立山黒部アルペンルート旅行記の入口を作る
立山黒部アルペンルート旅行記をやっと書き終わり、2007年10月4日(木曜日)から1泊2日で出かけた立山黒部アルペンルート旅行記への入口を作成した。
以下の日程をクリックすると、その日の旅行記等々に飛べるようになっている。
1日目 2007年10月4日(木曜日)
出発前に旅行計画を立てるときに利用した主なサイトはこちら。 [2010年2月6日修正]
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立山黒部アルペンルート旅行記をやっと書き終わり、2007年10月4日(木曜日)から1泊2日で出かけた立山黒部アルペンルート旅行記への入口を作成した。
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1日目 2007年10月4日(木曜日)
出発前に旅行計画を立てるときに利用した主なサイトはこちら。 [2010年2月6日修正]
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2007年10月5日(金曜日)
6時前に目が覚める。
二段ベッドを降りて真っ先に窓から外を見ると、雲なのか霧なのか一面真っ白だった。雨もぽつぽつと落ちているようだ。
希望としては「爽やかな高原の朝」とか「日の出」を待っていたけれど、なかなか上手くは行かない。
テレビをつけると天気予報が「雨のち晴れ」と言っている。期待しつつ、荷物の整理をした。
朝食のメニューはごはん、お味噌汁(これらとお茶・コーヒーはセルフサービス)、サラダや煮物、卵焼きに切り身の焼き魚などである。
ごはんを食べている間は、外に青空も見え、日も僅かながら射していたのに、7時30分に部屋に戻る頃には再び真っ白で向かいも弥陀ヶ原ホテルさえ見えなくなっていた。山の天気が変わりやすいというのは本当だ。
迷った末に、フロントで10時10分発の室堂行きバスを予約し、8時頃から、国民宿舎のすぐそばに入口のある立山カルデラ展望台に登った。
るるぶには「立山のほかのコースと比較すれば、断然楽なコース」と書いてある。
登り始めてすぐに「うそだ」と確信する。これが「断然ラク」だとすると、私はとてもじゃないけれど他のコースなんて歩けない。展望台に行く道だから基本的にずっと登りだ。石畳で整備されて歩きやすい道だけれど、息が切れる。
途中、僅かな青空を頼りに黄葉した葉っぱの写真を撮って休憩したりしながら15分弱くらい歩くと、展望台に到着した。
もちろん一面真っ白で、カルデラなど全く判らない。しかも、下り始めた頃には再びポツポツと雨が落ちてくる。
9時前にチェックアウトして11975円也の支払いを現金で済ませ(カード払いはできない)、傘をささなければ辛いくらいの雨だったのでガキの田散策は諦めて、弥陀ヶ原ホテルにお土産を買いに行った。
後半に天候が回復することを信じてこの時間にお土産を買い、ついでに不要の荷物と一緒に送ってもらって身軽になろうという作戦である。
「持ち歩かなくてもいいのだし」と思い、迷った末に黒部の水で煮込んだというレトルトカレーを買い込んだ。
そうこうしているうちに、弥陀ヶ原ホテルのロビーから見える高原に日が射し始めた。
少しだけでも歩こうと、ホテルを出て遊歩道に向かう。歩き始めると結構、レインウエアを着て歩いている人がいる。弥陀ヶ原周遊のショートカットコースを一周しようかと、歩いている方に「30分くらいで戻れるでしょうか?」と聞いてみたら、「それならこのまま真っ直ぐに行けるところまで行って戻った方が楽しい。」と教えていただいた。
歩き始めると、少しずつ青空も見え、日も射してくる。雲の動きが速い。
日が射すと、それまで陰鬱そうに見えていた弥陀ヶ原も黄色に光り、草が雨に濡れていることもあって緑や黄色に光っているようにも見える。
木道はところどころ傷んでいて、雨に濡れて滑りやすく、決して歩きやすくはないところを、つい急いでしまう。バスの時間まで40分しかない。
何とかがんばって、ガキの田を見られる場所までたどり着くことができた。本来なら大日岳が奥に見える筈だけれど、もちろん真っ白い雲の中だ。残念だけれど、歩けただけ良しとしなければならない。
ほとんど小走りでバス停に戻り、すっかり大汗をかいてしまった。
やはりバスを待っていた方に「どうしたの!?」と驚かれ、かくかくしかじかと説明すると、「若いのね。」「若いからよ。」と口々に言われてちょっと恥ずかしかった。
