄色い翼が見えたけれど、こうもりは夜行性ではないのだろうか?
 のんびり歩きすぎたせいか、私たちを追い越したマサイの2人組はあっという間に遠く離れて行ってしまう。

 途中でマサイの女の人に行き会う。もっとも私は言われるまで女の人だとは判らなかった。
 添乗員さんがレオナルドに交渉し、レオナルドが彼女に交渉してくれて、みんなで写真を撮らせてもらう。みんなに囲まれて彼女はちょっと恥ずかしそうにしていた。
 遠くの木の上にはマサイの子どもが二人並んで座っていた。何をしていたんだろう?

 日本語の「シマウマ」という音は、スワヒリ語で「止まれ」という意味だそうだ。日本人と一緒に歩くとしょっちゅう「止まれ」と言われることになって、つい硬直してしまうらしい。それでマサイの人々は日本語の「シマウマ」を一番最初に覚えるそうだ。
 添乗員さんにもらった「かんたんスワヒリ語」というプリントを見ると、発音としては「シマウマ」というよりも「シママ」に近いようだ。

 歩きながら、象の足跡(私の靴の倍はあった)、ライオンやシマウマ、ハイエナの足跡も教えてもらう。
 足跡が残っていることからも判るように、サバンナというのは要するに砂地である。歩きにくい上にほこりっぽい。靴とズボンの裾は砂埃だらけになっている。
 すぐそこでミニ竜巻が起きたりする。

 歩きにくいところを歩いたせいか、ケニアに来て初めて大汗をかいてしまった。レオナルドにも「汗かいているね」とわざわざ指摘されたくらいだから、相当目立っていたようだ。そう言われて見てみると、レオナルドは全く汗をかいていない。

 少し離れたところにあるマサイ・ヴィレッジを教えてもらい(牛糞で家を作って、茨の草で垣根を作って、ライオンなどの肉食獣から守っている)、片道4〜8kmと、教えてくれた人によってかなり距離の開きがあったウォーキング・サファリは終了した。
 ゴール地点でクーラーボックスに入ったビールをもらい、マサイの槍を持たせてもらう。武器だから当たり前だけれど、かなり重かった。

 何となくロッジに戻る車に乗る前に飲みきらないといけないような気がして、瓶ビールを一気飲みする。
 ランクルでロッジまで送ってもらったところ、この車がかなり揺れて、一気にビールが回った。
 お昼は大人しくアルコールはやめて、パッションフルーツジュースを頼んだ。ビュッフェスタイルの昼食で、ナイロビのセレナホテルにもあって気に入っていたカレーとフルーツを山ほど食べた。

 汗をかいて、アルコール飲んで、お腹もいっぱいになったら、お風呂に入るしかない。
 この旅行で湯船につかれるのもここが最後だ。食休みしてからお風呂にのんびりつかった。
 でも、ただのんびりするだけじゃなくて、洗濯もしてしまうところが貧乏性かもしれない。

 16時に集合し、アンボセリ国立公園で最後のサファリに出掛けた。
 ドライバーのアイザックと「どんな動物を見ていないの?」という話になって、「チータとバッファロー」と添乗員さんが答えたら、象の水浴びをみているうちに本当にバッファローが登場した。やっぱり迫力がある。岩みたいだ。
 象が水浴びをしていた辺りを今度はカバが歩いている。その手前では象の親子がまるで会話をしているように見える。

 添乗員さんが「アイザックが一番日本語が得意だから、聞きたいことがあったら今のうちに聞いておいて」と言う。ずっと気になっていた「バオバブの木」のことを聞くと、あっさり「見られない」という返事が返ってきた。「え?」と聞き返すと、「今回のコースでは見られない。もっと北の方。ツァボとかに行けば見られる」という話だった。
 「地球の歩き方」にだって、バオバブがケニアの一部でしか見られないなんて書いてなかったのに! とショックを受けていたら、「また来ればいい」とアイザックに言われてしまった。

