2006年8月17日(木曜日)
今日がツァガンスム滞在最後の日だ。明日の朝にはカラコルム経由ブルドに向けて出発である。
いつもは寒くて朝目が覚めるけれど、今日はよっぽど疲れていたのか、6時過ぎにキャンプの人がストーブの火をつけに来てくれるまでぐっすり眠った。
昨日は雲も出て少しどんよりしたお天気だったのが一転、今日は快晴だ。
8時半、朝食にパンとジャムとご飯とスープをいただいた。パンをスープに浮き実のようにして食べると美味しい。10時前から羊の解体が始まり、もちろん見に行く。
乗馬コーチもしてくれていた男の子が二人、ナイフ1本で、皮を剥ぐところから始めてほとんど鼻歌まじりに解体して行く。
見始めた頃、キャンプ長さんが「見ないで。」というような感じで手を振っていて、羊の解体は見たり写真に撮ったりしたらいけないのかしらと様子を見に来たガイドさんに聞くと「そんなことはない。」と言う。
後になってツアーの方から、女性は見るとよくないと言われているらしいと教えてもらった。彼女は「見るとお嫁に行けなくなるとかだったらイヤだなぁ。」と言っていた。実際の所、見てはいけないとされている理由はよく判らなかった。
何だかんだ言っても、こういったものを見ていられるのは女性だ。男性陣は、見に来た方も少し写真を撮って引き上げてしまい、最初から最後まで見ていたのは女性ばかりだった。
その熱心な(?)様子を見て、ガイドさんも、10〜11時くらいに乗馬に出発といういつものスケジュールを変更し、「今日は羊の解体が終わってから乗馬に出発しましょう。」と言ってくれた。
じーっと見て、かつ紙芝居ができそうなくらいに写真も撮り続けた。動画も録った。確か私も見始めた頃は「うわぁ。」などと言っていた筈だけれど、好奇心の方が勝った。
皮をきれいに開くと、ナイフで腱を切り、「ボキッ」と音をたてて足の関節をあっさり折ってしまう。
剥いだ皮は背中の部分だけ肉とついているようで、そのまま敷物のようにして羊のお腹を上向きにして脂肪層を裂く。
とてもこの大きさの羊のお腹に納まっていたとは思えない大きさの内臓がベロンと出てくる。外に出た途端に膨張したようにも見える。私の内臓もこんな風に押し込められているのかしらと、妙なことを考える。
内臓を取り出すと、お腹の中にたまっている血をどんぶりで汲み出し、お釜のようなものに溜める。
内臓はスーパーのビニル袋に収められ、シェフの女の子が、食べる分と何かの餌になるように草原に撒く分とに分けていたようだ。
話には聞いていた通り、本当に大地に血の1滴もこぼれていない。
血を汲み出し終わると、骨と肉を切り分けた。
最後に片方の男の子が後ろ足を持ち上げ、何やら作業をする。何をやっているのかよく判らなかった。皮と脂肪層とがついていた部分を切り離したのだろうか。
ちょっと前まで元気に生きていた羊だし、見たとおりに真っ赤だし、羊の顔はずっと見えていたし、今日の夕食に今解体されている羊が供されることも判っていて尚、不思議とグロテスクという感じはしなかった。
羊の解体は、ツーリストキャンプの柵の外側すぐのところで行われていた。近くには車が駐められているのが何ともアンバランスな感じである。何とか車が入らないように写真を撮ろうとしたけれど、考えてみれば車の横でナイフ一本で羊を捌いているのが現実なのだ。
柵の向こうには緑の草原が広がり、源泉のオボーも見えていた。
逆に言うと、それ以外に何もない(ように見える)ところを、明るい桃色のデールを着た女性が歩いて行った。
年配の女性だったという記憶があって写真のタイトルも「草原のおばあさん」としたけれど、考えてみれば彼女が遠く離れたところを向こうに歩いていくのを見ただけだ。どうして「おばあさん」だと思ったのだろう?
