オーロラ(フィンランド)旅行記の入口を作る
ここはオーロラ旅行記への入口である。
旅行記に写真も追加したので、入口を作っておくことにした。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
1日目 2005年3月9日 成田 -> ヘルシンキ -> サーリセルカ(泊)
4・5日目 2005年3月12・13日 サーリセルカ -> ヘルシンキ -> 成田
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ここはオーロラ旅行記への入口である。
旅行記に写真も追加したので、入口を作っておくことにした。
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1日目 2005年3月9日 成田 -> ヘルシンキ -> サーリセルカ(泊)
4・5日目 2005年3月12・13日 サーリセルカ -> ヘルシンキ -> 成田
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2005年3月11日(金曜日)
8時30分に起床し、昨日と同様、まずは朝食を食べに行った。
10時くらいにリエコンリンナ・ホテルを出発し、シウラに入っているラップランド・サファリ社を目指す。今日は11時からトナカイそりである。
シウラに10時30分くらいに到着し、明日の帰国に備えてお土産物屋さんを物色する。
11時になって、NORDIC JAPANのお姉さんにオプショナルツアー代金を支払う。申し込んだ中で最後のオプショナルツアーに参加する際に全額を現金で支払うという不思議なルールだ。
昨日と同様に防寒着を身につける。トナカイそりはスピードは遅いけれどずっとそりに座っているだけなので寒くなるそうだ。
準備万端で外でしばし待っていると、迎えの車が来た。
雪道で上り坂でしかもカーブしている道をドライバーのお姉さんが結構なスピードで飛ばすのが少し怖い。
トナカイそりを操るのはパウリさんというおじさんだ。
このおじさんは何だか有名人のようで、出発前にもらった「FINLANDIA フィンランドの旅 2004 Winter vol.10」に写真入りで載っていたし、帰国した13日にたまたま放映していた、フィンランドにオーロラを見に行くという紀行番組にも登場していた。
そのパウリさんは、(恐らく)サーメ人の伝統的な衣装を身につけている。
パウリさんが操る白トナカイがひくそりを先頭に、2台のそりが続く。今回の参加者は私たち二人だけだ。
犬ぞりに比べるととてもゆっくりである。私たちのそりをひくトナカイはおとなしくパウリさんが操るそりについて行くので、特にすることもない。青空の下の雪景色を堪能する。
途中で一度、休憩があった。犬ぞりのときと違って休憩場所に何かがあるわけではないので、そりから降りて腰を伸ばし、記念撮影をする。
パウリさんに「トナカイに触っていい?」と身振り手振りで聞くと、真ん中のそりをひいていたトナカイのところに連れて行かれた。白いトナカイは気性が荒いのか、触らせて貰えなかったのが残念だ。
トナカイの角は乾いていて硬く、毛は思ったよりも柔らかい感じがした。
そりの位置を交代して、再び出発である。
木々の間に動物の足跡をたくさん見かけ、写真を撮るのに夢中になった。いざ写真を撮ろうとすると、トナカイぞりもなかなか足が速い。あっという間に通り過ぎてしまう。
あれはどんな動物の足跡だったんだろう?
スタート地点に戻り、テント式のコタに案内されて一休みする。温かいベリージュースとビスケットをいただく。このジュースが意外と美味しかった。
その後、何故か投げ縄でトナカイを捕まえる訓練を行い、トナカイの大好物だという藻を食べさせる。手のひらに載せてあげようとすると、大きく張り出した角が怖くていささか腰が引け気味になってしまう。
トナカイは、雄はもちろんのこと雌にも角がある。
また、今は角が生え替わる時期だそうで、牧場に何頭もいるトナカイの中には両方の角が抜けてしまっているトナカイもいた。角のないトナカイはかなり間抜けである。見た目はほとんど牛みたいだ。
こういった情報は、パウリさんはあまり英語を話さないので、スタート地点までついてきてくれたNORDIC JAPANのお姉さんが教えてくれた。
13時過ぎにシウラに戻った。
お土産はヴァンター空港で買ってもいいかと思っていたけれど、友人は、飛行機が遅れて乗り継ぎ時間がほとんどなくなりお土産を買うどころじゃなかったという経験があると言う。確かにそれは困る。シウラとクーッケリをハシゴしてお土産を物色した。
それにしても、何故フィンランドで「ゲイシャ」という名前のチョコレートが売っているのか、謎だ。
リエコンリンナ・ホテルに到着したときに何軒かのレストランで使えるサービス券をもらっていたので、ドリンクの無料券がついていた「シベリア」というお店でお昼ごはんを食べた。もう14時半近くになっていて、お腹はペコペコである。
トナカイ肉とパイナップルとブルーチーズのピザを頼んだ。美味しい。大きなピザでとても食べきれない。12ユーロだった。
ホテルに戻る前に、夜間にライトアップされていたコタ近くの教会に行ってみた。