 オブザベーション・ヒルへ向かう途中、トキ(とは言っても、「ニッポニア・ニッポン」とは姿形からして全く違う)を見る。クロトキという名前のとおり真っ黒だ。
 オブザベーション・ヒルはアンボセリ国立公園で唯一人間が自分の足で歩いていい場所である。サファリカーを降りると、丁度、水浴びをしてきたらしく、身体の下半分を黒く染めた象が歩いて行くのが見えた。
 階段もついているし、10分くらいで頂上に到着した。

 この丘は火山の噴火でできた丘らしい。
 一面の緑だったアンボセリが一面のサバンナになってしまったのは、国立公園を狭くしたことで象の人口密度が上がり、土地が象の食欲に敵わなかったことと、地盤沈下によって地面に塩が上がってきて植物が育たなくなってしまったことが理由だそうだ。

 オブザベーション・ヒルからの眺めは、ほとんど地平線で地球が丸く見えて、ただもう「広い!」「丸い!」以外に感想が浮かばない。
 夕暮れどきに見られることが多いというキリマンジャロは見られなかったけれど、全員でキリマンジャロが見える筈の方向をバックに集合写真を撮った。

 かなり遅れて丘を降りて行くと、みんなが双眼鏡を覗いて一方向を見ていた。どうしたのかと思ったら、ドライバーのモンディアがはるか遠くにチータを見つけたらしい。双眼鏡で見てもライオンと見分けがつかないと言っていたけれど、やっぱり双眼鏡を持って来れば良かった、と後悔した。
 その間、私は「動物を見つけるにはいい目が必要だ」とか、「チータはマサイ・マラでなら見られるかもしれない」「ヒョウはチータよりもさらに見ることが難しい」などとドライバーさんとおしゃべりしていた。

 「いい目」と言えば、アイザックが「自分の目も悪くなってきた」などという。あれだけの動物を見つけながら! と思って、何の気なしに「どうして?」と聞いてみたら、少し困った挙げ句に「歳を取ったから」という返事があった。いや、そんな老人には見えないよ、と思って「いくつ?」と聞いたら「還暦」という答えが返ってくる。一瞬絶句した。
 事実なのか? そもそも、アイザックは「還暦」の意味を正しく理解しているのだろうか? どう見ても60歳には見えないアイザックである。

P9160243アンボセリの夕陽 チータ探しに時間を取られた分、帰りは4台とも物凄いスピードで飛ばした。添乗員さんがいくら「ポレポレ」と言ってもお構いなしだ。
 それでも少しだけサファリカーを停めてもらい、真っ赤な夕陽を撮ったところでカメラの電池が切れた。まだ200枚くらいしか撮っていないのに、とちょっと先行きに不安を感じる。

 ロッジに戻って絵はがきを選んだりしていたら、あっという間に夕食の時間になった。
 夕食はサラダブッフェ、セロリとブルーチーズのスープ、ペンネのトマトソース、ラムチョップ、デザートというメニューだ。スープとメインは選ぶことができた。ラムを選んだので、飲み物は赤ワインにした。
 このラムがまたとんでもなく固いお肉で、ケニアではチキンかフィッシュというのが正しい選択なのかも知れないと思う。

 明日はアンボセリを出発するので、もう一度、夕食後にロッジのお土産物屋さんに行った。
 レーヨンの黄色い布にマサイの人を描いた布が売っているのを発見した。ちょっとどこかの洞窟の壁に描いてあるような感じの柄だ。軽いし、二つ折りにしてパレオにできそうな大きさ、いい感じだったので購入した。32ドルだ。
 すでにお馴染みになっている「TUSKER BEER」のポロシャツも惹かれたけれど、Mサイズが1枚しかなかったので諦める。こちらはまたどこかで買う機会もあるだろう。

 21時半過ぎに部屋に戻ってお風呂に入ろうとしたら、ぬるま湯にしかならなかった。午後にお風呂に入ってしまったので、お湯がたまりきっていないのだろう。この温度のお湯に入ったら却って風邪をひくと思い、シャワーに変更する。
 その後、日記を書き、絵はがきを書き(フロントに預ければ投函して貰える)、明日の出発に備えて荷造りをし、大忙しだった。