羊の解体が一段落し、予定より1時間遅れの11時に乗馬に出発した。
今日の乗馬は少し長めの予定で、お昼ごはんもバスで運んで来てもらうことになっている。
ツアー参加者のお一人(看護師さん)が、添乗員さんが置いて行った救急袋から応急処置に使えるものを選び出し、その他手持ちに余裕のある人から薬等をいくつか集め、救急ナップザックを作ってくださった。その心配りと用心、実際の手配に脱帽した。
ガイドさんに「一人で乗ってみますか。」と言われ、私が返事をする前にガイドさんから乗馬コーチに指示が飛んだらしく、引き綱用の縄も一緒に持たせられた。初一人乗馬だ。
私が乗せてもらった馬はお利口で、特に何もしなくても、とりあえず他の馬にくっついて歩いてくれる。ただし「歩いてくれる」のであって、強く言うと馬が走ると教えてもらったかけ声「ちょっ!」を繰り返しても一向にスピードアップする気配がない。
それなのに、ベテランの方が自分の馬に「ちょっ!」と声をかけて疾走すると、声につられたか馬につられたか、つかの間、私が乗っている馬の足取りも速くなる。
まず向かったのは小高い丘で、上の方は雑木林のようになっていた。
坂道に差し掛かった辺りで、乗馬コーチに「引き綱をよこせ」と身振りで指示された。かなり急な坂だったし、私が一人で乗っていたら馬を登らせることはできなかったろう。
登っている途中、別の乗馬コーチの男の子から何やら投げられた。隣を歩いていたツアーの女性の手元にもあったので(彼女にはちゃんと手渡したらしいのが小憎らしい)聞いてみると、「ラベンダーじゃない?」ということだ。
「もう1回ちょうだい」と身振りで頼むと、彼は馬に乗ったまま上体を下に伸ばし、ラベンダーを摘み取ってくれた。バランス感覚と筋力の賜だろう。
このときもらったラベンダーは、ツァガンスムに来る途中でもらったカモミールと一緒に「地球の歩き方」に挟んで押し花にした。
雑木林の入口についた辺りで、一休みした。
割とすぐ到着したように思ったら、出発から1時間くらいたっている。ヘルメットを脱ぐと汗だくだ。
振り返ると、今やってきた草原が見え、その向こうに丘が見える。お花もちらほらと咲いている。もう少し早かったらお花畑状態だったろう。
水分補給をしたり、景色を眺めたり、写真を撮ったりして休憩していたら、乗馬コーチのリーダーの男の子が「上に行くぞ」と指示を出したらしい。ぞろぞろと立ち上がり、雑木林を抜け、半分岩場のような狭いところを登る。結構急な坂で、1時間強の乗馬でバテバテの私にはかなりきつい。
「先に行ってください。」と元気な方に道を譲ってゆっくりゆっくり歩く。
坂を登ると少し開けた場所に出た。石の上などで座って休めるくらいの広さがある。振り返ると、雑木林越しに景色が見えてとても綺麗だ。
ここまで上がって来た理由は、景色ではなく、この辺りに食べられる実がなっている木がたくさんあるかららしい。ブルーベリーのような濃紫の7〜8mmくらいの実や、同じくらいのサイズで薄緑色の実などが食べられるようだ。
乗馬コーチの男の子達がせっせと摘んで渡してくれる。甘酸っぱくて美味しい。紫の実は少し渋みがあって、どちらかというと緑色の実の方が好みの味だ。
ふと気がつくと、周りではこの紫の実を潰して果汁にし、フェイスペインティングが始まっていた。乗馬コーチの男の子達が面白がって始め、ツアーの方々も面白がって乗ったらしい。
後で、「果汁を塗ったところはつるつるになった気がする。美容にもいい実だったのかも。」と言う人がいた。本当だろうか?
