2007年5月26日(土曜日)
昨年8月に修善寺に行って以来の国内旅行だし、温泉旅行だ。
出発前日の友人からのメールで危機一髪、指定席を購入した山形新幹線は上野駅に停まらないことが判り、3人とも東京駅からの乗車になった。
待合室でぼーっとしていて、新幹線が入ってきたことに気がついてもまだぼーっとしていたら、隣に座っていた女性が席を立ち、振り返ったその女性が実は一緒に行く友人だったので驚いた。
お互い気がついていなかったのが、さらに可笑しい。
9時24分東京発の山形新幹線はガラガラだ。
Wikipediaの「一番混雑する新幹線」という記述は嘘で、びゅうのお兄さんの「まず満席になることはないと思います。」という発言が正しかったか、と思っていたら、驚いたことに、大宮で信じられないくらいたくさんの人が乗ってきて、あっという間に満席になった。
みんな、どこから来てどこへ行くのだろう。
山形駅にお昼前に到着し、仙山線の出発まで30分くらいあったので、改札を出た。
さくらんぼが売られていたり、さくらんぼと洋なしのハイチュウ、ハローキティやキューピーのマスコットが売られている。だけど、こう言っては何だけど、その他には本当に何もない。
少なくとも繁華街が駅前にない。コンビニも見当たらない。歩いている人もすぐ近くのビルに吸い込まれてしまい、そこから先は誰もいない。
うら寂しい気持ちになる。
ボタンを押さないと開かないドアを張り切って開け、12時24分発の仙山線快速に乗り込んだ。
山寺駅まではすぐだ。
駅を出ると目の前に山というか崖があり、「うーん、あそこまで上るのね」と思う。お天気は微妙な感じで、青空は見えずに一面雲で真っ白だけどとりあえず明るい。
荷物をコインロッカーに預け、駅前にあったペンション兼食事処という感じの「おのや」に入ってお昼ごはんを食べた。
昼食に必ずそばを食べるというダイエットを昨日開始したという友人はもちろん板そば(私は寡聞にして知らなかったけれど、この辺りの名物らしい)、もう一人の友人はそばと芋汁(名前が違う気もするが、とりあえずけんちんのような具だくさんのみそ汁)のセット、私は精進プレート(たけのこごはん、刺身こんにゃく、ごま豆腐、山菜の天ぷらや煮付けが大きなお皿に載り、これにおみそ汁とおそばがつく)を頼んだ。
おそばは太く固くしっかりとしていて美味しい。
食べている途中で、仙山線の時刻表のメモがコインロッカーに預けた荷物に入っていることに気がついた。朝は定期を忘れるし、今日は厄日かも知れない。
駅舎まで時刻表を見に戻ったら、駅員さんが時刻表のメモの束を指さして「これどうぞ。」と教えてくれた。
一休さん似の案内板どおり、駅を出て真っ直ぐ、突き当たりを右に折れ、左手に見えてきた川を渡りさらに右に折れる。この辺りにお昼ごはんを食べられそうなお店が何軒かあった。駅前で焦って食べなくても大丈夫だったようだ。
それはともかく、そこから少し行った左側が、「立石寺登山口」だ。
「登山口」である。
石段を上ると、正面に、重要文化財に登録されている根本中堂があった。
お参りし、つやつやしている布袋様(だと思う)を撫でて無病息災を願う。
確かここに「お作法」として「二礼、二拍手、一礼」のイラスト付き説明があった。
3人で「お賽銭を入れるのはいつ?」「ガラガラと鳴らすのはいつ?」と言い合い、「来たことを気づいてもらうために鳴らすんだから二礼の前でしょう」という結論になる。
天皇しか渡ってはいけないとされている石の小さい橋(下に川が流れている訳ではない)の横を渡り、小銭に名前を書いてお供えすれば延命・長寿が叶うという亀の甲石にお願いごとをした。
そして、山門に向かっていたら、向こうから歩いてきたおじさんに「根本中堂の奥に不滅の火がある、200円が必要だけどあれは見るべきだ。」と教えてもらい、根本中堂に戻った。
根本中堂の布袋様の横から靴を脱いで畳に上がり、200円を払って説明の紙をいただき、真っ暗な中に小さく切られた戸をくぐって入った。
ここでいただいた説明によると、宝珠山立石寺の山内には50を超える建物があるけれど、「立石寺」という建物は存在せず、中心となる本堂がこの「根本中堂」である。
