2003年9月20日(土曜日)
ムパタ・サファリ・クラブではバルーン・サファリに行く宿泊客がいるときといないときでは、朝、ジェネレータを動かし始める時刻が違う。今日は3時45分に動き出したらしい。電気を消さずに寝ていたので、ジェネレータの稼働と同時に電気がついて目が覚めた。
4時頃に起き出し、4時半にモーニングノックをしてもらったときにはほぼ準備万端整っていた。
各コテージには電話がないので、モーニングコールを頼むと(頼んだのはもちろん添乗員さんである)、スタッフが一軒一軒、ノックして回ってくれる。
5時にレストランに集合した。
まだ外は暗くて、頭上には天の川が流れている。信じられない量の星である。
長袖Tシャツ、薄手のカーディガン、長袖シャツ、コートを着込んで、お腹と背中にカイロを入れて、ちょうどいいくらいの気温だ。出発前に見たホームページで「バルーン・サファリに出掛ける人はスキーに行く格好で」と読んだのでかなり重装備にしておいた。
ツアーの全員が同じ日にバルーン・サファリに出掛けることは出来ず、今日は私を含めた4人でバルーンサファリに行くことになった。他の13人はロング・サファリに出掛けることになっている。添乗員さんはロング・サファリに付いて行くけれど、バルーン・サファリ組のためにレストランで待っていてくれた。
迎えのジープが走り出してすぐ、ヘッドライトにライオンが浮かび上がってとても驚いた。
車を停めてくれたので、3〜5mくらいの至近距離で立派な鬣の雄ライオンを見ることができた。ライオンはヘッドライトを浴びせられても悠然としている。
ドライバーさんに「今日、一番最初にライオンを見たのはあなたたちだ」と言われる。それはそうに違いない。
キチュア・テンボというテント・ロッジで二人が加わって、ムパタ・サファリ・クラブから乗って来た私たちと一組のご夫婦を加えて8人になった。全員が日本人だ。
気球を準備している地点に着くと、ビスケットとコーヒーのサービスがあった。日本語の注意書きのカードもあったので目を通す。
少し離れたところにテントのトイレがあったので借りたら、便器の中に蜥蜴ががんばっていて、どうしようかと思った。
気球はある程度の大きさになるまでは、大きな扇風機で風を送り込んで膨らませるようだ。
ある程度膨らんだところでバーナーに点火し、さらに膨らませる。2基用意している。
12人乗りの気球に日本人8人が乗り込む。真ん中はパイロット席で、その周りに4区画あり、二人ずつ乗り込んだ。
気球を操縦するのはディヴィッドというひげのおじさんで、バンクーバー出身だという。
ようやく空が明るくなりかけた頃、気球は離陸した。本当に静かで、離陸したことに気が付かなかったくらいだ。
私はバーナーに近い方に乗っていたので、髪が焦げるのじゃないかと思ってしまうくらい、火が近くて熱い。
朝焼けの空に太陽が上ってくるところを空の上から見るのは本当に気持ちが良かった。
気球から日の出を満喫した頃、地上の森の中にいるキリンやしまうまが見え始めた。ディヴィッドが指差して教えてくれる。
サバンナの上を飛んでいるときには、自分が乗った気球の影が地上にくっきりと落ちているのを見ることができた。
川岸にいるワニや、水場に集まって来ているヌーやインパラ(推定)なども見える。草食動物は、(多分)バーナーの音に驚いて、気球が近づくと一斉に逃げ出してしまう。
遠くに、かなり高いところを飛んでいる気球が見えた。そちらはセレンゲティの気球だそうだ。セレンゲティの気球が飛んでいる辺りはすでにタンザニアで、国境を越えるわけにいかないからあっちには行けない、と教えてもらう。
途中でディヴィッドが「気球の向きを変えるよ」と言ってぐるっと180度回転させていたし、動物を発見するとそちらに向かってくれるし、気球は、ガイドブックに書いてあったような「完全に風まかせ」ではなく、かなり操縦が効くらしい。