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2005.05.13

ケニア旅行記3日目

2003年9月15日(月曜日)

 毎日夕方に、その日の夕食から翌日の出発までの予定を書いたメモを添乗員さんが手渡してくれる。
 前日にもらったメモによると朝食は6時45分から食べることができ、バゲージダウンが7時15分である。6時50分くらいに、スーツケースを部屋の外に出してから朝食を食べに行く。
 朝食もビュッフェでかなりボリュームがある。並んでいる中から好きな具を選んでオムレツを焼いてもらうコーナーがあったのでチャレンジした。やけに白い卵で、さっぱりしていて美味しい。

 8時にアンボセリ国立公園に向けて出発した。今日は2号車で、男性二人組(兄弟だと判明)と女性二人組(友人同士だと判明)、そして私の5人という組み合わせである。
 後になってドライバーのヴィンセントは実はかなり日本語が話せるということが判ったけれど、ヴィンセントは日本語が苦手(と思っていた)、私たちは英語が苦手、サファリカーは時速100キロを超えるスピードで爆走と、車内はあまり会話に向いた状況ではない。

 一度「シマウマ!」とヴィンセントが日本語で叫んでくれたけれど、「どこどこ?」と聞いているうちに通り過ぎてしまったらしい。
 マサイの人と牛とロバと羊をたくさん見かける。ナイロビから1時間くらいの間は工場が多く、門前には仕事を求める人の列があった。マサイの人の町があり、ヴィンセント曰く「この辺りの人は、みんなナイロビまで働きに行っている」ということだ。

 2時間くらいで、国境の町「ナマンガ」に到着した。お土産物屋さんでトイレ休憩を取る。トイレは比較的綺麗で、鍵もちゃんとかかったので一安心だ。
 ツアーの人たちはバナナの皮で風景やマサイの人を描いたタペストリのようなものを買っていた。言い値2500シリングのものを500シリングから始めて750シリングで買っていた人もいて、なかなか買い物上手である。

 ナマンガから先は舗装されていない砂の道を、今までとほとんど変わらない速度で爆走して行った。
 ヴィンセント曰く「ジャンピング・サファリだ」そうだ。
 四輪駆動でもないのによくスタックしないものだと感心する。
 窓を閉め切っていても、車の床からもうもうと砂埃が舞い上がる。マスクを持って来たのにスーツケースから出していない私は間抜けだ。

 国立公園の入口で、ドライバーさんが揃って手続きに車を離れてしまい、車がお土産物を売ろうとするマサイの人たちに囲まれてしまった。何も言わなくても、言い値80ドルのお面がすぐに35ドルにまで下がる。適正価格はいくらだったのだろう?
 国立公園に入ると、遠くに動物の姿が現れ始めた。象、ヌー(これは集団でいる)、シマウマ、ダチョウ、ガゼル・・・。「車停めてー!」と騒いでいたら「ゲーム・サファリでたくさん見られるから。安心して」と言われた。
 遠くに湖があると思ったら、それは蜃気楼だった。本当にゆらゆらとしている。

P9150028アンボセリ・セレナ・ロッジの部屋 そうして騒いでいる間に、アンボセリ・セレナ・ロッジに到着した。おしぼりとパッションフルーツのジュースをまず出してくれる。
 このロッジにはマサイの家をかたどった部屋(というかコテージ)が並んでいる。外壁も赤、部屋の中も赤い床に赤いベッドカバー、壁には動物の絵が単色で描かれていて可愛い。
 蚊取りマットやティッシュやシャンプー等のアメニティもあって、ない筈のバスタブもある。至れり尽くせりだ。

 少し休憩した後、ロッジのレストランでビュッフェの昼食となった。
 スープだけは全員同じものがサーブされる。その後、私はガーリックをたっぷり入れてパスタを炒めてもらった。コーヒーは外のテラスでセルフサービスである。
 そのまま、ロッジに来ているマサイの男の子と並んで写真を撮ってもらったり、庭先まで来ているサルを眺めたり、プールサイドでおしゃべりしたりしていたらあっという間に15時を過ぎてしまった。
 16時からイブニングサファリに出掛けるのだ。急いで部屋に戻って準備する。