木造のシンプルな教会で、人影はない。人影はないけれど、暖房が効いている。祭壇の後ろは全面ガラス張りになっていて、雪景色が見える。
残念ながら二人ともキリスト教の素養がなく、ざっと見て退散にした。
16時ごろにホテルに戻った。買ってきたお土産を整理し、お茶を飲む。夕ご飯はホテルのレストランでとることに決め、私は、目覚まし時計をセットしてお昼寝をした。
その間、友人はホテル内を探検し、絵はがきを書き、お土産物屋を覗き、サウナにも行ってきたそうだ。
今日の方が昨日より冷え込んでいて、温度計はマイナス12度くらいを指していた。
19時半過ぎにホテルのレストランに行った。メニューには日本語も書かれている。
私は、シーフードサラダと「伝統的なラップランド料理」のプレートを頼み、この後オーロラ観測に行くことを考えてアルコールはパスする。デカンタに入ったお水を出して貰えるのが嬉しい。
シーフードサラダは、Sサイズを頼んだのに凄いボリュームで、蟹、エビ、ムール貝、その他の魚介類と野菜がこれでもかというくらいに盛られている。私は、そんなに小食な方ではないけれど、この一皿だけで夕食としては十分以上だ。とても食べきれない。
「伝統的なラップランド料理」は、雷鳥とトナカイと鱒のくんせいが盛りつけられていた。雷鳥は一見してレバーのような見た目で、赤身で少しぱさついた感じのお肉だ。トナカイはフィレ肉で、こちらも少しクセのある味である。どちらも「よく運動している動物の肉」という感じだ。この二つに比べると鱒の薫製は穏やかな味で、美味しく食べられた。
買ったばかりのフェイスマスクも含め、防寒対策を整える。つま先とお腹と背中にカイロを貼る。カメラの電池が暖められるようカイロを入れる。予備のカイロも持つ。
22時前にリエコンリンナ・ホテルを出てコタに向かった。
一昨日は時間が遅かったので気が付かなかったけれど、コタの周辺はクロスカントリーのコースになっていて、その照明が煌々と輝いている。教会のライトアップ以上にまぶしい。
しばらくクロスカントリーのコースに沿って多少でも暗いところを探す。オーロラが出る気配がないのでコタに行ってみると先客が二人いてストーブが赤々と燃えていた。
三々五々人が集まってくる。交代で火の番をし、やかんに雪を入れてお湯を沸かす。時々外に出て空を見上げる。快晴だ。
こんなにたくさん星が見える空をこんなに長時間、しかも熱心に眺めていたことなんてそうはない。
これまでの人生で見た何倍もの数の流れ星を見ることができた。
22時を過ぎると(23時だったかもしれない)、クロスカントリーコースの照明が消えた。
薪ストーブの火が燃えるコタにいて、時々外に出るだけでもどんどん冷えてくるのが判る。特につま先が冷たい。カイロは全く役に立っていないようだ。マイナス40度まで対応する靴を履いていても、やはりウールの靴下が必携だ。
あまりにもつま先が冷たいので靴を脱ぎ、ストーブに足をかざして暖める。余りの寒さのせいなのか、耐寒の靴が空気を遮断しているせいか、靴用カイロは全く発熱していない。
しばらく外に出ていた友人が戻ってきた。でも「手袋をどこかに落としちゃった。探してくる。」と言って、そのまま出て行ってしまう。
と思ったら、またすぐ戻ってきて「オーロラが出ているみたい。人が騒いでる。」と教えてくれた。
慌てて外に出て、視界が開けている方に向かうと、白く大きなオーロラが空に弧を描いていた。凄い!
慌ててカメラを取りに戻り、適当なところに三脚を据えた。
液晶画面でオーロラが確認できないので、とにかく適当な方向にカメラを向けてシャッターを切る。
一眼レフでない通常のデジカメなので、レリーズは使えない。
外はもちろんコタの中も暗いので、ホテルを出る前にデジカメはシャッタースピードは最遅の16秒、ISOを400にし、ノイズリダクションをオンにし、タイマー撮影するように設定しておいた。レンズの結露防止になるかもしれないと思い、レンズカバー用のフィルタもセットしてある。
タイマー撮影なので、実際にシャッターが切れるまで12秒ある。シャッター速度が遅い上にノイズリダクションをオンにしてあるので、シャッターが切れてから次にシャッターボタンを押せるまでが長い。
何とももどかしい思いをしながら、でも、おかげで自分の目でもオーロラを食い入るように見ることができた。
大きな弧を描いていたオーロラは縦に長くなったり、一瞬カーテン状に揺らめいたりした。
木々の上をかするように白く伸びたオーロラは、やがて少しずつ薄くなって消えてしまった。
体感時間としては5分くらいのものだったけれど、デジカメの撮影時間をチェックしてみたら25分くらいの天体ショーだった。
実際に撮れた写真は、正直に言うと失敗だった。一応、オーロラらしきものは写っているけれど、ブレていたり、地平線が斜めになっていたり、隅っこをかするくらいしかオーロラが写っていなかったりしている。
肉眼では白く霞んで見えたオーロラが、写真では鮮やかな黄緑色なのが意外だ。
そのときは時計を見ることも忘れていたけれど、オーロラが見えたのは0時前後だった。
その後もコタを出たり入ったりしながらオーロラを待ったけれど、薄く何となくもやもやしたものが木の上辺りに出ることはあっても、動き出す気配もないまま消えてしまう。