内陣にはご本尊の薬師如来が安置されているが扉は閉められている。この扉は50年に1回しか開帳されない。その手前に日光菩薩と月光菩薩、お堂の中には他に文殊菩薩や毘沙門天が安置されていたようだけれど、真っ直ぐに法灯に向かってしまった私の記憶には残っていない。
立石寺の「法灯」は、山寺の開山の際に比叡山延暦寺から灯を移して以来1200年、ずっと燃え続けているという。
延暦寺が織田信長の焼き討ちにあった際には、山寺から逆に灯を移したそうだから、これ以上由緒正しい法灯はないと言っていいくらいだろう。
この法灯は二つあり、片方は扉を開けて火を見られるようにしてある。「1200年」と思うからか、真っ暗闇の中に灯る明かりだからか、不信心者の私ですら何だか厳粛な気持ちになった。
山門に再び向かい、14時15分、ここで入山料300円を支払って石段を上り始めた。一番上にある「奥の院」まで、800段以上の石段を上らなければ辿り着けない。
山門を抜けたところの石段を5分くらい上ったところに「姥堂」があった。
ここに祀られているのは、「奪衣婆」だ、「ここから上が極楽、ここから下は地獄」という場所におり、人はここで着替えて古い着物は奪衣婆に奉納する。名前に負けない、ちょっと怖いというか迫力のあるお姿である。
この写真で右に大きく写っている岩は、慈覚大師が雨宿りをしたとも伝えられている岩である。確かに、一人や二人の雨宿りくらい楽にできそうな感じだった。
「四寸道」と呼ばれる、一番狭いところで幅14cmという石段を抜け(確かに、両足を揃えて立つことができないくらいの幅しかない)、14時30分頃、仁王門を見上げる弥陀洞にたどり着いた。
この弥陀洞には、直立した大きな岩に阿弥陀如来の姿が浮かんでいるという。しかし、私にはどこにお姿があるのか全く見当もつかない。
ちょうど、母くらいの年代の女性グループがやってきて「あそこがそうなんじゃない?」「この辺りが頭よ。」と話していたので、その女性が指差す方向を一緒に見てみたけれど、やっぱり判らなかった。
パンフレットには「仏のお姿を見ることができる人には、幸福がおとずれるという。」と書いてある。私に「幸福」が訪れる日は遠いらしい。
仁王門は「これぞ山寺」という場所である。
ガイドブックでもパンフレットでも、「山寺」といえば、この仁王門か五大堂の写真を載せていると思う。
仁王門の左右にはその名のとおり仁王尊像がいらっしゃって睨みつけていた筈だけれど、これまた記憶にない。きっと、邪心だけはないと認められたのだろう(と思うことにしよう)。
仁王門からさらに石段を上ると、性相院、観明院などの支院があり、その昔は多数の僧がここで修行に励んでいたそうだ。
そして、この辺りに何故かポストがあった。「毎日ここまで上がってくる郵便局の人は大変だよねー。」と話していたら、ちょうどそのとき、まさしく郵便局の方が通りかかった。
「大変ですね。」と声をかけたら、普段は元気で体力のある専属の方(?)が回収に来ているけれど、今日はたまたまその方がお休みで、鈴虫のゆうぱっくを届けに上がって来られたとのお話だった。
思わず、私たちよりもはるかに軽快に石段を上がっている後ろ姿を写真に撮らせていただいた。
上り始めて30分強で、奥の院に到着した。
写真の向かって左が大仏堂、右が奥の院である。大仏堂には高さ5mの金色の阿弥陀如来像が安置されていた筈だけれど、これまた記憶にない。
私は何をしに行ったのか、何を見ていたのか、我ながら情けない限りである。
この写真には写っていないけれど、奥の院手前では、公衆トイレの工事をしていたことをはっきりと覚えているというのに、ご本尊のお姿は全く記憶にない。
阿呆である。
奥の院手前から見えていた、どう見ても危なっかしい場所に立っている小さなお堂が気になる。
お堂そのものよりも、実はそのお堂に行く手前の橋がまるではしごのようでもちろん手すりなどなく、落ちたら真っ逆さまに何十mも落ちるんだろうな、という場所にかかっていることがが気になる。
あとでパンフレットを見たら、その場所は「胎内堂」だったらしい。看板も道案内もなかったから、きっと今は立ち入り禁止になっているのだろう。