「地球の歩き方」には朝食を準備する車が気球を追いかけて来ると書いてあったけれど、そういった気配はない。どうも(どうしてそう考えたのかすら、もう忘れたけれど)当時の自分のメモによると、気球にはGPSが積んであって、それで大体の着陸地点を無線で知らせていたようだ。
大体、45分くらい飛んでいただろうか。ディヴィッドに「最後の一枚を撮って」と言われた。そろそろ着陸らしい。
別に撮らなくてもいいのに、そう言われると撮らなくちゃいけない気分になるのが不思議だ。
カードにあった注意書きに従ってカゴの中にしゃがみ、背中をつけて、目の前にあるロープを掴む。
もう周りは全く見えていないから、どれくらい高度が下がっているのか判らない。
ディヴィッドがカウントダウンを始め、最後の「One」がやけに長く引っ張られているな、と思っていたら、2、3回カゴの底が地面について弾んだ後、見事に背中からひっくり返った。ひっくり返ったときに下になる場所に座っていたので、草原の草についた朝露が思いっきり飛び込んできた。
でも、これが結構楽しい。
ディヴィッドが回していたゲストブックにきっぱりと日本語でサインし、4人で一緒に写真を撮ってもらう。
そうこうしているうちに、2基目の気球も着地した。そちらの気球もやっぱり横倒しになっていた。
朝食の準備が進められている間に、まずはシャンパンで乾杯だ。
だだっ広いところで朝からシャンパンなんて、本当に贅沢なことをしているよなー、と思いつつ、ごくごく飲む。記念写真ももちろん撮る。
朝食は、気球のバーナーで焼いたソーセージやパンケーキ、フレンチトーストが次々と大きな木のお皿で回されてくる。どのジャムが美味しいかなんてことをディヴィッドに教えてもらいつつ、ぱくぱく食べる。
野外で食べるごはんというのは大抵美味しいものだけれど、これはかなりの水準の美味しさである。
学校の机二つ分くらいの「売店」の案内があり、少し離れたところに駐められたジープの陰がが女性用トイレだと案内される。丈の高い草が生えている辺りで、周りに人がいないことは確かだし、紙を捨てるゴミ箱まで用意してある。有り難くお借りする。
食事をしたその場所から、大移動しているヌーとシマウマの群れも見ることができた。
一緒に気球に乗ったご夫婦は、11時の飛行機でナイロビに帰るそうだ。彼らを送るために急いで空港に向かう途中、サファリカーがまさかのエンストを起こした。ケニアに来て初めてのことだ。
エンジンの真上辺りの床をはがし(簡単に外れた)、ドライバーやレンチやヤスリまで持ち出して修理している。
「ここから空港までダッシュしないと」「ダッシュしてたどり着ける距離じゃないですよ」などと呑気に会話をしているうちに、多分10分くらいで修理は完了した。思わずみんなで拍手する中、車は再スタートする。
ムパタ・サファリ・クラブに戻ったのは11時半くらいだった。
ランチは12時半からだったので、一度部屋に戻った。マサイ・マラがこれまでで一番洗濯物が乾くので、シャワーを浴びるついでにお洗濯をしてしまう。
日中、電気は止まっているけれど、シャワーのお湯は24時間出るのが有り難い。
バルーン・サファリ組の4人でビュッフェの昼食をとる。かなりのんびり食べても、なかなかロング・サファリ組が帰ってこない。
13時半過ぎにロング・サファリ組が帰ってきた。ヌーが川を渡りそうだったので、実際に渡る場面を見ようと待っていたら遅くなってしまったという。
ロング・サファリ組と再会する前に、ヴィンセントと再会した。ナイロビの空港で別れた後、7時間かけて車でマサイ・マラまで来たそうだ。
日本のカメラマン二人についているそうで、「今日の午後はマサイ・ヴィレッジに行くんだ」という話をしたら、「自分も明日は4つのマサイ・ヴィレッジに行く。カメラマンだから、彼らは色々なところに行きたいんだ」と教えてくれた。
添乗員さんは「少し遅めに出発するかも」と言っていたけれど、定刻通り、15時にイブニング・サファリに出発した。今日は、まずはマサイ・ヴィレッジの訪問だ。