それでも「また見られるかもしれない」と思うとなかなかホテルに戻る気になれない。
さっきのオーロラも友人が落とした手袋を探しに行かなければ、コタの中にいた私は気が付かなかった可能性が高い。本当に運次第だし、運が良かった。
それからしばらくねばったけれど、結局、卒業旅行で来ているという男の子二人組を残し、私たちと最初の日にも会った女性二人組の四人は3時頃に引き上げた。
ホテルまでの道を歩きながらも時々振り返って空にオーロラを探したけれど、残念ながらそれ以上見ることはできなかった。
0時過ぎにオーロラを撮影した頃からコタの温度も上がっていたので、レンズの結露を心配して、カメラはずっと外に置いておいた。それでも電池(一応、寒冷地対応とうたった充電式リチウム電池を使っていた)が消耗しきることもなく、よくがんばって働いてくれた。レンズも無事のようだ。
あまり無事でなかったのは人間の方で、シャワーを浴び、昨日買ったラズベリーワインをポットで湧かしたお湯で割って飲んで体を暖める。なかなか体が暖まったような気がしない。持って帰るのも面倒だという気持ちもあって、二人でボトルに半分以上残っていたワインを空けてしまった。
オーロラ(フィンランド)旅行記2日目<- ->オーロラ(フィンランド)旅行記4・5日目
2005年5月15日写真追加
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2005年3月12日(土曜日)
9時に起床し、朝食を食べに行った。
友人は最終日の今日こそご飯と味噌汁を試そうと思っていたそうだ。ところが、時間が遅かったせいか、炊飯ジャーはすでに片づけられてしまっていて、かなり残念がっていた。
私は、名残惜しいので、シロップ漬けのベリー類をいつにも増してたっぷりと食べた。
それにしても、とにかく頭が痛い。理由は判っている。昨日(というか今朝早く)、オーロラ観測から戻ってきて「体を暖めるため」と言い訳し、「とにかく空けちゃおう」と何杯も飲んだラズベリーワインのせいだ。旅行最終日に二日酔いで頭が痛いなんて初めてのことである。
朝食後は、昨日教えて貰った郵便局に行ってムーミン切手を買ってこようと計画していたけれど、それどころではない。荷造りをするために下を向いているだけで頭がガンガンする。
結局、荷造りを終えた後は、空港に向かうバスの時間まで二人揃っておでこに冷えピタを貼り付け、ベッドに長々と寝そべって二日酔いと闘った。
イヴァロ空港に行くエアポートバスは11時にリエコンリンナ・ホテルに来るので、チェックアウトも済ませロビーで待機する。周りには結構たくさんの日本人が集まっている。
聞くともなしにNORDIC JAPANのお姉さんと年配の女性の話を聞いていたら、フィンランドでは国内線の航路変更が普通に行われているらしい。例えば、ヘルシンキからロヴァニエミに行く便にお客さんが少ないとそちらはフライトをキャンセルし、多少の余裕があるヘルシンキからイヴァロに飛ぶ便に振り替えてしまうそうだ。この場合、結果的に、イヴァロに行く便はロヴァニエミに一度降りる分遅れることになる。
その話を聞いた時点で、これから自分たちが乗る予定の飛行機が遅れているらしいと気が付けばいいものを、全くそんなことは予想しないまま、やってきたエアポートバスに乗り込んだ。
バスはリエコンリンナ・ホテルを出た時点でほぼ満席になり、ホリデイ・サーリセルカでもう1台バスが呼ばれていたようだ。
雪道を飛ばして、30分でイヴァロ空港に着いた。
チェックインに長い行列が出来ていたけれど、国内線は自由席のためか搭乗券が発券されることもなく、チェックインはあっという間に終わった。
消費税の払戻し手続きのためのスタンプを貰えるカウンターが1ヶ所しかなく、もう一度並び直す。
消費税の払戻しを受けるためには封をした状態の購入品を見せなくてはいけないと説明書にあったので、お土産物はスーツケースに入れずに手荷物にしていたけれど、忙しかったためか、カウンターのお姉さんは一瞥すらせずにポンと簡単にスタンプを押してくれた。
理由はよく判らないまま、ヘルシンキに向かう国内線は遅れていた。そもそも空港に飛行機の姿が全くない。ヘルシンキから飛んできた飛行機がそのままとんぼ返りするのだろう。
ヘルシンキのヴァンター空港での乗り継ぎが2時間15分しかなかったので多少焦ったけれど、30分遅れくらいで搭乗が始まった。空港ビルから飛行機まで歩いて行く。その間に写真を撮ったりもして、何とものどかだ。
ヴァンター空港に到着し、出国審査を探したけれど見つからない。到着したときに別ルートを通って国内線に乗り継いだので見当が着かない。
途方に暮れていると、イヴァロ空港で見かけた日本人の添乗員さんが手を挙げて自分のツアーのお客さん達を案内していくところに出会った。もうこれは付いて行くしかない。
その集団からちょっとだけ離れ、でも見失わないように必死でついて行った。
ついでに説明も聞かせていただいたところによると、本来、出国審査前(ユーロ諸国へ向かう便は国内線扱い)のお店は免税にはならないけれど、ヴァンター空港の場合は、出国審査前と出国審査後にあるお店が協定を結び、どちら側のお店で買っても購入金額は同一になっているという。
さらに、消費税の払戻しをしてもらえるお店も、出国審査の前後に両方ある。