指を2本ずつ付けたり離したり、右手で2拍子左手で3拍子の指揮をしてみたり、肘から手首までの腕の内側をぺたっとつけてみたり、何だかそういう遊びが流行る。やって見せると「自分もできる!」とばかりに同じことをやって見せてくれる。私が親指を手首の内側につけて見せるとマネしようとしてできず、悔しそうにしているのが可笑しい。
稲穂のような草を取って来て、掌を上に向けて小指同士をくっつけそこに乗せる。手を交互に前後に動かすと、その草も一緒になって動く。「おぉ!」と思わず声が出た。ついでにTシャツの首筋からこの草でくすぐったら、教えてくれた乗馬コーチのリーダーは逃げ出してしまった。
馬をつないだ場所に戻ると、何だか人数が増えていた。乗馬コーチ達の家族なのか友達なのか、男の子達が集まって来たらしい。
お腹も空いてきたし、糖分補給に飴を配る。かなり余ったのでどうしようかと見回していたら、リーダーの男の子が「渡せ」と身振りで示す。袋ごと手渡したら、昨日お邪魔したゲルのうちの子に渡していた。年少で一家の大黒柱になっている彼を、他の男の子達はとても可愛がっているように見える。
ここでお昼を食べる予定が、なかなかバスがやってこない。
こちらから迎えに行くべく出発したら、割とすぐにシェフの女の子達とお昼ごはんを載せた黄色いバスと行き会った。
日差しを避けてバスの中でいただいたお昼ご飯のメニューは、ピロシキ、ふかしたジャガイモ、ゆで卵だった。ピロシキが美味しい。
持ち歩いていたペットボトルには、プーアール茶を入れてあった。乗馬コーチの子に「飲んでみる?」と示すと受け取る。一口飲んで、顔を思いっきりしかめていた。好みの味ではなかったらしい。
バスの窓から下を見ると、車の影に敷物をしいて、乗馬コーチの子らがかったるそうに寝転んでいた。そういえば、彼らの中で煙草を吸うのはこのリーダーだけだ。
せっかくなので、真上から激写した。
乗馬コーチの中で一番年少の男の子がバスのステップから顔を覗かせ、私の方を見て一言叫んで逃げて行った。
ガイドさんに「何?」と聞くと、モンゴルで有名な、しかし年配の女優さんの名前の一部をもじって、ツァガン(白、という意味)・・・、と言ったらしい。
うーん、私とその女優さんが似てるということだったのかしら。喜ぶべきか悲しむべきか、複雑な気分だ。
でも、あんまり近寄って来てくれなかった彼が声をかけてくれたのが嬉しかった。
そのまま来た道を引き返し、キャンプに帰ったのは16時前だった。そこで、ガイドさんが「休憩が多かったし、(元々の予定ではここで乗馬は終了だけれど)もう1回行きましょう。」と声をかけてくれる。
でも、人間はともかく馬には休憩が必要だ。17時くらいに集まってください、1時間半くらい乗りましょう、ということになった。
ガイドさんには、特に乗馬経験者の方々に思いっきり馬を走らせてもらいたいという気持ちもあったようだ。
1時間くらいで出発だし、何となく四阿に集まってぐだぐだ休憩する。
メディアから直接プリントできる写真用のコンパクトなプリンタを持って来た方がいらして、男の子たちに写真を選ばせ、その場でプリントアウトして渡してもの凄く喜ばれていた。ご本人も「これだけ喜んでもらえるから、重くても持って来ようと思うんだよね。」とおっしゃる。
そのうち、みんなして四阿の屋根が作る日陰に次々と寝ころび、大お昼寝大会になった。並んで寝ころぶ女性陣を見て、ツアーのお一人(もちろん男性)は「マグロの水揚げだ。」とおっしゃっていた。全く失礼な話である。
ところで、ツアーの他の方、特に女性は日焼け対策が万全だった。首筋を守ってくれるひれ付きの帽子をヘルメットの下に被ったり、スカーフで首筋を覆ったり、服の襟を立てたりしている。
そんな中、同じゲルになった方の腕を見たら真っ赤になっていた。
聞けば七分袖のシャツ一枚で乗馬をした結果らしい。手袋をしているので、手首からひじの少し手前まで、火傷寸前に見える。
アロエ入り化粧水と顔用パック(小さく固まっていて、水分を広げると顔の形に広がるもの)を提供したら、「自分の首筋も見てごらん。」と言われた。慌てて鏡を見たら、真っ赤になっている。半袖Tシャツに長袖のシャツを羽織っていたけれど、Tシャツの襟ぐりは結構深いし、長袖シャツも上の方は開けていたから、首筋が完全に無防備だったらしい。
今さら遅いと思いつつ、慌てて首筋にも日焼け止めを塗りたくった。
ツアーの方が持って来たビデオカメラをガイドさんに託して、みんなの乗馬姿を録ってもらうことになったらしい。四阿で三々五々集合しているときにも、ガイドさんはビデオ撮影の練習をしていた。
乗馬コーチの男の子達が水くみに出かけた戻りを待って、18時に乗馬に出発した。
車の轍でできた道沿いにのんびり歩く。私が乗った馬は私がけしかけたくらいでは走ってくれないし、お尻は痛いし、のんびり歩くのがいいペースだ。
腰からお尻にかけてカバーする革製のおむつみたいな形をしたガードを借りたけれど、見た目ほど楽ではない。確かにお尻の痛みは軽減されるけれど、サイズの問題なのか、逆に腿に角が当たって痛い。なかなか上手く行かないものだ。
ガイドさんは馬に乗り、疾走し、かつ片手でビデオを構えて撮っている。
格好いい!