 旅行に行く前、双眼鏡を購入するかどうかかなり悩んだ。結局、カメラのズームがそのまま双眼鏡代わりになるだろうと思って買わなかったけれど、大失敗だ。7〜12倍くらいの双眼鏡は必需品である。カメラのズームよりもずっと見やすいし、電池も必要ない。
 さらに、双眼鏡をデジタルカメラで覗く形でセットすることで、双眼鏡で拡大した画像をデジタルカメラで撮影できるそうだ。インターネットで紹介されていた方法らしい。

 シマウマ(鳴き声は何故か犬のようだった)の群に大興奮していたら、象(子供連れ)、ライオン(狩りの後で子供を呼びに行くところらしい)、カバ、キリンと次々と動物が現れて、そのたびに「停めてー!」と大騒ぎしてしまった。

P9150051アンボセリ国立公園 シマウマとヌーの群がひたすらのんびりと、少しだけ周りより濃い緑の中で草を食べている。
 空は低くて広くて色が薄くて、さらに低いところを雲が流れている。遠くに木が生えているのが見える。
 そういう風景がここでは月並みな風景で、それを砂埃まじりの風に吹かれながらぼーっと眺めているのは至福のときだった。
 ライオンが現れたり象が鼻で水をかけあっていたりするのを目にすれば、また大騒ぎを始めるけれど、何もない景色も贅沢だと思う。

 日が落ちてきたロッジへの帰り道、さっき見た雌ライオンが子ライオンを連れてきているのを発見し、しばし観察する。
 国立公園内は道路以外のところを車が走ってはいけないので、かなり遠くて、おまけに枯れかけたような草の色はライオンの毛色と似ている。それでも、子ライオンがはしゃいで追いかけっこをしている感じは見て取れた。
 後で知ったところによると、日没までにサファリを終えなければドライバーさん達にはかなり大きなペナルティが課せられるそうだ。
 ヴィンセントもこの後、子ライオンの観察で遅れた分を取り戻すべく猛スピードでロッジまで車を走らせていた。

 ロッジに戻ったのは18時半過ぎだった。急いでシャワーを浴びて、お洗濯をして、19時半からの夕食に行く。
 4〜8人くらいずつ、いくつかのテーブルに分かれて席に着く。
 サラダブッフェ、牛肉団子のコンソメスープと、ヴィクトリア湖で獲れたというお魚を選び、果物のデザートまでコースメニューだ。白ワインもカラフェでもらう(440シリング)。なかなか美味しくて完食した。

 夕食のとき、明日のモーニングサファリの後のオプショナルとして「ウォーキング・サファリ」と「マサイ村訪問」が添乗員さんから紹介された。ウォーキング・サファリはロッジのオプショナル、マサイ村訪問はドライバーさん達のオプショナル(?)らしい。そういえばここに来る車の中で、ヴィンセントが「アンボセリのマサイ村の方が面白い」と言っていた。
 でもマサイ村訪問はマサイ・マラでツアーに入っているので、ウォーキング・サファリ(15ドル)に申し込んだ。

 その後、テラスに場所を移してコーヒータイムとなった。
 同じテーブルに着いた女性2人組がしているブレスレットがなかなかいい感じだ。聞いてみると、さっき絵はがきと切手を買ったロッジのお土産物屋さんにあったとおっしゃるので、もう1回行ってみた。ブレスレットは普段しないから早々に諦めたけれど、ちょっと堅めの布を見つけて買うかどうか迷った末、もう1日悩むことにした。

 22時前に部屋に戻った。ついでに、灯りのないところまで星を見に行く。天の川がくっきりと判る。
 星がたくさんありすぎて、どの星を結べば星座になるのかさっぱり判らない。空いっぱいに星がくっきりと散っている。迫力である。こんなにたくさんの星を見たのは初めてだ。

 明日も早いので、23時過ぎに就寝した。

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2005.05.11

ケニア旅行記2日目

2003年9月14日(日曜日)