友人は「もうお土産も揃ったし、ユーロはいらない。」と成田に戻ってから日本円で払戻しをしてもらうことに決めたようだ。
私は家へのお土産にスモークサーモンやジャムを購入した際に払戻し分を充当してもらい、化粧品も買って5ユーロだけを残して使い切った。
国内線が遅れたこともあり、あっという間に成田に向かう便の搭乗開始時刻になった。フィンエアAY0073便は、定刻通り17時20分に離陸した。
友人は割とすぐ寝入ったようだったけれど、私は飛行機ではなかなか眠れない性質である。暇潰しのつもりで見始めた忍者ハットリくんの映画をかなり真剣に見た。
翌日の3月13日(日曜日)、9時55分の定刻より少し遅れて成田空港に到着した。
ちょうどいい電車があった私は、消費税の払戻し窓口を探すという友人と別れ、帰路についた。
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2005年3月10日(木曜日)
8時に起床し、朝食を食べに行った。
ビュッフェ形式で、パンとシリアル、ハムやチーズ、スクランブルエッグやソーセージ、サラダなどの他に何故かご飯、味噌汁、のり、生卵もある。お部屋には湯沸かしポットが置いてあるし、日本人宿泊客が多いのだなと思う。
シロップ漬けにしたベリー類にヨーグルトをかけて食べると美味しい。
そのまま、NORDIC JAPANの事務所にオプショナルツアーを申し込みに行った。犬ぞりサファリとトナカイそりをできれば別々の日で、とお願いする。
オーロラを求めて車で走るオーロラハンティングは当日分を16時まで受け付けており、「お天気を見てゆっくり考えてください。オーロラが見えなくても返金はないので。」と言われた。
部屋に戻ってふと窓を見ると、部屋の中から見えるように温度計が設置してあった。9時半現在でマイナス10度だ。
オプショナルツアーは、今日の13時から犬ぞり、明日の11時からトナカイそりということに決まった。
その連絡を待ってから、10時半くらいにホテルを出た。リエコンリンナ・ホテルは街の端にあるので、犬ぞりサファリの集合場所であるシウラというショッピングセンターまで歩けば、ちょうど街を縦断する感じになる。
上は長袖Tシャツ、セーター、ウールのシャツ、ダウンコートを着込み、スパッツの上にコーデュロイのパンツをはく。手袋と靴下は二重にして、毛糸の帽子とマフラー、マスクをする。
歩いていると、思った以上に顔が寒い。その他はほとんど二重以上に布で覆っているのに、顔だけは完全に外気にさらされているから当然だ。成田空港までの花粉よけ兼機内での乾燥よけに持ってきたマスクが頼みの綱だ。
あまりの顔の寒さにホリデイ・サーリセルカに寄り道した。
ロビーに置いてあるパソコンは日本語表示が可能だ。恐らくは日本語入力もできると思うけれど、ペルーのときと同様、日本語入力モードへの変更方法が判らない。
さらに10分くらい歩いて、クーッケリというショッピングセンターに到着した。1階は食料品とお土産物、日用品が売っている。イートインもある。地下1階には衣類が売っている。
犬ぞりツアーの集合場所であるシウラというショッピングセンターは、クーッケリから5分くらい歩いたところにあった。2004年12月に出来たばかりで、ミニスーパー、お土産物屋、観光案内所などが入っている。クーッケリより少しだけ高級感漂うといった感じで、マリメッコのお店も入っていた。
シウラに入っている「ラップランド・サファリ」がオプショナルツアーの主催会社であり、集合場所である。
シウラのレストランで、お魚のスープ、パン、飲み物(紅茶orコーヒー)というメニューのランチセット(8ユーロ)をいただいた。スープはスパイスが利いていて、鮭やイカなど魚介もたっぷり入っていて美味しい。
犬ぞりサファリの集合場所に着くと、NORDIC JAPANのお姉さんがすでに待機していた。
私たちの他に日本人の6人グループがいる。この8人で行くようだ。
まずはスキーウエアのようなツナギの防寒着を借りて着込み、自分のダウンのコートをその上から着る。厚手の毛の靴下を履き、靴も長靴のような風を通さないブーツに履き替える。毛皮のミトンをはめ、フェイスマスクを借りる。
風を切って走るし、特にそりに乗って座っている人は動かないのでかなり寒くなるらしい。
犬ぞりサファリの出発地点は、シウラの前の道路を渡ったすぐのところだった。
最初に犬ぞりの操作方法とコースの説明を日本語で受ける。
一人はトナカイの毛皮が敷かれたそりに乗り、一人が後ろに立って操縦する。
目的地のコタまで30分〜40分くらいかかり、行き帰りの途中で一度休憩し、操縦者を交代するそうだ。
犬は全力で走りたくて仕方がないので、ブレーキをかけるときは全体重を乗せないといけないという。逆に、上り坂で犬たちが振り向いて「手伝えよ」という顔をしたら片足で蹴って助けてあげても良いそうだ。
インストラクターのお兄さんがスノーモービルで付いてきてくれるというから安心である。
スタートしてすぐは比較的簡単なコースという話だ。自分の運動神経を全く信用していないので、操縦者に立候補した。
スタートしてすぐは私たちのそりが先頭を走っていたけれど、リーダー犬にどうもやる気が見られない。途中で先頭を交代し、さらにリーダー犬も別の犬と交代させられてしまった。
