2019.04.27

ブラタモリ「#131 熊野の観光~熊野観光の“深~い”魅力とは?~」を見る

 2019年4月27日、毎週土曜日19時30分からNHK総合で放映されている「ブラタモリ」を見た。
 この日のテーマは「熊野の観光~熊野観光の“深~い”魅力とは?~」である。
 先週(20日)も熊野が舞台でぜひ見たかったのだけれど、出かけていて見そびれてしまった。5月21日の再放送を見られるといいなと思っている。

 スタートが串本で、ここは行ったことがないので橋杭岩の奇観が面白かった。
 岩の向こうと手前で海の気配が全く違うのが、不思議なような、当たり前のような、変な感じだ。

 ここで熊野と今呼ばれている地域が、1500年前くらいに噴火したカルデラの中に当たるという説明があり、何ともブラタモリらしい展開である。
 もはや死火山といえるのに熱い温泉が湧いているのはフィリピン・プレートという若いプレートが潜り込んできているからであるとか、奇観には流紋岩が一役も二役も勝っているとか、すべての道は地質に通ず、という感じなのは相変わらずだ。

 その後、川湯温泉、つぼ湯、熊野本宮大社、大斎原と懐かしい場所が次々と写って嬉しい。
 私が熊野古道に行ったのは13年も前のことで、比べると外国人観光客の姿がもの凄く増えていて随分と驚いた。
 「東京からのアクセスは決して良くない」という話も出ていたから尚更である。
 サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼の道と姉妹関係を結んだことも、観光地として世界に名を馳せたきっかけなのかも知れない。

 また行きたい、歩きたいと思った。

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2007.09.16

「鈴木理策 熊野 雪 桜」の開催を知る

 2007年9月1日(土曜日)から10月21日(土曜日)まで、東京都写真美術館の2階展示室で、「鈴木理策 熊野 雪 桜」という写真展が開催されていることを知った。
 ちらしによると、そのコンセプトは以下のとおりである。

***

 そしてこのたび、国際的に活躍する中堅作家の作品表現を積極的に取りあげる機会を設け、日本を代表する写真作家の紹介によりいっそう努めるはこびとなりました。
 その第1回目の作家展として2007年は鈴木理策をご紹介いたします。

***

 写真家の故郷である熊野やその周辺を撮った写真、代表作である「桜」、雪をモチーフにした新作などが展示されるそうだ。
 観覧料は、大人が700円。
 土曜日には、講演会や展示室での座談会が開催されるし、金曜日の午後2時からは担当の学芸員によるフロアレクチャーも行われる。
 木曜日と金曜日は午後8時まで開館しているし、ぜひ行ってみようと思っている。

 東京都写真美術館の公式Webサイトはこちら。

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2007.08.19

熊野古道同窓会その2が開かれる

 昨日、新大久保の伝統韓国料理 伝統茶 韓サランで行われた、2006年のGWに行った熊野古道旅行のミニ同窓会その2に行って来た。
 女性3人のミニ同窓会である。
 私以外のお二人は、歌舞伎座の昼公演を一幕見して、シフォンケーキでお茶してからの参戦だったそうだ。私は、パルコ劇場でお芝居を見てから直行した。

 そういうわけで、このメンバーが揃うのは3回目なのだけれど、概ね、旅行の話よりもお芝居の話がメインになってくる。
 お昼に見たそれぞれのお芝居の話、狂言界の話、テレビでやっていたという紀伊國屋ホールがあめくみちこさんの「ほっとする場所」だという話、熱海のMOA美術館で行われた能(野外でかがり火をたいて行うらしい)の話、勘三郎の娘役が本当に可愛らしいという話などなど、日本伝統芸能に疎い私は聞いていてとても楽しい。

 お一人がこの夏に東北旅行をされていて、その写真を持ってきてくださっていた。4泊5日で東北一周という感じの旅行だ。毛越寺(これで「もうつうじ」と読むそうだ)の宿院をお勧めしていただいた。中尊寺から3kmのところにあるそうだ。国内旅行行きたい場所に追加しておこうと思う。
 朝5時に起きて蓮の花を見に中尊寺に行き、7時からのお勤めに間に合うように全力疾走で戻って汗だくで住職のお話をお聞きした話から、時刻表で**駅でバスを乗り換えると書いてあったのでそこでバスを降りて待っていたら、そこまで乗ってきたバスがこの駅で行き先を変えて乗り換えるのだと思っていたバスに変身していたなどの東北地方の公共交通機関がヤクザな話まで、場数が違うという感じである。