仙山線の車窓からも見えていた藤の花が、立石寺の山内でも野生の様子で咲いていた。友人は「この香りだと近くにある!」と藤の花の香りを嗅ぎ分けていた。
山肌の新緑の若い緑に、藤の花がからみつくように咲いている。綺麗だ。
こんな風に、藤棚になっていないところで咲く藤の花は初めて見たと思う。
その後、重要文化財だという「三重小塔」を見た。木の建物の中に入っていて、木の格子にセルロイドのようなものが嵌めてあり、それが曇っていてよく見えなかったのが残念だ。
申し訳ないことながら、そのやけに軽そうな感じの赤い色が、割り箸細工で作ったかのように見えてしまった。
立石寺山内では、根本中堂と、「三重小塔」、あとはこの「納経堂」の三つが重要文化財に指定されている。
それでも、先ほどの仁王門や奥の院、「納経堂」の奥にある展望台のような「五大堂」の方が知名度がある。不思議だ。
「納経堂」は立石寺山内で一番古い建物で、しかも、この真下にある入定窟に慈覚大師が眠っていらっしゃるという。
晴れていたらぱーっと奥の方の山並みや手前の田園風景が緑に光って綺麗だったと思う。
残念なことに雨こそ落ちていなかったものの今にも泣き出しそうな空模様で、「立石寺随一」という五大堂からの眺めは堪能できなかった。
この五大堂の横に、「胎内堂」「釈迦峯」への案内板を隠すように「これより先は修行の場により危険ですので、一般客の登山を禁止します」という看板が立っていたことを妙にはっきりと覚えている。
そこから見える範囲では普通のハイキングコースのように見えたけれど、きっと奥の方は「修験道」という感じの場所なのだろう。
五大堂でのんびりした後は、さらにのんびりと山を下る。
途中からは、上がってきた石段とは別の、両脇にお花が咲いている坂を歩いた。階段を上るのも大変だったけれど、坂道をずっと下り続けるとこれはこれで膝が笑いそうになる。
お花の写真を撮ったりしていたら、友人二人からすっかり遅れてしまった。
麓にたどり着いたときには、すっかり膝が笑っていて、立っていると私の意思とは関係なくふくらはぎがプルプルと震えるくらいだった。しみじみと運動不足を実感する。
友人の一人は地ビールを購入しに行き、もう一人の友人は力こんにゃくを食べていた。ご馳走になったら、しょうゆがしみて何だか懐かしい味がして美味しかった。
山寺滞在時間は、登山口から下山口まで約2時間というところだった。
山寺駅に戻り、やってきた仙山線に乗って作並駅まで行く。
今日の宿は作並温泉の湯の原ホテルだ。事前に確認したときは「駅から送迎しますので、山寺駅で電車に乗る前に電話してください。」というお話だったけれど、友人に電話してもらったら「迎えに行ってますよ。」というお返事だったらしい。よく判らない。
駅から送迎のマイクロバスに乗り込み、17時頃にホテルに着いた頃、雨がポツポツと降り出した。
一休みして、展望風呂に行く。展望風呂といっても、「何が見える」というわけではない。それでも、目の前の山の緑が嬉しい。そういう感じである。
内風呂は空気が暑かったので、早々に露天風呂に出た。お湯はちょっと熱めで、風が涼しくて気持ちいい。
今日の気温は25度以上に上がる予報で、仮に東京で同じ気温だったらとてもガマンできずにむしむしと暑苦しかったと思うけれど、東北地方は空気が違う。同じ気温でも爽やかだ。
足の先から腿に向かってさするだけでも効果があると教えてもらったので、石段と下り坂でプルプルと震えていたふくらはぎを重点的にマッサージし、1時間弱、温泉に浸かっていつになく酷使した足を労った。
お昼ごはんが遅めだったので、夕食は19時からにしてもらった。
畳の部屋にテーブルと椅子をセットし、お隣との間にはすだれのような間仕切りを下げた和洋折衷な雰囲気の食事処でいただく。
焼き魚がふっくらと美味しかったことと、脂の固まりをもうちょっと透き通らせてさっぱりさせたような、白いこんにゃくをもうちょっと固めにしたような見た目のコラーゲンを入れた鍋料理があったことを覚えている。
1時間くらいかけて夕食を食べ、部屋に戻ったらお布団が敷いてあった。
山寺歩きの疲れからか、22時くらいにバタンと寝てしまった。
->山寺旅行記2日目