そうすると、俄然走りが違ってきた。走る、走る。
二人で「やっぱりリーダーって大切よね。」と微妙なネタで大笑いした。
最初は林の中、だんだん視界が開けてきて、ただ雪原しかないところを走ってゆく。
風で雪が飛んでくる。雪原を見ると砂漠のように風紋が描かれている。地平線まで続く雪原に青い空がとても綺麗だけれどとてもまぶしい。そして冷たい。
途中で操縦を交代し、そりに座った私はひたすら写真を撮りまくった。
地面に近いところに座っている割に犬ぞりは思ったよりもスピードが出ていない印象だ。
コタに到着し、がんばって走ってくれた犬たちもただ乗っていた人間達も休憩する。
相当疲れたのか、犬たちは丸くなって座ってしまう。犬たちと写真撮影をして、コタに入る。
お兄さんがお湯を沸かし、トナカイ肉のハムを挟んだサンドイッチを作ってくれた。やかんに直接コーヒーの粉を入れて、「ダッチコーヒーだ」と一言おっしゃる。大胆だ。そして、美味しい。
フェイスマスクを脱ぐと、自分の息と鼻水ですっかり濡れてしまっていた。囲炉裏の火にかざして乾かす。
コタの中で何枚かフラッシュをたいて写真を撮ったら電池がちょうどなくなったので交換する。正面からの風を受けてカメラの温度もかなり下がっていただろうに、よくここまで電池が保ったものである。
何となくおしゃべりしているうちに、6人グループは親戚同士の方々だと判った。8日間のツアーで来ていて、帰りにヘルシンキにも立ち寄るそうだ。
昨日、同じ飛行機で到着したようで、ヘルシンキからイヴァロまでの飛行機の窓から相当大きなオーロラが見えたことを教えて貰った。見そびれたことが悔しい。
しばしの休憩後、別のコースをたどって帰途についた。
帰りも私が先に操縦した。雪も深く、最初のうちは木々を抜けて行くので結構カーブが激しかったり枝が出ていたりする。必死で体重をかけてそりの均等を保つ。
前を走っている犬ぞりはずーっと先に進んでしまい、後ろのそりはなかなか追ってこない。広い雪原を自分たちだけで走っている気分だ。犬たちがコースを知っていること(という思いこみ)だけが頼りだ。
コース途中で操縦を交代し、そりに乗り込む。トナカイの毛皮はちょっと毛が硬いし、どんどん毛が抜けてくるのが難点だけれど、とても暖かい。
余裕が出てきて、デジカメを構えて動画も撮ってみる。
急カーブで細い木にぶつかり、そりが跳ねた。悲鳴をあげつつも、しつこく動画を撮り続けていたら、スノーモービルでお兄さんが飛ぶようにやってきて、かけ声ひとつ。犬ぞりは急停止した。
「何で止めたんだろうね?」と操縦している筈の友人に声をかけても返事がない。無理矢理に体をねじって振り向くと、彼女がそこにいない!
どうしてそりを操縦していた筈の友人がいないのか軽くパニックになっていたら、友人がお兄さんのスノーモービルの後ろに乗って到着した。
聞いてみると、ちょうど木にぶつかってそりが跳ねたときに、彼女も道の脇に投げ出されてしまったそうだ。「怪我は?」と聞くと、「雪だまりに落ちたので大丈夫。」とのことでほっとする。
それにしても、友人がそりから投げ出されたことにも気が付かず、脳天気に動画を撮り続けていた私って一体・・・。友達甲斐のない人間で本当に申し訳ない限りだ。
その後のコースは比較的順調で、無事にスタート地点に戻って来ることができた。15時30分に犬ぞり体験サファリは終了した。
犬たちはすぐさま大きなトラックに乗せられて、どこかへ運ばれて行った。
朝は快晴だった空に、どんどん雲が出てきた。「ただここにいて雲が切れるのを待つよりも、雲の切れ間を探して移動した方がオーロラを見られる可能性が高い」と意見が一致し、慌ててホテルに戻って申込締切時刻の16時ぎりぎりに今日のオーロラハンティングツアーを予約した。出発時間は気象状況などを考えて18時くらいまでには決めると言われる。
その後、ホテルの部屋で夕食にしようと、クーッケリに買い出しに出た。
スモークサーモン、パン、チーズ、サラダ、ビール、ワイン、オレンジ、カップスープの素などを買い込む。このスーパーでは簡単にカードで買い物ができて助かった。実はサーリセルカの街のどこでユーロに両替できるのか、さっぱり判っていなかったのだ。
オプショナルツアーは現金払いだったので、通常の買い物はほとんどカードで支払うことにする。
昼間の犬ぞりサファリでその威力に接したフェイスマスクを買おうと、地下の衣料品売場に向かった。犬ぞりサファリで借りたフェイスマスクはフリース製でなかなか具合が良く、同じものがあればそれが欲しかったけれど、どうやら売っていないようだ。メッシュ地のようなフェイスマスクで妥協した。
しかし、10ユーロというのは結構いい値段だと思う。
ホテルに戻って、冷やしたいものは冷蔵庫、もっと冷やしたいものはバルコニーに出す。
電話で確認すると、オーロラハンティングの出発時刻は21時だという。4時間近くあるので、私はお昼寝し、友人はサウナに出かけた。犬ぞりではただ立っていただけ、座っていただけのつもりだったのに、肩や背中が結構バリバリになっている。
買い込んできた食料で夕食にし(サーモンが美味しかった!)、オーロラハンティングツアーに向けて身支度を整える。