バスは予約をしなくても空席があれば乗せてもらえるようだ。時間帯のせいか、この日の10時10分発のバスは、弥陀ヶ原バス停で降りた人も多く、予約していなかった数人も乗ることができた。ただし、補助席使用である。
室堂に向かうバスに乗っているとき、さーっと日が射し、斜面に光が当たって、まるで紅葉が光っているように見えた一瞬があった。
バスの中も「おぉ!」という感じでどよめく。
この1泊2日の旅で、紅葉が一番綺麗に見えたのはこの瞬間だったと思う。
室堂ターミナルで、昨夜と今朝にかけて縷々書きつづった我が身の雨女ぶりを嘆く絵はがきをポストに投函し、やっと晴れてきた青空の下、ペットボトルに「立山玉殿の湧水」を汲んで、11時前にミクリガ池を目指して散策に出発した。
歩き出してすぐ、左手に天狗平に続く遊歩道があり、チングルマが赤く染まっているのが見られた。
弥陀ヶ原から上がってくるバスからは日が射すところが見られたのに、室堂から見下ろすと天狗平方面は真っ白にしか見えない。この下の方まで見えればいいのにと思いながら歩いていると、ターミナルから5分とかからないところにミクリガ池があった。
ミクリガ池は立山黒部を代表する観光&写真スポットで、ツアーなどでは室堂の散策はここまでということも多いようだ。
ミクリガ池を見下ろす場所、水平の位置から見渡せる場所にはベンチが置かれている。ガイドさんがツアーの方に「今日はちょっと波が立っているので山の姿を映し出すというわけにはいきませんが、写真を撮る方はここでどうぞ。」と言っているのを聞きながら、微妙に複雑な気分で写真を撮る。
立山黒部アルペンルートの公式サイトでは、この時期の室堂の紅葉は「見頃」となっていたものの、もうちょっと遅めが正解だったようだ。
室堂での散策ルートはあまり考えておらず、早めに切り上げて15時発の最終の黒部湖遊覧船を目指すか、室堂でがんばって歩くか迷っていた。
せっかくお天気も良くなってきたし、ここで歩かなければどうすると思い直して地獄谷に降りた。
ここで結構な決心が必要だったのは、この地獄谷が本当に低いところにあるからだ。
延々と階段を降りる必要がある。降りた階段の分はいつか上らなければならないわけで、日頃の運動不足を自認している私にとって、つづら折りの階段は恐怖以外の何ものでもない。
上ることを考えずに降りきってしまえば、紺屋地獄だったか鍛冶屋地獄だったかまではすぐである。
でも、このガスが半端ではなく凄い。思わずタオルを出して口に当てて通り過ぎたほどである。
勢いで通り過ぎてしまい、しかもミクリガ池からここまで15分くらいで来て調子に乗ったこともあり、たったこれだけであの階段を上らなくてはならないというのが悔しすぎるということもあり、そのまま地獄谷周遊コースに足を踏み入れ、まずはロッジ立山連峰を目指した。
ボコボコ言っていそうな地獄の池の横をできるだけ足早に通り過ぎ、舗装された平らな道をのんびりと歩く。
振り返ると、「荒涼とした」としか言いようのない石ころだらけの灰色の地面が広がり、でも青空のせいか妙に明るい景色の中、あちこちから白い火山性ガスが立ち上っている。
室堂ターミナルから1時間弱歩いて、ロッジ立山連峰に到着した。
このロッジ横から少し上がったところに、座るのにちょうどいい石があったので休憩にした。
お腹が空いたなぁと思いながら、昨日のど飴代わりに買った「名水キャンディ」をいくつも口に入れた。それでもここでお昼ごはんを食べようと思わなかったのが我ながら謎である。
この辺りから少しずつ道は上り始めていて、暑くなってきたのでアウトドア用コートを脱ぎ、長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを着て、長袖シャツを羽織り、コートは腰に巻く。
このロッジ立山連峰から、らいちょう温泉雷鳥荘までの15分くらい(もっと近かったかも知れない)の間に見た、雷鳥沢方面の景色が広々としていて、山があってキャンプ場があって、とても綺麗だった。
その景色の綺麗さとは裏腹に、階段を上り、上り坂を上り、ちょうど追いつかれた年輩のご夫婦に撮っていただいた写真の私は、膝が笑い始めて真っ直ぐ立つには足を開くしかなく、顔は汗だくで、とても人様にお見せできるような状態ではない。
それもその筈で、るるぶの地図にも「急な坂道」と表示されているこの辺りはこんな階段を上らねばならない。見た瞬間に思わず「嘘でしょー。」と叫んでしまい、前を歩いてた方に振り向かれてしまった。