この格好いいガイドさんの勇姿がビデオにも写真にも残っていないのが、とてもとても残念だ。
このときのビデオは、帰国後にDVDに焼いていただいた。流石に走りながら録っているらしい部分は上下動があって見ているうちに酔ってくる。
自分が馬に乗って動いている姿はこのとき初めて見たけれど、なかなかがんばっていた(笑)。途中で馬具が緩くなって締め直してもらったりしているところも映っていて、やっぱりどこか変なところに力を入れて乗っていたんだろうなと思う。
少し丘を上って、眺めのいいところで休憩を取った。馬は草を食べ始め、人間はあちこちで記念撮影大会だ。
乗馬ガイドの男の子達はデジカメに慣れていて、私が液晶をオフにしておくと、手真似で「ここを映せ」と要求する。写真を撮ってくれるつもりらしい。
仁王立ちになってポーズを取ったら、「ちゃんと足を閉じて立て」とこれまた手真似で怒られた。
丘の上だし、遮る物は何もない。かなり遠くまで見渡せる。
体育座りでぼーっと眺めていたら、被っていたヘルメットがコンという音をたてた。何だか判らずにそのままぼーっとしていると、またコンっという音がする。
やっとヘルメットに小石をぶつけられているのだと悟り、辺りをきょろきょろと見回すと、リーダーの男の子と目が合った。イタズラの主は彼らしい。
捕まえてやろうと追いかけたら、あっという間に逃げられた。彼らの足に敵う筈もないが、悔しい。
19時30分くらいにツーリストキャンプに帰り着いた。ちょうどキャンプ長さんがホルホグを作っている。
ガンガンたき火を燃やし、その真ん中に羊肉と野菜と焼いた石を入れたミルク缶を置いて蒸し焼きにしている。
缶は何度もホルホグを作ってきたのか、真っ黒だ。
ホルホグが焼き上がったら夕ごはんである。
ツーリストキャンプからすぐの丘の上に、どう見ても作りかけの、でも何になるのかさっぱり見当がつかないコンクリート製の建物が見える。
夕食前の時間を利用して、あそこからならツーリストキャンプの全景が見えるだろうし、そもそも、一体あの建物は何なのか見に行こうと、3人で上って行く。
近づいてもそのコンクリートの建物が何なのかは判らなかった。
ちょうどたどり着いた頃に、乗馬コーチの男の子の一人が馬で通りかかった。これから家に帰るところらしい。
彼と仲良くしていたツアーの方が「お土産を持ってくるからここにいて!」と彼に言い含め、ダッシュでツーリストキャンプに戻って行った。男の子達にお土産を渡している方は多くて、Tシャツをあげたという方もいたし、乗馬のときに使っていたリュックをあげたという方もいらした。
彼女たちが戻って来るのを待っていたら、近所に住んでいるらしい女の子たちが顔を出した。このコンクリート製作りかけの建物は、彼女たちの遊び場になっているようだ。
窓から顔だけ出している女の子はシャイなのか、なかなか姿を見せてくれない。「お願い、出てきて!」と日本語で言っていたら、乗馬コーチの彼に伝わったらしい。彼が声をかけると、やっと顔を見せてくれ、それで二人揃った窓辺の写真を撮ることができた。
ツーリストキャンプから呼ぶ声が聞こえた。やっと夕ごはんになるらしい。お腹はもうぺこぺこだ。
さっきキャンプ長さんが作っていたホルホグのミルク缶がレストランゲルに運ばれてくる。ミルク缶を開けると、いい匂いがする。みんなでのぞき込むと、お肉と野菜と石が詰め込まれている。