 香港でタクシーに乗っていたらメーターがもの凄い勢いで上がっていって、後部座席で「おかしいよね」と言い合っていてもドライバーは知らない振り、助手席にいた関西出身のお姉さんが「これ、高いんちゃう」と凄んだらメーターは上がらなくなったけど、途中で降ろされてしまった話、それは実は香港のタクシーの中にはペダルを踏むとメーターが上がるようになっている車もあるという話、中華料理レストランで日本語メニューと広東語メニューでは同じものでも値段が違っている話、などなど、やっぱり場数が違うという感じである。

 お土産もたくさんいただいてしまった。いつもいただくばかりで申し訳ないことである。

 それにしても、お二人とも、相変わらず多趣味で多芸だ。食べることが好きなだけとおっしゃるが、お二人ともお料理の腕も相当なものと見た。
 私ができるのは「**ができない話」ばかりなのが情けない。日頃の自分の怠惰な生活振りを思い返してしみじみと反省してしまった。

 でも、とても楽しかった。

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2007.05.28

録画した素敵な宇宙船地球号「世界遺産の光と影 Vol.7 ~熊野古道のジレンマ~」を見る

 2007年5月27日にテレビ朝日系列で放映された「素敵な地球線宇宙号」という番組の「世界遺産の光と影 Vol.7」を録画しておいて、今日になって見た。

 「林業用としても使われている熊野古道が世界遺産に登録されたことにより、利用制限がかかり、間伐、伐採、植林といった人の手入れのサイクルが止まってしまいかねず、「文化的景観」が保たれなくなるかも知れない」という番組だと思っていたので、番組の始めの頃の総論というか概括のような部分が少し長く感じた。

 でも、去年、熊野古道を歩いたときに行かなかった、伊勢神宮から熊野に向かう伊勢路の風景や、那智大社に向かう大門坂をゆっくり映像で見られたのが嬉しい。
 平安時代の熊野詣での人々は今の姿の熊野を見ていたわけではないこと、今の「美林」の姿は江戸時代以降林業が盛んになり人の手によって創られてきたこと、古道も「林業の道」として守られてきたこと、世界遺産登録に当たって古道周辺の山を所有する林業家の方々の同意は得ていないこと、同意を得ていないのに古道の左右50mは緩衝地帯として木を切るにも許可が必要になったこと、人手がなくさらに世界遺産登録で手をかけられなくなって山崩れが何度も起きていること、山を育てるには間伐がどうしても必要なこと、「間伐」を行うツアーを開催し始めていることなど、とても興味深い内容だった。

 林業家の方は「観光客のための世界遺産登録ならいらない」とおっしゃり、世界遺産登録で活性化を図ろうとした観光業の方は「お金を落としていってくれない」と嘆く。「歩くのにお土産を買うと荷物になる」という気持ちは、観光客として歩いた私にもよく判る。

 正解は多分なくて、でも、きっと解答は少しずつたくさんあるに違いない、という気がした。

 ところで、間伐ツアーに参加しているのは、少なくとも画面に映った方はみな女性だったのがさもありなんという感じだった。

 ちなみに、番組中で誰も答えられなかった「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録理由だけれど、「世界遺産検定2007 公式出題解説&問題集」によると、以下のとおりである。

 主な遺産価値
・神仏習合をあらわす文化的景観
・日本の宗教文化の見本
・日本の他の神社建築へ影響を与えた建造物群

 適用された世界遺産登録基準
2 時代を超え、建築・技術・都市計画及び景観の発展に大きな影響を与えたもの。
3 現存する、あるいは消滅した文化的伝統・文明に関する独特な証拠を示すもの。
4 重要な様式の建築物、人類の歴史上、重要な発展段階を示す景観の見本。
6 普遍的な重要性を持つ出来事、現存の伝統・思想・信仰や芸術的、文化的所産に関係するもの。

2007年5月27日(日曜日)23時30分から
テレビ朝日系列 素敵な地球線宇宙号
「素敵な地球線宇宙号」の公式Webサイトはこちら。

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2007.05.24

素敵な宇宙船地球号「世界遺産の光と影 Vol.7 ~熊野古道のジレンマ~」を見る(予定)

 テレビ朝日系列で放映されている「素敵な地球線宇宙号」という番組では、2007年5月27日に「世界遺産の光と影 Vol.7」として「熊野古道のジレンマ」を取り上げるのだそうだ。

 ナレーター兼「熊野古道を歩く」出演者が緒方拳だというのもよい。

 林業用としても使われている熊野古道が世界遺産に登録されたことにより、利用制限がかかり、間伐、伐採、植林といった人の手入れのサイクルが止まってしまいかねないのだという。このサイクルが止まってしまえば、「文化的景観」が保たれなくなるのは理の当然だ。