 現地時間4時10分にドバイに到着した。飛行時間は9時間20分だった。両方とも新しい空港だからか、雰囲気が関空と似ている気がする。もちろんドバイ空港の方が「キンキラキン度」は極めて高い。
 ドバイ空港で不思議だったのは、金属探知機で引っかかったことだ。羽田でも関空でも鳴らなかったし、もちろん今まで旅行していて警告音が鳴ったのは初めてだ。

 警告音を鳴らした私の姿を見た瞬間、空港係員のいかにも軍人さんぽいお兄さんは、一言「靴を脱いで」と指示した。
 どうしてこんなところで靴下にならなくちゃいけないんだと思いつつ靴を脱いで通り直したら、確かにブザーは鳴らなかった。靴はもちろんバッグと同じようにX線検査を通される。見回すと、他にも靴を脱がせられている人が結構たくさんいた。

 ドバイ空港のセキュリティチェックを抜けたところで、ツアーメンバー17名が初めて全員集合した。
 若いご夫婦が2組、年輩のご夫婦が3組、女性同士の2人組、男性同士の2人組、一人参加の3人である。
 添乗員さんから簡単なガイダンスがあった。
 マサイ・マラでのバルーン・サファリは全員が希望しているけれども、今のところ全員分を同じ日程で押さえられていなくて調整中だという。
 その他、ケニアの空港では1万円くらいをケニア・シリングに両替しておけばいいでしょう、ケニアのお土産は木彫りの動物やマサイの布やコーヒー・紅茶が良いでしょう、などなどの説明があった。

 ドバイではトランジットのために3時間ほど時間があった。集合は7時45分と告げられる。
 Duty Free Shopは意外と狭く、そんなに時間を潰せない。
 お土産物売り場にラクダの置物や香水入れや段通の絨毯があり、金製品売り場は通路のド真ん中の一番いい場所でキラキラと(というかギラギラと)光っていた。

 ナイロビ行きの飛行機には、バスに乗りタラップで搭乗した。早朝なのに暑い上に湿度も高い。
 ドバイからナイロビまで、エミレーツ航空719便で5時間弱のフライトである。現地時間12時5分にナイロビのケニヤッタ空港に到着した。
 ナイロビの空港で100ドルを両替したら7500シリングになった。

 空港からナイロビ市内のホテルまでは、4台のサファリカーに分乗して移動した。パンフレットには「最大でも1台に6人」とあったから、車を3台にする手もあったのに良心的である。
 ここに来ているドライバーさん達とは、マサイ・マラに行くまでずっと一緒だという。
 たまたま私が乗った車のドライバーさんが4人のリーダーらしく、添乗員さんがしきりと「あなたが他3人のドライバーをコントロールして」と繰り返し強調している。こういったこともその場その場で添乗員さんが仕切らなくてはいけないのだから大変だ。

 ナイロビ・セレナ・ホテルは、ナイロビの繁華街から外れた静かな場所にあった。外観は少し寂れたリゾートホテルだけれど、内装は濃い色調の木目がベースで落ち着いた感じである。
 まずはホテルのレストランで昼食を取った。添乗員さんが飲み物(大抵、ビール・グラスワイン・生ジュース・コーラ類があった)を紹介して注文も取ってくれる。ミネラルウォーターは500ミリリットル入りのものが一人1本配られる。
 マンゴジュース(250シリング)を頼んだらねっとりしていて美味しかった。
 最初にサーブされたトマトスープ以外はビュッフェ式で、カレーがなかなか美味しかった。

 その後、20〜30分ほど荷物整理も兼ねて部屋で休憩を取った後、空港でもらったサファリハットを早速かぶって、15時にナイロビ市内観光に出発した。
 半袖Tシャツの上に長袖シャツを羽織って、日陰ならちょうどいいくらい。日向に出ると半袖Tシャツで十分、というくらいの気候である。
 ラッシュアワーにはまだ早いのにナイロビ市内の道路は渋滞していた。何かと思ったらセンターラインを手作業で塗り替えていたせいらしい。