上は長袖Tシャツを2枚、ハイネックセーター、ウールのシャツ、コートを重ねる。下はタイツ、スパッツ、コーデュロイのズボンに綿入りのアウトドア用のパンツを重ねる。靴下も二重履きし、カイロを貼る。お腹にもカイロを入れる。もちろん昼間買ってきたフェイスマスクも用意する。防寒対策はばっちりだ。
カメラを三脚にセットし、フリースのカバーをかけ、電池の辺りにカイロを貼る。
20時50分くらいにロビーに行くと、昼間の6人グループのうちの4人がいらした。お二人はホテルで休息だそうだ。
ワゴン車に乗り、ホリデイ・サーリセルカでさらに二人を拾って出発である。気象状況その他から北に向かうことになったようだ。恐らく、目的地はイナリ湖だろう。
イナリ湖に着いて、しばらくオーロラ待ちをする。昨日よりも星は見えているけれど、オーロラの影はない。ドライバーのお兄さんはしきりと携帯電話で話している。
30分くらい待機して出る気配がないと見切ったのか、移動することになった。
イヴァロの街にいったん戻り、来たときに通ったのとは別の大きな直進道路をしばらく走っていたら、いきなり車が止まった。ドライバーのお兄さんが「後ろにオーロラが出ている。」と言う。
慌ててみんなで車を降りて、指さされた方向を凝視する。確かに薄く白い線が縦に流れている、ような気がする。
一応、三脚を立ててみたけれど、光りが弱すぎて、ファインダーを覗いてもカメラが正しくオーロラを捉えているかどうか判断できない。あてずっぽうで何枚かシャッターを切る。この写真の右下がうっすらと薄緑に明るくなっているのが判るだろうか・・・。
これで、オーロラハンティングツアーは終了だ。一路、サーリセルカに戻る。何とも消化不良な感じである。
これで、リエコンリンナ・ホテルのフロントに置いてある「今週のサーリセルカの天気」で明日が曇りや雨だったらかなりショックだったろうけれど、晴天の予報が出ていると知っていたので、そんなに悔しいという感じはしなかった。
リエコンリンナ・ホテルに戻ったのは23時過ぎだった。この後再びコタに行くかどうか迷いつつロビーでうろうろしていたら、次々と人が帰って来たし、私はあまり体調が良くなかったので、今日の観測はここまでにしてもらった。
オーロラ(フィンランド)旅行記1日目<- ->オーロラ(フィンランド)旅行記3日目
2005年5月15日画像追加
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2005年3月9日(水曜日)
友人とは成田空港で待ち合わせだ。
JR成田駅で総武本線の快速エアポート成田に乗り換えるつもりだった。しかし、次の電車まで30分近く時間がある。後で友人からは「そういうことは荷物を持ってないときに試しなよ。」と言われてしまったけれど、京成成田駅まで歩いてみようと思い立ち、スーツケース(タテ50cmヨコ35cm)をごろごろと引きずって改札を出た。
改札を出れば判るだろうと思い込んでいたけれど、JR成田駅前から京成成田駅は全く見えない。かつ、案内表示もほとんど出ていない。
途方に暮れて案内地図を眺めていたら、タクシーに乗り込もうとしていた方から「成田空港までですか。ご一緒にどうですか。」と声をかけていただいた。少し迷ったけれど有り難く乗せていただく。
ぽつぽつとお話ししたところ、お仕事でバンコクに行かれるそうで、頻繁に海外出張されているらしい。「成田駅からが成田空港までが不便なんですよね。」とおっしゃる。
第二ターミナルビルまで連れて行っていただき、連絡バスがあるよと教えてもらう。また少し迷ったけれど、トランクからスーツケースを取り出すのも面倒で、そのままタクシーで第一ターミナルビルまで行ってもらった。
9時55分集合のところをかなり早めに到着し、友人とも10分くらいで合流することができた。
旅行会社のカウンターで搭乗券をもらい(事前に席のリクエストを出したら「チェックインの際に言ってください。」と言われたのに、実際はすでに搭乗券は発券済みだった)、フィンエアのカウンターでチェックインして荷物を預ける。
時間的にかなり余裕があったので、ユーロに両替する。
とりあえず目に付いた限りの銀行でチェックしたところ、1ユーロが142.90円(三井住友銀行)〜144.96円(忘れた)まで幅がある。2円以上も差があるとは思わなかった。レートの悪いところでもそこそこの行列ができているし、良いところはかなりの行列である。並ぶのもあまり気が進まない。
結局、駅改札のフロアにあるATMのレートが1ユーロ142.90円だったので、そこで400ユーロ分をパックで購入した。
卒業旅行のシーズンで出国審査も混んでいるという話を聞いていたので、早めに出国する。
意外なことに、セキュリティも3人くらいしか並んでいなかったし、出国審査はがらがらで全く並ばずに済み、10時45分には指定されたゲートを確認できた。
機内用にお茶のペットボトルを探したりしつつ(あまり種類がないことが判明、出国審査前に買っておく方がいいみたいだ)、11時15分の搭乗開始までにゲートに戻った。搭乗開始の合図としてカウンターにムーミンのぬいぐるみが置かれるのが可愛い。
フィンエアAY0074便は、11時55分の定刻通りに離陸した。
13時30分くらいに昼食が出た。選択の余地はないらしい。メニューもない。