でも、この斜面にはチングルマが赤く広がっていて、そのチングルマの向こうに山の稜線が連なるのはなかなか見事な眺めである。
がんばって坂道を上ったところが雷鳥荘だった。
私を追い抜いていったご夫婦が戻って来られたので「どうしたんですか?」と聞くと「お昼ご飯を食べようと思って。」とおっしゃり、そのまま雷鳥荘に入って行かれた。
この時点で12時を回っており、思えば私もそうすれば良かったけれど、何だか先を急ぎたい気分で、そのまま歩き続けた。
りんどう湖周辺は、アップダウンの石畳の道が続く。やたらと長く辛い坂道を上ってきた後では、これが結構堪える。
しかも、青空だった空が一転して白くなってくると同時に風も強くなって寒い。
途中、すれ違ったご夫婦に「初心者は反対回りの方が楽だって教えてもらって、こっちから歩き出したんだよ。」と教えてもらい、思わず「るるぶめ!」と呟く。るるぶには、私が歩いた方の回り方で書いてあったのだ。
水深が浅くて見た目は「湖」というよりも「水たまり」に近くてパっとしないりんどう湖にも、地獄谷方面から雲なのか霧なのか、白いものが刻一刻と上がってくるのが判る。
なるべく足早にりんどう湖を回り込むと、りんどう湖の反対側に、血の池地獄が見えた。
もっとも、ガイドブックに載っていた写真はもっと赤くてどろっとした感じに見え、閻魔台展望台に到着して説明を読むまでは、私はこれを見て「室堂にもガキの田があるのね。」と思っていたくらいだ。
その閻魔台展望台に到着したのは12時40分だった。
そして、到着したときには、一面が真っ白だった。
日が射さなくなったせいか、風を遮るものが全くないせいか、風が冷たくて寒い。でも、いい加減に疲れ果てて、たくさん設置されたベンチのひとつに座り込んでしまう。
もうミクリガ池も近いので、雲さえなければ地獄谷の全景を一望できるこの展望台まで歩いてくるツアーも多いようだ。
ベンチに座り込んでぼーっとしていたら、女性5人くらいのグループが何やら興奮しているのが見えた。
そちらに目をやってみると、どうやら雷鳥がいたらしい。気がついたときには、すでに雷鳥が藪の中に隠れてしまった後だったのが残念である。
それでも、細い枝の間に2羽の鳥がいるのは判る。もうすでに羽は白くなっているようだ。雪が降る日も近いのだろう。
じーっと藪を睨みつけていたら、ツアーを率いた年配のガイドさんが通りかかって「雷鳥がいるの?」とおっしゃる。「藪の中にいるのは判るんですけど。」と答えたら、「一度隠れちゃうともう出てこないよ。」と教えてくれた。
ふと気がつくと雲が切れ、さっきは雲以外何も見えなかった方向に山崎カールが見えていた。この間、約20分である。山の天気が変わりやすいというのはつくづくと事実である。
この「カール」とは、氷河の侵蝕作用によってできた広い椀状の谷のことで、「山崎カール」は日本で初めて発見されたとされているようだ。山崎直方教授によって発見された「山崎カール」。素直な命名である。
閻魔台展望台を後にすると、ミクリガ池はすぐである。
出発前は波が立っていた水面もだいぶおさまり、山や空、雲を映していて綺麗である。
ミクリガ池を堪能する。
ミクリガ池からミドリガ池、玉殿岩屋を一周する周遊コースも歩こうと思っていたけれど、体力のない私にはとても無理だったので、ミドリガ池のとば口まで歩き、「うん、やっぱりミクリガ池の方が絵になるわ」と確認したところで引き返した。
ところどころをチングルマが赤く染めている天狗平に続く野原を眺めつつ、ゆるゆると室堂ターミナルまで戻った。14時である。
室堂ターミナルにある「立山そば」という立ち食いそば屋さんに、1日30食限定の白えびの掻き揚げそばがあることをチェックしていて、できれば食べたいと思っていたけれど、当然のことながら売り切れている。出発前に食べておくべきだった。
お腹が空きすぎてしまい、感覚がない。コーヒーショップで、湧水で入れたホットコーヒーとその場で揚げるというカレーパン(これが長くてデカイ)を食べた。
14時45分発のトロリーバスで大観峰に向かう。
室堂はまだギリギリ晴れ間も見えていた一方で、山一つくぐった大観峰では雨が降っていて驚いた。しつこいようだけれど、本当に山の天気は判らない。
この雨にショックを受けて、そのまま真っ直ぐロープウエイ乗り場に向かい、ここの売店で買おうと思っていた巨峰の干しぶどうを買い忘れた。痛恨の極みである。
大観峰のロープウエイ乗り場から下を見ても、真っ白で何も見えなかった。