 世界遺産検定のお勉強に問題集をナナメに眺めているだけでも、「世界遺産条約」の特に「真正性」という考え方は西洋向きというのか、石の文化が中心であるヨーロッパ的な考え方なのだなということは伝わってくる。
 もちろん、そのヨーロッパでも、住民投票で決まった橋の建設が景観を損なうとして危機遺産登録の理由となったりしているから、一方的な視点からだけ考えるのはよくないし、一概には言えないのだけれど、それにしても、少なくとも熊野の美林は人の手が入ってこそ保たれるものだろうにという気はする。
 放送日には出かける予定なので、忘れずにビデオをセットしようと思う。

2007年5月27日(日曜日)23時30分から
テレビ朝日系列 素敵な地球線宇宙号
「素敵な地球線宇宙号」の公式Webサイトはこちら。

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2007.02.24

熊野古道旅行同窓会が開かれる

 昨日、美々卯 新宿店で行われた、2006年のGWに行った熊野古道旅行のミニ同窓会に行って来た。
 ミニということで、参加者は添乗員さんを入れて4名だ。
 事前に「旅ネタを持って集まること!」という指令があり、モンゴルとアイスランドの旅行写真を持って行った。

 私はツアーに参加されていたお二人とは実に10ヶ月振りだったのだけれど、そんなに久しぶりだとは思えないくらい、たくさんのお話が出て楽しかった。
 写真もたくさん見せていただいたし、もちろん熊野古道の話に始まって、砂漠が哭く話、香港で酔っぱらった海老を食べる話、直島の話、タクシー代をぼられなかった話、放浪の話、金平糖のような紅葉の写真、マラソンの話、ニュージーランドの遊覧飛行の話、オレンジジュース代のお釣りをもらえなかった話、高山病の話、スープのようなソースのようなサラダの話、”その地のしきたり”の話、ファルーカの話、パンダの話、もちろん旅の話が多かったのだけれど、3人が舞台好きだったのでロンドン・ミュージカルの話から劇団四季やその他の舞台の話がわっと広がったりして、それも楽しかった。
 ついつい話を聞く方に意識が行って、ふと気がつくと手元のうどんすきが減っていなかったりした。もちろん、美味しかった。

 それにしても、みなさん多趣味だし多芸だ。仕事も含め、全てに丁寧かつパワフル。
 日頃の自分の怠惰な生活振りを思い返してしみじみと反省してしまった。

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2007.01.29

「日本人が知らない日本へ -熊野古道-」を見る

 昨日の午後、母から「あなたの(いつも騒いでいる)熊野古道がやってるわよ」と言われ、テレビをつけてみたら、画面にC.W.ニコルさんが映っていた。NHK教育の「日本人が知らない日本へ -熊野古道-」という番組だった。別に「私の」熊野古道ではないのだけれど、45分というコンパクトな番組だし、せっかくなので有り難く見ることにした。

 ちらっと映ったテロップを見ただけなのでうろ覚えなのだけれど、世界に向けて放送しているNHKワールドというチャンネルの番組を再放送しているものらしい。そう言われれば「日本人が知らない日本へ」というタイトルも、日本語に堪能なニコルさんがカメラに向かって英語で解説している理由も納得である。

 世界遺産登録を機に作られた番組らしく、世界遺産に登録されている範囲が地図で示される。「参詣道」として登録されているから、その範囲はかなり広い。
 ニコルさんは高野山から旅を始めていた。
 宿坊で、外国人に英語で高野山の始まりを物語る御歳90歳になろうという女性が格好良かった。

 中辺路を歩くニコルさんを案内していたのは、2006年の熊野旅行でお世話になった宇江先生だった。そういえば、バスの中だったか歩いているときだったか、ニコルさんの話が出ていたような気もする。
 道端のお墓は、熊野古道に巡礼に来て倒れた方の無縁墓であることや、「だる」について語られていた。
 突然に疲労困憊する「だる」になったときのために、お弁当を全部食べることはせずご飯粒だけでも残しておくといいと言う。そのご飯粒で「だる」から復活できるのだそうだ。私たちには教えてくれなかったぞ、と思ったりした。

 ニコルさんが「この道は、人が一人歩くには広いですね」と言って説明を受けていた。その昔、上皇様などが熊野詣でをした際には、歩いたのではなく輿に乗って移動しており、だから数人に担がれた輿が通れるだけの幅はあるのだと言う。
 言われてみればそうだよな、でも道幅なんか気にしなかったよ、と思った。

 ニコルさんの旅は、熊野本宮大社から、熊野川を舟で下って熊野速玉大社、神倉神社を見上げて、熊野那智大社で終わる。
 その辺りは、私たちとほぼ同じコースで、何だか嬉しかった。