チキンカレー、サラダ、日本そば、コンビニおにぎり(鮭)、パン、キットカットという献立である。二人で「どうしてこんなに炭水化物ばっかりなの?」と顔を見合わせた。
ヨーロッパ系の航空会社はアルコールが無料なので、白ワインをもらう。
お腹がいっぱいになってアルコールも入れたのに、全く眠くならない。
「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12ヶ月」を見た。原作も読んでいないし、映画化第1作も見ていないけれど、かなり笑った。楽しい映画である。
続いて「釣りバカ日誌」が始まった。友人は西田敏行が好きではないそうで睡眠態勢に突入している。何となく眺めていたら、時々英語字幕の訳がおかしいのが可笑しく、筧利夫が出演しているのも嬉しくて、かなり真剣に見入った。
映画を観ている間に、トイレが1つ故障したらしい。「故障」ときっぱりと漢字で書かれた紙がドアに貼ってある。乗っている飛行機のトイレが故障するなんて事態に初めて遭遇した。
夕食のメニューは、海鮮焼きそば、ロールパン、フルーツサラダだった。またもや選択の余地なしで炭水化物ばかりのメニューだ。
「フィンエアの評判が良い」という噂はガセネタなんじゃないかと思ってしまう。少なくとも、機内食のメニューはどうかと思う。
ヘルシンキのヴァンター空港に15時20分(以下、現地時間)の定刻通りに到着した。
入国審査手前に「トランジットの人はこちらへ」の看板があった。まっすぐ行けば入国審査、右に行けば乗り継ぎのためのセキュリティチェックである。
国内線に乗り継ぐにはどちらに行けばいいのか迷い、その場にいたフィンエアの日本人係員の方に尋ねると、「どちらでも同じですよ。今は入国審査の方が空いていますから、そちらにどうぞ。」という答えだった。
教えてもらったとおり、入国審査に向かう。
しかし、国際線でも国内線でもヴァンター空港で乗り継ぐ場合には、入国審査には向かわずに「乗り継ぎ」の表示に従ってセキュリティチェックを受けるのが正解だと思う。
何故かと言えば、ヴァンター空港では国際線から国内線に乗り継ぐ場合、20分くらいは歩くことになる。その間も含めて、入国してしまうと時間を潰す場所がほとんどないのだ。
試しに外に出てみてその寒さを味わったりするくらいしかやることがない。
絵はがきと切手を買って友人に手紙を書いたりしたけれど、その絵はがきもバリエーションに乏しい。ただ、青い丸のマークがついた黄色いポストが可愛いデザインだった。
夕方になるにつれてどんどん寒くなって来た。シャツとセーターとダウンのコートを重ね着しても震えてしまう。風邪のひきかけだったのかもしれない。
しかも、あまりにもやることがないので、17時半過ぎにセキュリティチェックを受けて中に入ることにした。
入ってしまえば、免税店、お土産物屋、カフェ等々があり、時間をつぶす場所に事欠かない。少しぶらぶらしてからProntというお店に入り、サーモンのクリームスープとライ麦パンのセットメニューを頼んだ。塩気が濃くてなかなか美味しい。
19時40分に搭乗が始まった国内線は自由席だった。左側2席、右側3席の小さな飛行機だ。かなり最後の方に乗り込んで、何とか二つ並びの席を確保する。
20時ちょうどに離陸だ。ダウンのコートを着ていても寒気が酷くて体調最悪だったので、チーズサンドの軽食もパスしてひたすら寝た。一応窓の外を覗いたりもしたけれど、ちょうど翼の上の席に座ったようで、ライトの点滅もまぶしく、オーロラが出ているかどうかはよく判らなかった。
サーリセルカに近いイヴァロ空港ではタラップで降りた。いきなり22時近い時刻の外気は強烈に寒い。寒いというよりは痛い。
空港ビルの外に待機していたサーリセルカ行きのバスにとっとと乗り込む。バスはかなり混雑している。立っている人をかきわけてドライバーのおじさんがチケットを集めてすぐに出発だ。
サーリセルカまで30分くらい走っただろうか。
ヘルシンキでは快晴だったけれど、こちらは雲がかなり厚いようで星は見えない。
リエコンリンナ・ホテルで降りた10人くらいはみな日本人のようだ。
フロントで名乗ると部屋のキーと滞在中の説明資料などが渡された。お部屋は、フィンランドらしいマリメッコのカーテンがかけられ、可愛いデザインだ。
バルコニーがついていて、バルコニーに出て空を見上げたらわずかばかり星が見えた。
機内食で出てきたおにぎりを食べて腹ごしらえをし、さらにシャツを2枚着込み、靴下にカイロを貼る。毛糸の帽子とマフラーをして花粉症用のマスクもつける。手袋は綿とナイロンの二重にする。
カメラを三脚にセットしてフリース生地で即席に作ったカバーをかける。準備が整ったところでコタに向かった。
教会の角を折れて少し入った左側にコタがある。しかし、その教会のライトアップの照明がまぶしくてしょうがない。こんなに明るくてオーロラが見られるのだろうか?
コタでは数日前から来ているというカップルが、がんがん薪ストーブをたいていた。鉈でストーブ用の薪を次々と割っている。
話を聞くと、昨日は空一面のオーロラが出現し、それが何時間も続いたそうだ。デジカメの写真を見せてもらったら、本当に大きく激しいオーロラが出ているのが判る。カーテン状に空一面に揺れている。緑の光りが多いようだけれど、赤い光りも見えている。羨ましい!