乗り場の係員のお兄さんが「明日は2時間待ちくらいですね。」とあっさり言っているのを聞いて驚く。確かに10月の3連休に人が集中しているというのは何かで読んだ記憶がある。そうなると、ロープウエイに乗るのに整理券が発行されるらしい。
展望台以外に駅舎から出ることのできない大観峰に2時間居続けは相当辛そうだ。
2時間待つことになっても晴れていた方が嬉しかったかなと思いつつ、ロープウエイに乗り込む。何も見えないせいで、また一番前のど真ん中の位置をキープできた。
ラッキーなことに、ロープウエイが動き出してすぐ、雲が切れ、黒部湖がうっすらと見えてきた。雲に霞むエメラルドグリーンの湖面は幻想的だ。
黒部平の駅には植物園が併設されている。
昨日は素通りしたので、植物園の階段を降りる。ナナカマドやリンドウといった、私でも名前と姿が一致する植物の写真を撮っていたら、係の方らしいおじさんが色々と解説してくださった。
それほど広くはないこの場所に100種1万本の植物が植えられているというから驚く。
中でも驚いたのが、おじさんがわざわざ見せてくれた「オヤマボクチ(雄山火口)」という植物である。もう花も終わっているように見えるのに、何故か蜂が群がってくっつき、軍手をしたおじさんの手が多少揺らそうがびくともしない。
葉の裏に生える繊維が火を熾すときの火口として用いられたことからこの名前がついたそうで、また、この茸毛をそばのつなぎに使う地方もあるという。
それにしても、やっぱりこの「群がる蜂」が気になる。
扇沢からのバスの時間に間に合うか危なくなってきたので、15時40分発のケーブルカーに乗って黒部湖に降りた。
日が射している! そういえば、昨日の天気予報でも黒部ダムは晴れだった。
もう黒部湖遊覧船は終わっていたけれど、カンパ谷吊り橋方面から黒部ダムを見てみたかったので、遊覧船乗り場方面に急ぐ。
意外と遠い。10分も歩いただろうか。
遊覧船乗り場は、道路から湖面まで結構急な階段を降りねばならず、時間的に間に合ったとしても乗ったかどうかは微妙だ。
ダムの描くカーブを逆の方向から眺めるという目的を達成し、急いで黒部ダム駅方面にとって返した。できれば新展望広場から観光放水を見ておきたい。
黒部ダム堰堤の上を歩き始めると、目の前の山に日が射しているのが見えた。
雨と雲にたたられたこの2日、青空と日射しには反応するようになっている。
ここまで来ると「旅の終わり」という感じが強くて、空が晴れていることにほっとする。
黒部ダム駅側に戻り、昨日見そびれてしまった殉職者慰霊碑に手を合わせる。ダム建設の際に171名もの殉職者が出たという。
残念ながら時間切れで新展望広場に行くことはできなかった。というよりも、急階段に恐れをなし、急いで降りて急いで上がってくる自信がなかったので、時間的にはぎりぎり間に合うような気がしたけれど断念する。
事実、トロリーバス乗り場に行く途中に少しだけ坂と階段(20段くらい)があって、そこを上がるのがとてもとても辛かった。
トロリーバス乗り場は大混雑で、16時35分発に乗るために、15分くらい前から並んだ。
近くにJTBのツアーが2団体いて、出発地が異なっているらしく、「**JTBの方は、扇沢に到着したら、こちらのくたびれた旗の方に集合してください。」などと案内しているのが可笑しい。
何とか席を確保して座り、10分強の、立山黒部アルペンルート最後の乗り物を堪能した。
そういえば、アルペンルート内の乗り物で乗っているときに耳鳴りがしたのは、この扇沢から黒部ダムまでのトロリーバスだけのように思う。
17時発の長野駅行きのバスに間に合うかどうかが心配したものの、こんな夕暮れの写真を撮り、お手洗いに行く余裕もあった。
観光バスも何台か並んでいてどのバスか判らなかったので、窓口の女性に聞いて教えてもらう。出発直前になって、彼女が慌てて片付けて同じバスに乗ったのには驚いた。この後も信濃大町行きのバスはある筈なのに窓口を閉めてしまって大丈夫なんだろうか。
長野駅行きのバスは、乗客二人と窓口の女性一人を乗せて出発した。信濃大町駅で4人が乗り込んできてほっとする。
長野駅近くで少しだけ渋滞にはまったものの、ほぼ定刻の18時45分に長野駅に到着した。
母のリクエストであるわさび漬けを探し、駅弁を食べたいほどお腹が空いていなかったので迷った末におにぎりとペットボトルのお茶を夕食に買い込み、19時28分発のあさまで帰路についた。
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2007年10月4日(木曜日)