村の入り口でマサイの暮らしについてダニエルが説明し、それを添乗員さんが通訳してくれる。
この村から6km離れたところに小学校があること、村を訪れるときは通常は牛を連れて行くけれどもロッジを通して支払ってもらったお金が牛の代わりになること、そのお金は小学校を作るなど教育資金として使われること、家の中を見ても写真を撮っても構わないことなどだ。
村は真ん中に広場があり、その周りに牛糞等々を塗り固めた家があって、家の前は雨が流れ込んでこないように通路が開けてある。
真ん中のスペースは牛糞が積み上がっている。牛糞と言うよりも堆肥に近い黒っぽい色だ。遠くに運ぶのは大変だからそのまま置いてあって、近くにあるから家の修理に使うこともある、ということらしい。
マサイの女性たちが一列に並んで歓迎の歌と踊りを披露してくれた。その列に入れてもらい、ビーズの首飾りをかけてもらって、とりあえずまねして歌って歩いてみる。
その後、木で火を熾すところを見せてもらったり(私も挑戦したけど、全く煙も出なかった。ツアーの方の中には成功してその火でたばこを吸っている人がいた)、マサイ・ジャンプを見せてもらったり、家の中を案内してもらったりする。
壁が厚く、窓もかなり小さく切っているので、マサイの家の中は真っ暗だ。何も見えない。
土地としてはかなり乾いているのだけれど、家の中は天井が低いせいか暗いせいか、湿っぽく感じる。この状態で竈に火を入れて酸欠にならないんだろうか?
小屋の中の赤ちゃん山羊を見たり、マサイの子どもたちの写真を撮らせてもらったりしている間に、いつの間にかあちこちで商売が始まっていた。実演で見せてくれた火を熾す道具や(そういえばお土産物屋さんでも見かけた)、ムパタ・サファリ・クラブのキーホルダーにもなっているマサイの(多分)武器などが人気のようだ。
村から出ると、そこからサファリ・カーに行くまでの間が青空市状態になっていた。お土産が並んでいる。
ロング・サファリに行った方々は、サファリの帰りに国立保護区のゲートのところでも同じような青空市を見かけ、わざわざ車を止めてもらって見たそうだ。それでもみんな目を輝かせて交渉している。
私もムパタ・サファリ・クラブのお土産物屋さんで見かけて買うかどうか悩んでいたネックレスと対になったブレスレットを見つけて購入する。400シリングを300シリングに負けてもらった。
16時半くらいにマサイ・ヴィレッジを後にしてサファリへ向かった。
ドライバーさんに「どんな動物が見られる? チーターは見られる?」と聞くと「もう時間が遅いからあまりたくさんの動物は見られない。チーターは遠くにいるから明日」と言われた。
だから、このサファリで一番存在感があったのはバッファローだ。大きな雄の年老いたバッファローが2頭、サバンナの中で凄んでいた。
ムパタ・サファリ・クラブのサファリカーはランクルのオープントップだ。
バルーンサファリに行ったときは素通しのジープだったけど、天井が開かない車はサファリに向かない。
マサイ・マラは国立保護区なので、これまで行った国立公園とは違って車が道じゃないところを通ることが許されている。これまで以上の悪路を走ることになるからランクルくらいじゃないと対応できないのかもしれない。
夕食の時間にはステージでショーがあった。今日の午後、マサイ・ヴィレッジに行ったときににマサイの布を巻いて参加していたツアー参加者の若い男の子が、いつの間にかステージ上のマサイと一緒になってマサイ・ジャンプをしていた。それにしてもよく跳ぶ。
ステージがダンスに変わると、彼の奥様も一緒になってステージに上がり歌って踊っていた。若いって素晴らしい。ヴィンセントと一緒に回っているというカメラマンを捕まえ、自分たちのカメラを渡して撮ってもらえるようにお願いしている。周到だ。
ツアーの人が「ビデオカメラを持って来れば良かった」と悔しがっていた。
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2005年6月4日画像追加