ちなみにコタとは、薪ストーブが据え付けられているオーロラ観測小屋のことである。
元々はラップランドの伝統的なテントのような造りの家のことをコタと呼ぶようだ。
我々が行ったのはリエコンリンナ・ホテル宿泊者専用である。リエコンリンナ・ホテル内にあるNORDIC JAPAN社の手配を受けている旅行者専用、と言った方が正確かも知れない。窓はないので時々外に出て空を確かめる必要があるけれど、とりあえず火のそばで暖まりながらオーロラを待てる場所があるのはとても有り難い。
コタを出たり入ったりしながら、空を見上げる。どんどん雲が厚くなってきているようだ。
その雲の向こうで、光りが動いているのが見えた。オーロラだ! 白っぽい光りが雲の向こうで動いている。
雲越しに動いているのが判るくらいだから、これで雲がなかったらかなり明るくて動きの激しいオーロラだったと思う。でも流石に雲の向こうでは、肉眼では何となく光りや動きを感じ取れても、カメラで捉えることは難しいだろう。
同じ飛行機で来た女性二人組は、「今回は写真は諦めて、自分の目で見ようと思って来ました。」と言っていた。そこまで思い切れなかった私は、潔くて良いな、と思った。
しばらく雲の向こうのオーロラを眺め、雲が切れることを願ったけれど、逆に僅かにあった雲の切れ間もふさがってしまったので、1時15分くらいに切り上げてホテルに戻った。
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一緒にサーリセルカに行った友人と「オーロラ旅行の反省会」を開催した。
正確に言うと、渋谷のネパール料理屋さん(彼女の選定だ)でご飯を食べ、彼女が「写るんです」で撮った写真をもらい(デジカメの写真データはすでにCD-ROMで交換済み)、「次の旅行」と「4月からの職場」の話で盛り上がった。
正直に言って「写るんです」で撮った写真があんなに綺麗だとは思わなかった。
私が知らないうちに進化を遂げていたらしい。
トナカイのドアップの写真なんて、濃い青空をバックにまん丸い目がウルウルしているところまでしっかり写っている。
それでも、彼女は「色は綺麗だけど、ピントが甘くて、大きく伸ばそうとすると全然だめだよ」と言う。
「旅行の写真って大抵そのままにしちゃって、(同行者に)渡せたのは初めてかも」と言っていたけれど、実は私なんかよりずっと写真にこだわりがあるのでは、と思った一瞬だった。
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マイレージの加算申請をしたこともすっかり忘れていたのだけれど、今日、フィンエアプラス(マイレージ)の会員カードとガイドブックが届いた。
ノースウエスト航空のマイレージも、入会のときではなく最初にポイントを獲得した際にプラスチックのカードが発行された。
逆に言うと、カードが届いたということは加算手続が完了したのだろうと思い、フィンエアのサイトに行って確認してみた。2005年3月のオーロラ旅行の往復分(成田−ヘルシンキ−イヴァロ)が確かに加算されていた。
まだマイレージで獲得したポイントを使ったことがないので、何とか有効利用してやろうと思う。
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「その国の旅を終えて100の質問」は 旅して~世界206ヶ国&旅と暮らし からいただきました。
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1.ハンドルネーム、性別、星座、血液型をどうぞ。
姫林檎 女 蠍座 A型
2.行った国はどこですか?
フィンランド
3.日程(年月日)と日数を教えて下さい。
2005年3月9日〜13日 5日間
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昨日、友人からメールが来て、クラブツーリズムのWebサーバに不正アクセスがあり、最大9万人の個人情報が流出したという事件を知った。
私が確認したニュースはこちら
2005年3月のオーロラ旅行で、ツアーを検討するためにクラブツーリズムのWebサイトからも資料請求を行っている。
心配になってクラブツーリズムのサイトに行ってみたら、すでに閉鎖され、トップページで今回の事件についての対策などが説明されていた。
その中には「該当者の皆様へのEメールを配信いたしました。」と書かれていた。
逆に言うと、Eメールが届かなかった私の個人情報は流出していないということだろうか?
念のためクラブツーリズムの情報セキュリティ対策本部に電話した。
今回流出したのはインターネット会員になった人の個人情報だそうで、資料請求をしただけの場合は問題ないらしい。
自分がインターネット会員であるかどうか定かでなかったので、電話番号と氏名で検索をかけてもらい、会員になっていないことを確認してもらった。
つまり、今回流出した個人情報の中に私のものは含まれていないということだ。
とりあえず、一安心である。
一安心だが、個人情報は本当にセキュリティに留意して取扱い、不正にアクセスされたり使用されたりしないよう、真剣に対策を講じてもらいたい。
また、インターネット会員以外でクラブツーリズムに何らかの形で個人情報を渡している人へのフォローも行ってもらいたい。現状では、自分からアクセスしない限り何の情報も入って来ないのだ。
「会員登録の情報」という、守るべきことが端的に明らかな情報が流出したという事実は、会社全体のセキュリティも一事が万事なのではないかと思わせる。
でも、情報セキュリティ対策本部に電話したときの応対は親切で的確だった、と思う。
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電車の中で音楽を聴く習慣など持っていないのにiPodを購入したのは、ひとえに、デジカメで撮った写真のバックアップを取るためだ。
サーリセルカのホテルで毎晩、デジカメからiPodにバックアップを取っていた。
前回のペルー旅行のようにメディアを失くすこともなく、iPodへのバックアップも成功し、問題なく帰ってきた。
問題なく帰ってきたと思っていたのだけれど、旅行後、どうもMacの調子がおかしい。
20回に1回くらいしか起動しない。起動画面で「ローカルディスクを待っています」などと言って止まってしまうのだ。ローカルディスクって何???
奇跡的に起動したときも、iPodを接続しているときは自動的にiTunesが起動するよう設定してあるのに、iTunesが開かない。デスクトップ画面にiPodのアイコンも表示されない。どうも、単なるハードディスクとして認識されてしまっているらしい。
試しにiPodの接続を外してみたら、Macは問題なく起動した。
ということは、壊れているのはiPodということになる。
マニュアルを見てリセットはしたけれど、iPodとして認識させない限りMac側からは打つ手がない。
AppleのWebサイトに行って調べてみたらまだ保証期間中だったので、修理に出すことにした。
写真はデジカメからMacに取り込めたし、CD-ROMにも焼いたので、データが消されてしまっても大丈夫だ。
早く治って帰って来ることを願おう。
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