1週間くらい前から日に日に酷くなってゆく天気予報を眺めていたので、「どうして晴れているんだ・・・。ここで晴れていても仕方がないのに・・・。」と思いながら上野駅に向かった。
長野新幹線に乗るつもりで、「始発だから少し早めに行けば自由席でも座れるだろう」と考えていたら、これは再び私の勘違いで、長野新幹線はもちろん東京始発である。それでも、何とか座ることができた。
上野駅8時46分発のあさま509号は、平日だけあってスーツ姿の人が多い。大宮駅を過ぎるとちらほらと通路に立つ人の姿も見られた。
10時20分に長野駅に到着したときには、青空よりも雲の方が多いくらいになっていた。
相変わらず、雨女の面目躍如である。
長野駅から10時30分発の川中島バスで扇沢まで行く予定である。
バスの車内では片道乗車券しか購入できないので、売店で往復乗車券を購入した。
バスに乗ると、扇沢まで1時間40分トイレ休憩はありませんとアナウンスがあった。
乗客を9人乗せて出発である。空いていたし、一番前の席に陣取った。
青空を見せたり、「東京電力小田切ダム」で社会科見学らしい小学生の姿を見せたり、安庭で気温22度という表示を見せたりしながら、バスは順調に走った。
11時30分に信濃大町駅に到着した時点でも青空が見えていた。しかし、進行方向の山は雲に覆われて真っ白である。
そして、予定よりも10分ほど早く、12時に扇沢に到着した。
かなり涼しい。長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを重ね、腰に巻いていたコートを羽織った。
弥陀ヶ原までの往復切符を購入し、12時30分発のトロリーバスを待ちつつ雲にほとんど覆われた空を恨めしく見上げていたら、ヘリコプターが横切っていくのが見えた。
かなり大きい荷物を吊している。
きっとルート内から何かを運び出してきたか、ルート内に物資を運び入れるか、どちらかの任務を遂行中のヘリだったのだろう。
トロリーバス乗り場のフロアに上がると、「破砕帯突破50周年記念展」が慎ましく開催されていた。今年の5月4日にトロリーバスの乗客が5000万人を突破したという垂れ幕もかかっている。
トロリーバスの改札は発車7分前開始で、何となく並んでいると、係のお兄さんが物販の案内を始めた。
これが、名調子でなかなか楽しい。
トロリーバスのチョロQなどは結構売れていたようだ。見事である。
車内放送によると、日本でトロリーバスが走っているのは、この扇沢から黒部ダムまでと、ルート内の大観峰から室堂までの2ヶ所だけである。
長野県と富山県の県境(黄色い標識が出ていた)や、破砕帯(もちろん今は普通にトンネルができているので、「この辺りです」という印に青い照明が使われている)などもアナウンスされる。
15分ほどで黒部ダム駅に到着した。
ダム展望台に向けて220段の階段をがんばって上がる。階段の途中に、破砕帯の水飲み場があったので小休止を兼ねて喉を湿らせる。やっぱり美味しい。
やっと、ダム展望台に到着した。真っ先に黒部ダムの観光放水を見下ろす。
やはり「迫力!」の一言である。
もう13時を回っている。お腹がぺこぺこだ。
観光放水と黒部湖をのんびり眺めた後、お昼ごはんを食べた。
ここでお昼ごはんを食べるなら、黒部ダムレストハウスで黒部ダムカレー(1000円)にしようと決めていた。
カツとキャベツと福神漬けとマカロニサラダの役割は不明ながら、ごはんの形でダムを、グリーンカレーでダム湖を表したという意欲作である。
この後は、新展望広場で観光放水を同じ高さから見るという案と、黒部湖遊覧船ガルベに乗るという案とを考えていた。しかし、両方とも明日に回して先を急ぐ。
明日の午後は黒部ダム周辺は晴れるという天気予報だったし、何より、黒部ダムから見上げた黒部平方面にどんどん白い雲が降りてきているのが見えたからだ。
黒部ダムから黒部湖駅までは、ダムの堰堤の上を歩いて行く。
風がびゅうびゅう吹きつけて寒い。
堰堤のちょうど中間地点の真下から観光放水が行われている。上から覗き込むと、かすかに射している太陽のおかげで、ダムから流れ出す川の上に、うっすらと虹を見ることができた。
黒部湖駅から黒部平駅までのケーブルカーは、全線が地下に作られている。
ここでも改札前の数分間、駅員さんらが写真集などの売り込みに余念がない。流石である。
ケーブルカーは、乗るための階段も急なら、ケーブルカー自体も階段状になっていて上下の差が大きくて結構怖い。
14時発のケーブルカーに乗った。
黒部平駅に着いてすぐに屋上の展望台に上った。