 熊野那智大社の宮司さんが、「道は歩かなければ意味がない」とおっしゃっていたのが印象的だった。そして、神道の「道」は「感謝する心」なのだそうだ。
 私が「道」を歩けたのかは大いに疑問だけれど、でも熊野古道を自分の足で少しだけでも歩けて良かったと思った。

2007年1月28日(日曜日)午後3時30分から
NHK教育「日本人が知らない日本へ -熊野古道-」

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2007.01.20

「朝だ! 生です 旅サラダ」を見る

 手持ちぶさたで何となくテレビをつけるとき、ついつい旅番組にチャンネルを合わせてしまう。
 今朝もそういう感じでテレビ朝日系列の「朝だ! 生です 旅サラダ」にチャンネルを合わせたら、今週のゲストである音無美紀子の旅先が熊野古道だというので、ついついそのまま見続けてしまった。

 南紀白浜から始まった旅は、白浜で「クエ」を食し、「とがの木茶屋」に立ち寄って、発心門王子から熊野本宮大社まで歩く。番組を見ていると、とがの木茶屋と発心門王子と伏拝王子とが等間隔ですぐ近くに並んでいるように思うけれど、とんでもない。とがの木茶屋は田辺市野中にあるのだ。
 旅番組というのは、本当に「ダイジェスト」なんだな、と思った。
 音無美紀子の祖先は熊野本宮大社の神官(で名称は合っているのか?)なのだそうだ。今の宮司さんに「おかえりなさい」と迎えられ、一緒に音無川を訪れていた。
 その後、いったん熊野川を三重県側に渡って宣旨帰りを歩き、川舟に乗って熊野川を下る。河口にある熊野速玉大社はスルーして(勿体ない!)、大門坂を登って那智の滝を見るところで、旅は終了である。
 今月の旅がザンビアで、ヴィクトリア・フォールズに行っていたから、「滝の対比」みたいな感じにしたかったのだろう。

 旅番組は旅のダイジェストだ。
 頭では判っているけれど、自分が旅行した場所を見ると余計にそれが感じられる。やっぱり自分でその場に行かなくては、と思った。

2007年1月20日(土曜日)午前8時から
テレビ朝日系列「朝だ! 生です 旅サラダ」
番組ホームページはこちら。

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2006.12.30

牛王法印を部屋に飾る

 2006年のゴールデンウィーク中に熊野古道を旅行したときに、熊野三社でそれぞれ牛王法印をいただいてきた。昔の熊野詣でをした人々の目的も、この牛王法印を三社からそれぞれ拝受することだったという、有り難いご神符だ。
 果たして「飾る」と言っていいのか判らないけれど、大掃除もあらかた済んで部屋もさっぱりしたところで、最後の仕上げとしてずっとしまいこんでいたこの牛王法印を部屋に飾ることにした。

 巫女さんに「東向きか南向きに飾ってください」と教えてもらったのだけれど、私の部屋はどうがんばっても東向きにも南向きにもそんなスペースはない。ほとんど西に近い向きで飾らせてもらった。それでも、ちゃんと魔除け・厄除けの御利益はあるだろうか。少し心配である。
 
 牛王法印を入れてあった袋に、それぞれ説明が書かれていた。牛王法印そのものの図案ももちろん三社それぞれなのだけれど、説明の内容も三社で少しずつ異なっていて、なかなか興味深い。
 いずれにしても、牛王法印は、熊野権現のお使と言われる烏で社名を表しているところから俗に「お烏さん」とも言われ、厄払いや家内安全に効(しるし)があり、鎌倉時代には誓約文、江戸時代まで下ってくると起誓(請)文として用いられたことで有名である、ということは間違いないようだ。

 少し早いけれど、来年がいい年でありますように。

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2006.09.04

「世界遺産・熊野古道を行く。」の記事を読む

 livedoorのサイトでは、PJ(パブリックジャーナリスト)という制度があるらしい。
 耳慣れない言葉なのでピンとこなかったのだけれど、募集要項によれば「livedoor ニュースでは、日本社会が抱える様々な問題をテーマに、皆様からニュースやオピニオンを募り、採用させていただいた原稿をウェブ上に掲載してまいります。皆様が日々の暮らしや仕事の中で感じた政治や社会に対する疑問や意見を取り上げることで、これまで日本では手付かずだったパブリック・ジャーナリズムの道を切り開いてまいります。」ということであるようだ。

 そのPJの方による「世界遺産・熊野古道を行く。」というタイトルの連載が3回に渡って掲載されていた。
 他の方の「熊野古道」を読むのも楽しい。

 「世界遺産・熊野古道を行く。(上)」はこちら。
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 「世界遺産・熊野古道を行く。(下)」はこちら。

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