P9140012ジラフセンター 最初の観光場所は「ジラフセンター」である。
 絶滅寸前のロスチャイルドキリンを保護している場所だそうで、遠くに何頭かいるのが見える。ジラフセンターには現在、雄が一頭と雌が何頭かと子供がいて、子供がある程度大きくなると、このツアーでも訪れるナクル湖国立公園などで野生に返しているそうだ。
 こういう説明は添乗員さんが係の人から聞き取って通訳してくれる。

 ジラフセンターの一角に見張り台というか見晴台の建物があって、寄ってきたキリンに餌をあげることができる。係の人がバケツを叩いて呼んでも、キリン達はなかなか寄ってこない。
 ようやく8歳のローラという雌キリンがやって来た。餌をあげると、舌が黒くて長くてざらざらしていて驚いた。手をべろべろ舐められて、唾液が糸を引いている。思わず地上にあった水道で手を洗ってしまった。
 その地上では、何故かイボイノシシと亀まで飼われている。

 キリンの餌やりを堪能した後、「カレン・ブリクセン博物館」へ向かった。
 途中で見た「ジャカランダ」は五分咲きなのか散りかけなのか、とにかく半分くらい花がついていた。確かにこの花が満開になったら綺麗だろうな、と思う。

P9140015カレン・ブリクセン博物館 「アフリカの日々」はカレン・ブリクセンがケニアでコーヒー農場を経営していた頃の思い出を綴った本だ。
 「愛と哀しみの果て」というタイトルで映画になっていて、この博物館には実際に彼女が住んでいた家と使っていた道具と映画で使った道具が渾然一体となって並べられている。
 専属のガイドさんがいて、添乗員さんが彼の説明を通訳してくれる。

 本人の肖像画が部屋の壁にかけられていて、「黒柳徹子と鈴木その子を足して2で割った感じ」に見えた。ツアーの人にそう言ったら大受けしていたから、この感想はかなり的確だと思う。
 カレン・ブリクセンの名誉のために付け加えると、写真も飾ってあって、そちらは肖像画よりも数段美人だった。
 小雨に降られながら、戸外に残されているコーヒー豆を焙煎する機械などを見学する。途中でドライバーさんが枇杷だったかプラムだったかの実を取ってくれる。かじってみたら結構美味しかった。

 17時半にホテルに戻った。
 添乗員さんから「治安が良くないのでホテルの外には出ないでください」と注意がある。
 夕食まで時間があったので、少しだけホテルの中を探検した。と言っても、小さなお土産物屋さんがあったり、プールがあったり、プールサイド・バーがあったりする程度である。そのうち本格的に雨が降ってきたので、早々に切り上げて部屋で休息した。

 部屋に戻り、一人の気楽さで荷物を大開帳していたら、ホテルの人がベッドメーキングに来てかなり慌ててしまった。
 24時間以上着続けているTシャツを洗濯しようとして、バスルームに殺虫剤が置いてあることに気が付いた。結構、虫がいるのだろう。部屋に備え付けの灰皿の上で蚊取り線香をたく。

 夕食は19時半からで、全員でひとつのテーブルに着いた。
 レタスのポタージュがまずサーブされ、前菜はビュッフェ形式。メインはビーフ・ポーク・フィッシュから選ぶことができる。
 ビーフを選んだら、えらく大きくて固いステーキだった。ハーブソルトが効いていて美味しいけれど、いかんせん固い。今回はフィッシュが正解だったらしい、とテーブルで近くに座った人たちと結論した。
 移動の疲れが出ているのか、赤ワイン1杯で結構回っているのを感じる。

 21時過ぎに部屋に戻り、バスタブがあるホテルはナイロビのみと聞いていたので、ラベンダーオイルをたらしてゆっくりお風呂に入った。お風呂もシャワーも熱いお湯がたっぷりと出る。
 お風呂から出た後、バスローブを着たままお布団にも入らないで2時過ぎまで寝てしまった。明日は6時15分にはモーニングコールがある。 風邪をひかないように気をつけねばと思う。

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