天候的には何とかギリギリで後立山連峰を望むことができる。
木々に隠れるように黒部湖も見える。
気持ちの良い眺めである。つい、お天気が良ければなぁと思ってしまう。
駅を出たところの広場には「黒部平」と書かれた石碑があり、そこで湧水を飲むことができた。黒部ダムで飲んだ水と変わりなく美味しい。
そこから大観峰を見上げると、真っ赤に色づいたナナカマドと、大観峰のロープウエイ駅を隠しそうにどんどん白い雲が降りてくるのが見える。
タンボ平の紅葉はまだ「始まりかけ」といった感じだ。
日が射してきたところで、14時40分発のロープウエイの列に並んだ。
ロープウエイは、団体と個人とで並ぶ列が異なっている。台湾の方々らしい団体客がいる。日本に来て立山黒部アルペンルートを旅するとは、なかなか渋い選択だと思う。
意外なことにロープウエイは混んでおらず、一番前の特等席に陣取ることができた。そこだけ窓が開いていて、写真撮影できるのが嬉しい。
ロープウエイ眼下のタンボ平では、黄色やオレンジに染まった木々がところどころに見えている。
間に支柱が一本もないロープウエイからの眺めは格別で、唯一開いた窓から吹き込む冷たい風も気にならない。しかし、真正面を見上げる体勢でずっと動画を撮り続けていたら、手が冷たくなってしまった。
返す返すもどんどん悪化の一途を辿っているお天気が恨めしい。
大観峰でも屋上の展望台に上った。
この時は私を含めて5〜6人しかいなかったけれど、階段状になっているので、仮に大勢の人が来ても大丈夫だ。
ロープウエイに乗っている間ずっと正面を見上げていたので、ここにきて初めて逆に黒部湖を見下ろし、ぎりぎり山頂を見せている後立山連峰や、タンボ平の斜面を堪能する。
もちろん屋上の展望台は吹きさらしだ。流石に、長袖Tシャツ2枚、半袖Tシャツ1枚にアウトドア用のコートを着込めばそれほど寒くは感じない。
大観峰の駅は断崖に建てられており、屋上の展望台と、ロープウエイから1階上がったトロリーバス乗り場と同じフロアの中テラスと、外に出られるのはその2ヶ所のみである。
そのためか、大観峰の駅には、室堂の現在の様子をライブカメラが映し出すテレビが置かれていた。屋上展望台から見上げた室堂方面(この山の向こう側ということになる)は灰色の雲で覆われているものの、画面を見る限りでは、まだ、ぎりぎり雨は落ちていないようだ。
また、この駅のお土産の品揃えは豊富だ。扇沢から弥陀ヶ原まで往復した中では、広さでは室堂駅の立山ホテル併設のお土産物屋さんに譲るとしても、品揃えや雰囲気は一番だったように思う。
巨峰の干しぶどうが気になる。今思えばこのときに買っておけば良かったけれど、「明日もここは通るし」と思って購入しなかった。こういう場合、得てして買いそびれてしまうものだ。
乾燥しているせいか、標高が高いせいか、何だか喉が痛くて気になっていた。変な話だけれど、扇沢を出て以来お手洗いにも行っていないから、やっぱり空気が乾燥していたのだと思う。
日本で2路線しか走っていないうちの2路線目の大観峰から室堂に向かうトロリーバスは、15時15分に発車した。トロリーバスは何台も連なって運行されるので、まず満員で乗れないというようなことはなさそうである。
このトロリーバス用のトンネルは、立山連峰の最高峰である雄山の真下を通っている。
そして、その「真下」の部分でトンネルが太くなっており、バス同士がすれ違えるようになっている。
到着した室堂では気温12.7度の表示が出ていた。
外を見ても、真っ白ですぐそこも見えないくらいで、上の方には濃い灰色の雲が見える。
これでは外は歩けないだろう。郵便局がこの時間(15時30分くらい)でも開いていたので覗いてみる。登頂証明書はデザインが今ひとつ気に入らなかったのでパスし、お土産物屋で絵はがきと、のど飴の代わりにレモン味の「立山黒部名水ドロップ」を購入した。
今思えば、立山自然保護センターに行ってみれば良かったと思う。
どんどんみるみる悪化する天候に恐れをなして、15時40分発のバスで弥陀ヶ原に向かった。
室堂から美女平まで行く立山高原バスは、進行方向右側の方が概ねいい景色が眺められる。ただ、1ヶ所だけ、天狗平を過ぎた辺りで景色を眺めるために停まってくれるタイミングでは左側の席の方が存分に眺められる。
どちらを選ぶか、微妙なところだ。
それに、この評価は晴れた日にはまた変わるのかも知れない。
弥陀ヶ原でバスを降り、バス停の目の前にある今日の宿「国民宿舎展望立山荘」にチェックインした。