ミルク缶の中の石は当然熱くなっていて、この石を持っていると健康になるという。
少し冷めた石をガイドさんに渡してもらい、でも「熱い、熱い。」と左右の掌でポンポン渡し合うようにして健康を願った。
この石は羊肉の脂も吸っているのか、熱いだけではなくツルツルしていて、手もツルツルになった。
今日がツァガンスム最後の夜ということで、ガイドさんの提案でみんなで乾杯をすることになった。アルヒというモンゴル・ウォッカで乾杯だ。
小さなコップに生(き)のまま注がれたアルヒは強烈で、「トクトーイ!(モンゴル語で「乾杯」の意)」と言ったか言わなかったか、一口飲んでむせてしまった。とにかく「強烈なお酒」という印象が残っている。
後でガイドブックを見たら、アルコール度数が38度だそうだ。キツイ筈である。
ちなみに、このツーリストキャンプでビールを頼むと2000Tだ。
ホルホグは、できたてほやほやを食べているからか、羊特有の匂いもあまりない。骨付きの肉を手でもってかぶりついた。少し脂がきついものの、美味しい。
そして、お肉よりも美味しいと思ったのは一緒に焼かれていた野菜だ。ジャガイモが肉汁をたっぷり吸い込んでいて、塩気がちょうど良くて、バクバク食べる。前の席に座っていた方に「僕にどうぞって勧めてくれるのかと思ったら食べちゃった。」と言われてしまったくらい、一人で食べまくっていたらしい。
そういえば、モンゴルにいる間ほとんど気にならなかったの蠅が、このときだけはブンブン飛び回っていた。
夕食後、昨日ガイドさんから見せてもらった、このツーリストキャンプに来る途中でお邪魔したゲルのお父さんが作った人形争奪のジャンケン大会が開催された。
馬1頭とラクダ1頭、羊が3頭である。
きっとみんな欲しがるだろうと希望者を募ったらちょうど5人だった。3ドルは高いと思った方が多かったのかも知れない。
私はもちろん元気よく手を挙げ、何故か強運が発揮されてジャンケン大会で勝利することができた。もちろん、馬を選ばせてもらう。嬉しい。
お腹がいっぱいになったところで、22時過ぎに温泉に入った。
夕ごはんを食べ始めるのが少し遅くて、ゆっくりたくさん食べて食べ終わるのも遅かった分、この日のお湯はぬるくなってしまい、少し寒い。これで入り納めなので名残を惜しみつつ、しかし何だか風邪をひきそうな気がして早めにあがった。
荷造りなど明日出発の準備をしていたら、何となくツーリストキャンプ全体がざわざわしてきた。
何かと思ったら、添乗員さんがウランバートルからトンボ帰りで戻って来たらしい。まさか私たちがツァガンスムにいるうちに合流できるとは思っていなかったので驚いた。
みんなで集まり、「ウランバートルとんぼ帰り」の話を聞く。怪我をされた方はウランバートルで病院に行き、一番早い飛行機で帰国できることになったそうで、まずは一安心だ。
私たちはそこまで聞いて引き上げたけれど、その後、添乗員さんとガイドさんのゲルでは「お帰りなさい」の宴会が続いたらしい。
宴会が終わった後も、それぞれの経過を情報交換していたのか、彼らのゲルからはかなり遅くまで話し声が聞こえていた。
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2007年5月4日一部追記