夕食は17時か18時からと言われ、18時でお願いする。
朝食は7時からだ。
フロントに表示されていた明日の天気予報は雨のち曇りで、さて、明日の行動計画はどうしようかと迷う。バスは、早い内の何本かは前日に予約、それ以外は乗車1時間前までに予約する必要がある。立山高原バスは全員着席なので、確実に乗るための措置である。
予約の電話を入れたときに「お部屋は洋室になります。」と言われていたとおり、二段ベッドの部屋だった。
可愛い。
トイレとお風呂は共同で、部屋の中に洗面台がある。タオルと歯ブラシ、歯磨き粉のアメニティがある。スリッパも用意されており、食堂やお風呂に行くときにはスリッパをはいていた。
ポットがあって嬉しい。
一通りお部屋を確認して荷物を軽くし、散歩に出た。
弥陀ヶ原ホテル横からの遊歩道に少し足を踏み入れたものの、木道は濡れて滑りそうだし、濡れた草が覆い被さりそうな感じだったので、早々に断念する。
国民宿舎の公衆電話はフロントの目の前で少々しゃべりにくかったので、弥陀ヶ原ホテルロビーの公衆電話から家に電話を入れる。「こっちは晴れてるわよ。」の一言が悔しい。
そうこうしているうちにポツポツと雨が降ってきたので、お散歩は諦めて宿に戻った。
展望立山荘には自然学習ルームもある。ただ、山と花にそれほど深い興味があるわけではない私には、図鑑の類はお宝というわけではない。
PCの電源を入れてみたら、OSがWin95のそのPCは挙動不審で思うように起動させることすらできなかった。
お部屋に戻ってお茶を煎れ、さっき買ってきた絵はがきで友達に悪天候を嘆きまくる。
まだ17時過ぎにも関わらず、何故だかシンシンと寒い。部屋には温水循環(だと思う)の暖房がついているものの、セントラルヒーティングらしく、勝手にスイッチを入れることができない。寒い。
17時45分くらいに暖房が入ったときには、心底ほっとした。
18時からの夕食は食堂でいただいた。
意外と席が埋まっていて驚く。これで2回転するなら、20人くらいは泊まっていそうだ。逆に言うと、紅葉の時期でも平日なら直前まで予約できそうな感じである。
ちなみに、一人旅は私を含めて3人で、あとのお二方は男性だった。
メニューは、前菜、ポトフ、チキンの照り焼き、アイスクリームだ。
これはお酒を飲むべきメニューだなと思う。
ごはんと御味噌汁とお茶はセルフサービスで、何故だかふりかけが3種類も置いてあった。
隣にいらした台湾人の男性は、チキンの照り焼きが運ばれてきたところで困惑気味だ。
チェックインのときに別にお料理を頼んでたらしく、何故さらにどんと大きいお皿が運ばれてくるのか疑問だったらしい。
ウエイターのお兄ちゃんが、日本語で「これは今日の夕食のメニューなんです。」とボソボソと言っても伝わる筈がない。ちゃらんぽらんな英語で「こっちがスペシャルリクエストのお皿で、こっちは今日の夕食のメインディッシュ」。と伝えると納得したようだった。よかった。
しかし、それ以上の話ができるほどの英語力がないところが悲しい。
お料理では、やっぱりポトフが美味しい。
このお鍋で一人前というのは、私の胃では持てあます。チキンの照り焼きをパスすることにして、ひたすらポトフを食べる。
ポトフは一泊目の人用のメニューらしく、他のメニューを食べていらる方も見える。連泊している方が結構いらっしゃるようだ。
1時間くらいかけて、少なくともポトフは完食した。
食後は自然観察ルームに立ち寄り、何となく子供用の「不思議の海のナディア」の絵本を読み出したら止まらなくなってしまい、上下を一気に読んだ。
「不思議の海のナディア」のストーリーを初めて知った。弥陀ヶ原まで来て一体何をやっているのだろうと思う。
フロント横のカウンターに立山黒部のアルバムが置かれていたので、それを眺める。やっぱり、ずっと暮らして見ていてこその写真だなと思う。
部屋に戻って窓を覗くと、真正面に弥陀ヶ原ホテルの姿が見えた。
もちろん、星なんてかけらも見えていない。窓から明かりがこぼれる弥陀ヶ原ホテルの写真を撮って満足していたら、あっという間に雷が鳴り始め、稲妻は見えないものの、道路を挟んだ反対側のホテルの姿がもう白くぼやけて霞んでいる。
何だかこんなところで、山の天気は恐ろしいと思ってしまった。
お風呂も空いていたのでのんびりし、雨女を嘆く絵はがきをひたすら書き、22時現在で外は雨の音が大きい。
まだ弥陀ヶ原を全く歩いていないし、朝早くから室堂に上がっても仕方があるまいと踏んで、早い時間のバスを予約するのはやめにして、とっとと就寝した。
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マイフォトに2007年10月に行った立山黒部アルペンルートで撮った写真をアップした。
一泊二日の割りに600枚以上撮っているのは、お天気が良かったり悪かったりしたので同じ構図で露出を変えて何枚かずつ撮っていることが多いためと、1日目が雨で2日目の途中から晴れたので、2日目は青空が嬉しくて意味もなくシャッターを切っていたからである。
そうして撮った中から(一応)24枚を厳選した。
アップした写真はこちら。
どうぞ、見てやってください。
ちなみに、写真へのコメントに一切山の名前が出てこないのは、私が全く判らないままに眺め、過ぎ去り、写真を撮っていたからである。
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立山・黒部アルペンルート上の室堂ターミナルの中には簡易郵便局があり、そこで郵便物を投函すると、風景印の消印を押してもらえる。
窓口横の張り紙でそのことを知り、ちょうど絵はがきも切手も余分に持っていたので、自分宛てに一通出しておいた。
10月5日のお昼前に投函した絵はがきが、昨日(9日)、自宅に届いた。
丁寧に押された風景印が嬉しい。
友人からも「はがきが届いたよ」というメールをいただいたので、概ね、東京近辺には4日をかけて届いたということのようだ。
連休を挟まなかったらもう少し早かったのかも知れない。
「消印に山羊が描かれているけど、立山・黒部には山羊がいるの?」と質問されたのだけれど、そういえば、見た覚えがない。
雷鳥ならともかく、どうして山羊が描かれているのだろう。
不思議である。
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プロフィール写真を、2007年10月4日から1泊2日で出かけた立山・黒部の旅で、室堂周辺を歩き回っていたときに撮った写真に変えた。
チングルマの赤が青空に映えて、「これぞ、立山・黒部の旅の写真だ」というわけではないのだけれど、気に入っている1枚である。
プロフィール写真を変えるのと一緒に、旅行前の旅計画でお世話になったサイトを「立山・黒部の支度(リンク)」ということで、サイドバーにまとめておいた。
写真を撮り忘れてしまったのだけれど、今日、職場で、弥陀ヶ原ホテルの売店で購入した「立山のそよ風」というお菓子をお土産に配った。
12個入り525円というサイズとお値段につられて選んだのだけれど、これが思いの外、好評だった。
よかった!
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一昨日の2007年10月4日から1泊2日で、立山・黒部アルペンルートを旅して来た。
二転三転した天気予報は、出発当日にはついに「4日は曇りのち雨、5日は雨のち曇り」ととんでもない状況になっていたけれど、結果としてはそれほど雨に降られずに歩いてくることができた。
「山の上はもう冬だよ」と言われていたこともあり、立山黒部アルペンルート公式サイトにある天気情報で「室堂の7時の気温が4度」などと出ていたこともあり、かなり重装備で出かけたのだけれど、日射しも出たせいか思ったよりも暖かく、歩こうとすると階段を上り下りせざるを得ないので大汗をかいてしまったけれど、寒さに苦しめられることがなかったのは幸いだった。
出発前に簡単なメモだけは作っておいたので、忘れないうちに持ち物リストを書き留めて置こうと思う。
荷物を背負ったまま歩くことになるので、寒さ対策を除くと、かなり荷物を絞ってある。
それでも、2日目の朝、購入したお土産と一緒に送ってくれるというので、着替えや不要になったミニ三脚などのデジカメ用持ち物、カイロなどを宅配した。翌日午前中には家に届いて驚いた。
民営化された郵便局の苦戦が想像されるというものだ。
持って行かずに後悔したものは、ずばり、のど飴である。
標高が高いせいなのか乾燥していて、手もカサカサになったし、喉も渇いたし、ちょっと痛くなった。
アルペンルート内の売店では普通ののど飴は見当たらず、「黒部の名水キャンディ」というレモンドロップ(250円也)を思わず購入してしまった。
リストには、着ていった服や、リュックに入れていったものも含まれている。
*は、帰ってきてからのコメントである。
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